映画・アニメ・コミック

マンガ「暁星記」

壮大な失敗作(?)マンガ『暁星記』

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 菅原雅雪の『暁星記』(講談社モーニングコミックス)が8巻で完結しました。99年から08年まで9年がかりです。暁星は、明けの明星の事だそうです。マンガは以下の文章で始まります『白く輝く花のように天蓋を覆う鏡の太陽…その口から大量の水を吐き続ける岩の巨人…樹高千メートルを越す巨大な森の上空にそびえ立つ風船蔓は、今も大気を浄化し続けています…ここはかって金星と呼ばれた世界…数十億年もの間灼熱地獄だったこの惑星を、人類はたった3世紀で造り変えてしまいました…しかしその後の1万年の歳月とこの惑星の圧倒的な自然は、取り残された人間たちから、かっての叡智を奪い去るに十分なほど、過酷だったのです』
 生き残った人間たちは、この森の樹上・樹冠に虫の様に登って暮らしています。いや普通の大きさの人間なのですが、樹も虫も大きすぎるのです。なにしろ樹の枝の上を、人間が街道がわりに行き交い、虫を大型獣として狩るのです(もちろん普通の大きさの昆虫もいますが)樹の幹を、東四が一、南四が一、のように四区分し、それぞれの区分の枝々に人間の村々があるが、その幹自体が、樹の枝の1本にすぎなかったという、とてつもない大きな樹々の森なのです。虫やリスと違い、人間には木登り用の爪は無いのですから、街道の枝を踏みはずせば即、奈落に落ちます(もっとも、地獄まで落ちる前に、どこかの枝に引っ掛かるのでしょうが)…という立体的な、ビジュアル向きの世界です。        

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映画「そして、私たちは愛に帰る」

 昨日は一日店で残務整理をして、今日は朝から台所を磨こうと?張り切ったものの、お昼過ぎにには疲れてやめてしまった。後は明日にしょう!それで、思い立って映画をみにいった。

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 「そして、私たちは愛に帰る」フェティ・アキン監督の映画だ。タイトルはあまり良いとは思わないけれど、人と人を繋ぐものは一体なんだろう、私にとって今年は特に親子の愛情にいろいろ考えさせられることが多い一年だった。
 ドイツで暮らしている初老の男が売春婦を買う事から物語ははじまる。彼はそばにいてくれることとセックスをする事を条件にお金を払うから一緒に暮らして欲しいと女にいう。男には息子がいて、女には娘がいて、2人とも子どもには教育を受けさせて恵まれた生活をして欲しいと思っているが、男の息子ネジャットは大学の教授になったが、粗野で売春婦を買うような父親を理解できないし、娘を教師にしたいとおもっている(そのためにウソをいって体を売ってお金をかせぐ)のに、娘アイテンはトルコの反政府運動の活動家になっている。捕まりそうになり逃げ、ドイツに不法入国して食べることも寝る所もないのを救ったのはいきずりのドイツの大学生ロッテだった。2人は女同士の恋におちる。ロッテの母親スザンナはアイテンのことを快く思っていないし、ロッテの気持ちをわかろうとしない。ロッテは不注意からトルコに強制送還されたアイテンを救うべく、イスタンブールに行き偶然ネジャットの部屋をかりることになる。奔走しやっと会えたのもつかの間、ロッテはアイテンの組織にまきこまれて命を落としてしまう。ロッテが生前手を貸して欲しいと懇願したのに拒否してしまった母親スザンヌは、娘の意思をついでアイテンを救うためにイスタンブールにしばらくいたいとネジャットに申し出る。そして、スザンヌと語り合ううちネジャットは父親の愛情に気づき会いにでかける。
 愛を分かち合うこと、逆に隔てるもの、国、思想、言語、宗教、そして死、3組の親子を通じて、トルコとドイツを舞台に運命的な出会いと別れがくりかえされ、最後の海辺でじっとすわって父親と会うことを待ち続けるシーンは多くのことを無言でうったえている。
 今年はいつにもまして、映画を見る機会があった。芝居をみたり音楽会にはとうとう一回も行くことがなかった。細切れの時間しかとれない私には映画は貴重な場になっている。2009年もそんな時間は大切にしたい。
 

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メイドマンガはオタクを越えた?

