2008年6月28日 (土)

富安陽子さんの講演

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 朝いつもの時間に店に出かけていく途中、千葉高校の坂の林で2羽の鳥が騒いでいた。すぐに1羽は追い立てられて、残った一羽がチィチィと鳴いている。シジュウカラが大きなイモムシを捕えて、運ぼうとしていた。この間は見たからにまだ子ガラスが道の真ん中にいて、そのまわりをおとなのカラスが鳴きながらバタバタとしていた。見る間にかなりのカラスが集まって来て近くの電線や木や屋根の上、きっと巣立ちの途中でなにかトラブルがあったのだろう。見ているのがなにか悪くて、そそくさと離れてしまった。今日のシジュウカラはしばらく見ていたのだが、私の気配で飛んでいってしまい、10センチほどの丸々としたイモムシだけが残った。私がいなくなればもしかして、シジュウカラは餌に戻るかもしれないとそこを離れた。
 
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 今日は富安陽子さんの講演を聞きにいく日だ。もちろん本屋として本の注文を取る仕事もあるけれど、ファンの私は話を聞くのが楽しみだった。エッセイ集「さいでっか見聞録」(浅倉田美子・絵/偕成社刊)を作者に直接話してもらったような話だった。東京生まれで、大学も東京だけれど、富安さんはやっぱり大阪人だ。取り澄ましたところがない、肝をひやすことや困難なことがあってもへこたれず楽天的、でも、なかなかの繊細な心はしっかり子どもたちをみている。普通の子どもがちょっと日常とちがう世界をみて、大切にそれを持ち続けていく、そんな子どもが富安さんの作品にでてくるのが私は好きだ。児童文学の作家として、そのことを書き続けていくのはとても困難な時代になってしまったけれど、富安家にはおばあさん、おとうさん、おばさんと伝わってきたようだ。偉大な嘘つきの家系かな?会場の笑いのなかに富安さんの声が響く。「わたしにとっていつも、物語は遠い世界のできごとではない。物語はいつだって、にちじょうのなかから始まり、日常とともにある。いまでも、そしてたぶんこれからもー。」(さいでっか見聞録・あとがきより)そう、誰でも自分の物語をもっている。ときには、他の人の物語を聞いてみよう。そのなかから新しい道が発見できるかもしれない。その道はいつもすぐそこにあって、だれでも入っていけるものなのだ。

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2008年6月 4日 (水)

幼い子どもに昔話を語るということ

 おはなしに向く本〜『よみたい ききたい むかしばなし』
  (1)(2)中川李枝子(のら書店)〜をめぐって

1.本で覚える昔話
「昔話とは何か」...と、こう書き出しても、むずかしい事は私にはわかりません。「むかしむかし・・・」と年寄りが、家族や子供たちに語り継いだ口誦文化、といったイメージでしょうか。
 さて、昔話を子供に話している私達でも、耳から覚えた昔話は、いくらもありません。みな本で覚えます。いい本もいっぱいありますが、ひとつ問題があります。覚える本によって「語り口」が違うのです。私はなるべく本のとおりにやります。聞き手もいろんな語り口が楽しめますが、私が話すのですから、私の語り口に統一したい気もします。
 2.本と語り口
本にも二通りあるようです。1話ごとに語り口がちがうのは、研究者の採話した本に多い。また文学者の再話した本には、語り口の統一されたのがあります。松谷みよ子、木下順二などに多いようです。本の作者としては当然だと思います、その本からいくつか覚えるのですから、私の語り口に直してもいいと思いますが。
 3.口誦と文字
さて最初に「口誦文化」と書きました。しかし、その民族が文字を知ってからは、純粋な口誦は無理です。記録される価値があると思われたものは、昔話も史実も文字になるからです。奇談・怪談もそうです。しかも文字は「書き言葉」で書かれてるので、本を読んだ人はそれを、自分の「話し言葉」に直して人に話します。
 「話し言葉」のまま、文章がつづられる様になってはじめて、「語り口」の採話も出来たのです。それは画期的な事です。研究も飛躍的に進んだでしょう。(話し言葉と書き言葉の乖離や、完全な言文一致の問題は、むずかしいのでやめます)
 4.研究のための語り口と、変えられてきた語り口
でも、昔話を本から覚える人は、江戸時代にもいたでしょう。口誦されてきたとは限りませんし、語り口も話し手の一代かもしれません。我々の知っている『桃太郎』だって『浦島太郎』だって、教科書にのっていたものですし、『聴耳草紙』にのっている『大工と鬼六』だって、外国の昔話です。私達は、目の前の聞き手を楽しませるのが目的ですから、語り口は自由でいいと思います。(なおわかると思いますが、「語り口」は「口調」より広い意味で使ってます)

