一般書籍

傷はぜったい消毒するなーその1

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「傷はぜったい消毒するな」
ー生態系としての皮膚の科学ー
夏井睦・著
光文社 本体840円



 形成外科医である著者は既に、『痛くない!早く治る!キズ・ヤケドは消毒してはいけない「うるおい治療」のすすめ』という分かりやすい実用書を、主婦の友社から出しているが、今回の新書は、副題に「生態系としての皮膚の科学」とあり、その理論書です。
 従来の「消毒して傷を乾かす」治療は、傷が治るのを妨害するだけだ。「消毒しない、乾燥させない」だけで傷が速やかに治ってしまう。著者はそれを「うるおい(湿潤)治療」と呼んでいます。
 消毒薬は、病原菌やウイルスを殺す前に人体細胞を殺し、皮膚常在菌まで殺してしまう。また乾燥させると細菌の増殖は止まるが、それ以前に皮膚の細胞(真皮や肉芽)が乾燥で死んでしまう。それがカサブタです。ですから傷口の浸出液を乾燥させないようにすれば「食品ラップ」で覆っただけでも治るそうです。そもそも傷口に細菌がいただけでは化膿しない。(細菌はどこにでもいるのだから)それが増殖できる場(体液が溜まって澱んでいる血腫や膿やカサブタ)がなければ化膿しない。そういう場は血管との交通がないから、免疫細胞も抗生物質も届かない。消毒薬は血腫のタンパク質と結合して細菌に届かない。つまり血腫や膿を取り除き、傷口を乾燥させなければ、消毒も抗生物質も不要で、カサブタも出来ずに治ってしまう。この治療法は、傷にもヤケドにもアトピーや床ずれにも効くそうです。
 ではこの実証された治療法がなぜ普及しないのか?まず皮膚科は、皮膚内科医であって、皮膚外科医でないと指摘します。それなのに皮膚外傷(擦り傷やヤケド)を分担させられてる。こういった首をかしげる現状を導入部に、消毒して乾燥させる間違いが、なぜ起こったか、医学史をさかのぼっていきます。
 つぎに、傷薬(クリーム)に含まれる界面活性剤が、人体の細胞膜を破壊すると指摘します。皮膚科の教科書にも「クリーム基剤の軟膏は健常な皮膚にのみ使用する」と書かれている。それなのにヤケド治療用のクリーム基剤の軟膏が作られてる。むしろ薬剤(主剤)なしの油脂性基剤(白色ワセリン)を塗るほうがいい。白色ワセリンは炭化水素の分子量が小さいために抗原性(アレルギーを起こす性質)を持たず、常温での反応性が乏しく、生体との反応もほとんどなく、皮膚の乾燥を防ぐのに最適だそうです。
 一方、界面活性剤は皮膚常在菌の細胞膜を破壊します。つまり洗剤による過度な手洗いは常在菌を殺し、バリアーのなくなった皮膚は、病原菌に直接さらされます。ーつづくー
         (高橋峰夫)

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それでも、日本人は「戦争」を選んだーその2

ー昨日の続き

 とここまでが私見ですが、肝心の日本の戦争がよく掴めない。と思ってたら、ぴったりのこの本がありました。著者は07年の年末から08年の年始に、足掛け5日間の授業を栄光学園でしました。歴史研究部を中心に中1から高2の17人の生徒相手の講義録が、この本です。先生と生徒の応答がいい授業です。他の生徒相手でも可能でしょうが、特に栄光学園の生徒は歴史知識が豊富なので、先生の望んでる事項がパッと頭に浮かびます。おかげで中高生相手とは思えない深い歴史考察がされてる。前提の知識さえあれば、他の生徒でも考察は可能でしょう。
 そこで「そうするためには、時々の戦争の根源的な特徴、時々の戦争が地域秩序や国家や社会に与えた影響や変化を簡潔に明解にまとめる必要が生じます。その成果がこの本です」
 また「もし自分がその当時生きていたら(国家の)そのような説得の論理に騙されただろうか、どうも騙されてしまいそうだ、との疑念があったからです」とも言ってます。
「はじめに」では「小選挙区制下にあっては、確実な票をはじきだしてくれる高齢者世代の世論や意見を為政者は絶対に無視できない」「若い人々に光をあててゆく覚悟がなければ公正には機能しない…教育においてもしかり」とも言ってます。そうであれば高齢者を敵に回した時点で、自公政権の崩壊は決まっていたのです。
 本文も目から鱗の本です。ぜひ読んでみてください。
        (高橋峰夫)

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それでも、日本人は「戦争」を選んだーその1

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それでも、日本人は「戦争」を選んだ
加藤陽子
朝日出版社 本体1700円




 
 本を紹介する前に私見を述べます。
 戦争はなぜ起こるのか?は、難しい問題です。でも現代の戦争は、昔の、封建時代までの戦争とは違うような気がします。それには、国民国家が絡んでるらしい。いや、今の国家(つまり国民国家)は、当たり前のものじゃなくて、ごく新しいものらしい。だから戦争に、イデオロギーやナショナリズムが絡むようだ。
と言うような事が、遅まきながら私にも分かってきました。そこで国民国家の勉強を少しづつ始めました。さて国民国家には、国民と国語と国軍が必要です。国語は母語とは違います。いわば人造語です。『国語元年』ですね。だから国語の教科書は、道徳の教科書を兼ねるんですね。日本は明治維新で国民国家に衣替えしました。 これが、すんなりいった、世界史的にも稀な例らしい。        
 じゃあそれまでの国家はどんなものだったのか?これが、極論すれば国家はなかったらしい。例えばドイツは、ナポレオンが作ったと言われます。つまりナポレオンの再編前のドイツには 314の領邦国家と1475の帝国騎士領があったそうです。
 日本も江戸時代は、大小様々な大名領があり、その間に天領が点在してました。越後の国とか武蔵の国とかは、国としてまとまってた訳ではない。世界も、日本の中にある様な状況だったらしい。ですからヨーロッパの王族同士の結婚で、領土の国同士がくっついたり分割したりする。つまり領民には、国民という感覚はなかった。
 アメリカ合衆国は誤訳だ。合州国が正しい。と言ったのは本多勝一ですが、そんなバカなと言ったのが高島俊男です。江戸幕府が万国図を翻訳しようとして一番驚いたのが、アメリカという国には王様がいなくて、庶民が自分らの代表を入れ札で選ぶ、と言う事です。つまり当時、民主制の国はアメリカだけだった。だから一番の特徴を合衆国と訳したのです(その前に清国が合衆国と訳してて、それを取り入れたらしい)大工の棟梁らが集まって代表を選んでる様に、見えたのでしょうか?
 さてアメリカの独立革命は、イギリス女王の財産の簒奪です。その後のフランス革命はパリ市民が、ルイ王朝の財産を簒奪した事になります。でもパリ以外の人々が、自分達はパリ市民の財産だと認める訳がない。では王朝の領土・財産は誰のものか?ここで、みんなのものという考えが出てきます。「みんなはみんなのものである」というのはよく分からないが、つまり「国家は国民のものであり、権利において平等である」という事で、国民国家が意識されます。
 さてナポレオンは革命の輸出を始めます。革命への干渉に対する、自衛の為の侵略なのでしょうが、周辺国が驚いたのが、国民国家は戦争が強いことです。国軍の強さという事でしょう。その為に、植民地以外の国家は(日本のような立憲君主制も含めて)国民国家に、体制変換します。一番遅れたロシア帝国は第一次世界大戦中に共産革命に見舞われます。ー 明日に続く
               高橋峰夫

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ゆびさきの宇宙

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「ゆびさきの宇宙」
福島智・盲ろうを生きて
生井久美子・著
岩波書店 本体1800円


 先日の休みでひたすら読んだ本のなかにこの本がある。けれど、すこし残ってしまいやっと今日読了できた。
 この本のオビには福島智のことを「世界で初めての盲ろうの大学教授」と書いてある。1962年神戸生まれ、父親は中学校の社会科教師、三番目の子どもでよく病気をした。1歳の頃目の異常が見つかり、白濁してきて緑内障とも虹彩炎ともいわれ3歳で右目失明、4歳で右眼摘出手術、けれどとてもわんぱくな元気な子どもだったとのことである。そして、いじめにあい、また難聴がわかり6歳の時は左目も失明、1981年頃にはほぼ全盲ろう状態になった。孤独と絶望を救ったのは母親が考案した「指点字」と「指点字通訳」の実践で、全盲ろう者としてはじめて大学に進学(年表による)する。
 著者は朝日新聞記者、あとがきにこんなことが書かれている。「伝えかったことはただひとつ。この世にいま、「福島智」という人が生きていることです」。新聞取材をもとに追いかけ続けた。どんな困難にあっても自分の人生をあきらめない、なげださない、へこたれずに、ありのままに生き続けることこそ、冒険!と気ずかされていったとのことが、熱い思いで書かれている。
 福島智は一番の苦痛は「人とコミュニケーションができない」こと、コミュニケーションは魂にとっての酸素、水という。「こどもたちへ」という章がある。そこにこんなことが書かれている。生きる上での力を与えてくれたものに1、ユーモアのセンス2、常識にとらわれない自由な発想3、自分が生きているのはなにか必ず意味があるにちがいないと確信すること。子どもたちだけでなく、困難さに立ちすくんでいる人たちへの大きな助言だと思う。

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「王さまと九人の兄弟」の世界

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「王さまと九人の兄弟」の世界
君島久子
岩波書店 本体1700円




 先日のシルバーウィークとやら、いろいろとあって出かけ損ねたので、2日間は本を読んですごした。しかも児童書は一冊も読まずに、積んであった本をひたすら読む、そのうちの一冊がこの本だった。
 私は赤羽末吉さんの大ファン、一度来ていただいておはなしをお聞きして、ますます尊敬するようになった。日本の文化を深く描いてある本はもちろんのこと、モンゴルや中国の広い世界を描いたものも大好きだ。私にとって、中国は近くて遠い国、広く壮大な国、そして、人々は元気というか激しく、エネルギーに満ち満ちている国、そして、「西遊記」のなかにでてくるふしぎな者たちがいる不思議な国だ。
 「王さまと九人の兄弟」は中国の昔話を絵本にしたものである。作者の君島久子さんはこの絵本の誕生についてこう書いている。”それぞれの特技を発揮して、王さまの押しつける無理難題をのりこえていく、あっぱれな兄弟たち、おもしろくて力づよい兄弟たちの元気の秘密はどこにあるのでしょう”・・・。この本の中に書かれているようにこの話は雲南省での調査団によってイ族から再話されたものがもとになっているとのこと、それを絵本にしたのはその頃の岩波書店の編集者いぬいとみこさんが”こどもたちに元気をあたえるお話”をいうことで民話集「白いりゅう黒いりゅう」がだされ、赤羽末吉さんがそれを大乗り気で絵本にしたとのことだ。たぶんその調査団のようすをもとにしての講演(スライドも見た)を国学院大学で私は聞いている。その時の講演は「西遊記」のことだったのだが、とても興味深く聞いた。ちょうど福音館書店刊の「西遊記」を読んだり「孫悟空の誕生」(玉川大学出版部)を読んだ後だったので、また、講演もユーモアいっぱいでとてもおもしろかった。
 この本は一部は地理的に、二部ではそれを歴史、時間をさかのぼって書かれている。中国は広い、その広い国土と深い文化のなかで類似しているお話を述べながら、中国という多民族の国の民の願いのあらわれたものと、互いの個性のちがいをみとめあいながら成長していくことの意味をのべている。
 もうひとつ私にとってやっと納得できたことがある。同じような絵本「シナの五人きようだい」のことだ。物語のはじまりといい、最後のオチといい、村人たちの立場は権力者と同じ立場になっている場面など、私はとてもなっとくがいかなくて、あぁ!「シナの五人きようだいは」描かれているのは中国であり、中国人なのだけれど、フランスやアメリカの国の一遍を見る思いだったし、どうしてこの絵本がもてはやされるか正直わからない。しかも、「王さまと九人の兄弟」という絵本があるのに。ここでは「浜辺の五つ子」と「シナの五人兄弟」がくらべてくわしく書かれている。それにしても同じようなお話が中国にはほんとにたくさんある。
 このような地味な本が、異なる国や文化を掘り起こし、平和への架橋になるのだとあらためて強く思った。
 

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続きがあった「獣の奏者」

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「獣の奏者」探求編
「獣の奏者」完結編
上橋菜穂子 
講談社 本体各1600円
      
 

 じつをいうと誰しも1・2巻でこの物語は終わりと思っていました。それなのに突然夏休みの真っ盛りに出版されて驚きと大きな驚きがながれました。
 そんなわけで書店には山積みのなか、買った人読んだ人もいる一方、やっとこれから読む状態の人も多いのであまり筋は書かないことにします。
 2巻から11年後の話、闘蛇村で突然牙が大量に死ぬことがおこり、エリンは大公にその原因を探る命令をうけます。原因は卵詰まり、特滋水が関係があることを見つけます。なおも原因を探っていくうちに秘密裏に埋もれていたことを知ります。それはエリンの母とつながりがあることでした。一方はるか東方の隊商都市の領有権をめぐって戦いがおこります。エリンに科せられたことは、民を救うため、王獣を武器にして制覇、そして同盟をむすび民を救うという政に従うということでした。エリンにとってそのことは母の秘密を知ることにもなります。そして、それゆえに迷いながらも戦いのなかに突き進んでいきます。
 3・4巻はエリンというより息子のジェシの物語ともとれるかもしれません。夫イアルとの物語ともとれるかもしれません。いま風にいえばエリンは王獣を育てるため何もかも犠牲にした。それは、ある意味では母の民たちがたくさんの人たちの死のうえに、避けた智恵だったともいえるのですが、エリンはそのパンドラの匣を開けてしまったのです。王獣を愛するうえに。
 現代の社会のなかで作者の意味するところを、しばらく考え考え読みすすめました。そして、読みすすめるうちに、エサルの存在がエリン以上に私のなかで意味をもってきました。もうひとつの生き方です。


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ニセモノ食品作り最前線

  食品添加物は善か?悪か?うまく付き合うには?

