お仲間にどうぞ

  • ー元気になる集まりいろいろー
    <2018年度の募集中!自主講座のグループ もありますが、くわしくは会留府にお問い合わせ下さい、 *ボランティア講座と絵本の会は5月からスタート 参加募集中> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・     7月の予定・くわしくは7月のえるふ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 夏のえるふお話会 21日(土)7:00〜 お話と絵本を読んで+花火をして遊びます。 おとなといっしょです。参加はどなたでも/お申し込み受け付けています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・     *学ぼう語ろう〜9日10:00〜読書会 参加自由  ・・・・・・・・・・・・・・・   *Y・Aの本を読む会 12日(木)7:00〜読書会 ・・・・・・・・・・・・・・・ *羊毛チクチクの会 19日(木)10:30  〜(事前参加申し込み受付)        ・・・・・・・・・・・・・・・       *グループ放課後 18日(水)7:00〜読書会(公共 図書館司書・その他) ・・・・・・・・・・・・・・・          *憲法カフェプラスのプラス2 31日(火)  7:00〜社会保障と憲法  お茶パン付き800円 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・      *絵本の会 20日(金)7:00〜今絵本がおもしろい。ポーランドのおはなしと絵本 非会員800円                                                                                                                         

7月の営業とお休み

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    読書は知識や楽しみも含めて心の栄養を与えてくれます。そして考える力になります。 被災地の子どもたちに本を届けたい、身の回りの子どもたちの環境を考えていこうという、二本の柱をたててボランティア活動をすることで出発しました。 いろいろの方たちの希望と力を持ち寄って、すばやく、やわらかく、活動を続けていきたいと思います。参加される方は参加登録してください。 世話人 坂上・宮田・大山   
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2018年7月 2日 (月)

ケンタウロスのポロス

 ここしばらく絵本ばかりを読んでいる生活がつづいた。印刷技術もあるけれど、若いデザイナーたちやいわゆる児童書のなかのせまい意味の絵本をとびこえての作品というか絵本がつぎつぎと出版されて目がはなせなかったことでもある。ただし話題になり売れるのは違う、うけを狙った絵本がともかく売れる、でもそれは子どもたちの成長にたえられるものかと疑問に思うことが多い。
 一方小学校4年生(時にはそれ以前)位から、内面的なものにむかっていく年齢の子どもたちが本を読まなくなった。一番の原因はやはり時間がない、毎日の生活におとな以上に追いたてられてのことが原因と思われる。生きていくのに一番必要なエネルギーがない、というか毎日消耗が激しくて、ちょっとぼんやりとしている時間がない、ぼんやりとする時間はそのなかからうまれる自分のことを思い考えるには一番必要なことだ。そして、本はその手助けをしてくれる。生きていくことに技術的なことは必要だけれど、このめまぐるしくかわっていく技術のなかで、それだけだとエネルギーは枯れてしまう。やっぱり自分で読む力をつけてほしい。もちろんその根底には本という先人が伝えてきた、残していくものを手渡しする人が必要なことはいうまでもない。
 久しぶりに我を忘れるように本を読んだ。そのなかの一冊
 
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「ケンタウロスのポロス」
ロベルト・ピウミーニ作
長野 徹 訳
岩波書店 本体1800円

 ギリシャ神話そのものではないけれど、ギリシャ神話をペースにしている文学、創作だ。ギリシャ神話を読んだのはずいぶんと昔のような気がする。なんといっても根気が続かなくなった、いろいろの名前がでてきてそれを丹念に読み解いていく力がなくなっていることは残念ながら認めざるをえない。
 この物語のベースはギリシャ神話にも登場するケンタウロスのなかのポロスだ。ケンタウロスは半人半獣の種族、これは個人の名前ではない。ケンタウロスという種族は上半身人間、腰から下は馬と表されている。酒好き女好きで荒くれて好戦的な種族だ。けれど全部がそうではなく、この物語の主人公ポロスは優しさや知性をもっている。ポロスは河と泉の神シレノスとトネリコの木の精との間に生まれたとされていて、やはりギリシャ神話で有名なヘラクレスの最高神ゼウスから与えられた苦行の手助けをする。ヘラクレスをもてなしたばかりに獰猛なケンタウロスのネポスに付け狙われ、ケイロンのすすめで旅に出て帰ってくる物語だ。登場する神々を中心に短い章立てになっているのでとてもわかりやすく、そしてギリシャ神話の世界を読者も旅することができるようになっている。旅する、それは人間と獣の世界の境界を旅をしながら、読者は人間としての存在の意味を自分自身に問いかけることになるのだと思う。ホロスの旅に導かれて。