 5.『よみたい ききたい むかしばなし』

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 しっかり中川李枝子の語り口の本です。では具体的に、その理由を見てみましょう。と言っても、私が分析する必要はありません。著者が「あとがき」で余す所なく述べているからです。
 著者は、父親の昔話を聞いて育ったそうです。4つしかないレパートリーでも、自己流でも、いつもおもしろおかしく、語り手は陽気で、語り口には独特のリズムがあったそうです。戦時中で、子どもの本もテレビもない時代とはいえ、昔話で茶の間に、笑い声があふれたのは、幸せな体験でしょう「(昔は、)昔といっても戦争前のことで、お菓子や、きれいなものがたくさんあったんですってーと興奮しました」という時代でもです。小2の時、岩波文庫の『グリム童話集』が好きで、覚えて、友達にお話ししていたそうです。
 6.子どもが喜ぶお話
「子どもが喜ぶのは、まずお話の入り口がきちんとして、まごつかないで入っていかれること、お話が目に見えるように具体的に書かれていること、次にどうなるか、何が起こるかと期待させること、リズムとユーモアも欠かせません」まさにこれが、この本の目的であり持ち味なのです。とんとんと小気味よく進むストーリー。運がいい話と言われても、中川節と言われても気にしません。でも著者も、昔話コンプレックスがあったそうです。幸せな体験といっても、少ない、昔話とは無縁の生活とも言えます。
 7.保育園へ行く頃の幼い子のために
その著者があえて書いた、保育園へ行く頃の幼いの子のための昔話です。本来、昔話は小さい子向けには出来てません。小さい子向けのテキストは少ない、手を入れないと使えない。そんな時、名だたるストーリー・テラーが編んでくれた昔話集です。私はこれで、小さい子向けのレパートリーが一気に増えました。小学生になれば、もっと違う語り口で話してやれます。方言でも、わからない言葉があっても大丈夫です。方言を勝手にかえたっていいんです。私は福島弁しかできません。何をやっても結局福島弁になります。それでも標準語より味が出ます。聞き手に合わせて、使い分けられます。その前に、小さい子の望んでいる昔話をしてあげたい。
 「たとえ恐ろしい目にあおうとも、決して泣いたり逃げたりするものですか、主人公は元気いっぱい、勇気りんりん、気はやさしくて力持ち、いつだって強いのですから」
これが、小さい子の望んでいるお話です。   
(子どもたちにお話を語る者として 高橋峰夫)

この本は1巻目が2007年12月9日、2巻目は3月8日にこのブログで紹介しています。

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2008年6月 1日 (日)

中村哲さんの講演会

Booklets


「アフガニスタンで考える
 国際貢献と憲法九条」
 中村哲
 岩波ブックレット 本体560円 



「アフガンの地から平和憲法を考える」ペシャワール会の代表中村哲さんの講演会に行ってきた。私はこれまでにも幾度か「えるふ通信」で取り上げた事があるが、だいぶ前からペシャワール会に入っていた。といっても、何をしたわけでもなく、中村さんの本は読んではいたけれど、直接お話を聞いたのも今日が初めてだ。関心を持った最初は医者がアフガンで井戸掘りをしている、その井戸掘りの技術が上総井戸掘りだということだった。募金をあつめ、先進国からいろいろのものを輸入して支援するのではない、できるだけ自分たちの力で自立していくように考える、その考え方に大きく共感した。以前神戸の震災のとき、本を寄付してくださいというのでなく、机の片隅にねむっている図書券を寄付して欲しい、それは経済復興のもとになるからという呼びかけに賛同して呼びかけて集めて送ったが、その時だけお金を集めて送るのではなく、こういうことこそ支援なのだと思う。お金などを寄付をするのはとかくそれだけになる、残されるのは、そこで生きていくのはそこの国民だ。
 憲法の話というより、私たちのすることが、たとえばアフガンの人びとにどんな意味があるのか?先進国の考え、発想ですすめてはならない。いま、アフガンの人たちがほんとうに欲しているものはなにかを考えなければならない。そして、アフガンの人たちが日本をどんな風に思っているのか?たとえば、復興支援という日本の今していることはどういうことなのか?そんなことをユーモアを交えてゆっくりと話された。「時間いっぱいに話したい、休憩時間はいいからその時間も皆さんの質問に答えたい」、その熱意のある話とエネルギーはどこからくるのか・・・質問に「私は古い男なので、かっこ悪いことになりたくない」。じつをいうと同世代の私にはその言葉にうなずける気持ちがある。一緒にいった高校生たちも考えるところの大きかった講演だったと、終わった後の感想だった。(若い人たちが少なかったのは残念だった。)
 サイクロンや地震の復興支援、各々私たちもできることをしていかなければならない。もちろん、日本は軍備をもって他国にはいかない、憲法がその約束を守っていることが前提なのはいうまでもない。
 ハンセン病の医者としてアフガンに行ってたくさんの病人、とくに子どもをみて、薬の前に水と栄養=食料、そのために3000本もの井戸を掘り、大地を潤す灌漑用水の土木工事をする医者、この力強い話を聞いて良かったと私は思った。
 

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2008年5月17日 (土)

お話で「なめとこ山のくま」

   ストーリーテリングの魅力〜『なめとこ山のくま』
                      
 好きなおはなしだが、なぜ好きか、その理由がわからないものがあります。かこさとしの『どろぼうがっこう』(偕成社)もそうです。絵本でも、おはなしでもやります。(宮沢賢治の『狼森と笊森、盗森』と関係ある、と聞いたことはあります)
 宮沢賢治の『なめとこ山のくま』もそうです。おはなしの表現の、参考になるかと、なぜ好きなのか考えてみました。作品は6つの話(段落)からなっています。第2の話と第5・6の(ひと続きの)話は、冬のシーンです。私は雪国育ちなので、寒いのは嫌いですが、凍った世界はとても魅力的です。冬のシーンがあるから、おはなしでやるのです。くまが口をきいても気にしません。賢治独特の表現も魅力です。でもそれだけでもないようです。賢治の童話を「法華童話」とも言うそうです。この作品は、殺生がテーマなのでしょう。猟師の現実や、考え方はもっと違うものでしょう。それを透き通った、くまと小十郎の世界に昇華するために、第3話で、くまの皮を町に売りに行く、小十郎の説明をしています。
 第1話の構文は複雑です。なめとこ山の描写を3回たたみかけています。「なめとこ山は大きな山だ。と次の文」「なめとこ山は一年のうちたいていの日は、と淵沢川」「中山街道から大空滝までの描写」と、映画のカメラを後ろへ引いていくように、同じ山を3回描写しています。それに、くまの文を付け、小十郎を付け、「くまは小十郎をすきなのだ」と付け、犬を付け、小十郎のむすこ夫婦の死を説明するというように、先の文が、次の説明に自動的につながるような構文になっています。
 このように、小十郎の状況証拠を積み重ねるような、描写を見ると(どういう形で発表されたか分かりませんが)はたして完成稿なのか疑問が出ます。私は岩波版の童話集Åッ『風の又三郎』所収で覚えました。
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 (岩波少年文庫「銀河鉄道の夜」)
天沢退二郎さんに聞いたら、この岩波版の底本はわからないそうです。ただこの未整理(?)の『なめとこ山』は逆に魅力的なので、他本との異同を調べる気はありません。たとえば、母くまを「おっかさん」とよんだ次には「おかあさま」と出てきます。どちらかに統一して、はなしたこともありますが、しっくりきません。賢治でも統一に至らなかったのでしょう。
 第5話の、糸を紡ぐばあさまと、うまやもそうです。第3話で「布にするようなものはなんにもできなかったのだ」と断ってますし、「まるで少しの畑」なら農耕馬はいりません。ただ、この短い第5話は、6話で小十郎が死んで残された者を、暗示する大事な部分です。聞き手は、瑣末な事は気にしないでしょう。
 このように意余って未整理な文章、あれもこれもと入れて、未完成な作品、そのあふれるものが、『なめとこ山』の魅力なのです。私も端から端まで好きなわけではありません。聞いてほしい部分があるから、おはなしでやるのです。話すときに、いらない所はさらりと流します。おはなしではそれが出来るのです。昔話だって、話し手によってまちまち、矛盾だらけの文章です。でもそれを越えた所に昔話の楽しさがあるのです。
 というわけで『なめとこ山』は、おはなしに向く作品です。覚えられなければ、声に出して読んであげて下さい。
  (高橋峰夫)