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「ニセモノ食品作り」最前線
ー激安の裏に「添加物」!!
別冊宝島1519ノンフィクション
宝島社 定価980円

 安い食品の代表といえば、即席麺やコンビニのおにぎりでしょう。助かりますし、その値段と品質は「企業努力」で維持されています。そのために「食品添加物」が使われているのは当然でしょう。だいいち添加物なしの食品では、常温下でたちまち腐敗してしまいます。添加物な 別冊宝島では「食品のカラクリ」をシリーズで出しており、その11に『「ニセモノ食品」作り最前線』があります。この本の特徴は、理科の実験さながらに、食品を実際に添加物で加工し、図解までしていることです。監修は「ドクターくられ」となっており、薬理凶室のメンバーです。薬理凶室は「第一線の先端技術を民生品で代用する方法を数多く編み出したり、そういった技術を分かりやすく伝えることで定評があり」数々のアブナイ実験を手掛けているグループです。                        
 この本に紹介されている加工食品は、誰でも作ることができます。こういった実験は学校教育でも取り入れられ、NHKの高校講座の家庭科でもやってました。それこそラーメンスープ、ジュースから、しょうゆ、おにぎりごはんまで載ってますし、功罪も解説してます。驚くのが、ジュースの糖分の量です。 500mlに47gペットボトルの1〜2割が砂糖か、それより安い果糖ブドウ糖液糖です。そのままでは甘すぎて飲めませんが、実験でクエン酸かリンゴ酸や酒石酸を加えると、おいしいジュースになるのだそうです。即席麺スープで驚くのは塩分の量です。 100mlに2.5g〜3gで塩辛くて飲めないが、グルタミン酸を 0.03%加えると、塩味がマスキングされてマイルドになるのだそうです。塩酸にも触れています「強酸でありながら揮発し…加熱すれば除去」できるので、缶詰用のみかんを投入するとセルロースが加水分解し甘皮が溶ける。加圧すると粒と粒をつなぐセルロースも分解でき、ツブツブみかんができる。「因みに胃袋の胃液も、塩酸である」
 「化学調味料不使用」食品には「たんぱく加水分解物」が入ってます。アミノ酸が長く繋がったたんぱく質を、塩酸と高圧で加水分解すれば、羽毛からでもチキンエキスが作れる。SF映画の食品工場が可能なのです。しかし「塩酸で処理をすると、一体どれだけの塩素化合物が出来ているのかよく分からず」「なにせ加工食品のほとんどに<たんぱく加水分解物>は使われてるので…ちりも積もればけっこうな量となる」「むしろ化学調味料のほうが安全性が明確にされてる」まったく、うかうかできません。
 「ならばどうすればいいのか?」「あとがき」には「逃れられないのであれば、知識を付けて、適度にうまく付き合っていくという他にありません」とありました。  
         高橋峰夫

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反戦詞華集

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「詞華集 生きていてほしいんです」
ー戦争と平和
田中和雄・編
童話屋 本体1250円




 あたらしい詩文庫の一冊はタイトルどおり41編の反戦詩がはいっています。トップは谷川俊太郎の書き下ろし詩「戦争と平和」です。やめられない自分にうんざりしている夫の戦争、妻の平和は今日もそんな夫と暮らしていて、私を大切にしてくれないと夫の戦争に腹をたてています。爆撃機がそばをよこぎりながらもつづく日常。夫は心のなかでは、生まれて来る子どもは母親似であってほしいと思います。作者特有の皮肉と静かな怒りををこめて書かれた反戦詩は現代の日本、そしてわたしたち自身をあらわしているのでしょうか。<水ヲ下さい 水ヲ・・・・>あの日からずっと渇きつづけているのです(「渇き」谷川俊太郎)より。
 夏がくると「戦争と平和」に関したことが湧き出てきて溢れます。私は以前はそんな世の中を嫌になり、嫌になっている自分自身が嫌になっていたけれど、近年、そんな気持ちをきちんと意識しようと思っています。いつもは毎日の生活に取り込まれてバタバタとしている、せめて夏がきたときには、いま自分はどんなところにいるのか確認しようとおもいます。

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神去なあなあ日常

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「神去なあなあ日常」
三浦しをん
徳間書店 本体1500円



 私は林業のことはまるっきりといってもいいほど知りません。この物語の主人公平野勇気も特別希望したわけでもなかったのですが、この神去村で働くことになります。高校を卒業してからも、取りあえずなんとなく生きていこうと思っていた勇気は学校と親の思惑のまま、神去村に来てしまいました。
 特にひどく逆らおうと思っていたわけでもないのですが、”まあまあ”この神去村でいうと”なあなあ”で、とまどい、ブツブツいい、とうとうとてもやってられないと思い逃げ出してしまおうとします。そんな横浜生まれ、育ちの現代の若者の一年の物語です。
 木を切る、植林、育てる、林業に代々たずさわってきた人たちと暮らしがとても豊かに書かれています。一本の木を切る、どうやって、どういうように切ったら木にも人にも良いか、それだけでなく神さまにも良いか、計り知れない自然の力と共存していく知恵と経験と言葉(なあなあはいろんな意味があります)、神隠しやオオヤマヅミさんの祭り、山火事などハラハラ、ドキドキとします。ちょっぴり恋がからみ、結婚、老人、古いしきたり、かなりエンターテイメント小説としてもおもしろく、ヤングアダルト向きの骨太な小説です。それは著者の綿密な資料の裏付けがあるからでしょう。
 そういえば、昔から国を支え、生活を支えてきた職業を舞台にした若い人向けの小説があまりみられません。この本を読んでいて、日本の基盤産業、そして物づくりのなかで働いている人たちの現代の物語がほとんどないに等しいのに気がつきました。個性豊かな人たちがいる、いたはずです。
 この小説がきっかけになって出版されると良いのにと望みます。

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エンザロ村のかまど

   ー人と人を繋ぐものー
 この本は月刊誌「たくさんのふしぎ」で2004年出版されたもののハードカバー判です。これがキッカケで新しい力が生まれました。
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「エンザロ村のかまど」
ーたくさんのふしぎ傑作集ー
さくまゆみこ 文
さわだとしき 絵
福音館書店 本体1300円

 エンザロ村はアフリカのケニアにあります。著者がエンザロ村を訪れて、エンザロ村を紹介している本です。絵本の形なのでイラストがたくさん入っていて絵を丹念に読んでいくと、はるか遠くのアフリカの人々の生活が、特に子どもたちの様子がよくわかります。目をひくのは、日本の子どもたちとちがって、どんな場にも子どもたちがいて働いていることです。私たちはアフリカというと動物王国のようなところ(これはテレビの影響が強い)とか、戦争、内乱、飢餓のイメージが強く、普通の生活がどんなか良く解らないことが多いのですが、この絵本には食事のことから、ちょっとびっくりするようなことが描かれていました。それは「かまど」です。日本でも昭和20年代までは「かまど」や「七輪」をつかって料理をするのが普通でした。いまはほとんど見られないし、使われていないので子どもたちも若い人たちも知らないと思います。この「かまど」がある日本人によって伝えられたもので、それだけでなく日本の「草履」=「パティパティ」も伝えられ役立っている、その様子が描かれています。岸田さんという日本人を介して、アフリカと遠野のおばあちゃんたちが繋がったのです。
 そして、この絵本の出版を機会にNGOアフリカ子どもの本プロジェクトが発足して、児童図書館をはじめとして、いろいろな交流活動がおこなわれています。
 以前、著者のさくまゆみこさんに来ていただいて、みんなでこのはなしを聞く機会がありました。また、その時千葉の学童保育所の先生の教え子がケニアの児童図書館のボランティアに行っていたことがわかり、こんなふうに人と人が繋がり、それが少しでもお互いの理解を助け深めていくことなのだと思いました。
 

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少し遅れてのプレゼント

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「ボクシング・デイ」
樫崎茜
ポプラ社 本体1400円


 新学期になり学校がはじまりました。今年の本屋大賞受賞の作品が学校と教師のことが小説の舞台になっていて、一応読んでみた時に、少し前に読んだこの本を思い出しました。
 この物語は人も物もゆっくりと動いています。特別になにかおこるということもない地方都市の小学校が舞台になっています。事件といえば主人公の栞という4年生の子どもが通っている小学校にある、30メートルものセコイアが切られてしまうということでした。栞は一部の言葉がうまく発音できなくて、言葉の教室に通っています。その教室の佐山先生と、下校の時一緒になる仲良しの同級生、特に交通事故で病院へ入ったままの母親がいる千晶との交歓が描かれています。千晶が特殊な境遇というだけでなく、その他の子どもたちにもすこし何かしらあって、そのなかで大きくなってきました。栞にとっての大変なことつらいことは、言葉の問題、特に「ち」「き」がはっきり発音できないことです。そのためセコイアを切らないように署名を集めることや、母親のこともあり車いすを送る活動を続けて応援することも、栞はみんなの前で発言する勇気がわきません。千晶の名前すらちゃんと発音できず悩んでいます。物語の終わりちかく、少し言えるようになった栞に佐山先生は「何かの理由でクリスマスの日にプレゼントを開けることのできない子どものために、一日遅れのボクシング・デイがあること、すべての人にはプレゼントを開ける権利があること。そんな少し遅れてしまった子どもに贈りものを渡したくて教師を選んだ」と言います。また、セコイアの側には卒業生が創ったブロックの「スイミー」があり、悲しいときや淋しい時は「スイミー」のささやき声がきこえると言われています。佐山先生は嬉しいことばかりでなく、悲しいことやつらいこともまぜこぜにあってこそ喜びがある、そういう人にスイミーの声が聞こえるのだともいいます。佐山先生は定年になり学校を去っていきますが、栞や千晶や子どもたちにくれた贈りもの、栞はそれをもっておとなになっていきます。そして、10年後栞は昔の学校へ訪ねていって、もう会うことのない佐山先生からの贈り物を思いながら、ブロックのスイミーの下に埋めた手紙を見ることで終わっています。たしかにその時栞はスイミーの声を聞いたのです。
 おとなになって、子どもたちに本を手渡す立場になって、自分の立ち所を考えます。子ども以上に不安と癒しを声高く叫んでいるおとなたちと社会の波にのまれないように、考えなければならないとおもっています。

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くらげのくに

 勝手なもので雨が降らないで、よいお天気の毎日が続くと少し疲れます。どこかでゆっくりとしたいと思ったりします。そんな時にこの本に出会いました。

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「くらげのくに」
photograph 水口博也
illustration しろ
ダイヤモンド社 857円


 私にとってクラゲといえばミズクラゲしかありませんでした。すっかり有名になったオワンクラゲのほか、こんなにもたくさんと思うほどのクラゲが泳いでいます。細い細い糸のような体、ぽっくりとした透明の傘の体、暗い海のなかであかりを灯しているような体がどこともなくユラユラと揺れて泳いでいます。
 明るい陽の中でしっかりと大地に立って風に吹かれている樹や植物をみると元気がでますが、こうして泳いでいる不思議なクラゲをみていると違った意味で気持ちが静かになります。
新江ノ島水族館
海遊館の案内が最後のページに載っています。

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この絵本が好き!2009年版

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「この絵本が好き!」
2009年度版
別冊太陽編集部=編
平凡社 本体1143円


 毎年暮れの忙しい時にアンケートの依頼があります。こんな時にと言いながらも投稿する理由は、こういうものはデーター的な面もあるので、積み重ねが必要だと思うからです。2003年からはじまって7年目になります。2008年の絵本ベスト24冊、(国内11、海外13)今年は107名のアンケートが載っています。あの人がこんな絵本を推薦していた!とか、こんな絵本がベスト24冊にはいつているのだ!とつらつら見ているとおもしろいです。もちろんそれだけでなく、特集があって「五味太郎」「エリック・カール」「大道あや」「丸木スマ」そして、「初山滋と茂田井武」の作家たちのことが掲載されています。その他、出版界や絵本界の動向等、作品論などなかなか読み応えのあるのも、この本の特色です。それにしても、これらの絵本が5年後にはどんなふうに読まれているか、最後に発表「過去6年のこの絵本が好きーベスト1」を見て考えました。


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歴史の見方

『日本に古代はあったのか』

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 主題そのものが、本のタイトルになっています。著者は、井上章一(角川選書)です。専門は、風俗史・意匠論で、歴史学の専門家でないのに「史学史」の本を書いたのだそうです。
 古代や中世は、西洋史の区分です。西ローマ帝国の崩壊後が、(476年)中世です。中国では、3世紀初頭の漢帝国の崩壊で、古代が終わる。三国時代や唐が中世で、10世紀後半の宋から近世になるそうです。ところが日本では、平安時代の院政期(11世紀末)から中世を始めるのが主流だそうです。教科書では、まだ鎌倉時代(1192)から中世を始めています。
 そうすると、中世の唐へ、遣唐使を遣る日本は、古代だという事になる。それはおかしい。西洋史でも、ローマ帝国の周辺、ドイツやロシアでは中世史から始まる。日本でも、もう一歩進めて、古代史を取り払ったらどうか、というのが著者の主張です。つまり三国時代の「魏史倭人伝」に出てくる邪馬台国は、中世になります。それで腑に落ちる面もあります。西洋史とも合います。邪馬台国の人々も、古代の粗末な生活をしていたんじゃなくて、中世の、中国人と変わらない生活や服装をしていたんじゃないか、と私も想像します。
 ではなぜ日本に、古代を導入したのか。明治時代に、日本史を西洋や中国なみに立派なものにしたかった欲求や、東大と京大の学閥から、著者は原因を探ります。私は「史学史」があるのも知らなかったし、興味もありません。ではなぜこの本を読んだのか。歴史ってそんないい加減なものなんだ、というのが目からウロコだったからです。
 もちろん歴史は、事実そのものではありません。中国では昔から事実よりも、歴史書に書かれた事を真実としてきました。正史と稗史の区別もあります。日本も大義名分論で歴史を書いてきましたし、西洋の歴史書も事実とは違います。でも今の歴史学は、事実を追及するものだと思ってました。そうなのですが、歴史の大枠をつかむところに、学者の願望や思惑が、こんなに入っているとは思いませんでした。逆に言えば、歴史の大つかみや視点によって、まったく違った歴史に見えてしまう。歴史の見直しや、教科書の訂正が急務であるし、特定の意志に教科書が縛られる危険もある。自由で流動的な教科書や歴史観を保障できないと、未来を見誤る可能性がある。
 金子勝やデウイットといった経済学者や政治経済学者の本を読んでも、同じ事を感じます。          (高橋峰夫)

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魔術師のたいこ

百年に一度、魔法のたいこがかなでる不思議な物語

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「魔術師のたいこ」
レーナ・ラウラヤイネン著
荒牧和子/訳
春風社 本体1500円



 なんとなくおなかの調子が悪くて、午後にはでかけるはずが、思い切ってそのまま家での仕事に切り替え一日過ごしました。仕事に一区切りついて、前に読んだこの本をまた、開いて過ごしました。お天気も良くないし、こんな時は静かな物語を読むのがいちばんです。
 歩き回っているうちにサーメ人が作った小屋のなかに行きあって、火のそばにタイコがありました。この小屋は昔、魔術師のツォラオアイビが住んでいて、タイコは魔法のタイコです。百年に一度だけ運良くタイコをみつけた人にツォラオアイビが残していった物語を聞かせてくれます。その物語12編がこの本のなかに入っています。魔法の笛を吹く少年とタビネズミのはなし、東西南北の風が自分の居所を決めるはなし、自分の結婚相手を自分で決めた賢い娘のはなしなど、どのおはなしのなかにも賢い若者や娘と、それを手助けする動物や自然の精がでてきます。いつのまにかどこかへいってしまう若者もいますが、そのあとには風の音や笛の音、オーロラが空を輝かせます。
 もう1冊の「カレワラ物語 キルスティ・マキネン著 荒牧和子訳」も同じく装丁、挿絵がこの不思議な魔法の世界をよく描いています。