2018年4月13日 (金)

ひとりじゃないよ、ぼくがいる

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「ひとりじゃないよ、ぼくがいる」
サイモン・フレンチ作
野の水生 訳
福音館書店 本体1700円

キーランは11歳、両親と妹の4人家族です。オーストラリアの小さな街に住んでいます。父親は機械の修理工場、母親は街のスーパーで働いています。おばあちゃんは同じ街で一人暮らし、決して豊とはいえないけれど仲が良く、特に父親は地元のサッカーチームのまとめ役、キーランは父親のようになりたいと思っています。ある日そのキーランの家にいとこ、ボンが現れます。そして、ちょうどその時転校して来たジュリアに会ったキーランは一目で不思議な雰囲気のあるジュリアにひかれます。ボンの母親は気分のままに生きていて、ボンにちゃんと食事をすることすらしない、住まいを転々としていて、身なりもへんなにおいがするようす、学校ではその格好からしてさっそくいじめにあいます。いじめる同級性にたてつくと自分もいじめられることに気がついているキーランは同級生たちとつるみ、それにボンがいとこだということをかくそうとします。転校生ジュリアンもどこに住んでいるかはさとられないようにしています。じつはジュリアンの母親もちゃんとジュリアンを育てることができない。両親は離婚して、親権がジュリアンの父親にあるので、父親からうばいとって、見つからない様に転々と住居を変えていて、ジュリアンと母親には捜索願がだされています。ボンの母親はとうとうボンの面倒を見ることができず、ボンをキーランの両親にあずけてゆくえをくらましてしまいます。
 ボンは絵を描く才能があり、絵を描くこと、物語をつくってつらい現実から飛び立ちたいとねがっています。キーランは自分の場所をボンにとられたと感じて、ボンにいじわるをしたり、いじめの同級生に加担してしまいます。ジュリアンは人望があり、積極的に生きていこうとしています。子どもは生まれてくるのに親は選べません。でも友だちは選べる。自分の生きていく基盤がないボンとキーラン、いいえ、いじめグループのリーダーメイソン、キーマンの告白をもとに、人がいきていくためにはなにが必要なのか、登場する子どもたちの心がとてもきめ細かく描かれていて、読む人の身近にいるように考えさせられます。一方キーマンと父親の関係から、この物語は父親と男の子の成長物語とも読むことができます。


2018年3月31日 (土)

ヒットラーと暮らした少年

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「ヒトラーと暮らした少年」
ジョン・ボイン
原田勝 訳
あすなろ書房 本体 1500円


主人公の少年ピエロの父親はドイツ人、母親はフランス人です。父親は家を出て行方不明、事故で亡くなっています。真相はわかりません。母親も死んでしまい、ピエロはベルクホークで家政婦をしている叔母さんに引き取られます。それまでに会ったこともないような叔母さんに対して心配がありましたが、叔母さんに大切に迎えられます。ピエロは聾の少年ユダヤ人のアンシェルと仲良しでしたが、手紙を書きあうという約束をして別れます。ピエロの新しい住まいはヒットラーが休暇を過ごしたり、執筆をしたりして過ごす山荘でした。ピエロはヒットラーのことも良く知らない、可愛がられるままにヒットラーの信奉者になっていきます。ただ、死んだドイツ人だった父親を誇りに思う気持ちから、強いリーダーシップを持つヒットラーを信奉する、それは父親を求める子どもの心理です。そして、みるまにピエロは憧れになったナチスの行動にそまっていき、迫害する側になり、抵抗する人たちを告げ口をしたりして死に追いやったりします。知らなかったといえばそうなのでしょうが、子どもだったといえば許されることなのか、原罪なのでしょうか。
 最後にやっと死を免れたかっての親友をたずねあて、今は小説家になったアンシェルに自分のした罪を語るので、書き留めて欲しいといいます。真実を記録に残すこと、それはふたたび生きてするべきこととピエロは決心します。
 この物語は映画にもなった「縞模様のパジャマの少年」の姉妹編です。その作品はやはり純粋な少年が戦争に巻き込まれ、純粋で無垢な少年であったためにみずから鉄条網を越えて、友だちになったユダヤの少年といっしょにガス室に送られていくという悲劇を描いています。
 ところで、日本の作家、児童文学者のなかに、このような加害者でもある立場から戦争に巻き込まれていく子どもたちのことを書いた作品はどのくらいあるのでしょうか。被害者の本はあります。でも、日本人は加害者でもあったこと、というより戦争とは殺し殺されることなのだときちんと若い人たちにつげる作家はどれだけいるでしょうか。作家のみならず、私たちひとりひとり胸のなかからひっぱりだして、何をしようと思っているのか確認しなければならないのだということを、そこからはじめなければならない。記録されてきた(たとえ小説でも)本を読むよう勧めなければならないと思います。私自身戦争をしらない世代ですが、知ること、伝えることをおこたらないようにと切に思っています。