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2008年5月13日 (火)

中村哲さんの講演会

講演会「アフガンの地から平和憲法を考える」
ペシャワール会現地代表 中村哲さん
6月1日(日)13時30分〜
千葉県教育会館大ホール
参加資料代1000円
 (高校生以下無料)
主催 中村哲さんと平和憲法を考える千葉市実行委員会
連絡先 043-227-6363
 
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この本の外にもたくさんの著作のある中村哲さんは本業は医者、それとアフガン難民のための支援事業で病院の建設をはじめ、井戸掘り、用水路作りで活躍されている。
私がこのペシャワール会に関心をもったはじめはもちろんイラク戦争、アフガン戦争その他の戦争での難民、特に子どもたちの様子だった。アフガニスタンで20年も医療活動と命の水の確保のために井戸掘りと用水路を拓いているのがお医者さんというのに興味をもった。そして、真の難民活動はその国の人たちの自立なくしては成り立たない事を思った。それも援助物資だけにたよるのではなく、現地で作れるもの、使えるものを中心にすえて行動して行く考え方に深く共感した。
アフガニスタンはかっては緑豊かなところ、交易の場でもあったところだという。用水路を造るにあたって使った方法が千葉と関係の深い「上総井戸掘り」だったこともとても興味深いことだった。そこで暮らしている人がそこにあるものを出来るだけ使って事業をおこす、必要なのは兵器や兵士ではなく、あの豊かな大地を自分たちの力で取り戻していく、その考え方に共感をもちます。
 

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2008年5月12日 (月)

文化は継いでいくもの

 国際児童文学館の存続を
 作家であり評論家のひこ・田中さんから毎日のようにメールがはいっています。メディアからのニュース配信でご存知の方も多いと思いますが、「大阪国際児童文学館」の存続が危うくなっています。今回は2度目で前回もおおあわてで署名をしたことを覚えています。近年の効率主義のなかで財政難ということで眼に見えて効果のあがらないものは切り捨てていくということが多くなりました。これを機会にわたしたち自身も考えてみましょう。私たちは子どもたちになにを伝えようとするのか!
 ひこ・田中さんのメールを掲載します。

 もはや、オオカミ少年状態ですが、署名用紙の提出予定日が延びましたのでお知らせいたします。
提出が19日以降となりましたので、十七日をめどに送ってくださっても大丈夫です。日本書籍協会(出版社の団体です)は、五月一日に、副知事に面談し要望書を提出し、意見を述べました。以下、その内容をお知らせいたします。
 児童文学館がどのようにして維持され、発展てきたかがわかります。
 ブログなどで紹介していただければ嬉しいです。(ひこ・田中)

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2008年5月1日

 国際児童文学館の存続について                社団法人 日本書籍出版協会

● 日本書籍出版協会(書協)について
・日本を代表する出版社団体。1957年3月創立。現在会員472社。
・出版事業の健全な発達、文化の向上と社会の進展に寄与することを目的とする。
● 書協と国際児童文学館との関係
 協会所属の出版各社は、国際児童文学館の趣旨に賛同し、開館以来24年間、発行図書の寄贈などの支援を行い、その発展に尽力してきました。
会員出版社 約250社が 図書・雑誌 約8,000点(年間)を寄贈
【参考】年間収集資料点数 約15,000点うち寄贈 約9,000点(約2,100万円相当、出版社・個人・機関)
<寄贈について>
・出版社がこのような形で寄贈しているのは、全国で国際児童文学館だけです。
・図書館には、寄贈していません。
・存続されるならば、引き続き、協会を挙げて支援させていただきます。
 <理由>
国際児童文学館は、図書館と大きく異なる機能と役割を持っている。
・資料は、児童文化財として、発行したままの姿で保存、次代に引き継がれる。
・資料を元にした研究は、出版社にとっても参考になる。
・寄贈した資料は、子どもの読書活動推進に活かされている。それは、全国のモデルとなる。
● 大阪府に望むこと
 行政の継続性、公の責任を考えていただきたい。
協会所属の出版各社は、設立主旨と役割に大きな期待を寄せ、大阪府と同館の要請に応えて本の寄贈の支援をしてきました—子どもたちの読書環境の整備に向けて、大阪府の計画においても、国際児童文学館は重要な役割・機能を担うことが明記されています—
 国際児童文学館は「官民協働」の仕組みを構築している先行事例です。 同館の実質的な事業費約3億円(企業の協賛事業費等を含む)のうち、3分の1は民間等によるものであり、人的、知的な協働作業など支援・協力によって運営されています—
 5年後、10年後を考えていただきたい。
「大阪の未来をつくる」中に、子どもの未来に特段の配慮をいただきたい。一度失ったものは、二度と戻ってきません—
 国内、国際的な観点から国際児童文学館の意義を考えていただきたい。 府民、国民の貴重な財産です—
わが国の児童文学研究、読書推進活動の中核施設である大阪府立国際児童文学館および財団法人大阪国際児童文学館の存続と充実を強く要望します。