 
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「ゆきとトナカイのうた」
ボディル・ハグブリンク作/絵
山内清子訳
ポプラ社 (品切れ)
この舞台のラップランドの世界の少女を描いたきれいな絵本も思い出しました。手に入らないのが残念です。

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鉄道地図は楽しい

     
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 私は鉄道の路線図が大好きです。目的地を調べる場合でも、目的なく眺める場合でも、つい見とれてしまいます。ところで路線図は、駅名をもれなく入れるためにデフォルメしてありますね。
 ところが正縮尺の路線鉄道地図があります。新潮社のムック『日本鉄道旅行地図帳』13巻で、日本を12ブロックに分けて今9巻まで出てます。13巻目は朝鮮満州になるそうです。正しい形の路線地図だけでなく、廃線鉄道地図も載ってますし、鉄道の予定線・未成線・構想線・夢想線まで載ってます。駅名一覧の資料編には、開廃の年月日から営業キロ・実キロまで載ってます。 貴重な資料で、鉄道オタクの編集者の企画だそうです。私も、自分の知っている地方の地図を眺めているだけで、楽しくなります。
 私は福島県の阿武隈高地に育ち、福島市内の高校へ通いました。国鉄川俣線に乗り、東北本線の松川駅(松川事件の松川です)で、乗り換です。川俣線は2駅しかないのに、鉄橋ありトンネルありで、高2までは蒸気機関車でした。高3でディーゼル車になり、次は電化だと期待したら、卒業後、国鉄第1次合理化で廃線になりました。2駅しかないのが不思議だったのですが(羽二重の積出し駅でした)この本を見ると、常磐線の浪江駅まで延ばす予定だったのが分かります。川俣駅にはもうひとつ福島交通掛田線が入っていて、東北本線の伊達駅まで出れました。一度は乗ってみたかったのですが、在学中機会がなく、これも廃線になりました。この本を見ると残念な気持ちと共に懐かしくなります。
 今は千葉市にすんで、千葉都市モノレールで通勤しています。この本には、モノレール路線図の正しい形や、廃線の鉄道連隊軍用線も載ってます。それに(5巻の東京ブロックの構想線図を見ると)モノレールは環状線の予定で、今は半分開業だと分かります。でもこれ以上は、財政に負担を掛けすぎます。
 と言うように、自分の知っている所だけでも楽しめます。今ならバックナンバーが大抵の書店の、旅行雑誌コーナーにありますので、手に取って見てください。        
    (高橋峰夫)

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世界金融危機

  金子勝、アンドリュー・デウイットの仕事
 不況です。                       
 この金融危機を早くから警告していた、金子とデウイットが共著『世界金融危機』(岩波ブックレット)で、危機の内容と背景をわかりやすく解説していますが、彼等の共著は他にもあります。

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その本から、こういった引用をするのはフェアじゃないかもしれませんが(著者に対しての意味でなく)、面白いので、やってしまいました。
 「いかにしてこの恥ずかしくなるくらい凡庸な男が*国の**に選ばれたのか?失敗したビジネスマンであり、」「まずOOOOは、ありていに言えば特権的生い立ちによって製造された粗悪品だということである。もちろん、近代における多くの偉大な社会変革者たちは富裕層から生まれており、彼の特権的な出自のみが*国エリートの一員としての著しい不的確さを説明するものではない。むしろOOOO自身の知的怠慢と富裕層の出身であることが同時に作用して****な国家を率いる指導者にそぐわない人間を作り出したのである」「OOOOの*語に関する問題は、OOOOの頭が鈍いか、それとも失読症を患っていると言った指摘を招いている。しかし実際にはそのどちらでもない」「重要なことは、OOOOの受けた高額の教育は無駄であったという事実だ。OOOOは世界でもトップレベルの教育機関へ行ったが、微妙なニュアンスの認識能力や深い思考力を得ないまま卒業した。リハーサルをしていない問いを尋ねられる度いつも明らかになるように、OOOOは当座の戦略的関心以外のことにはほとんど興味を示さないのである」
 ピッタリの批評ですね。なお、このOOOOに入るのはブッシュです。麻生太郎ではありません、念のため。引用は『反ブッシュイズム』(岩波ブックレット)からです。03年の発行です。今は3巻まで出てます。これらを読むと、アフガニスタン戦争やイラク戦争は、どこからどう見ても侵略戦争だと判ります。また(小泉の規制緩和の問題点は、それが、不公平な競争だった点ですが)ブッシュのグローバリズムは、本家本元でも、不公正なまやかしだった事が判ります。それは、この後の『世界金融危機』にも詳しい。
 著者等の仕事を見ると、現代史の面白さが判ります。そして、歴史の渦中にいる者には、世界がどちらに流れて行くか判りにくい、歴史の方向性が見えにくい事も判ります。その中で著者等が、ブッシュ政権発足時から警鐘を鳴らし、方向を示している事に、私達はもっと注目すべきです。
 日本は常に米国を後追いして来ました。そして麻生がブッシュに追い付いたのですから、次の宰相は小浜…というのが、私の初夢でした。               
   (高橋峰夫)

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ダーウィンの生涯

 今日の朝日新聞朝刊に今年はチャールズ・ロバート・ダーウィン生誕200年という記事が載っていました。ダーウィンの生涯を知るのにとても良い絵本があります。

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「生命の樹」
博物学者、地質学者にして思索家
チャールズ・ダーウィンの生涯
ピーター・シス 文・絵
原田勝 訳
徳間書店 本体1700円



 2005年初版の本ですから、私は少し前に読んだ本です。大判の絵本の形式になっていて、細密に描かれたとても美しい本です。一種の伝記本なのですが、絵がたくさん描かれているので読みやすく、内容も解りやすいので、興味があるのなら小学生高学年位からお薦めです。ページをめくるとイギリスの地図、ダーウィンは1809年2月12日大英帝国イングランド、シュルーズベリ生まれ、裕福で子どもたちに最高のものを与えようとおもっている両親のもとに生まれました。でも、チャールズは勉強が嫌い、学校が嫌いの少年だったそうです。どうも野山を駆け回って自然のなかで遊んだり、観察したり、収集したり、兄と化学の実験をするのが好きだったと描かれています。医者にしようと思ってもだめ、それで牧師にしようとケンブリッジ大学へいれますが、牧師には興味がなく、ヘンズロウ教授の植物学に出席、そして地質学も学び、博物学者の道を選びます。1831年英国軍艦ビークル号に乗ります。航海目的は南アメリカ大陸沿岸の測量と世界各地の経度の測定です。船の様子、その頃の世界の情勢まで作者は細かく描いています。南米、ガラパゴス諸島をめぐる航海、その結果ダーウィンが考えた事、進化についての考えを発表するまでの私生活、公の生活、そして、進化について書いていた秘密の生活と学問的な内容だけでなく、ダーウィンそのものと家族、そして密かに書いていた「進化論」、それが今の私たちの社会とどうつながってきたのかが描かれています。


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「種の起源」
ジャネット・ブラウン著
長谷川眞理子・訳
ポプラ社 本体1500円


 「種の起原」は1959年11月24日、ロンドンのジョン・マレー社刊行、大変な論争を生んだことは私たちも知っています。「生命の樹」のなかにも見開きいっぱいにその理論とその時の社会のようすが細かく描かれていますが、もっと本格的に読んでみたい人にはこの「種の起源」がお薦めです。(児童書でだされているものではありませんが。)
 朝日新聞の記事には200年たって、いま遺伝子レベルで研究されていると書かれています。

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ムーンレディの記憶

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「ムーンレディの記憶」
E・L・カニグズバーグ作
金原瑞人・訳
岩波書店 本体1900円


 フロリダ州のランカスター・ミドルスクールの転校生アメディオは有名人のウィリアム・ウィルコックスと知り合いになる。ウィリアムの父親が亡くなって、母親は家財の売却を仕事に選んだ。最初の仕事で信用を得た母親は、骨董屋のバートラムとレイのに相談にのってもらい仕事は順調にいった。最初の大きい仕事でウィリアムは扱ったが売れなかった屏風の価値を感じ、内緒でワシントンDCのフリーア美術館へいって売り込む事に成功する。それからウィリアムと母親は知られることになった。ウィリアムはアメディオに請け負った、風変わりなゼンダー夫人の大邸宅の財産処分を手伝うように頼み、アメディオは一緒に整理をすることになる。ゼンダー夫人は家財を処分してホームに入る事を決心したからだ。
 ゼンダーはかってオペラ歌手、お金持ちの娘で、そこそこの人気と名声があったが結婚して舞台からは離れてしまったが、大邸宅で夫亡き後も、ずっと変わらぬ生活をしていた。アメディアとウィリアムは整理をしているなかに一枚のヌード画を見つける。作品のサインはモディリアーニ、タイトルは「ムーンレディ」、なぜこの絵がここにあるのかがこの物語の主題になっている。
 アメディアの名付け親ピーターはウィスコンシン州のアートセンターの館長でちようどヒトラーが退廃的であるとして没収したり、強奪した美術品の展示会を企画していた。「ムーンレディー」はその退廃的な作品とされて、没収されたまま不明になっていた。マティス=野獣派、ルノアール=印象派、ピカソ=アフリカ部族の芸術に感化されている、ゴッホ=てんかんとの診断、シャガール=ユダヤ人、ブラック=立体派などはナチスが決めた退廃芸術家だ。
 アメディアが調べた「ムーンレディー」の謎とピーター一家の悲劇、それを知っていて持ち続けていたゼンダー夫人の生き方、物語は第二次世界大戦でヒトラーがおこなったこと、戦後のその責任の取り方、ミスティリアスで思索的で、最後にピーターの母親とゼンダー夫人が対峙する感動的な場面等、とても読み応えのある物語だ。
 何が良くて、何が悪か、最悪のことが起こったとき、どう選択するのか。そして、「境界は人をあざむくこともあれば、人を救うこともある。ずるいときもあるし、英雄的なときもある。だけど、境界はつねにあいまいだ。断然。」(本文最後P266より)80歳を迎える作者の人生経験なのかもしれない。

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西のはての年代記「パワー」

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「パワー」
西のはての年代記 第三巻
ル=グウィン
谷垣暁美 訳
河出書房新社 本体2100円


 じつをいうと2ヶ月ほど前に出版されていて、まっていたので一気に読みました。そして、しばらく頭と心の中で反芻していました。「西のはての年代記」三部作の三巻目のこの本は、充分期待をうらぎらない本でした。やっぱりル=グウィンはすごい、物語の構成がきっちりしているのは、「指輪物語」と同じように充分感じられる事ですが、読みすすんでいくなかに、時々たちどまってしばらく遠くをみながら思索にふけることができる、読書の大きな喜びが感じられる本、書物でした。
 第一巻は北の高地、第二巻は南のアンサル市、この三巻目は2つの中間位の都市国家エトラから物語がはじまります。主人公はガヴィアといい、エトラの名家アルカ家の奴隷少年です。このアルカ家では、奴隷の子どもたちは一族の子どもたちといっしょに教育をうけていて、しかもカヴィアには将来ここの教育者になる道があります。カヴィアは詩や歴史がすきで、くわえて幻(思い出す)をみる力をもっています。しかもこの「思い出す」は多くが現実となる予知能力のようなものです。ある日エトラが攻められ、くずれゆく幻を見、それは現実のものになります。しかも、奴隷を支配する、自由を収奪する力を使って暴力と圧政を揮う主人の一族のトームとそれに追従するホビーに、カヴィンのもっとも愛する姉が犠牲になってしまいます。(この姉弟は幼い時さらわれてきた奴隷です)絶望したカヴィンはエトラを離れて放浪します。運命に翻弄されながらも必死で生きていくカヴィンがずっと心にともしつづけていく、本や詩はカヴィンを支え励ましていくものです。この巻にも前巻と同じく魅力的な人びとがたくさんでてきます。アルカ一族のなかで一番弱い立場にあるだけに、不公正や不平等をしっかりみぬいている少女ソトゥール、森の中に理想都市を築いた逃亡奴隷のバーナ、けれどもこの都市<森の心臓>が決してほんとうの自由都市ではないことを知り弱い者をかばうディアロ、自分の力の意味に悩んでいるガヴィンの問いに”自分自身を失わない様に”と助言するおばのゲゲマーなど、カヴィンが出会う人びとや生活のなかで、読者であるわたしたちもまた、考えを深めていくことができます。
 そのことがこの物語の3部作の主題になるのです。聞く・語る・創造・継承という言語にかかわる部分が自由や未来とどういうかかわりをもっているのか、作者はみごとに描きだしています。

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パディントンのお話をどうぞ

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「パディントンの大切な家族」
マイケル・ボンド作
ペギー・フォートナム画
田中琢治/松岡享子 訳
福音館書店 本体1300円


 「クマのプーさん」とならんでの人気もの「くまのパディントン」10冊目がでました。今年はパディントンが誕生して50年になります。クリスマスに奥さんのプレゼントで贈られたクマの縫いぐるみ、日本でもその挿絵もいっしょに子どもたちの人気者になりました。もともと「クマのプーさん」は幼い子どもたちに人気がありましたが、パディントンはどちらかというともう少し年齢の上、小学生位からに人気がありました。おとながよむとイギリス人らしいユーモアとちらちらと見え隠れする皮肉、これをおもしろがるのはある程度自分のまわりの状況が読む事ができるようでないとわからないからだとおもいます。10冊目のこの本はもう最初のような幼い子ども向きではない、権威、詐欺、裁判とか、最後のお話はリマの老グマホームにはいっているルーシーおばさんが訪ねてくる話です。なにやら今、日本で話題になっている老い方、生き方に通ずる話です。とはいえ、愛すべきクマのパディントンはかわらずおもしろい、子どものような発想と行動はとても楽しい。だから、児童書と限定しないでおとなにこそおすすめできる本です。
 1巻目と較べると活字が大きさだけでなく、とても読み易くなりました。(文庫版にちかい)50年記念でお楽しみもついています。くわしくは福音館書店ホームページをどうぞ。

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子どもが育つ条件

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「子どもが育つ条件」
ー家族心理学から考える
柏木恵子・著
岩波新書 本体740円