2018年2月12日 (月)

木の中の魚

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「木の中の魚」
リンダ・マラリー・ハント
中井はるの 訳
講談社 本体1400円


「もし、木登りの能力で魚を評価したら、魚は一生自分がバカだと思いつづけることになる」これが表題の意味です。この物語の少女アリーは6年生、まさにずっと自分はこの魚だとおもっていました。7回も転校をくりかえし自信を失っています。今度の学校も変わりません。いじめられています。アリーは字が読めない難読症の少女です。そして、自分が字を読めないことをいつもいつも隠してきました。けれど新任のダニエルズ先生になり、先生はアリーの特別な才能(他の人が話していることがアリーにはすぐに絵になって映画を見るように頭のなかに浮かぶ、しかもかなりカラーで)を認めて、それがどういうことなのかアリーといっしょになって確認していくことをアリーに提案します。一方同じ席になった黒人の女の子キーシャの明るさや、やはりいつも身なりもかまわないかわり者のアルバートと3人はすこしずつ認めあい仲良くなっていきます。アリーはダニエルズ先生の授業を受け、文字の意味も理解できるようになるのですか、それは単なる勉強ができるようになるということではなく、自分自身を自分で正しく見ることができるようになる、廻りの人たちも人はそれそれぞれ個性があって、その個性をきちんと評価してこそ未来があるのだということを知ります。よく私たちは障碍は個性そのものだということを聞きますが、それがどういうことなのかこの物語はアリーを通して私たちに教えてくれます。
 ユーモアもあり、ちょっと感動的な場面もあり、ただし現実はこんなふうにはいかないだろうと思うかもしれない、でも人と人が理解しあうことはまずはじめに認めないといけない、そのことをアリーの成長をつうじて具体的に語っています。

2018年1月20日 (土)

さようなら、スパイダーマン

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「さようなら、スパイダーマン」
アナベル・ピッチャー
中野怜奈・訳
偕成社 本体1700円


神戸の大震災、東北の大災害と死と向きあわなければならないことが続く。続くと書いたけれどいろいろの思い出と違って死は忘れられない。時間が忘れさせてくれるともいわれるが、そんなことはない。ただ、生きている状況がかわってかたちがかわっただけだと思う。死んでしまった人は変わらない、自分だけが歳をとりかわっていく、わたしも幾度となくそう思った。
 この本はイスラム過激派といわれている人たちのテロによって姉が死んでしまった10才の少年ジェイミーの家族のことが書かれている。ジェイミーの一家は両親と双子の姉だった。だったというのは双子の姉のジェスとローズがいて、そのひとりのローズがテロにあって死んでしまったからだ。それ以来父親はお酒に溺れ、母親は自助サークルにのめりこみ、そのなかで新しい伴侶を見つけて家をでてしまった。残った双子の一人のジェスは自分の存在が無意味なものに思いその呪縛からなかなか抜け出すことができない。思い出を振り切りたいと新しい生活を求めて郊外に引っ越しするけれど、父親はローズの骨の入った壷を手放すことができない。ジェイミーは新しい学校に転校したけれどそこでいじめっ子たちの標的になってしまう。
 読んでいて時々つらくなる。ジェイミーは好きな女の子ができるけれど、少女スーニャはイスラム教徒の子どもだった。知られないようにジェイミーは自分の気持ちを育てようとするけれど、当然父親には怒りをかうばかり、ジェスもまた恋人ができるのだけれど、父親は認めない。みんながローズを忘れてしまうのではないかという恐怖が父親をかたくなにしている。ジェスとジェイミーはコンテストにでて、なんとか希望をもとうとする。特にジェイミーはコンテストをみれば家をでた母親が戻って来てくれて、また、もとの家族に戻れると思う。でも、それはかなわない。それどころかジェイミーの大切なペットの猫のロジャーが事故にあって死んでしまう。
 けれど”みんないなくなっちゃうな!”とジェスの骨をロジャーといっしょに埋めながらつぶやく父親の悲しみを少し理解できたジェイミー、やはりペットを亡くしてしまったおじいさんのあたらしいイヌをさわりながら思う。いままできちんと向き合おうとしなかった自分を振り切るように、イスラム教徒だからとスーニャをいじめる同級生にむかっていく。それは自分のたいせつなものはちゃんと守らなければならないと思う心、でもできなかった父親やロジャーの哀しさも解ったジェイミーの一歩だ。
 とてもつらいことを少年の視点から書かれている、時にはユーモアをまじえて。センチメンタルに流れている本が多い中ですすめたい。そう!忘れなくとも良いのだと私自身にもあらためて教えてくれた一冊だ。