メイドマンガはオタクを越えた?
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 森薫(もり・かおる)のマンガ『エマ』(エンターブレイン刊)は、完結したのでしょうか? 7巻で一旦エンドマークが出たのですが 8,9巻とエピソード編が出て、10巻目の続編も出ています。でも雑誌「フェローズ」で別な連載が始まったから、たぶん完結したのでしょう。
さて、『エマ』はメイドマンガです。宮崎駿がオタクアニメの頂点に立つように(悪口でなく、裾野の広さに頂点が支えられてると言う意味です)、メイドマンガの頂点です。と言っても、作者が男だったらオタクでしょうが(女でもオタクか)、彼女はメイドへの興味にとどまらず、その背景社会へ広汎なアプローチを試みます。             
 作品は、こう始まります『19世紀末、英国ロンドン。産業革命による変化と革新の時代−、そして古い生活習慣と階級社会も、まだまだ根強く、依然として道には馬車が行き交っていた時代−』。メイドと新興財閥の息子のラブストーリーです。使用人と主人の身分の違い、そして新興財閥と貴族の階級対立。でも作者の興味は、そういった社会で生きている人間そのものにあります。読者へ説明する必要から背景に触れてますが、貧乏を憤るのでなく、そのクラス(階級)クラスの、こまやかな生活や楽しみを暖かく描いています。7巻で主人公は言います『私は昔、花売り娘をしていました』花売り娘とはストリート・チルドレンのことです『すべて教えて頂いたことです。運よく、お優しい方に拾って頂いて、歩きかたから言葉づかいまで。メイドとして働くために、何が必要か−』主人公は、寒村で親に死なれ、親戚に邪険にされていた所、人さらいにロンドンまで連れて来られ、逃げ出したのです。これでもかと言う境遇でも、彼女は誠実で控え目で優しく成長します(まるで日本女性の鑑ですね)魅力的で、感情移入しやすい設定です。そして10巻で無事ジェントリーと挙式します。
 当時よくあったロマンス小説、それをマンガで描いたのですが、作者は階級への偏見がありません。貴族でもメイドでも労働者でも、それぞれの視点で描けています。ですから英国人が描く以上の英国社会の概説書になっています。作者の興味は、社会学者のそれに近い。いや、人間と動物を同時に見る生態学者に近いかもしれません。と言うのは 9巻で、逃げ出したペットのリスの視点から描いた短編があるからです。動物マンガの傑作です。
新連載の『乙嫁語り』を見ても、そう思います。19世紀の中東カスピ海周辺が舞台です。まあよくも面倒な所を選んだものです。民族学的な資料を調べてる時が、いちばん楽しいタイプですね。少年の所に嫁った、遊牧民の年上の嫁。すでに、ウサギを狩り、殺して料理する所まで、しっかり描いています。
とにかく『エマ』は10巻まとめて読んでも、お徳用ですネ。
                   (高橋峰夫)