 子育てに悩んでいる人がとても多い。統計をみても青少年の犯罪は減っているというのに、無差別殺人や親に勉強しないといわれて殺してしまったり、一方毎日の新聞に幼児虐待のニュースが載っていたり、親子関係や家族関係のニュースが多く、どういう社会になるのかという声も聞こえてる。そして、学力低下とか少子化問題とか政府も大声で喚いているが、前向きな政策が感じられないのは私だけではない。
 この本は著者の専門である発達心理と家族心理の研究から論じられたものである。従来の子どもを育てるという観点だけでなく、育児をとおしておとなが育つということ、「おとなの成長・発達(作者の言葉)」という観点から書かれている。母親しか子どもの成長にたずさわっていない現実、日本の父親の育児参加が非常に少ないこと、兄弟、姉妹がいない、少ないためすべてが母親と子どもの密着状況、囲い込み育児と先回り育児は子どもが本来もっている、自力で伸びていこうとする芽を摘んでしまう、それは子ども自身のためにならないだけでなく、親の成長を阻害するものだということなどの問題点を解り易く指摘しながら述べている。
 当然保育所などの集団保育が好ましいと書かれているが、集団教育だけがベストではないと私は思う。子育てを社会化する意義は確かにある。もう個人だけが子どもを育てることがとても難しい時代になってしまったことをきちんとおとなは認識する必要がある。ただ子育ては十把一からげにはできない。幼くともひとりひとり違う個性をもっている、それをどうきめ細かく客観的に把握できるか、そうなると人を育てるのは人だということを社会や国ががどう保障するかがやはり問題なのではないだろうか。
 いまの日本はどうみても子どもたちが健やかに育っていくようにはみえない。子どもの成長する力に甘えるのでなく、きちんと子どもたちに保障しなければならないことをもっとおとなは自覚しなければならないと思う。人を育てるのは人なのだということを。

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ボクのまんが記ー手塚治虫

 この間小学2年生の男の子と話すことがあってとても驚いた。あんまり漫画はおもしろくないと言う。どうしてかと聞いたら音がでないし、読むのはめんどくさいのだと言う。いつ頃からだろうか、本はあまり好きではない、読むのがめんどくさい、という子どもに出会うようになった。彼ら彼女らはしごく普通の家庭の子ども、成績もそこそこという子どもだ。ゲームは大好きとのこと。確かにゲームにくらべると刺激はずっと少ない。


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「ボクのまんが記」
手塚治虫
朝日新聞出版 本体1900円


 この本は3部からなっている。第一部は自伝的まんがとなっているように、まんが少年だったときから漫画家になった頃、ともかく暇さえあれば、いや暇はなくともひたすらまんがを描いていた。その頃の日本は戦争のさなか、軍事教練をさぼって、空からは爆弾がふってきて、死と隣り合わせの毎日でも、ひたすらまんがを描いていた。敗戦後荒れはれた日本、食べることしか考えられなかったなかでもまんがを描いていた。そして、先日亡くなった赤塚不二夫も住んでいた「トキワ荘」のはなし、手塚治虫のようにまんがを描き続けていた若い人たちの世界があった。
 2部は彼自身を登場させた短編が治められている。ツギハギ、ヒゲオヤジからはじまってペンネームの由来(オサムムシ=ゴミムシ)昆虫少年だったはなし、星の好きな子どもだった、宇宙の話、とうとう医者になるのをやめてまんが家になった自身のこと、仲間のことや出版社の編集者のことなど、いまではファンは知っていることだけれど、あらためてこうして読むとマガジンやサンデー、そして、東映の話など日本のひとつの文化史が描かれている。
 3部は漫画大学の講義だ。ひとつの物語をまんがにしていく、編集のことから印刷のこと、流通のことまでたっぷりとした指導書になっている。そして、ついにコンピューターの登場。たっぷり427ページのこの本は昭和史でもある。
 もうまんがのテンポは今の時代にあわなくなってきたのだろうか。より早く、より多く、うん!と一瞬立ち止まって大笑いをしたり、ひとりニヤニヤとしたり、電車の中でまんが雑誌をみている人もめっきりすくなくなった。逆にケイタイでせわしなく親指を動かしてちいさな画面をみている人が多くなった。まんがも文学と同じで特定の人たちのものになるのだろうか。決して無くなることはありえない、とは思うがもう5年もたったらどうなるのか、とくに子どもたちにどんな世界があるのか私にはよくわからない。
 ひと世代ちがうけれど、宮崎駿の「折り返し点」に続けて読んだので文学とまんがとアニメと教示されることが多い本だった。

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あの戦争から遠く離れて

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「あの戦争から遠く離れて」
私につながる歴史をたどる旅
城戸久枝・著
情報センター出版局 本体1600円


 毎日北京オリンピックのニュースが入ってくる。オリンピックのようなことがあると、あらためて自分自身日本人で、この日本という国に偶然生をうけただけなのに、日本という国を意識する。オリンピックでなくこの本は戦争について語っている。1976年愛媛県生まれの著者はいわゆる中国残留孤児二世、ちょっと複雑なのは父親が残留孤児で、日本に帰国してから日本人と結婚して生まれたことだ。その父親と中国の養母、そして、祖父と祖母、そして著者自身の家族の歴史がびっちりと書かれている。それはいまだに日本と中国の間でよこたわっているきびしい問題だ。
 この小さな島国から出たことのない、出る必要性ももたなかったぼんやりとした自分がいる。けれどちょっとおもいをめぐらしてみると、この著者の父親は私と同世代、私自身にも決してなかったと言い切れることではない。そして、私の父も著者の祖父と同世代、私の父の兄弟家族は京城からの引揚者だ。ただ、父は本家の跡継ぎに幼い時にもらわれてきたために、ほとんど京城での生活はないに等しいし、私たちに語ることもなかった。国家に翻弄された人びとは著者の家族だけでない。だから私と同い年の父方のいとこも引き揚げてきての苦労を身にしみて知っている。それは、私にふりかかったとしても不思議ではなかったのだ。そのことを知ったのは私の祖父母が亡くなってからのことだ。それと、私の父は2度出征している。1度は中国へ。けれど、そのこともほとんど語ることもなく亡くなった。1度だけ父に聞いたことがある。どうして、戦争にいったのかと。”おまえや家族のため”としか言わなかった。
 それにしても、人は自分が一体何者かと知ることに生涯をかける。国家によって翻弄された人がその国家に帰属することをこんなにも求める。ここにいることの不思議、そして、どこにいくのかわからない不安。だから国を求め、家族を求め、愛する人を求める。この本は偉大なる愛情物語だ。だからこそ、おとなは子どもたちに”あなたは私のかけがえのない子ども”と答えなければならない。この本はそのことを語っているのだ。
 (若い世代のために年表が欲しかった)
 

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トランクの中の日本

 今日は63年前広島に原爆がおとされた日だ。
「私はあの体験を語り伝えなければならない・・・・。平和への願い ジョー・オダネル」
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「トランクの中の日本」
米従軍カメラマンの非公式記録
写真 ジョー・オダネル
聞き手 ジェニファー・オルドリッチ
翻訳 平岡豊子
小学館 本体2500円


 19歳の高校を卒業したばかりのある海兵隊員はカメラマンとしての訓練をうけたのち、1945年空襲あとの被害状況を記録するよう命令をうけ、軍曹の身分で日本各地を撮影することになった。それは通訳とジープを得て長崎では馬に乗り撮影された。佐世保でカメラ店で煙草と引き換えに自分用のカメラを手に入れ、敗戦の佐世保から福岡、神戸、そしてこの写真集におさめられている広島、長崎など各地で撮影された。点検の時没収されないようにネガは使用済みの印画紙の空き箱に入れられ、帰国するにあたりすべてを忘れようとネガをトランクに封印してアメリカに帰った。やがて、さまざな身体と心の痛みは消えることはなく、ジェニファー・オルドリッチのすすめと助力で写真展をひらくことで、目をそらすことなくおそろしい事実を伝えていくことを決心する。
 95年夏のワシントンのスミソニア博物館でアメリカの一部の在郷軍人たちから圧力をかけられとうとう展示されなかった写真をふくんでいる。この写真集はオダネルの贖罪であり希望である。それは瓦礫の山と廃墟、音の消えた広島、長崎、人骨などが散在する瓦礫の山、そのなかの子どもたちの写真に良くあらわれている。チョコレートとひきかえに被写体になった子どもたち、遊んでいる子どもたち、子守りをしたり手伝いをしている子どもたち、七五三の晴れ着をきている子ども、教室のなかの子ども、悪魔のしわざのすぐそばに子どもたちがいる。仮設病院でオダネルに”殺して!殺して!とささやき続ける若い男、そのそばで静かに横たわる少年の全身の火傷、そして、背負った死んだ弟を一人で荼毘にふす子どものまなざし、これらの写真は関係ないと思っている2008年の私たちへのメッセージのほかならない。

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あの星はなにに見える?

 ともかく雨が降らない毎日がつづきました。降っても3粒か4粒?水源地では雨が降っているので水不足とはいわれないのですが、身体が乾いたような状態でした。今日は待望の雨が降りました。ところが激しい雨集中豪雨です。これはコンクリートの所が多くなって雨を吸収しなくなったのではないでしょうか。ここしばらく雨が降らないのに夜空には星も月も見ることがありません。
 今年の8月7日は伝統七夕の日です。あれ!七夕は7月7日でないの?と思われるかもしれませんが、7月7日は太陽暦(グレゴリオ暦)太陽だけを基準にしてのことなのでこれも正しいけれど、太陰太陽暦(月と太陽両方の動き)からとられると8月7日になり、夜9時には織り姫はほとんど真上でひこ星も高いので、お天気が良ければ天の川は北から南に空を横断します。この星座のこと、天文のことは国立天文台を見てください。
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「あの星はなにに見える?」
ー地球のカタチー
出雲晶子
白水社 本体1500円


 この本は星座だけの本ではありません。どちらかというと「文化人類学」かな、著者は「天文民俗学」としてあって、もちろん星の本なのですが、世界各地の人たちが星をどう語ってきたかということが書かれています。天文のこと、星の歴史、星座のはなし、星座と民族のはなし、暦と宗教と祭り、そして神話と星と星座にまつわる物語、など民族の人びとの生活から書かれています。図版や写真も豊富なのでとても解りやすいくぎっちりとつまっています。
 千葉では北極星=北斗七星の化身とされる妙見を守護神としていた千葉氏のこともあり、千葉市郷土博物館の所蔵図もはいっています。「セラリウス天球図(オランダ)」「パルディー天球図(スランス)」私は見たことがないので、機会があったら見たいとおもいます。
 それにしても、はるか昔から人びとは太陽や月が生き物にとってどんなに関係深いものかを知り、その願いを物語に託してきたのでしょう。お隣の国中国やインド、ずっとつながってシルクロードとヨーロッパの国ぐに、まさに地球は多様だけれどひとつに繋がっていることを感じます。
 昔、はじめてPCを買ったとき、まずインターネットで星のHPを探しました。見つけたのは横浜科学館のプラネタリウム、それを作成していたのがこの本の著者でした。しばらくはまってしまって良く見たことを思い出しました。

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短歌を読むこと

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「語りだすオブジェ」
いつも、そこに短歌
松村由利子・著
本阿弥書店 本体1700円



松村さんが2冊目の短歌エッセーを出版された。もちろん著者の短歌もはいっているけれど、前作同様、いろいろの短歌にたいしてのエッセー集だ。詩の本や短歌や俳句などに関した本は、物語の本を読むように始めから読まないで、その時の気分にまかせてひらいたところから読むことが多い。8章になっていてひとつひとつに扱うというか切り口がある。しかも家の中のようすだ。クローゼット、キッチン、居間、子ども部屋、水回り、戸棚、寝室、そして、玄関、家の中をひとまわりする。だからかもしれないが、男の人の短歌もたくさんとりあげられているのに、生活的な匂いがする。それはもしかしたら著者が新聞社を離れて、フリーになりそれなりに生活が落ちつかれたのかもしれないなどと思ってみる。著者の目をとおして、生活をいつもと違った目でみる。
著者のブログそらいろ短歌通信もどうぞ。
 5月の「YAの本を読む会」のとき、枡野浩一著の「ハッピーロンリーウォーリーソング」(角川文庫)を読みあってみた。

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この短歌は「ほぼ日刊イトイ新聞」に毎日1句づつ掲載したものを1冊にまとめたものとのことだ。本の装丁が”良いね”という話がでたが、なんか短歌というかつぶやきのよう、そういう意味でも若い人たちにおすすめだ。それと、私は時々仕事をしながらNHKラジオの「ケイタイ短歌を読む」という番組を聞くことが多い。若い人の投稿短歌が中心になって、歌人をかこみ若い人のトークがある番組でおもしろい。私にとって短歌は状況的だし、俳句は絵画、イメージ的だ。詩は思考的に読むことが多い。

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石垣りん詩集「レモンとねずみ」

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「レモンとねずみ」
石垣りん詩集
童話屋 本体1250円



 2004年12月に亡くなった石垣りんの未刊詩が40篇と、谷川俊太郎と茨木のり子のお別れの会での弔辞がはいっています。
 石垣りんは「表札など」で知られているように、強烈な自立の思想と思いをうたった詩人でした。それは、家族のために早くから一家の主として働いてきた人の、それを簡単に切り捨てたり、くくったりしてきた、家制度と社会に対して一生闘い続けた人の叫びです。けれど決して声高に戦いを叫んでいたわけではありません。つつましく、いとしく。ただ、安いパラソルに書かれているユーモアなど石垣りんの詩には苦みがあります。それが、詩を読む私の心を揺さぶります。もういなくなったけれど、片付けることはできません、石垣りんさん!