2017年9月21日 (木)

わたしがいどんだ戦い1939年

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「わたしがいどんだ戦い1939年」
キンバリー・ブルベイカーブラッドリー作
大作道子 訳
評論社 本体1600円


1939年第2次世界大戦がはじまった。主人公のエイダは母親と弟ジェイミーと暮らしています。エイダは生まれつき足が悪くて、10歳までアパートに閉じ込められて一歩も外にでることを許されませんでした。いうことをきかないと台所の下の戸棚に閉じ込められます。ゴキブリがはいまわっている不潔なところに押し込まれます。これはいまでいう幼児虐待なのですが、母親はもちろんそんなことを思ってはいません。父親は事故で死亡、母親ひとりで子どものめんどうをみなければならないとか理由はつけられますが、ジェイミーの出生届ももちろんエイダの学校へいくことも、母親はそのことがどんなに重要なことだとは思っていません。エイダの不自由な足は足首のさきから内側に曲がっている内反足というので生まれた時に手当をすれば歩けるようになるのですが母親は無知と思い込みで適当な処置をしなかったためエイダは歩くことができない状態になっていました。都市は爆撃されるおそれがあるために子どもたちの疎開がはじまりました。当然母親は疎開など少しも考えていません。
 エイダは自分の足で歩けるように血のにじむ努力をします。それはこの物語の背景にながれているナチに対しての市民の抵抗と自分を離さない母親への抵抗とエイダ自身の自由になりたいという要求に対してあきらめてしまおうとする自分自身の戦いです。弟をつれて家を出たエイダたちは運良く?疎開の子どもたちにまぎれ、行き着いたところはケント州イギリス海峡に面した村です。そこでこれも行き違いだったのですが親友を亡くして生きる希望を失っているスーザンに引き取られます。ヨーロッパ大陸が目の前にひろがっている安全といわれた所は、今では空中戦の舞台になりつつあります。ヒットラーひきいるドイツ軍の侵攻はもうすぐそこでした。この物語にはもうひとつイギリスらしい馬に関してのことがエイダの生き方に重要な意味をもつことがらがあります。エイダは歩けるように訓練を自分でしとげますが、どうしても長距離には無理、そこで馬に乗ることを思いつきます。馬がきっかけでエイダと違う裕福な名家の娘だけれども、これもまた、家にしばられそこから自由になりたいと思っているマギーという親友ができます。これらの物語の背景にエイダとジェイミーをはじめはしかたなしにうけいれたスーザン、そして、エイダたちにきちんと生きていかれるように手を貸す村の個性豊かな人たちが描かれていて物語に厚みをもたせています。最後にスーザンの愛と母親の愛にしっかりむきあって、本当の意味で自立をしていくエイダの成長で物語は終わります。(続編があるとのこと、翻訳されることをねがいます。)
 私たちというか私は何でもある程度かもしれませんがそろえてもらった子ども時代のなかに生きてきました。そして、それがあたりまえのようにおもっている。もうそういう生活はゆるされなくなっているにもかかわらず、なんとかなりそうな錯覚をもっている。いそがしいとか、ひとりではできないとか、いろいろと言い訳しながら生きている。子どもたちというより、おとなが自分がなにを願っているのかしっかりと考えなければならないと思います。