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2008年5月10日 (土)

「素数ゼミの謎」のコメントsenさんへ

 お便りありがとうございます。『素数ゼミの謎』面白いですよね。分子生物学じゃなく、生態学の分野で、数学が使えるとは知りませんでした。そういえば、数学は科学ではなく、論理学だと聞いたことがあります。
 高畑勲のアニメ『おもひでぽろぽろ』で、主人公が「分数の割り算て、どういう意味?どうしてひっくり返して掛けるの?」とつぶやく場面がありました。ひっくり返して掛けるのは授業で教わるのですが、分数の割り算の意味は難しい。なかなかうまい説明がありません。
 いちばんわかりやすかったのは、数学史の先生の説明でした。「分数の割り算に意味はない。=(イコール)の左右で、加減乗除が成り立てばいい」つまり=が成り立てば、虚数のような現実にない数でもOK、これじゃ科学でなく、スポーツのルールですね。1÷0=1なら1×0=1、1÷0=0なら0×0=1で、成り立ちません。小学の時の先生の「だから0で割らないこと」の説明に、「インチキじゃないか」と子供心に思いました。
 宇宙物理学はなぜ簡単な数式に収斂できるのか?それは=(つじつま)が合わなければ、宇宙はとっくに衝突して、なくなってるからです。数学は科学ではないが、科学はつじつまが合わなくてはならない。だから数学が援用できる。素数と生態学の出会いです。
 「分数の割り算に意味はない」は釈迦の悟りに通じるものがあると思いますが、それは次の機会に。またお便りください。      
 (高橋峰夫)

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2008年5月 5日 (月)

休日になった2

 お天気があまりよくありません。夕方からは雨も降り始めました。夜には風もでてきて、春の嵐です。朝少しゆっくりしてから、大原の天徳寺へいってきました。私の外にもうひとりだけ、あいかわらず別世界です。

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山つつじがみごとに咲いていました。大きな木が多いのですが、その下斜面一面に咲いています。今年は桜の盛りにくる事ができなかったのですが、そのかわりにつつじが咲きほこっていました。聞こえるのはうぐいすの声ばかり、曇り空に響きます。

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平地の樹木葬の木々の間の花にたくさんの蝶や蜂たちが元気に働いていました。つつじの花の中に蜂が蜜を求めてもぐりこんでいます。(クリックしてみてください)。今年はじめてクロアゲハをみました。しばらくあたりを歩いて本堂へまわると住職の読経の声が流れていました。
 店は明日も休みですが仕事がつかえているのでこれで春の休日は終わりです。

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休日になった

 「海からのおたより」をいつも書いてくださるどんぐり変集長からのメールで千葉県立中央博物館に行ってきました。時間があると時々行くのですが、今回は整理のお手伝いをした貝の展示があるとのことで見に行ってきました。フィリッピンの貝と房総の貝、大きな2ケースがあって、きれいに整理されていました。房総の貝は以前に教えてもらったものが多く、あらためて貝の不思議な形を感じました。奥では特別展示「浜辺の野鳥たち」があり、それものぞいてきました。
もうひとつ隣接の青葉の森公園の「ハンカチの木」のあたりからしばらくブラブラと歩き回ってきました。
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もう散り始めていて、去年にくらべて花も小さく、お天気も悪いのでこの写真では良くわからないかもしれません。(画像をクリックしてみてください。)公園の中をしばらく歩きまわりました。

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近くの空き地にはホピーが群れて咲いていて、そういえば今年はタンポポがたくさん咲きました。野生のものは年によって咲き方がちがいます。
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少し自然の中をブラブラすると頭の中がカラになって元気がでます。

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2008年5月 1日 (木)

千葉市文庫連絡協議会30周年記念講演会

 千葉市文庫連絡協議会が30年を迎えます。会留府が稲毛区に店をだして31年になりますが、その頃の千葉はたくさんの人たちが子どもを連れて移ってきて、人口が急に増えました。引越してきたものの、なにもなく、欲しい本も手に入らず、親たちは自分たちの手で子供会や地域・家庭文庫を次々と開きました。自分たちで本を持ち寄ったり、バザーをしてその代金で本を買ったりしましたがとても追いつきません。それで文庫連絡協議会をつくって行政にいろいろ働きかけていきました。本のことだけではありません。「おはなし」などの勉強会をしたり、おすすめのリストをつくったり、情報交換など、各文庫がいっしょになっていろいろのことを計画していきました。参加する人たちはなんといっても本がすき、こどもたちと本を読みあうのが大好きな人たちです。それは千葉市だけでなく船橋や佐倉なども同じで、ここ近年つぎつぎと30周年を迎えます。
30周年を記念して、心をあらたにこれからも活動を続けていくために、下記のように講演会をもちます。たくさんの方たちの参加をおまちします。
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「まゆとおに」富安陽子/文 降矢なな/絵
 福音館書店

千葉市文庫連絡協議会30周年記念講演会
「物語がうまれる時ー不思議への入り口ー」
講師 富安陽子さん(作家)
2008年6月28日(土)2時から4時
千葉市生涯学習センターホール(千葉市中央図書館となり)
参加費500円(当日券はありません) 定員250名
(託児あり・事前申し込み制・10名)
お問い合わせとお申し込み
 *TEL・FAX 043-252-7041石渡(とどろき文庫)
        043-424-4042中山(おひさまはらっぱ文庫)
主催 千葉市文庫連絡協議会 後援 千葉市教育委員会

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2008年4月15日 (火)