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「バルサ」の人気は

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「流れ行く者」
守り人短編集
上橋菜穂子=作
二木真希子=絵
偕成社 本体1500円



守り人シリーズが終わりとおもったら連作短編集がでた。このシリーズの一番最初の部分にあたるこのなかに4編の物語がはいっている。父を王に殺された少女バルサは父の親友ジグロに助け出されて、呪術師トロガイのもとに身をかくしている。いつ王に殺されるかわからない。ひとところに住む事はできず、バルサとジグロは流れ者として時々用心棒として雇われて暮らしている。そして、なによりも父親の敵をうつために、槍や刀を使い、危険な毎日の中をくぐりぬけている。その流れ者の生き方、ある時は賭博場の用心棒、ある時は蜜と偽って金を運び儲けようとする隊商の用心棒、それは過酷な生き方だ。もはやジグロもバルサが女だいうことを隠しはしないが、というよりすでに隠せない年齢になってきている。そして、ジグロの病気、バルサをもう連れて歩く事はできない、するべきでないとトロイガのもとに帰ることでこの4編の物語は終わっている。
 各々の物語の中にもうひとつ物語が隠されている。どれもが、貧しさと暴力の中に生きている人、愚かというのはやさしいが、そのなかから這い出せない名も無き人たち、一方ジグロのように義のために自分の人生を賭けている者、これだけの力と智恵があるのだから、もう少し楽な生き方ができないのだろうか?いや、それは生きていくことにならない、と、いうだろう。
 守り人シリーズのおもしろさは作者の巧みな物語の構成力、専門の文化人類学から発想されたことがふんだんに具体的につかわれ描かれている。そして、その物語に登場する人びとの喜びと哀しみが読者の心をゆさぶってはなさない。
 それにしても、人はなぜ生きているのだろう。日常のささやかな喜びがその力になるということを作者は描いてみせる。もし、その喜びが感じられない世界になったら、人は滅びるしかないのだろうか。

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詩集「くさはらだより」

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「くさはらだより」
飯塚須磨子 詩
こいでやすこ 絵
リーブル 本体952円

わたしたちの仲間、児書連のメンバーであるグリムの飯塚さんがとてもかわいい詩集をだしました。のはらの小さな生き物たち(これは風のようなものもふくめて)の言葉を詩集にしたものには「のはらうた」(くどうなおこ作)があるけれど、この詩集は小さな生き物の言葉というより、語っているのは作者そのものです。作者が小さな生き物たちと心をかよわせて私たち読者に伝えている。だから、時には小さな生き物たちでなく、子どもたちがお母さんに話している詩が載っています。自然を描いている挿絵もやさしく、柔らかく、この詩集をひきたてています。
 作者は以前船橋市で子どもの本の専門店を開いていて、いまは居を館山に移して、ログハウスで原画展をひらいたり、トークを催したりしていて、最近ではティールームを新設して活躍しています。
小さな館グリム機会があったらぜひ寄って、この小さな生き物たちとお茶をどうぞ。

 

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チャペック童話「郵便屋さんの話」

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「郵便屋さんの話」
作=カレル・チャペック
訳=関沢明子
画=藤本将
フェリシモ出版 本体1333円



 私はこのお話の作者カレル・チャペックの作品も兄のヨセフ・チャペックの作品もひと頃良く読んだ。いまでも、「園芸家12ヶ月」は時々パラパラと読むことがある。うむ、うむ!と。
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 この作品は児童書としては岩波少年文庫にはいっている「長い長いお医者さんの話」が有名で、そのなかに「郵便屋さんの話」がある。私がはじめて読んだのはいつなのか良く覚えていない。訳は中野好夫、そして、挿絵は兄のヨセフ・チャペックだ。
 中野好夫訳とくらべると、やはり現代訳になっていて読みやすい。宛先の不明な迷子の手紙を郵便局に住んでいる妖精たちに読んでもらう。郵便配達の心やさしいコルババさんが一生懸命さがしてあるくその愛の手紙、無事に届いてめでたし、めでたし。その中の切手もはらず、宛名も書かないくせに返事がこないという悲しみの運転手にいう言葉”中野訳・バカだよ、アホウだよ、トンマだよ、ヌケサクだよ、オタンチンだよ、ほんとに、アッババババァだ。””関沢訳・ばかでまぬけであほなやつ、へたくそ、ぶきよう、うすのろで、どじでへまで、ぼんくらで、うっかりものの、わすれんぼだな。”また、妖精たちがトランプをするように手紙をもってどんな手紙か内容を読まずにあててしまうところなど、中野訳はていねいな文になっているのと比較すると、関沢訳はいくぶんテンポがはやい。ただ、そのゆったりとしたユーモアが絵で描かれているように思う。つまり、読むお話から絵本形式のお話になっている。
 ヨセフの挿絵はとても素朴でほのぼのとした絵だ。藤本画は挿絵というより紙の色から絵の占める割合から挿絵とはいえない。画風はこのお話に良くあっていると思う。(はじめ日本人が描いたと思わなかった)
 画本「郵便屋さんの話」というのがふさわしいのではないだろうか。
それにしても、こんなユーモアのあふれた楽しいお話をいつも、幾度も読む事のできる幸せをたいせつにしたい。

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コミック「あぶな坂HOTEL」

 萩尾望都の新作コミック『あぶな坂HOTEL』
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やっぱり萩尾望都はうまい。構成がいい。昔からそうだった。竹宮恵子と始めたボーイズ・ラブ系には引いてしまうが、それでも読んでしまう。それほど構成がうまい。きっちり伏線を張り、無駄なシーンがなく、洒落た会話…さすがに『残酷な神が支配する』あたりから、ついていけなくなったが。
 ひさしぶりの新作『あぶな坂HOTEL』(集英社クイーンズコミックス)は持ち味を発揮している(多少デッサンが違ってるところはあるが)。萩尾望都の魅力の第一は時間の描写にある。そして悠久の時間を描写するために、家族(世代)を描く。これが第二の魅力となる。
 『あぶな坂』は、中島みゆきの曲から取ったらしい。生死の境をさまよう人が泊まるホテル。そこから帰る気があるのか、帰れるのか、死んでしまうのか。ホテルの中だけを舞台にした、一幕物の芝居を見てるようで、このままそっくり脚本にできる。 シリーズ4話で、時間のはなし、家族のはなしが入り、複雑な構成を助けるSF的な設定と(さすが設定や道具立ては、今風なのを取り入れてるが)なると、とにかくうまい。舌を巻く。
 そしてたぶん設定は日本。日本に設定をおいた名作では『小夜の縫うゆかた』『イグアナの娘』に続くものだろう。(ちなみにそれまでは外国の設定ばかりで、『小夜の縫うゆかた』を初めて読んだ時「エッ、日本のも描けるんだ」とびっくりした) おまけに入ってる短編『天使のはなし』もおもしろい。
   (高橋峰夫)

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エコバック

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「風呂敷」
監修・ふろしき研究会
文・森田知都子
文渓堂 本体1600円

 エコで店にいて気がつく事があります。本を買われて包装やカバーの必要をお聞きすると、かなりの方が必要ないとのお返事です。そして、鞄から持参されているものを出されます。統計を取ったわけではないのですが、若い人の方が必要ないとおっしゃって、マイバックをだされます。これはやはり教育のおかげなのではないでしょうか?若い人はプレゼントなどではきれいに包装ということも多く、生活を楽しむ事も上手です。でも、男の人はあまり持っていらっしゃいません。ひとつは持ってあるくものが近年多くなって、女の人はバックそのものが大きくなっているのも理由のひとつかもしれません。
 私自身ともかくポリ袋が多くなって困るので、布の袋をいつも持ち歩いていて原則として包装は断る事にしています。ところがその袋をつい買ってしまうことがあってこれではエコにならないと苦笑してしまうことがあります。それに、売っているエコバックはデザイン料なのでしょうが案外と高価だったりします。
 そう、少し前には風呂敷というものがありました。大きいもの、例えば布団のようなものは、唐草模様の大きな風呂敷がありました。ちりめんの上等な風呂敷は贈ったり、いただいたり、色も生地も模様もいろいろなものがありました。
 この本はその風呂敷の歴史からデザインから、包み方からたくさんの事が描かれています。実用書でもあり、デザインの本としても読んでもおもしろいです。
 どこかに眠っている風呂敷があるのではないでしょうか?取り出して使ってみましょう。一番のエコバックです。

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ふしぎな生き物

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「クラゲゆらゆら」
楚山いさむ 写真・文
ポプラ社 本体1200円



 これは何んだろう?きれい!クラゲです。こんなにたくさんのクラゲがあるのには驚きました。しかもとてもきれいです。なんといっても泳いでいる様子は優雅です。
 私は幼いとき海の近くで育ったのでクラゲは良く遊び道具になりました。そのクラゲはミズクラゲなので、特にきれいでもなく、(もっとも泳いでいるのはあまり知らなかったですが)、特に魅力的におもいませんでした。
 おぼんが過ぎると海で泳いではいけないといわれました。引き潮が強くなるから危ないといわれましたが、言われなくとも海に入りません。それはクラゲがおぼんを過ぎると多くなって刺されるからです。刺されると腫れて痛いのです。それで、見つけると暑い砂浜で投げたり埋めたりして遊びました。
暑い砂の上に放っておくと溶けてしまいます。白い透きとおったものが水のようになってしまいます。
 こうして写真をみると、とてもおもしろいものに見えます。それは泳いでいる姿がなんともユラユラと楽しく見えるからです。
 近年エチゼンクラゲが大発生して、漁業に被害が大きいとニュースになります。この本によるとまるいかさの直径は1メートル30センチもあるとのこと、私なんかいっぺんに取り込まれてしまいそう。
 でも、ミズクラゲのあかちゃんはとてもかわいい、落ち込んでいる時にいっしょにユラユラしたら、きっと気分がよくなりそうです。飼育している水族館も多いとか今度行ってみようかと思います。

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ある少年兵のこと

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「戦場から生きのびて」
ぼくは少年兵だった
イシメール・ベア
忠平美幸・訳
河出書房新社 本体1600円


 この本を購入して少し読み始めたもののそのままに閉じて、いつも気にかかっていた。どうしても読み進まなかった、あまりにもつらかったからだ。日曜日の朝日新聞の書評でみつけ、やはりこのままにしてはいけないと思った。
 リベリアの隣、西アフリカ<シエラレオネ>、私にとってはるか遠い国である。アフリカの少年兵のことが書かれている本は日本でも少し出版されるようになった。特に9・11がアフリカをはじめてとしての内乱も含めた部族の対立、戦争は私たちをそれらに近づけた。戦争を知らない日本人の世代、私はその年齢だから戦争は本の中にある。しかも、同じ国の同士の闘いや殺しあいは、アメリカ、ロシアなどの大国の介入もあり、なんだかどうなっているのかわけがわからない、テレビをとおしてなまなましいニュースははいってくるが(もっとも、私はテレビがないので、ニュースは新聞のみ)、気持ちはますます落ち込み暗くなるので、はるか離れたところなのをこれ幸い?に見なかった事に、知らなかった事にしてしまう。自分自身にむきあうこともしないで逃げているのだから、若い人に話をしたいと思わないのが本音だ。
 1980年主人公は12歳、ラップミュージックが大好きで、兄を中心にコンクールを見るためマトゥル・ジョングにでかける。お金がないから歩いて、次の日には帰ってくるつもりで「行ってきます」も行き先も言わずにでかける。二度と戻らない旅、その留守に反乱軍が街を襲う。逃げる、隠れる、飢えと危険にさらされて。友だちの死、そして、収監されて政府軍の少年兵士として前線に送られることになる。戦闘、収奪、殺人、マリファナで身も心もぼろぼになって。
 この本の他の少年兵の本とちがうところは、1996年国連のユニセフに助けられ、リハビリ・センターですこしづつ自分を取り戻していく様子が克明に記されていることだ。偏頭痛と悪夢、ドラッグ、暴力と時々人を殺したくなる、そんな絶望感のなかで少年を支えたのは、ラップ音楽、物語ること、たったひとつ残った伯父さん家族、センターのカウンセラーエスターの人間性、そして、時に絶望的になって暴れる少年にセンターの人たちはこういう。「いいかい、これはきみのせいじゃないんだ。本当さ。きみなら乗り越えられるよ」。いまでもどんなにたくさんの子どもたちがこの言葉を待っている事だろう。
 この本は一般書ででたが、中学生位からの若い人に広く読まれる事を願う。

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この絵本が好き!2008年版

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「この絵本が好き!」2008年版
別冊太陽編集部=編
平凡社 本体1000円




 毎年本当にたくさんの絵本が出版されます。それを一堂にみることはなかなかできません。実際意識して自分のなかに蓄えていかないと、次々に出版される絵本を手にとって見る機会もなくなってしまうほど、今はテンポも早く目の前をどんどんと通り過ぎていきます。そんな中でこの本は私にとって自分の仕事をチェックするために最良のガイド・ブックになります。3月にだされるのも嬉しいです。絵本は別に子どもだけのものではありませんが、子ども抜きには語れませんし、子どもという読者ぬきには語れません。このガイド・ブックはたくさんの人のアンケート(今回は106名)が掲載されていて、これからの選書にとても役にたちます。
 2008年版の特集は「石井桃子の作品世界」と30年を迎える「ちひろ美術館の歩み」で、この記事も日本の絵本界というか、児童文学の世界の一端がわかり、文化を次の世代に継承していく意味を感じました。
 この本の原稿依頼が来るのはいつも暮れの忙しい時ですが、こうやって本になって選書を通して、いろいろの人たちの感じ方、考え方を知る事ができ、最後についている2007年に出版された「絵本リスト」も含めて、意義のある企画だとあらためて思います。

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里山の一日「春の日」

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「里山の一日 春の日」
今森光彦
アリス館 本体1400円




 このシリーズ、これで四季すべてがそろいました。なんとなく季節は春からはじまるものと思い込んでいましたが、活動的な「夏」からはじまり、出発の「春」が最後なのも意味があるのだろうか思っています。
 昨夜の雨は朝10時頃にあがりました。たっぷりの雨で樹々も霞がかかったような感じです。まだ、新芽はでないので、木の芽は緋色かかった茶色です。樹々の幹のなかには、もう樹液が流れているにちがいありません。幹に耳をつけてみるとサラサラとそんな音が聞こえます。凛と咲き始めた梅の花はまあるくなりました。めじろが夢中になって顔をつっこんでいます。あと、少しすれば桜が咲いて、空までが華やかになります。律儀な配達夫のことを詩ったのは茨木のり子さんですが、そろそろ眼をさます彼らは、これからおおいそがしになります。

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ところで、この本カバーの色も素敵なのですが、カバーの下の絵を知っていますか。カバーを取ってみると思わず感歎の声があがります。

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和菓子のほん

 日本の美
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「和菓子のほん」
中山圭子 文
阿部真由美 絵
福音館書店 本体1300円




この本は2004年「たくさんのふしぎ」で出版された本をハード版にしたものです。あえて一般書籍の分類にしたのは「たくさんのふしぎ」が小学校中級からの読者を対象にしているのですが、私の店ではほとんどおとなの人たちが愛読しているからです。内容はとても充実していて、扱う分野も広く人気があります。
ハード版になって前より色が良くでています。紙のちがいもあるとおもいますが、淡い色が澄んできれいです。つくづく日本の美を感じます。色に関して日本人はたいへんたくさんの色をもっているといわれています。それは、やはり日本の自然の美しさ、多様さにあるとおもいます。(そのわりに、街の景観というか、色は統一されていなくて、あまりきれいでないのは不思議ですが)日常に食べるお菓子のなかに日本の美が残っているのはとても興味深いことです。この本にはお菓子のことだけではなく、着物、染め付けや器、絵巻なども関係深く描かれています。
 春一番がふいて、気のせいか樹々も春めいてきました。梅の花が満開で通りかかると春の匂いがします。もう一月もすれば桜の季節、桜餅やうぐいす餅をめでる時になります。ちょっとした一時、お茶といっしょに穏やかな気持ちで過ごせそうです。