2017年8月17日 (木)

ファニー 13歳の指揮官

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「ファニー 13歳の指揮官」
ファニー・ベン=アミ
ガリラ・ロンフェデル・アミット編
伏見操 訳
岩波書店 本体1500円


はじめは小説だとばかりおもっていたので、不謹慎な言い方だろうか、冒険小説のように読んでいてとても事実とは信じられなかった。あとがきなどによると映画化された時のインタビューで、今はイスラエルで暮らすファニーはこの話はメッセージだといっている。誰に対してか。それはいまなお世界中で苦しんでいる子どもたちへと言っている。今なお戦いのなかで傷つき、苦しんでいる子どもたちが後を絶たないからです。
 主人公ファニーは13歳、フランスに両親と妹で住んでいたユダヤ人です。時は第2次世界大戦時代、ヒットラーはドイツの優秀さを守るためとユダヤ人、障碍者、反政府運動者などを収容所送りにして虐殺したことはあまりにも有名です。ドイツでそのことを心配してフランスに移り暮らしていたファニー一家は隣人の密告によりつかまってしまいます。パパの逮捕後児童救済協会によりファニーと妹はスイスにむかいます。ところがリーダー役だった青年が重荷にたえきれなく逃げてしまい、リーダーの役はファニーが担うことになります。それからの危険な逃避行は続き、最後には24人のこどもたちをひきいて緩衝地帯を走り抜ける役目をファニーは決心。あぁ!助かった。
 助かったのは子どもたちが信頼をよせる特別の才能がファニーにはあったと書かれていますが、その才能とは?どうしてファニーがもっていたか、つまりどういう育てられ方をされたのかくわしくは書かれていませんが、ともかく前向きで困難をなんとか乗り切って行こうとする力が、子どもたちや手を差し伸べた一部のおとなたちを動かしていったということがはこの本のなかで充分に書かれています。もう一つ子どもたちに手を差し伸ばしてくれるおとなたちが困難な中でいつでもかならずいたということです。密告するおとながいたけれど、反面ナチに知られれば自分の命があぶない、とんでもないということを充分知りながら子どもたちをかくまった村の人たち、村ごとということすらある、このことは日本児童文学のなかにはあまり描かれていない、たとえば集団の学童疎開に関した本を読む時などに際立って違うことに気がつきます。戦争孤児に対しての人たちの行為や中国人や特に朝鮮人にたいしての仕打ち、助けるというより排斥したことの方が多く描かれている。これは運としてかたずけられる問題ではないと考えます。
 最後には、想像力をもつこと、それを力としてほかの人たちの苦しみや悲しみ(喜びも含まれるでしょう)を察することだと、それが生きていくことの困難さに立ち向かっていくことだと書かれています。
 13歳の少女ファニーの冒険小説としてもじゅうぶん読むことができるが、その冒険の意味をいま、まだ世界中でおきていることや、そんな危険な状態であることを、物語をとおして再認識しなければならない。想像力を働かせたいと思う。
 映画は「少女ファニーと運命の旅」という題名で全国ロードショーがはじまっています。
 

2017年8月 4日 (金)

タイガー・ボーイ

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「タイガーボーイ」
みたり・パーキンス作
ジェイミー・ホーガン絵
永瀬比奈 訳
すずき出版 本体1500円


インド半島の東側にあるシュンドルボン国立公園が舞台です。インドには絶滅動物のベンガルトラがいます。しかもこの地方はサイクロンや自然災害があり、ここだけの話ではありませんが人びとの生活は貧しく、野生のベンガルトラと人間の共存は難しい、しかも差別なども強く残っています。(主人公のねえさんルパは勉強したくとも女ではゆるされません)ニールは5年生、成績がよく奨学金をもらって中学校にすすむことの期待をいっぱいうけています。ところがニールは英語やベンガル語は良くできますが算数が苦手です。それになんといっても勉強をして都会にでていくことがあまりうれしくない、できたらこの地で父親のような優秀な大工として生きていきたいと考えています。それであまり勉強に身が入らないで、アジェイとヴィジュという幼い時からの親友と遊んでばかりいます。そんな時子どものトラが保護区から逃げ出したことを知ります。密猟者が捕まえようとしています。その密猟者は村の貧しい人たちの生活もにぎっています。たてつくことは生きていかれないことでもあり、誰も反抗できません。(ニールの父親以外は)
 とても気持ちの良い物語です。元気な少年がいて、家族の暖かい結束があり、ニールを理解し応援する教育者(校長)がいて、悪者はニールと姉のルパの力に破れて国外に退去してしまいます。夢と冒険と家族の愛情がいっぱいの物語は、気持ちよくこの物語にひたることができます。それだけにものたりないところもありますが、素直にこの物語を読みたいとおもいます。