憲法の本

生活のなかから考えよう

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 あかちゃんの誕生にお祝いの本の選書を頼まれる事があります。時にはあかちゃんはまだ幼いので、おかあさんにも本をどうぞと薦めて決める事があります。絵本ということもあるのですが、私が良く薦めるのは月刊誌です。特に「母の友」を一年分お送りする、それは「母の友」があまり類書のない雑誌、生活のハウツウだけではなく生活を考えるということで、あかちやんの相手をしながら読む事ができる雑誌なのですが、内容が濃く編集されているからです。(「母の友」というネーミングはかえてほしいのですが)
 今月の5月号は「憲法」の特集です。2007年度に連載された内容がもとになって、それにあらたなインタビューが加わり構成されています。著者は1958年生まれの法律家の伊藤真さん。本業は司法試験対策の塾を主宰している人です。もちろん日本国憲法がどんなものかという事が書かれていますが、憲法はたんなる法律だけでなく、生活の指針であることが丁寧にわかりやすく記述されています。憲法ってなんでしょうかとの問いかけに伊藤さんはこう述べています。「わたしたちが日々の生活のなかで何を大切にして生きていくかということを考えるきっかけ」、そして、「憲法について知るということは、人が生きていくうえのものさし」と言われています。
 私はいわゆる戦後の民主教育をうけて育った世代なので、学校でこの憲法はなによりも大切なものと教えられました。おしつけなどと思ってもみない、戦争で大きな間違いを犯した日本が心する事、守るべきものと思ってきました。それは正しいと思いますが、もっと憲法は生活と大きなかかわりがあることはあまり知る事もなく社会人になっていきました。それは、考えることを深める年齢の時に憲法は教科書のなかの憲法になってしまったからだったように思います。
 次の世代を育てる若い両親にこの小冊子(綴じ込み付録になっています)を読んで欲しいとおもいます。2008年の「憲法どっち?」、今ならどっち?もみんなの声を集めて載せています。

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2008年4月 3日 (木)

石井桃子さんが亡くなる

News
 石井桃子さんが亡くなった。1907年生まれなので101歳、くるべくしての時だ。
 私にとっての石井桃子さんはとても不思議な人だ。生前、昔、公の場で3度お話を聞く事があった。児童文学者というより、学者=研究者のような印象、背筋を真直ぐにしっかりと話をされた。今でも思う。石井桃子さんって我も忘れて激怒されたり、号泣されたり、人間の負の感情をどうやって心に治めていらっしゃったのだろうか。昔、神戸の事件があった時、ちようどNHKのテレビにでていらっしゃって、あの少年がかわいそう(殺人をおこした少年のこと)と一言話された。いまでも心に残っていて、時々考える事がある。
 私が本を読むのが好きになった一冊の「ドリトル先生」のなかの<オシツオサレツ>は石井桃子さんの命名だったとか、訳文のユーモアは幼い子どもの、成長しようとする心そのものだ。だから、「幻の朱い実」を読んだ時、また、また驚いた。
 私にとっての石井桃子さんは10歳位までの子どもと、お年を召してから、その間はやっぱり謎である。謎であってよいのかもしれない。それほど偉大な人だと思う。
(写真は朝日新聞社より)

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2008年4月 1日 (火)

4月ははじまりの月

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 私の店ではおもに子どもたちが読む本を扱っているので、新年はともすると4月のように思う。なんといっても日本の学校は4月から新年度になり、また、役所の年度会計も4月のためだ。今年の4月1日は陽は輝いているのに風が強くて、とても寒かった。千葉高校の新学期はじまらないことを良いことに、あいかわらず学校の中を歩いた。桜が散り、地面いっぱいに花、花、花、銀杏はまだ固いけれど、欅もうす緑でとてもきれいなので、通れなくなったら嫌だなぁと私はまだぐずぐずいっている。桜の裏側のこぶしの木が花いっぱいなのに気がついた。ほかのこぶしはもうすでに散ってしまっていたので、気にしないで見過ごしていた。
 春休みだけれど部活なのだろうか、音楽がながれる。吹奏楽の人たちの練習、ピアノの音。そして、体育系の人たちが、声をかけあって走っている。私はこんな様子を観たり聞いたりするのが好きだ。気持ちが元気になる。
 朝の新聞では市の新年度の予算のことがでていて、図書館や学校など、設備だけで人も図書館の資料費は削られる事こそあっても、少しも増えた様子がない。生活用品や食品などどんどん値上げされそうで、公共の施設が本を買わないで一体どうなるのだろう。なんといっても子どもたちに本を好きになってもらうには身じかなところに本がなくては、そして、子どもたちのまわりに本の好きなおとながいなくては!

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本と映画「黄金の羅針盤」

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 フィリップ・プルマン原作の「ライラの冒険シリーズ1 黄金の羅針盤」の映画を観た。正確に言うと上映がかかってすぐに観に行った。本を読んだのは以前出版された時、2002年だから6年も前のことになる。とてもおもしろかった。これが映画になるときいて、どんなものになるのか期待があった。ファンタジーは映像にすることがすごく難しい。とくに罪とか悪とか、ほとんどの作品がこのおおきな問題を描ききれない。心にかかわる問題だから・・・。人の心は多面的だから・・・。
 この作品も人の原罪をあつかっている。アダムとイブは神の教えに背いたために罪をしょって楽園を追放された。けれどイブのした事は堕落でなく魂の解放でなかったか。ライラの世界、みんなダイモンをもっているが、おとなになると自分のダイモンは決まってしまう。ダイモンが切り離されたらそれは死ぬことを意味する。ライラは大学寮に連れてこられ、そこで大きくなる。元気でなまいきでうそつきな女の子。その頃なぜか子どもが消えてしまう事件が頻繁におこり、ライラはそのことを知ると、子どもたちを助けようと決心する。一方この世界と違う世界からダストと呼ばれる物がオーロラの下で降りて来るが、そこをとおしてみえるもうひとつの別の世界、ライラはそれを調べているアスリエル卿から託された真理計をもって北に向う。
 作者の描くこの物語は大きすぎて、やはり映画におさまりきれなかった。けれども、観に行くと良いとおもう。見渡す限りの氷原と雪をいだいた高い山々、飛行船と帆船と気球、ライラを助け尊厳のために戦うクマの王、ライラを助ける気球乗りと魔女たち、なんといってもダイモン、冒険ハラハラの物語はとてもきれいな映像だ。たっぷりと映画のなかで楽しむ事ができた。
 できれば本を読んでから映画を観に行ってほしいけれど、幼い子どもには読みようもないのだから、割り切っても良いのではないだろうか。春休みのおすすめだ。