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ペチカは、ぼうぼう猫はまんまる

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「ペチカは、ぼうぼう猫はまんまる」
作・やえがしなおこ
絵・篠崎三朗
ポプラ社 本体1200円



ロシアの昔話風の内容とこれもまた、お話にぴったりのイラスト、ちいさなかわいい本です。ロシア昔話風は”ペチカはぼうぼう 猫はまんまる おなべの豆は、ぱちんとはじけた”という唱えごとからはじまるからにもよります。お話は5話、どれも北の大地に伝わっているようなお話です。作者はチェルノブイリ原発事故で汚染されたベラルーシの村を舞台に作られた映画「アレクセイと泉」をみて、泉の物語を書こうと思い、第一話「猫と犬と馬が泉をさがす旅に出た話」ができたとあとがきに書かれています。そして、それをキッカケとして大好きなロシアの昔話風の連作を書いたとのこと、どの物語の主人公もなにかを求め、喜びや幸せをさがしている、人は希望なしでは生きてはいけないのです。そんな祈りを込めての連作です。
 昨日は千葉にも少し雪が積もりました。雪が降る時は音がしません。昨日は静かに本を読んで過ごしました。私が幼い時聞いた祖母の話の終わりは”えちゃぽん”でした。幸せな幼い頃のひとときでした。

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壮大な物語「神なるオオカミ」

 今年の新年の休みに一気に読んだ本だ。その壮大な物語にしばらくボーっとしてしまった。読んだ動機はオオカミに興味があることと、訳者が以前1時間半もお話を聞く事ができた唐さんだったので、広告をみてすぐに予約して、新年の時間に読む事ができた。唐亜明さんは「貝の子プチキュー」(茨木のり子作・山内ふじ江 画・福音館書店)が出版された時に原画の話をしてくださった編集者だった。そのほかにも「絵本 西遊記」(偕成社版)の文を書いていらっしゃるのと、昔、読んだ「ビートルズを知らなかった紅衛兵」(岩波書店)の著者でもある。

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「神なるオオカミ上・下」
姜戎 著
唐亜明・関野喜久子 訳
講談社 本体各1900円


 主人公は中国文化大革命の時、北京の知識青年として内モンゴルのオロン草原に下放された陳陣、ボリグ牧場の古老ビリグのもとで羊飼いをはじめる。同級生にはやはり羊飼いになった揚克、馬飼いになっ張継原、牛飼いになった高建中がいる。天の教えを守り、草原のなかで生きている遊牧民にひかれ、過酷な生活を送るうちに遊牧民の最大の敵オオカミを知り、遊牧民が敵としながらも崇拝していることの意味を知るために、自分の手でオオカミの子を捕え飼ってみようとする。ビリグをはじめ皆が反対するが、時の政府が馬を守るオオカミの血をもつ優秀な犬をつくれないかとのおもわくもあり、陳陣はオオカミの子を捕まえ飼い始める。オオカミの子は小狼と名ずけられ大きくなり、やっと少し心の交流が芽生えるが、草原に押し寄せた近代化と農耕文化への変化は小狼を死なせてしまう。小狼は最後まで狼としての尊厳を失う事なく人間に抵抗していく。
 この物語のあらすじだけ読むと一種の動物物語かともおもうが、背景になる遊牧民たちの生活と考え、その延長上のオオカミと神話、農耕民族と遊牧民の歴史と近代化をめざした中国の歴史など下巻の解説を含めて、たくさんのものを示唆している小説になっている。小説というより著者の自伝的小説と書かれているとおり、むしろノンフィクションにちかいかもしれない。そして、この連続した35編のオオカミの物語は人類の地球の未来の物語でもある。
 血一滴もむだにしない獣の殺し方、そのことも含めて男と同じように働き、それでいて女としてもとても魅力的なビリグの息子の妻バヤル、天葬のことなど心に残るシーンだ。
 下巻の最後5章からなるー知的探索< オオカミ・トーテムについての講座と対話1〜5>は、30年後ある大学の研究所で国情や体制改革の研究をしている陳陣と北京で弁護士事務所をひらいている揚克がやっとオロン草原を訪れ、陳陣が揚克にファイルにまとめた論文、遊牧民族がいかに中華文明を救ってきたかについて語る形式になっている。中華民族の歴史が語られ、中国を知るためにはとても良い。(年表がついているとなお良かったが)
 日本は魚を捕る民族、農耕民族でなく狩猟民族と書かれているのは、私にとってはとても興味深い。日本オオカミは絶滅したといわれている。田や畑をあらす獣をたいじしてくれたオオカミ、日本でもオオカミは神であったことを思い出した。
 食べる=生きるということの思いを深めた本でもある。
 

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「海峡を渡るバイオリン」を読む


         体験することと、読むこと

 陳昌鉉の『海峡を渡るバイオリン』が河出文庫に入りました。日本におけるバイオリン制作の第一人者で、在日韓国人です。単行本は、同社から5年前に出ましたが、今回文庫化で読むことができました。
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鬼塚忠・岡山徹が聞き書きで書いていますが、とにかく面白い。一気に読めます。単行本は韓国でも翻訳され、また日本で漫画化もされました。山本おさむの『天上の弦』全10巻(小学館ビッグコミックス)です。実は私は先にコミックを読んでました。もちろんコミックですから実話とは違います。今回文庫本を読んで逆にコミックの作り方がわかりました。何をテーマに持ってくるかです。
 山本は前にビッグコミックスで『聖』(さとし)を書いています。膀胱ガンで夭逝した棋士・村山聖の生涯を描いたのですが、当然ながらテーマはいろいろあります。将棋の勝負や持病の、ネフローゼの闘病生活も描いてありますが、山本のテーマは「師弟愛」でした。 エンターテインメントですから何でも書き込めるのですが、だからこそ一本テーマが通ってないと散漫になるのでしょう。
『天上の弦』のテーマは「母の愛」です。陳が生まれ育った韓国の日韓併合時代、儒教と生活、陳の在日生活、母と妹の朝鮮戦争体験、と激動の時代の家族の物語です。感動作です。だがやっぱり重くもありました。
今回読んだ『海峡を渡るバイオリン』は聞き書きなので、話題は多岐にわたります。『天上の弦』で使われた話題もありますが、意外とおかしい、楽しい話もありました。『天上の弦』は、実話を基にしたフィクションなのであり、陳昌鉉はもっと多彩な実在の人物だと当たり前のことを感じました。陳は妹から聞いた朝鮮戦争の話もしています。妹が生き延びるために結婚した韓国軍人の夫は、母と妹を連れて転戦していました。これを読んで、映画『パンズ・ラビリンス』の描写は、まだ抑えてるんだと納得しました。空想の世界に逃げなければ、子供なら気が狂ってしまうでしょう。
 私が見聞きしていた世界はごく一部でした。隣国のことも国内のことも見えてませんでした。陳昌鉉の体験をこの本で読むだけでも、世界が少し広がった気がします。
  (高橋峰夫)

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タンタンの冒険旅行、完結!

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「タンタンの冒険旅行」完結
23 タンタンとピカロたち
24 タンタンとアルファート
エルジェ作 川口恵子 訳
福音館書店 本体各1600円




 1983年今から24年前、会留府は稲毛にあった頃です。ある日福音館書店のMさんが、”会留府さんでましたよ”と連絡をくださいました。”ちゃんと読むと30分位かかりますよ”との話でした。あとがきや「タンタンタイムズ」によると最初は5巻くらいの刊行予定だったとのことです。小学生からおとなまであれよあれよとフアンがついて、刊行が待たれるようになりました。ベルギーの新聞記者が描いたこの作品は単純な冒険の話からかなり社会的、歴史上のことが背景になっていて、ちょっと難しい作品もあります。単なる漫画とかたずけられない、店でイスに座り込んで読んでいた(彼は残念ながら家の人に買ってもらえなかった)Kくんや、お父さんが夢中になってしまったH家など、今回の最後の巻まで買われた人がいます。途中書き文字が変わったり、なかなか出ないこともあって気をもみました。それと、始めの頃夫がタンタンに似ていて、おまけにわが家にはスノーウィそっくりの犬がいました。(名前はリヤ)今になってみると楽しい思い出です。これで完結となると、ちょっぴりさびしいですが、完結を機会にこの冬休み全巻読んでみませんか。くわしくは福音館書店に掲載されています。また、折り込みの「タンタンタイムス」もおもしろく、登場人物は23巻「タンタンとピカロたち」に勢揃いしています。

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わたしの絵本、わたしの人生

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「ジョン・バーニンガム
わたしの絵本、わたしの人生」
灰島かり・訳
ほるぷ出版 本体2800円




バーニンガムといえば、こどもたちが大好きな絵本「ガンピーさんのふなあそび」や「ねえ、どれがいい?」そして、あれこれとたくさんの絵本が浮かぶ作家です。子どもだけでなく「おじいちゃん」や「くものこどもたち」を心に残っている絵本として語るおとなの人を私は何人も知っています。イギリスの作家、そして、彼の妻であるオクセンバリーも絵本を描いている夫婦共に現役の作家です。
この本はバーニンガムの自伝にあたるものです。絵本を読む子どもにとって、それを描いた作家がどんな人かは関係なく、ただ、純粋に絵本そのものを楽しみます。けれど、おとなにとってその作品がどんな人によって、いつ頃描かれたものかを知ることは、その作品を何倍にも楽しくしてくれます。 
 バーニンガムの最初の作品である「ボルガ はねなしガチョウのぼうけん」(日本版 ほるぷ出版刊)は1963年に描かれたものです。その年はやはり子どもたちに人気の「かいじゅうたちのいるところ」(モーリス・センダック 作 冨山房刊)がアメリカで描かれた時代でもあり、グラフィック・アートの新しい時代だったということなどは、この本の最初にセンダックが<親愛なるジョンへ>とよせている文のなかに描かれています。時代がこの人たちを呼んだのです。バーニンガムは文も絵もひとりで描いている数少ない画家ですが、ポスターを描いたこともあり、動物と人間のきずなを描いた作品が多く、シンプルな文の力など、バーニンガムの作品の魅力を語っていて、彼の生き方でもあり、それが表現された背景をみながら物語を読むように楽しむことができます。
 写真や絵もふんだんに入っていて、それなのに定価が安いのもうれしい。

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多賀城 焼けた瓦の謎

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「多賀城 焼けた瓦の謎」
石森愛彦・絵
工藤雅樹・監修
文藝春秋 本体1429円




 送られてくるメルマガでとても興味がそそられる本の紹介があり読んでみました。それがこの本です。一般書の扱いなので、児童書ではなかなか目にしません。本の帯に〜小学生から大人まで〜となっています。内容は小学生高学年で読むことができます。たくさんの写真とイラストが入っていて、とても読みやすい装丁になっています。宮城県多賀城、35年程前の発掘調査でたくさんの瓦がでてきました。しかもそれは白っぽく変色していて、明らかに高熱にさらされたものでした。その模様から1300年ほど前に作られたものだということでした。
 この本は担当編集者の子どもが小学5年生の夏休み自由研究のため、祖父と一緒に訪れた多賀城の話がもとになっているので、内容もつながりが順序だてて書かれていて、ひとつの物語を読むような構成になっています。多賀城の瓦は何をいみするのか?それは遠く離れた地の「大化の改新」「奈良の大仏の金箔」「桓武天皇」「律令国家」「蛦夷討伐」「坂上田村麻呂」から、現代流行の「怨霊や霊」まで、古代から現代までのつながりとして描かれています。また、蛦夷はなぜ敗れたのでしょうか?それは蛦夷は言葉は持っていたけれど、文字を持たなかったからとしています。文字は国家をつくり、国家をささえたのです。時代は変わってもこのことは現代にも生きています。
こんなふうに歴史を学ぶことができたら、現代の選挙の投票率の低さも解決できるのではないかと、ふと思ってみました。

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「カラマーゾフの兄弟」を読む

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「カラマーゾフの兄弟」1
古典新訳文庫
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー
亀山郁夫・訳
光文社 本体724円



 10月の「Y・Aの本を読む会」で取り上げた。あまりにも有名(古典としても話題性としても)なので、取り上げてみようということになった。ストーリーはここではあえて書かないが、7名全員が以前読んだことがある、もしくは挑戦したことがある本だった。この新訳は忙しくて読めなかった1人と、読む気がしない(こういう本は好きでない)1人をのぞいて、おもしろかった、こんなにおもしろい本だと思わなかったという全体の感想だった。とりあえず1巻が課題だったのだが、全巻再度読みあうことにした。確かに新訳はわかりやすい。それでいて平坦になってもいない。(登場人物が立体的に描かれている、それは訳の力だけでなく原作そのものが持っている力なのだろうが。)大学で強制的に読まさせられたというYさんはしっかり読んだようだけれど、TさんもSさんもかって読んだというだけであまりちゃんと読めていないと言う。わたしは高校生になったばかりの時、ともかく長い小説に挑戦してと、なんといっても長いロシア文学に片っ端から手をだしたが、読めていない。だから正直あまり心に残っていなかった。
ところで みんなの感想
*おもしろかった。人物がいきいきと動く。
*栞の登場人物のコメントが書かれているのは、本を読む助けになった。グッドアイディアだ。
*人物をいきいきとさせているのは、時代の背景などがしっかり描かれているので、つかみやすい。
*宗教的なところはわかりにくい。
*高校生や大学生の若い人にすすめたい。
*5巻がすごくおもしろい、必読!
そして、メンバーのなかの一番若いKさんが<文学には感ずる文学と考える文学があるのではないかと思う。この小説は考える文学だ。>という感想が私は印象的だった。

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秋の日

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「秋の日」 里山の一日
今森光彦
アリス館 本体1400円




 «秋は、終わりではなく、春への準備がはじまる季節»と詩う著者、雪国生まれの私にはそうとばかりはいえない。過酷な冬に向い、つかの間の狂乱の月日、たがらあんなに自然は染まり輝くのだ。
 ページをめくるたびに懐かしい風景が蘇って来る。稲の干しかた、いまはは乾燥機をつかうので見られなくなってきたけれど、立木に竿を渡して干す、ハゼに干すという。コスモスが日本の花でなく、元は中南米からの帰化植物とか、その花々も散って果実が鳥たちを夢中にさせる。柿が鰯雲の空に映える。その渋柿の皮をむいて南側の軒下に吊るすと(干し柿は父の大好物だった)秋も深まって来る。
 もう一カ月もすると冷たい雨は霙にかわり、長い冬がはじまる。最後の最後まで鳥たちや動物たちの命を繋ぐ秋は静かに暮れていく。


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ヴォイスー西のはての年代記Ⅱ

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「ヴォイス」
西のはての年代記Ⅱ
ル=グウィン
谷垣暁美・訳
河出書房新社本体1600円