2017年6月29日 (木)

青空のかけら

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「青空のかけら」
S・E・デュラント作
杉田七重 訳
すずき出版 本体1600円


カバーにもカバーをはずした表紙にも青空の中を2羽のツバメがとんでいます。2羽のつばめはこの本の主人公姉弟かもしれません。物語の舞台は1980年代のイギリスのスキリー・ハウスです。スキリー・ハウスは日本でいうと養護施設にあたります。私のブログで毎月1回コラムを書いている(の)さんはその児童養護施設の職員です。いま、(の)さんは里親キャンペーンに力をいれています。この物語の姉はミラ、弟はザックといい両親のことは何一つ知りません。いくつかのところを転々としてきました。前に引き受けてくれた人が年をとり、突然このスキリー・ハウスにやってきました。とても古めかしい建物、階段を上って行くと天国にいけるのだと想像力豊かなミラは思います。ザックは元気というか他の思惑なんかすこしも考えなく、とんでもないことなどをしてしまうこともあります。ミラは自分が守ってやらなければならないと必死のおもいです。近いうちに自分たちを引き取ってくれる人が見つからないと、明日はないと思うくらいあせっています。(スキリーハウスにいる子どもは同じように思っています。)二人いっしょに引き取ってくれる人などいるのでしょうか。
ある日ミラは自分たちに割り当てられた部屋のベットの脇の床下から手紙をみつけます。グレンダと署名された手紙、1947年に書かれた手紙です。グレンダはスキリーハウスに暮らしている女の子で、もちろん昔の話なので、いまグレンダってだれ?ミラはグレンダに返事を書きます。
 この物語には魅力的な女の人がでてきます。とくにスキリーハウスの経営者ミセス・クランクスと一時ミラとザックを受け入れてくれた画家のマーサは二人の、とくにミラにとってはつらい状況のなかで見つけた青空をもっているおとなです。二人もこの姉弟をかわいそうという気持ちだけではありません。各々のつらい中でも自立してきた女性です。だからこそミラの気持ちもザックの行動にも寄り添えるおとななのです。
 もうひとつこの物語にはスキリーハウスの自然がすばらしく描かれています。そして、マーサの家に行った時の自然も。冬の景色そのなかでマーサの犬と遊ぶようすや新年を迎える人びとや施設の子どもたちの声が本のなかから聞こえてきそうです。
 家族とはなんだろうか。自分の意志ではなく運命にもみくちゃにされながら、必死で自分の居場所を探すこどもたち。いまでもその物語は物語だけでなく続いています。

2017年5月 8日 (月)

太陽と月の大地


   かわらない世界の悲劇
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「太陽と月の大地」
コンチャ・ロペス=ナルバエス
宇野和美 訳
松本里見 画
福音館書店 本体1600円


物語は16世紀スペイン南部、アンダルシア地方のこと、私からは想像もできないほどの遠くの昔のお話です。(「アルハンブラ宮殿」という名前だけがわずかに知っていることです。)作者あとがきにはモリスコ(キリスト教徒に改宗したイスラム教徒のこと)の農夫の息子エルナンドと、キリスト教徒の伯爵の娘マリアの悲恋の物語と記してありますが、私には悲恋の物語というより、民族と宗教に翻弄された人びとの悲劇の物語と思われました。それはやはりマスコミでしか知らないパレスチナなどの悲劇と同じものです。充分に今日的な事柄ですし、いまでも、階級などのちがいはあるものも、このようなことは繰り返し、繰り返しおきています。でも、わたしには想像するしかありません。こういう物語の力を借りて、イメージ化するしかありません。そして、未来への生きる力もこういう物語を読むことによって、私たちは前にむかっていくことができると思っています。
 装丁、挿絵ともたいへん美しい本で書物と読書の醍醐味が感じられます。この物語を成功させていることのひとつです。若い人にぜひ勧めたい一冊です。

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