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2008年3月26日 (水)

きょうは良い日

 昨日N高校の図書室を見せてもらいに行ってきた。もう春休みで部活の子どもたちが何人かいたり、卒業した子どもたちがきたり、年度末なので先生たちも忙しそうななかを、ほんとに久しぶりに高校の図書室でしばしの良い時間を持つ事が出来た。いつもは新刊ばかりみているので、古い本がたくさんある図書室。なつかしい本、見た事のない本、どっしりと存在感のある本に出会って、とても嬉しかった。
 春の風に吹かれて気分はとても良かった。でも、実は体調は悪くて風邪気味で鬱状態だったのだけれど、この絵本のように帰りはすっかりとてもいいひだった。

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「とてもいいひ」
ケビン・ヘンクス さく
いしいむつみ やく
BL出版 本体1300円


なんだかきようはいやなことばかり、ことりは羽が抜け落ち、こいぬは繋がれた紐がからんでう動けないし、こぎつねはおかあさんとはぐれて、と、いうようなことばかり。でもその後、今度は良いことばかり、もちろんごぎつねはおかあさんと会えたし、紐はほどけてこいぬは自由になったし、ことりのはねは女の子の髪を飾り、なによりも女の子がこういったの。“とてもいいひ”ってね。ヘンクスの絵本は文も絵も単純な繰り返しのなかに、うれしい気持ちがたくさんつまっていて、いつも気持ちがおおらかになる。
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 仕事はいっぱい残っていたけれど、早めに家に帰ってココログがメンテナンスだったことを良い事にして、思い切ってねてしまった。
今朝、千葉高校の桜を見ながらわたしも«きようはとても良い日»!と一日がはじまった。

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2008年3月17日 (月)

図書館いろいろ

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 昨日(16日)の毎日新聞朝刊に学校図書館のことが載っていました。ひとくちに公立小学校・中学校の学校図書館といっても資料費から設備、そして、司書と格差があるという記事でした。もちろん学校の規模などによって蔵書数等が違うのは当然かもしれません。けれど、日本の子どもたちはどこに住んでいようと同じ教育を受ける権利があります。蔵書ひとつとっても、基本的な蔵書は必要です。今はクラスや子どもたちの数が考慮されて予算が組まれます。毎日の記事では蔵書数そのことだけでなく、図書館の働きが自治体によってかなりの格差があるとされています。つまり予算だけでなく、指導する司書がいるか、いないかなどが差があると書かれています。詳しい調査は4月に文部科学省の発表があるとのことで、見守りたいとおもいます。私は自治体が公共図書館にどれだけ力をいれているかも知りたいと思いますが、そこで働いている人たちがどんな状態なのかは、これからの図書館のありかたも含めて大変関心があります。それは仕事がらみということもありますが、文化を伝えていくことがとても大切で、それは図書館の大きな働きのひとつだと思っています。『本』というものはそれだけで存在するものでもありますが、『本』になるには読む人を抜きにして考えられません。
 13日、「千葉市図書館を考える会」の図書館見学に参加してきました。「横芝・光町立図書館」と「富里市立図書館」です。図書館の歴史は「横芝・光」が15年、「富里」は5年ほど、住民数は「横芝・光」が28000人ほど、「富里」はおおざっぱにいってその倍、50000人ほどです。「横芝・光」の主要産業は農業、「富里」はスイカが有名ですが、成田空港がすぐとなりなので、空港に関した職業人も多い状態です。ふたつはとても対象的な図書館でした。「横芝・光」は建物も司書の方の手作りのような、木と土の匂いがプンプンしていました。決して近代化されていないというのでなく、(ここの司書の毎日ブログは情報発信元としてもみごとです)たとえば、児童室には本が本屋のように平積みされていたり、あふれんばかりに並べられています。できるだけ出しておく、閉架書庫にいれないように、そのほうが楽しみが多いからとのお話です。一方「富里」は日本で最初に図書館流通センターとタイアップしてタグを使用した公立図書館です。建物もメタリックで総ガラスばり、エレベーターも素透視です。児童室の本はとてもきれいに並んでいます。母子連れが一緒にボックスのなかでビデオを見ていたのが気になりました。案内ビデオを見せていただいて、タグのついた本で自動貸出機をつかってみました。(初体験でした)
 ただ想像していた通り、タグなどの方法は在庫管理はなんといっても便利と思いますが、維持管理にとてもお金がかかることです。
 途中芝山埴輪博物館でお弁当を食べました。頭上にはひっきりなしに飛行機がとびます。すごい音です。梅が見事に咲いていましたが、梅の香りが音で切り開かれてしまいます。蜂が花の中にもぐりこんで、せっせと働いていました。
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「横芝・光」の司書の方と案内してくださった館長さんがお話された図書館人としての希望と情熱を家に帰っても思い出し、元気のでた一日でした。
 公立図書館は市民、住民のものでなくてはいけません。学校図書館も子どもたちのものでなくてはいけません。その時はじめて、市民の図書館、子どもたちの図書館になるのだと思います。本は人を育てます。

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2008年3月 6日 (木)