西のはての年代記第一巻から20年後、アンサル国の首都アンサルに住んでいる17歳の少女メマーが主人公です。オレックとグライが訪れた街アンサルは古くから交通の要所で、交易のさかんな美しい都市です。学問も芸術も盛んだった、というのは、今はオルド人の侵略にあい街は破壊され、オルド人の支配下にありました。人々は自分たちの文化を絶やすまいと、ガルヴァ館に本を密かに隠し、この部屋はこの館の当主である道の長とメマーしか知らない、他の人は入ることの出来ない部屋でした。メマーのギフトに気がついた道の長が自分の後継者にメマーを考え教育しているところでした。メマーの母親はこの地の名家ガルヴァ一族の者でしたが、オルド人の兵士に襲われメマーを生んだのでした。メマーは亡き母のこともあり、激しくオルド人を憎み復讐を誓っています。オレックが語る詩や物語とライオンをつれているグレイとの出会いはメマーの心を大きく揺さぶります。メマーもオレックのようにギフト(声=ヴォイス)を持っていました。そして、それはアンサルとオルド人との戦いと破壊から人々を救う力になりました。
 この物語にはオレックやグレイはもちろんのこと、とても魅力的な人々が描かれています。メマーは大変活発な(時には男の子になってオルド人のなかに入って使命をはたします。)聡明な、いきいきとした少女ですし、オルド人の王の奴隷であり、愛人になり、妻になったティリオの冷静さ、人々のために精一杯の腕をふるう料理人イスタなど、特に描かれている女たちの、立場はちがうけれど日々の営みを大切にし、ユーモアがあり、喜びを見いだす人たちの生きることへの讃歌は作者の考えそのものに思われます。
 自然の描写も読む者を引きつけます。特に、泉とか噴水とか水への描写は心を清々しくしてくれます。
また、この物語ははるか昔の物語になっていますが、とても現代的です。議会や選挙のこと、寛容と許容、戦いと平和、物語はおもわず現代のある国を想像してしまいますし、わたしたちが今なお乗り越えられない大きな課題でもあります。それらにも作者の思想が良く現れています。
 物語を読む喜びと書物の持つギフトをしっかりと手にすることのできる一冊です。

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川の光

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「川の光」
松浦寿輝
中央公論新社 本体1700円




読売新聞に連載されていた時から、単行本になる時はソフトカバーの児童書、またはY・A向きの書籍として出版されたら良いのにとは思っていたが、やはりそれはかなわなかった。川辺で暮らしていたネズミ一家が開発で住処をおわれ、次の家を得るまでの物語、充分に子どもにも読むことの出来る物語だ。むしろ小さな生き物の冒険物語として10代の子どもたちに読んで欲しいと思う作品だ。
 話は夏の終わり、きっと今のような季節に違いない。2才児?のタータと1才にならないチッチのネズミの兄弟、母ネズミは春チッチを生んですぐに死んでしまい、父親と3匹で川岸の巣穴に住んでいる。そこは暗渠工事がはじまり、かれらは新しい住処をもとめて旅にでる。かれらが始めにであったのはイタチ、なんとか逃げおおせたけれど、次には人間、そして、執拗にねらわれるのはドブネズミ軍団、そこを通っていかなければ工事のない川の上流までいくことができない。台風が来て水しぶきのなかで助けてくれた正体不明のネズミ、グレンは市立図書館で駆除をのがれて一匹で暮らしている。グレンに一緒に暮らすように誘われるが3匹は断って旅を続ける。グレンが歌う声は3匹を誘う川の光の歌、3匹は川辺で暮らすネズミなのだ。
 物語の中にはハラハラするような街のようす、ドキドキするような戦いも描かれていたり、スズメの一家の元気さなどユーモアもいっぱいあり、とても楽しい場面も多い。
 それに、同じネズミ(ドブネズミだが)と戦って、異種の鳥や犬、そして、人間の子どもなどがこの一家を襲う、窮地から助け出す役割をするのはちょっとおもしろい視点だと思う。つまりいろいろともっている能力がこのネズミ一家を救い出すことになるのだ。人間は自分のつごうだけを考えているが、自然との共生がないかぎり生き続けることはできない。まあ、こんな深読みをしなくとも、ネズミ一家の冒険物語だけでも十分楽しい。
 もうひとつ読んでいて思ったのは川は匂いをもっていること、それは海もそうだけれど、その匂いと輝きが私たちを生へと導いているのだと思う。

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「もの」の運び方、利根川をめぐって

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「河岸」
ものと人間の文化史139
川名登・著
法政大学出版局




 「河岸」とは何か?
 「河岸」と書いて「かし」と読みます。「河岸を変える」や「魚河岸」の「かし」です。しかし河岸は魚河岸だけでありません。米河岸・塩河岸・材木河岸もありました。また日本橋魚河岸は、江戸市中の謂ですが、河岸は江戸時代は、全国にありました。川名登『河岸』によると、関東だけでも利根川を中心に80余、幕末には 300余の河岸があったそうです。添付の地図を見ると、それこそJRの駅の数ほどの河岸が載っています。この場合の河岸には地名が付き、行徳河岸・小見川河岸などと呼ばれました。伊能忠敬は佐原河岸の出身です。つまり河岸は川の港なのです。港の運輸機構や集落を含めて河岸と呼びます。
 アナウンサーでもまちがえる?
 夏休みに NHKのニュースで、高瀬船の利根川下りを報じていました。森鴎外の小説の小船ではありません。米千俵も積める復元船です。アナウンサーは「米を積んで利根川を下り、江戸まで運んだ昔を偲び子供たちは…」と言っていました。内陸部の米を積んで銚子まで下り、江戸へ運んだと思うのは、自然なことです。しかし事実は逆でした。東廻り海運で運ばれた東北諸藩の米は、銚子湊に入り、高瀬船に積み替えて利根川を逆上り、関宿から江戸川を下って、江戸に入ったのです。
 のちに、江戸湾の入り口に位置する伊豆大島に波浮湊が築かれます。地図を見た時、江戸湾に近い島の北側でなく、南側にあるのが不思議でした。東廻り船は一旦、波浮湊に入り、風が逆になったら、江戸湾に入ったのです。波浮湊を築いたのは、平六という小糸川の船頭だそうです。いまは絶版ですが、来栖良夫の童話『波浮の平六』に築港の様子が描かれていたのを思い出します。
 奇妙な利根川の地図                  
 私は小学校で利根川の地図を見て以来、ずっと不思議に思ってきました。日本最大の川が、銚子まで流れているのです。こんな川は、他にありません。普通の川は、もっと近い湾に流れ込みます。外海に流れ込むにしても、河口で氾濫して広がります。よりによって銚子の端っこまで流れる必要はないでしょう。 しかし今はわかります。銚子の河口は、もともと内海の開口部だったのです。霞ヶ浦はもっと大きく外海に開いていました。それが河川の土砂と砂州で、閉じ込められてきたのです。いっぽう利根川は江戸湾に流れていました。それを幕府が渡良瀬川につなぎ、常陸川につなぎして、銚子までつないだのです。余りにも大工事だったため、その目的を巡って、明治以来、論争になっていました。しかし川名氏の緻密な論文により、その目的が水運だった事が証明されています。諸藩が江戸へ米を送るには、全国の河川を下って、まず海へ運びます。もちろん戻り荷も重要な流通です。 関東諸藩も利根川を下って米を輸送しますが、利根川のもうひとつの役目は海運の米を、利根川を逆上って、江戸まで送る事だったのです。
 さて、近世史の魅力は、第一次資料が豊富だという事です。中世史以上にリアルな、当時の人の暮らしが見えてきます。『河岸』の魅力は、そこにあります。めんどくさい所は飛ばして、そこだけ読んでください。本に出てくる登場人物はすべて(庶民まで)固有名詞入りです。実際にある文書にのっている実在の庶民です。登場人物の説明のために、著者が経済的背景を述べ、必要なら推理も交えているのです。第一級のノンフィクションです。
    (高橋峰夫)

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この夏読んだ本の一冊

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「野生の樹木」
マーリオ・リゴーニ・ステルン
志村啓子・訳
みすず書房 本体2400円




 最近いつもは日常におわれてしまい、一般書やもう一度読み返してみたい本がつん読になり、少しまとまった休みが取れた時に一気に読むことが多くなった。ともかく朝から一切何もしないで読む。そうしないと積まれた本を横目にして、気持ちが落ち着かなくなってくるからだ。
 というわけで、この夏に読んだ本の一冊がこの本だ。以前「ニゴーニ・ステルンの動物記」(福音館書店2006年刊)が心に残っていて、ブログでもとりあげたことがあり、新聞書評に出た時から気になっていた本だ。「動物記」の方は「北イタリアの森から」と副題がついていて、動物と人の物語なのだが、この本はやはりタイトルのように木をめぐってのエッセイだ。木のエッセイではやはり以前読んだ小塩節著の「木々を渡る風」が、私には印象深かったがこの本もとても良かった。
 戦いの舞台になった北イタリア、土を掘り起こしただけで、数々の手榴弾や銃弾の残骸、人骨までが出てくる土地にヨーロッパアカマツ、カバノキ、ブナ、モミの苗木を植え、サクランボやリンゴが加わっていく。1989年にそれらの樹々のことを書いてみようと思ったと、まえがきに述べられている。この本に書かれている20種の木はオリーブ以外は比較的私も知っている、目にしたことのある樹々だ。例えば、最後のサクラは遅い雪で心配するサクランボのことからはじまっている。著者にとってのサクランボは、ロシアの強制収容所のなかで夢見たサクランボであり、少年時代に読んだチェーホフの「桜の園」であり、1940年6月兵舎暮らしのなかに農家の地下で見つけた乾燥サクランボである。そして、サクラの木、植物学としての話、サクラの材の話、100歳を越えてなお花を咲かせる老木も、いずれは切り倒されて避暑客のための住宅の駐車場になるであろう運命、サクラの木にまつわる物語が書かれている。
 本をゆっくりと時間やもろもろのことを忘れて読む。私にとってすばらしく幸せな時だ。

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「それでもボクはやっていない」

  映画の面白さとストーリー〜『それでもボクはやってない』

  映画で最も重要なのはストーリー、つまり脚本です。周防正行監督の『それでもボクはやってない』は、地味な映画ですが、緻密な脚本に舌を巻きました。その脚本がめずらしいことに、出版されています。
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『それでもボクはやってない 日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!』(周防正行・幻冬舎)です。そして、この本の第2部「自作解説−なぜこのシーンをカットしたのか−」を読むと、緻密な脚本から、どのように映画が出来上がってくるかが、わかって興味深い。
 この映画は、痴漢冤罪裁判となっていますが、面白い事に、主人公以外の視点で見ると、冤罪かどうかわからない様にできています。そして撮影もそのように撮っている。それが編集段階で、主人公の視点からの映画になっています。そのほうが観客が感情移入しやすく、むずかしい映画にならないそうです。また、実際の裁判はもっとひどいが、現実どおりに描くと「どうせ映画だから大袈裟に描いてるんだろう」と嘘だと思われてしまうので、抑えて描いている。そういう苦労もあるそうです。
 「裁判員制度」の実施前に、この映画が公開されたのはタイムリーでした。私は、新暴力団法つまり「組織犯罪対策法」という劇薬の施行前に、伊丹十三監督の『ミンボーの女』が公開されたのを思い出します。あの映画が証明したのは、劇薬を使わなくても、在来の法律で、組織犯罪は取り締まれると言うことでした。
 この本の第3部は「徹底対談−日本の刑事裁判はどうなっているのか−」として、元裁判官の木谷明と監督の対談になっています。まず問題になるのが「現行犯逮捕」です。主人公は、電車の中でもホームでも身柄を拘束されていない。主人公は、被害者や警察官に同行して、任意に警察署に行っている。つまり、話せばわかると、善意で同行したのであって、被害者に逮捕されたのではないのです。それなのに警察署で手錠を掛けている。つまり現場を見ていない警察官が手錠を掛けた時点で、現行犯と言えるのかという大問題が出てきます。駅事務室に同行せず、毅然として立ち去っていれば、この事件はなかったのです。
 次に「裁判員制度」に関して、一般人に「あなたは被告人を裁けますか」と宣伝するのは無理じゃないかと言ってます。「検察官の有罪立証に、なるほどその通りだと思えば有罪。ひとつでも有罪立証に疑問があれば無罪」つまり実際に裁判で裁かなければならないのは、「検察官の有罪立証」である、ということです。
 また「陪審員制度」なら、陪審が「無罪」としたものをもういっぺんやり直す事はできないが、「裁判員制度」では「検察官控訴」ができる。そして高裁では、職業裁判官だけで裁くとなれば、何のための「裁判員」なのか。私には、いまいちわかりません。でもできれば「裁判員」になってみたい。そして「違法でも」ルポルタージュを書いてみたいと思ってます。
 周防監督の映画は11年ぶりだそうです。忘れられそうですが、この映画ために、傍聴 200回以上、脚本、撮影と4年かかったそうです。そんなに手間が掛かるとは思いませんでした。じゃあその前は何をやってたのか。映画の企画以外には、前作の海外売り込みがあったそうです。
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「『Shallweダンス?』アメリカを行く」(周防正行・太田出版・文春文庫)を読むと、抱腹絶倒、その大変さがわかります。でもそれが、ハリウッドのリメイクに結び付いたのです。図書館で捜してみてください。 
   
   高橋峰夫

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里山の一日   夏の日

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「里山の一日   夏の日」
今森光彦
アリス館 本体1400円



 おさめられている写真は著者が住んでいる琵琶湖周辺の里山、その一日の新しい写真集がでた。ダンゴムシですっかり人気者になった今森さん。というのは以前店でお呼びしてお話を聞いたことがある。写真家だとばかりおもっていたら、すらすらとボードにダンゴムシの絵を描かれ、それがとっても上手で、楽しく、子どもたちもおとなまでもが歓声をあげた。その時住んでいらっしゃるアトリエからみた里山の様子も聞くことが出来た。それからも里山の本はでたのだが、この本でもまた今森さんにお会いしたように嬉しい。
 今森さんは文章もたいへんうまく、それが写真を引き立たせ、見るものを この風景、日本の原風景に誘ってくれる。たとえば、この本のオビに描かれている小川の写真にはこんな文がついている。『田んぼのなかを流れる小川。くねくねした細い道にそって、水の筋も身をくねらせる・・・』やっぱり夏の一日弟とお堀の脇に流れている小川で魚を追いかけて遊んだ子どもの頃のことを思い出す。けれど、今森さんはこうも書いている。『里山をながめると、ほとんどの人は“なつかしい”といいます。でも、ぼくの目には、それが“未来の風景”に見えてなりません。』
これが子どもたちにも人気がある理由なのかもしれない。