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ファンタジー映画について

  良質のファンタジー映画〜『スパイダーウイックの謎』

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ファンタジー映画は食傷気味です。『ハリー・ポッター』から『パンズ・ラビリンス』『テラビシアに架ける橋』まで守備範囲も広がり過ぎ、もうたくさんという気がします。なるべく見ないようにしているのですが、この『スパイダーウイックの謎』はひさしぶりに、子供や家族連れで安心して楽しめる映画になっています。                    
1.どんな映画か.
ストーリー設定は単純です。離婚してニューヨークを離れた母親といっしょに、実家の遺産の古びた屋敷に越して来た3姉弟。そこで見つけた、博物学者スパイダーウイック手書きの『妖精図鑑』。それには妖精の秘密のすべてが書かれていて、それを手に入れ、全妖精の支配と殺戮をたくらむ、鬼の親玉マルガラス。彼とゴブリン達に命を狙われた3姉弟は、図鑑と家族を守るために戦います。
 ていねいな映像、CGで描かれ、そんなに気味悪くない妖精達、ホームドラマの守備範囲に納まった映画です。スピルバーグの『グレムリン』の系列なのに、ディズニーの実写映画を想わせます。原作はホリー・ブラックとトニー・ディテルリッジの『スパイダーウイック家の謎』全5巻(文溪堂)で、私は読んでいません。ただディテルリッジのマジック・ザ・ギャザリングのカードには私の子供たちも凝っていました。
 つまりこれは、児童文学界の童話の、映画化というより、ゲーム界の映像作家の童話の、映画化となります。製作総指揮も、原作の2人です。もともと映画化を視野に入れた童話なのです。そして先程も触れたホームドラマの守備範囲、この2つが映画の成功の原因です。
2.ファンタジーを映画にした時の違和感.
 なぜこんなことを言い出したか。『指輪物語』や『ナルニア国ものがたり』を読んだ時と、その映画を見た時のギャップがあるからです。映像化すると、やたらと戦争場面が大掛かりになって目立つ。大人の鑑賞にも耐える原作では、1本の映画に納まりきれない。ということもあるでしょう。
 では今までのファンタジー映画の違和感は何なのか?
『スパイダーウイック』は自分と家族を守るための冒険です。アメリカ映画の王道であり、映画館でみんなで楽しめます。
『指輪物語』の本『ナルニア国ものがたり』の本は、ひとりで読むものです。愛読者の間では、本の話題も出るでしょうが、本来、自分だけの密やかな楽しみです。しかも本の内容は、全世界の救済です。
自分が英雄で選ばれた人間だと想像するのは、楽しいけど気恥ずかしいものです。ほとんど妄想の世界ですが、本を読みながらあれこれ思索するのは、得がたい体験です。読書の意義もそこにあるのでしょう。でも自分の考えや感情を、公衆に明らかにするのは別物です。ファンタジーを映画にすると、妄想をさらけ出したような気恥ずかしさになります。最初からエンターテイメントの映画とは違うのです。読書という隠微な楽しみは、映画にしてはいけないのです。世界征服を口にするとオタクになってしまうのです。『スパイダーウイック』のような愛する人と家族を守る冒険が、ファンタジー映画としてはちょうどいいのです。観客が一体感を持てるし、気恥ずかしくもありません。
 ということでナルニアはもう、映画にしなくていい。でもまた見に行きそうです。そしてまた悪口を書くかもしれませんネ。                      
   (高橋峰夫)


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映画「歓喜の歌」

立川志の輔を見直す〜映画『歓喜の歌』
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 落語が映画になるとは思いませんでした。創作落語で活躍する立川志の輔、彼の『ダブル・ブッキング』が、映画『歓喜の歌』になりました。                    
 ママさんコーラス2グループが、某市民ホールでの発表会を申し込みます。半年前の受付、希望日は大晦日、ところが市民ホールの主任が、大晦日同時刻で2グループ入れてしまいます。それに気付いたのは、暮れも押しせまった頃、チケット購入者に早く来い、遅く来いと言えるわけがないのは、両者も同じ。時刻が譲れないなら、唯一の手段は、合同発表会。そこに至るまでのドタバタ喜劇、そして最後は大成功・大感動の発表会。
 主役は主任です。これがいかにも公民館などに、いそうなタイプ。やなヤツ(民間会社にも、私達のまわりにもいますが)。落語だと、志の輔ひとりの顔を見続けているので、よけい感情移入して憎らしく見えます。とても映画の主役にはならないと思っていました。ところが映画だと、意外と愛嬌が出てきます。ひとり芸と群衆劇の違いでしょうか。
 映画では、ママさんひとりひとりの日常生活が、ていねいに描かれています。サークルにはサークルの苦労があります。でも、大変な練習もそれなりに楽しいし、人前でやると緊張しても、観客の反応は嬉しいものです。コーラスも、おはなし会も同じですね。もっと言えば、演劇でもコーラスでも、観客にまわるよりも、演じるほうが面白いのです。
 あの落語を2時間の映画にして、破綻しません。かえって厚みが出ます。と言うことは、落語の骨格がよほどしっかりしているのです。落語でのアクの強さ説教くささが、映画では俳優それぞれのコクになっています。落語のオチでは、主任の無神経さを遺憾なく発揮していますが、映画では、腹立たしさをなだめられます。
 それにしても、映画のママさんコーラスの、歌のうまいこと(もっとも、ママさんなのかプロなのかはわかりませんが)。 題名の歌をはじめ、みんなの知っている歌がたくさん歌われます。その中のひとつ、『竹田の子守歌』は名曲です。ただ、悲しい『守り子歌』を、病気の子に歌ってやるのは、そぐわない気はしました。 (高橋峰夫)