いまから「家を出る日のために」

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 今日は県立高校の一般入試の合否の発表がありました。いつも歩いて抜ける千葉高校の正門から右手の掲示板の前にもたくさんの人がいました。左手にある梅の花も咲き始めました。この梅は大きな実がなります。入試には桜がつかわれますが、今は梅の花の季節です。悲喜こもごも、ほとんどのこどもたちが私立を受けているので、どこにも行く所がないということはない時代ですが、なんらかの理由で不本意の場合は、入ってからもやめてしまうことが少なからずあるとのことです。
 一応義務教育が終わったので、これを機会に自立して行く計画をたてたらと思います。現代の子どもはなかなか親から離れない、親も離さない、パラサイトという言葉もあります。とくに、地方出身者は物理的にも高校を卒業した時点で家から離れることを強制されます。ただ、私の住んでいる千葉は通勤、通学ができる範囲が広いので、家から出ないまま、就職してそのままいる人も多いのです。経済的な理由が一番、家賃が高いので、つい親もそれを望んでしまいます。子どもは少々親がうるさくても、わずかな時間我慢すれば良いと、なんでもしてくれる親、特に母親から離れようとしないようです。

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「家を出る日のために」
辰巳渚・著
理論社 本体1200円


 著者はひとりで生きるということはどういう事なのかを書いています。”日々の暮らしを主体的に暮らすことが、人間にとって不可欠なこと”といいます。自分を主体的に暮らすということに著者は次のことをいっています。1、自分で決めること。2、自分の言葉で語ること。3、自分のことは自分ですること。4、自分の力で食べていくこと。身体を動かし、使って具体的に生きていくことの大切さを若い人たちに語っています。
 でも、決してこの本は道徳の本ではありません。著者の経験から思っている事がわかりやすく具体的に、「家出テスト」!付きで書かれています。この「家出テスト」の項目を高校生活3年間で身に付けてみませんか。つまり家出の準備です。自分らしくあるために。高校生になるということは、自立した生活を送っていくための準備なのです。

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2008年3月 5日 (水)

「きのこ」がやってきた

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 これはなんだと思いますか?そう、「しいたけ」の写真です。
 先週の金曜日、頼んでおいた「しいたけ」の栽培木が届きました。生協のカタログに載っていたので、こういういたずら?が大好きな私はすぐ予約をしました。来た時はちょっとデコボコ(シイタケの菌が植え付けられている状態)でしたが、みるまにムクムクともうこんなに大きくなりました。収穫は後少しのようです。実際の栽培は菌を植え付けるところからはじまる、いえ、原木の管理からはじまるので、とてもこんなお手軽にはいきません。しょせん遊びですが、こんな遊びもおもしろいとはおもいませんか!

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 「きのこ」の本といえば「見つけて楽しむ きのこワンダーランド」という本があります。(大作晃一著 山と渓谷社 森の休日4 本体1600円)この本は図鑑というより「きのこ」について全部というような本です。このシリーズはつい最近「鳥」「街路樹」もでて、山と渓谷社はとても写真がきれいで店では人気があります。
 「きのこ」といえばなんとなく秋が似合います。森の木漏れ日のなかにひっそりと佇んでいたり、月の光の中を踊っていたり、そんなイメージにぴったりの本があります。

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「きのこ 森の妖精」
藤沢 寿・写真
谷川俊太郎・詩 構成
新潮社 本体1400円

世界のなぞなぞ、宮澤賢治、ファーブル昆虫記、遠野物語、俳句、短歌、そして、谷川俊太郎の詩や文と小さな言葉が「きのこ」の写真に添えられています。
 童話の世界ではどちらかというときのこの精はたくさんで登場、元気でにぎやかです。いろいろな面があって「きのこ」はとても不思議でおもしろい、もちろん、私は食べるのも大好きです。

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2008年3月 3日 (月)

どこからみるの

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「まえむき よこむき うしろむき」
えとぶん いのうえようすけ
福音館書店 本体800円




 じつをいうとこの絵本を最初見たとき(1988年こどものとも年中版ででました)私自身に向って書かれているように思ってドッキリしました。と、いうのは、子どもだとおもってもみない見方をしますが、おとなになるにしたがって、知識は増えるのですが頭が固くなって、いつのまにか一面しか見なくなってしまいます。物事は違った面からみるととても不思議なことがあります。とくに政治、考えられない事が毎日おきています。まえむき・よこむき・うしろむき・うえからも・したからも・ななめからも(角度を変えて)みなければわからない事が多くなりました。子どもの時は素直に前からみて喜んだり、悲しがったり、怒ったりと、ちょっときょろきょろ見渡せばおもしろいことがいっぱいでした。
 と、反省したものでしたが、ハード版になってまた読み直してみると、ちょっと励まされているように思いました。まえむき・よこむき・うしろむき、いろいろみると人生なかなかすてたものではないのです。裏表紙の男の子の姿からちょっと見えている猫のしっぽ、ほら!元気に動いていますよ。


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2008年3月 1日 (土)

春はすぐそこ

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 3月が好きです。まだ風は冷たいけれど、光は明るくなってきました。鳥たちの鳴き声も春の声です。12月〜2月にかけて次々と家族を見送ったので、なおさらいつも、いつも3月が待ちどうしくおもわれます。
 天徳寺の古梅は満開でした。どれ位古いのですかとご住職にお聞きしましたが良くわからないとのお返事でした。家の近所の白梅は通りかかると良い匂いがします。あぁ、春の匂いだと嬉しくなります。天徳寺のこの梅は古木なので花は満開でもあまり匂いません。でも樹木葬の樹々が植えられている一面には所々たんぽぽが陽に黄金色に輝いています。穏やかな春の始まりでした。何度か大きく深呼吸をしてきました。


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2008年2月17日 (日)

バーニンガム原画展

 ジョン・バーニンガムの原画展へ行ってきました。やらなければいけない仕事もつっかえているし、東京駅のあの人ごみにもまれるのも嫌だしと思いながらも、やっぱり絵を見たくて、えい!やぁ!と大丸・東京店の会場まで行ってきた。行って良かった。絵はとてもきれいだった。会場もゆったりとしていて、いろいろのものがごちゃごちゃなくて、絵がきちんと並べられていて見やすかった。
 以前「ガンピーさんのふなあそび」の原画はちょっと見た事がある。それに昨年の夏には「わたしの絵本、わたしの人生」が出版されている。