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プルマンの新刊「マハラジャのルビー」

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「マハラジャのルビー」
フィリップ・プルマン
山田順子・訳
東京創元社 本体2200円



 来春映画になるということで、大きく宣伝されていた、「ライラシリーズ」の作者プルマンの新刊が出版された。主人公は16歳のサリー・ロックハート、背景の時代はヴィクトリア朝のロンドン。サリーの父親は海運会社の経営者だったが、船の事故で死んでしまい、サリーは孤児になってしまった。ある日送られてきた謎の手紙をもって父のかっての共同経営者を訪ねていくと、その手紙に書かれていた言葉”七つの祝福”を耳にしたとたんサリーの目の前で死んでしまった。サリーはその謎を解くべく関係のありそうな人たちを訪ねて歩く。サリーはこの時代のか弱い令嬢ではなく、闊達で自由な精神、前向きで積極的な行動的な性格で、自分で考え行動していく女性として描かれいる。海賊、ロンドンの貧民街、阿片、そして、呪われたルビー、父の死の謎はこれらの冒険を通じて、サリー自身のもっている謎を解き明かしていく推理小説でもあり大冒険の物語だ。ヴィクトリア朝の風俗、習慣、下層階層のの人々の動きなど、ハラハラする物語になっていて、最後まで、息をつかない小説になっている。
 次作は6年後の1878年に舞台が移り、サリーは22歳、財政コンサルタントとしてシティーに事務所をかまえて大事件に巻き込まれていくとのこと、10年がかりで完結した4部作、日本での刊行が待たれる。
久しぶりにドキドキ、ハラハラとしながら小説の楽しさを堪能した。

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「山月記」からーひろや

「李徴の独白と私たちの弱さ」
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「中国小説集」
中島敦
ランダムハウス講談社
本体900円
その他新潮文庫など



 「山月記」は1942年に発表された中島敦の短編小説である。中国唐代の伝奇「人虎伝」を題材に書かれており、ストーリーの展開もこれを模したものとなっている。しかしそのことはこの作品がオリジナリティを欠いていることを意味しない。むしろこの作品の要とも言える主人公・李徴の悲痛な独白は作者自身の鋭い自己反省に基づいて おり、その「作者自身にとっての切実さ」は、何にも変えがたいオリジナリティであり(オリジナリティとは何か、という問題はあるが)また、私たちの胸を強く打つものでもある。
 さて、ストーリーの展開を再び説明することは避け、ここでは、中国古典をベースにした主人公である李徴の独白が、何故現代の私たちにも響きうる力強さを持っているのか、ということについて考察したいと思う。作中で李徴は、人間であった頃は人と進んで交わらないような人物であったと説明されている。そして虎の姿になった李徴はそんな自分を振り返り「それは『臆病な自尊心』と『尊大な羞恥心』に基づいていた」と自己反省する。この「人間の弱さ」は、表面に現れる形こそ違えども今も存在する、普遍的なものである。しかし例えば一言で「人の弱さ」と言っても、私たちは戦争や児童虐待を生み出す弱さを、少なくとも表面上は同情 する気にはならないだろう。それは感傷されるよりも先ず罰せられるべきものだからだ。だが、この作品に描かれている「弱さ」に身に染みるに感じる人は少なからず居るであろう。そして僕にはこの「弱さ」と、現代に生きる私たちが抱える弱さが限りなく似ているように感じられる。
 私たちは今、自分以外の誰も保障してくれない自由と責任を生きている。最早何人も私たちの明日を約束してはくれない。そんな世界で、己の生き方を掴み取ろうとする時、自己批判力、或いは精神的な動機に基づくハングリースピリット——それらは「このままでは駄目だ」と言い切る力、明日を目指す力だ——が重要 になってくる。しかしそれらは、時として目先の欲望や矮小なプライドの前に敗れる。そう、正にこの作品に於ける李徴のように。そして李徴は痛ましい独白をし、現代の私たちは例えば部屋に引き籠る。自己を批判しながら、それでいて何も出来ぬ自分を呪いながら。
「自己を批判しながらも何も出来ない」。この点に李徴の独白と現代の私たちが抱える弱さ(数多くの中の1つとしての)との相似を見ることが出来るのではないだろうか。果たして私たちが「虎」になるのかどうかは、まだ誰も知らない。
    いがらしひろや


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ネコのことならイワゴーさんに

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「ネコを撮る」
岩合光昭
朝日新聞社 本体720円



4月22日に紹介した「地球動物記・福音館書店」というすばらしい写真集を出版した著者の、これはネコの本でもあり写真の本でもあります。新書判なので一気に読むことが出来、ネコ好きな人だけでなく、写真を趣味にしている人にもなかなか教えられることの多い本です。
 わが家には多いときで犬3匹、ネコは10匹ほど(人間は2匹)大所帯だったことがあります。友だちの引っ越しを手伝って、とても元気で気が強くて迷惑がられていた3ヶ月ばかりの子ネコを連れてきたのがはじまり、後は捨て猫と目が合って連れ帰ってきたり、誰かが家の前に捨てていったり、ごはんだけ食べにきたり、登校する小学生が“ここはネコ屋敷なんだぞ”と話していたり、ネコの話なら山ほどあります。それはまたの機会にして、この本は『ネコのことなら、イワゴーさんに聞け!!』というか『写真の撮り方ならイワゴーさんにきけ!!』という本です。被写体は下調べをすること、色気?の話、実践編では光の使い方、時間の取り方、シャッターチャンスなど、私のようにデジカメを使い始めた初心者にも心するべきことが、ネコを中心にいろいろと書かれています。もちろん、たくさんなネコの写真だけでも見飽きることがありません。最後に「野生ネコ」のことが少し書かれています。昔、動物園ではじめてトラを見た時、「すごい!大きなネコだ!」と感激したことを思い出しました。

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富安陽子のエッセイ

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「さいでっか見聞録」
富安陽子
偕成社 本体1200円




 爆笑エッセイとオビに書かれているように、読んでいておもわず笑わずにいられない楽しいエッセイだ。
 著者は小学生からおとなまで幅広い読者を持っている。日本人のものの考え方や感じ方を物語のできる数少ない作家だ。そして、少し不思議な世界、いま生きている世界と紙ひとえに存在する世界の中で起こる出来事を物語化できる作家だ。東京生まれの関西在住という経歴は、おおらかな笑いだけでなく、ピリットとしたユーモアがありうなずける。
 「執筆・講演・家事・育児 みんなちがってみんないい」とオビに書かれていて、爆笑ものの子育て・育児についての記述はもちろんとても楽しいが、もうひとつ読んでいて思ったことがある。それは幼い頃の思い出を富安陽子もまた、しっかり持ち続けていることである。
児童文学者の石井桃子・神沢利子・長谷川摂子たちのすぐれた「おさなものがたり」を読んできて、いちように幼かった時の事柄だけでなく、そのときなにを感じ、思ったかを克明に心のなかに持ち続けているのに、私はすぐれた児童文学者の力を見た。1959年生まれの富安陽子もまた、充分にその力を持っている。
 このエッセイのなかの「満月の夜の秘密」で生家を支えた伯母のはなし、「絹の雨降る頃」の梅酒を造る祖母のはなし、三つ小学校を転校したという「校庭の時計台」のはなしなどに、そのすぐれた感性が描かれていて、それが富安陽子の作品が生まれる源になっている。
 

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勉強が嫌い

      どうして子どもたちは勉強が嫌いなのか?
 新書がブームだそうです。売れる新書は、本の内容もさることながら、タイトルが重要だそうです。でも最近は、タイトル倒れというのもあります。あまり刺激的なタイトルの本は、手に取りません。今回紹介する『オレ様化する子どもたち』(諏訪哲二・中公新書ラクレ)もそうでした。しかも帯に「小林よしのり推せん」とあります(もっともこの本のどこを小林が推せんしているのかは、わかりませんでした)。読んだのは、内田樹が『下流志向−学ばない子どもたち、働かない若者たち』(講談社)で高く評価していたからです。
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 諏訪哲二は「プロ教師の会」代表で、埼玉県の高校に長く勤めていました。諏訪は本の「はじめに−新しい生徒たち」で、戦後の学校の、特に学校批判の変遷を簡潔にまとめています。そして80年代に入って、子どもが大きく変わったと言います。さらに98年には「学級崩壊」が流行語になり、「小学1年のクラスが収拾がつかなくなり、50代のベテラン女性教師が泣いている」までになりました。「80年代中葉から子どもの変容を感受していた私たちも、小学校の、しかも1年生が学級崩壊するなどとはあまり思っていなかった」「教師的な常識から言っても、入学したての小学1年生が教師の指示に従わないということは考えられない。子どもはだんだんと大きくなっていくにつれて教師の言うことを聞かなくなると了解されていたからである」
 この原因として諏訪は、教育の「商品交換化」という仮説を立てます。経済のグローバル化に伴い、日本は「消費社会的」段階に入り、子どもは小学校にはいる前に、既に「消費主体」として「自立」している(と思っている)。いっぽう国や教師は、教育は「贈与」だと思っている。ところが当の子どもは、教育は「商品交換」(等価交換)だと思っているから、一方的な「贈与」に我慢できない。なんとか「お返し」をするなり、「交換」を拒否するなりして、対等(等価)な立場に立ちたい、という事だと思います。この仮説を入れると、けっこう見えてくるものがあります。「何でもわが子の欲望を受け入れてきた親や、何でもわが子の意見を取り入れてきた親たちが、己れの善意に反して子どもを一方的に規制しようとし始めるのもこの時期である。中学受験や高校受験が視野に入ってくると、そういう親もこのままではまずいと気づき、手のひらをかえしたように子どもに規制を加えようとする。そこに衝突が起こり…」。「すでに経済的な主体であるのに、学校へ入って教育の「客体」にされることは、子どもたちにまったく不本意なことであろう。子どもたちにとって、「学ぶこと」が困難な時代に入ったのである。極端に言うと、家庭(の親たち)に教養や文化力があって、子どもに自信を持たせると危険である事を知っていて、なおかつ、人が生きるということは、単に経済的な自立を意味するわけではないという事を「教える」事のできる家の子どもたちは「学び」に向かっていける。家にそういう「文化資本」のない子どもたちは、経済にただ翻弄されている」
 なお、「教育論者の子ども観を検証する」として、この本の第2部では、私が前に紹介した『サヨナラ、学校化社会』(上野千鶴子・太郎次郎社)や『13歳のハローワーク』(村上龍・幻冬舎)が、鋭く批判されています。
 私も、我が家の教育に失敗したかもしれません。ただこの本によって、少しは原因がわかってきました。でも「その親のしつけ(親の教育力)の是非は…事後的または結果的にしかわからない。それも本当に「親のせい」かどうかはわからない」のだそうです。
 「いかに大人は対処すべきか」を含めて、ぜひ読んでみて下さい。                      
  高橋峰夫

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干潟で観察

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「干潟ウオッチング」
フイールドガイド
君も干潟生物調査員
市川市・東邦大学東京湾生態系センター共著
誠文堂新光社 本体 1500円

1980年代東京湾の汚染をなんとかしたい、三番瀬をなんとか守りたいと多くの人たちが動きだし、1990年代に生態系の調査がおこなわれた。市川市から東邦大学に調査依頼があり、そのなかでこの本が生まれた。おもに東京湾の干潟についてのフイールドノートである。観察のときの持ち物から観察の時注意することから、お天気のこと、潮汐など、観察のために気をつけること等もかなり具体的に書かれている。干潟とは、干潟の成り立ち、そこに住む貝や魚のことまで干潟から集めた写真や行動のデーターもたくさん入っている。
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「干潟の図鑑」
財団法人 日本自然保護協会編
ポプラ社 本体1600円

北海道から沖縄まで日本中の干潟が写真入りで紹介されている。そして、この本は干潟に生きている魚や貝だけでなく、鳥についてもしっかり書かれていて写真もたくさん入っている。鳥が好きな人などの良い案内書だ。
 昔、幼い頃海の近くに住んでいた。川が海に流れ込んでいて防波堤が伸びていたので、よく遊びに行ったり、魚釣りのおとなについて行ったりした。けれど経済の発展とかで船を入れるため川の改修があり、あっという間に砂浜はなくなり、生き物がいなくなった。その海は遠くになっていきたいとも思わない。私の記憶だけにある幻の海になってしまった。海に限らず自然が失われてしまうのは、自分が人間らしくなくなるようで不安だ。
 5月の連休も後半、海に出かける人も多いと思うが、5分静かにじっとしているといろいろなものに会えるとのこと、きっと楽しい出会いがあると思う。

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学ぶことの楽しさ

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みんなの「生きる」をデザインしよう
菊地信義
白水社 本体1800円



本を選ぶとき装幀や挿絵がすごく気になる。本屋、しかも子どもの本の専門店ならば当然のこと、自分自身の選書だけでなく、子どもたちと接していて、意外と子どもは内容だけでなく、全体の感じを気にするからだ。一部のおとなの思い込み、色のあるものが良いとか、かわいいものが良いとか、おとなは気にするが子どもの判断はかならずしもそうではない。色彩でいうと、確かにあまり暗い感じのするものには手を出さない。けれど、意外と地味なものを受け入れる。なんといっても興味のある内容、読みやすさが一番だ。私自身は本の装幀にはこだわるほうで、どちらかというとシンプルな本が好き、アニメっぽいものは嫌いだ。アニメはアニメでみれば良い、本は本らしくと思うからだ。
 この本は私の好きな装幀家が母校の小学校でした授業の記録が書かれたものである。「生きる」という谷川俊太郎の7行の詩の表紙を子どもたちにつくってもらう、そのなかで本を読む意味をつかみ取ってもらおうとしたものだ。もともとはNHKの「課外授業ようこそ先輩」をもとに書かれたので、ところどころにデレクターとの会話がはいっている。27人の子どもたちと、まず図書室で自分の見た目で好きな本を選ぶことから授業がはじまった。自分の好きな文字で遊んだり、文字のおもしろさ、書体などのデザインのはなし、でも著者は言う、「この二日間で大事なのは装幀のトレーニングではない。この子たちが詩のイメージをつかんで、そのイメージをことばにして、そのイメージを文字の形やいろにする。それが大事なのだ。ー本文P99ー」「ぼくは装幀という表現を、人々のコミュニケーションのひとつの回路として意識している。ー中略ー自分のイメージを自分の言葉でコミュニケーションをはかる。その持続こそが、生きる、ということだと思う。ー本文P88ー」著者はひとつひとつ、ひとりひとり対話をしながら丁寧に子どもたちとの授業をすすめていく。ところどころに書かれている著者自身の子どもだった頃のこと、子どもたちの放課後や帰り道や家庭でのおしゃべり・子どもたちのつぶやきには、学ぶことの楽しさがあふれている。
 もう一度「学ぶことの意味」を考えてみたい一冊だ。


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