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映画「アース」を見て

 宇宙の視点から見た『アース』
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 記録映画『アース』を見てきました。「地球」の自然と動物を撮影したドキュメンタリーです。北極の白クマに始まり、ツンドラ、タイガ、熱帯、ヒマラヤの鳥たち、サバンナの象、南極のペンギン、そして海のクジラまで出てくる本当にきれいな映画です。こういう画面を見ていると、どうやって撮ったのか気になります。フィクションやCGならどんな画面でも作れるでしょうが、実際の映像となるとカメラマンの視点(立ち位置)がいります。どの動物ひとつをとっても、それぞれの映画を作れるくらいの大変な手間ひまが掛かっているのでしょう。それの総出演ですから、テレビの総集編のような感じです。貴重な映像もたくさんあります。ただし初見ではありません。どこかで見た場面が結構あります。と思ったら、やはりBBCの制作でした。考えてみれば、映画1本を作るためだけに、これだけのフィルムを撮り溜めるのは不可能です。その都度テレビ番組として放送できたから、手間を掛けられたのでしょう。ですからこの映画の観客は、大型テレビを持っている世代、つまり定年後の人達が(しかも夫婦で来てるのが)多いようでした。
 さて、その都度の放送や、シリーズ放送なら、1回ごとのテーマやメッセージを出せますが、この(総集編)映画では、どんなメッセージが出せるでしょうか。地球を“大切に”というメッセージは出ていますが(我々は神か!?)
 この映画の象徴となった(氷が早く溶けたため)海を泳いでいる白クマの映像には「地球温暖化がこのまま進めば白クマは早晩、絶滅する」という渡辺謙のナレーションがかぶさります。しかし気候の変動は過去に何度もありました。しかも今は氷河期(間氷期ですが)ですから、恐竜の時代よりずっと寒冷です。間氷期の中でさえ、縄文時代は今より数度暖かく、縄文海進で日本沿岸は水没してました。もちろん縄文海進であれ、その後の海退であれ、当時の人間や動物には甚大な被害があったでしょう。しかし(人間への被害はおいといて)それが即動物の絶滅につながったとは限りません。それは環境適応力の問題です。白クマでいえば、絶滅以前に、すでに絶対数が減りすぎてます。ですから温暖化の影響をもろに受けるのです。
 といっても元に戻らないのであれば、白クマを助けるには、温暖化を止めるしかないのも事実でしょう。ただ私は、温暖化の影響は、人間と動物では区別する必要があると思います。この映画の魅力はなんといっても、動物の生態であり、自然の美しさです。監督が、この映画が地球温暖化を考える第一歩になれば、と願うのはわかりますが、観客がそこまで行くでしょうか。なんでも温暖化が悪いで解決するのでしょうか。観客がもう一歩進むには、もっと詳しいメッセージと、情報収集の観客の努力が必要でしょう。(テレビ番組では、やってるのでしょうが)
 とにかく、観客が神の視座から降り、我が身に引きつけて考える、その一歩にすべきだと(自戒を込めて)私も思います。(高橋峰夫)