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「ジョン・バーニンガム
わたしの絵本、わたしの人生」
灰島かり・訳
ほるぷ出版 本体2800円」




この本はとてもお買い得だ。バーニンガムの絵本のこと、これまでのバーニンガムの人生のことが全部書かれている。最初にセンダックの文が書かれているが、私はその文で1963年にバーニンガムの最初の作品「ボルカ はねなしガチョウのぼうけん」とセンダックの「かいじゅうたちのいるところ」が出版されたことをあらためて知った。センダックはこう書いている”2冊ともまぎれもなく、あのめまぐるしくて、がむしゃらで、いきいきした絵本の時代の申し子だ”
 子どもたちが大好きな「ガンピーさんのふなあそび」「ねえ、どれがいい?」今頃、小学6年生や中学生に読むのに良くつかう絵本は「いつもちこくのおとこのこージョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー」。何度読んでも「いつもちこくのおとこのこ」が先生を見限って一人で歩いて行く最後のページに私の心はきゅっとなる。
 大好きな「はる なつ あき ふゆ」の色はとてもきれいだった。がんばって行ってほんとに良かった。

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2008年2月13日 (水)

エチオピアの昔話「山の上の火」

優れた昔話の重層性−『山の上の火』

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「山の上の火」
ハロルド・クーランダー
ウルフ・レスロー
渡辺茂男・訳
土方久功・絵
岩波書店 本体1800円
       

 岩波書店では、グリムをはじめ各国の昔話を出していましたが、その1冊に、クーランダー、レスローの『山の上の火』があります。訳は渡辺茂男、絵は土方久功です。アフリカのエチオピアの昔話集ですが、どれもストーリー・テリングに向く昔話です。「グラの木こり」や「アディ・ニハァスの英雄」などは、各国の同類のはなしの中でも、ず抜けた、とぼけた話です。この本を読むと、エチオピアの昔話は他の国とは違った雰囲気があります。おおらかで知的でユーモアがあります。
 解説によると、エチオピアは紀元前11世紀から10世紀にかけて、エジプトから独立した古い歴史をもつ王国で、エチオピアの昔話の中には、はじめからエチオピアのものもあれば、インドやアラビア、スーダンやコンゴーなどから伝わったものもあるそうです。
 つまり口承説話でも、イラクのアラビアン・ナイト並みの蓄積があるわけです。この本では、子ども向きのを選んだのでしょうが、そもそも昔話は大人のもの、いや大人も子どもも楽しめるものですから、この本のはなしも凝っています。
 そんなことを思ったのは表題の「山の上の火」の、おはなしの練習を始めてからです。召使をしている若者が、金持ちに「山の上でひと晩、はだかで立ってて死ななければ、土地をやる」と言われて、賭けに勝ったのに、約束は守られなかった。それを知恵者の手助けで解決する話です。昔話ですからオチまで言うと、落語の「鰻のにおいの代金を、お金の音で支払う」テクの逆手です。子どもの好きな話なので、おはなしする人はたくさんいます。
 「むかしアルハという若者がいました」と始まりますが、主役はアルハではありません。金持ちのハプトムです。ハプトムが、知恵者のハイルに、こらしめられる話です。
 あるいはアルハが主役の話と、ハイルが主役の話をつなげたものかも知れませんが、ハプトムを意識しないとつながらなくなります。
 前半では、聞き手はアルハの気持ちになって聞きます。スルタ山での寒さの描写、山の上の火の意味、と迫力ある感動的な話です。 賭けのほうびは、家と牛とヤギと40ヘクタールの畑ですからたいへんです。昔話の大袈裟かもしれませんが、40ヘクタールといえば広大です。難癖をつけてでも、賭けを認めたくない広さです。
 ハプトムの賭けの条件は、はなしの進行上必要なもの、とだけ思うと、気になりませんが、考えてみればひどい条件です。「きものもきないで、つったったまんま、それでも死なずにおることができるもんかな」とあります。話の最初では、ハプトムは「お金でやれることならなんでもやってしまったので、ときどき、たいくつでたまらなくなりました」と説明してあります。この因業さが、話の後半につながるのです。しかも裁判官までハプトムの味方をします。しかし、もの知りじいさんが「町の裁判官なんかよりも、山の人間のほうがずっとかしこいもんだ」と言って、ハイルに相談をもちかけます。ここから後半が始まります。
 ハイルは、ハプトムや裁判官や町の人達を、ごちそうに招待します。このごちそうの描写も魅力的ですし、「ごちそうのにおいは、お客たちのすきっぱらをぐうぐういわせました」。でも、においだけで、ごちそうは「夕方になっても」出てきません。ハイルのねらいは「鰻のにおい」ですから、ことばですぐに、やり込めてもいいのです。でも、全員を夕方までじらしたからこそ、説得力が出たのです。「裁判官は間違いにすぐ気がついたし、ハプトムはすっかり恥ずかしくなってしまいました。ハプトムは、ハイルにこのいましめのお礼をいって、アルハに土地と家と牛とヤギを与えることを、みんなの前で約束しました」。子供たちは、この結末で一安心ですが、はたしてハプトムは反省したのでしょうか。
 子供たちは、すなおに喜んで聞き、しかも大人たちは、深読みして楽しめる。大人も子どもも一緒に楽しめる。それが昔話の魅力でしょう。ぜひ覚えて、話してやってください。
 なお前半に、じいさんが「あしたのばんになったら、その岩の上で火をもやしてやろう」と言う箇所がありますが、あしたは「きょうの」間違いです。賭けに間に合わなくなりますので「ばんになったら、」でいいでしょう。     
   (高橋峰夫)

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