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大人向けのファンタジー映画 その2

「 スターダスト」
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 さてもう1本は『スターダスト』。楽しい映画です。主人公は、18歳の青年、ラブロマンスの大人向けファンタジーです。実は私は映画の前に、原作を角川文庫で読みました。映画の公開に合わせて出版されたのですが、訳者が金原瑞人・野沢佳織なので手に取りました。原作者はニール・ゲイマンで、アメリカ漫画『サンドマン』の原作者だそうです。私は見てないので、どんなコミックか知りません。ともかく訳者はゲイマンの他の作品も訳してるらしく、金原の惹句は「『ハリー・ポッター』は子供向けだけど、大人も楽しめる。『スターダスト』は大人向けだけど、子供も楽しめる。この違いは大きい!」です。
 原作が好きか、映画が好きかは、好みの別れる所ですが、私は原作です。イギリスの昔話や伝説を巧みに取り入れ、『ハリー・ポッター』などより正統的なイギリス・ファンタジーに仕上がっています。映画は、長い原作の前半を大胆にカットし、すぐ核心に入ります。空から落ちてきた流れ星(実は女の子)を、恋人のために、無理やり鎖につないで連れて行く身勝手な主人公、女の子の心臓をえぐって不死の命を手に入れようとする魔女2組、女の子の持つ宝石を追いかける7人の王子(と言っても、追いかけるのは生きている王子で、死んでいる王子達は幽霊になってついて行くのだが)と、4方向から集まってくる人達の、追い追われつのストーリーが最後は見事に収束します(原作とはまた違った収束の仕方です)。CGの使い方のユーモアとウイット、幽霊の王子の狂言回しの台詞と、笑いどころも満載です。途中で飛行船が出てきます。原作では冒険家ふうに描かれていますが、映画ではもっとふくらませて、海賊の集団になっています。飛行シーンなども、まるで『天空の城ラピュタ』のドーラ一家です。 ニール・ゲイマンは『もののけ姫』全米公開版の英語脚本を担当したそうで、『スターダスト』の宣伝で来日した時は、スタジオ・ジブリも訪問してるそうです。原作者も監督も宮崎駿のファンだそうで、「宮崎映画の実写版」という(アメリカでの)評もうなずける面があります。                            
   高橋峰夫

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大人向けのファンタジー映画 その1

  「パンズ・ラビリンス」
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 最近やたらとファンタジー映画が増えました。どれを観るか迷いますが、大人向けのを2本。まず『パンズ・ラビリンス』。ただ、これをファンタジーと呼んでいいのかどうか。というのは、主人公の女の子は、魔法の国に行きません。行く前の3つの試練の最中に死んでしまうのです。現実世界は苛酷です。舞台はスペイン。フランコの軍事政権に人民戦線は破れ、ゲリラの残党狩りの渦中。映画の描写はリアルです。残酷描写がバンバン出て来ます。はっきり言ってこれは子供向けの映画ではありません。でも子供も見に来ています。きっと夜中にうなされてるでしょう。責任は映画の宣伝と映画評論家にあります。評論はベタ褒めです。大人の観賞に堪えるからでしょう。でも子供には残酷すぎるとはどこにも書いてません。さすがに途中からPG−12の指定が入りましたが。でも映画館の入り口には書いてありませんから、何も知らない親子づれが入っています。
 スペインではこの映画は、どのように受け入れられているのでしょう。映画で描いているのは、スペインのどこにでもあった現実です。日本の原爆の映画や、『はだしのゲン』や丸木夫妻の『原爆の図』のようなものでしょうか。『はだしのゲン』や『原爆の図』をこわがる子は、たくさんいます。でも現実にあった事ですから、子供たちに見せています。とにかく『パンズ・ラビリンス』は、どこの国の何の戦争か知らない子供に見せるのは無理です。     
 スペインでは内戦の映画はたくさん作られています。それとファンタジーをつなげた新しい完成度の高い映画ですが、でもファンタジーの必然性は?
 『ナルニア国物語』が映画になった時、私は原作を読み直しました。子供の頃『ナルニア』の新刊が出る度に、わくわくして読んだ事、ついに最終巻が終わって寂しくなった事は覚えています。でも最後の場面はすっかり忘れていたのを、思い出しました。「最後の審判」で神の国に入る主人公の家族は、現実世界では交通事故で死んでいるのです。日本にも極楽往生の考えはありますが、イギリス人はもっと積極的・現代的に生きてるものと子供心に思っていました。作者は神学者ですし、イギリス人はキリスト教が精神的支柱なのでしょうが、でも子供の私は気持ちの整理がつかず、居心地の悪い気分だった事まで思い出しました。
 『パンズ・ラビリンス』の主人公は、死んでから魔法の国に行けたのです。現実世界が苛酷なのでしょうが、でも何も知らないで映画を見た子供たちは、私の子供の時のような居心地の悪い気分になったでしょう。運悪く映画を見た日本の子供たち。でも私のように、大人になってから、何かの拍子に思い出すかもしれません。その時には少しは気持ちの整理がつくでしょう。そうすれば、あの時映画を見てよかったと思えるかもしれませんネ。
      高橋峰夫

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