2008年6月24日 (火)

ステフィとネッリの物語2

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「睡蓮の池」
ステフィとネッリの物語
アニカ・トール著
菱木晃子・訳
新宿書房 本体2000円



ナチスの迫害から両親と別れて、中立国スウェーデンの西岸の都市のイェーテボリに近い島の家族が二人をひきうけてくれました。姉のステフィは優秀な成績で中学に進学することになり、島を離れイェーテボリに暮らすことになります。両親から来る手紙では、アメリカに亡命するのにビザがなかなか手に入らず、まだウイーンにいて状況はあまり良くありません。ステフィはイェーテボリの新しい生活のなかで、下宿先の少年スヴェンを好きになりますが、スヴェンは自分と違う階層の恋人がいて、ステフィのことは妹のようにしか思っていないことがわかります。
 学校では奨学金をもらうことでしか勉学を続けられない現実のなかで、良い成績をあげることがステフィに課せられたことでした。学校では好意的な担任ビョルク先生と、ドイツ人の優位を誇りステフィのようなユダヤ人の生徒に厳しいクランツ先生、なんでも持っていて高級住宅地に住んでいるアリスや逆に貧しくたくさんの家族のなかでくらしているマイなど多様です。アリスのたくらみにカンニングの罪をきせられ、加えてスヴェンに失恋してしまったステフィは疲れ果て、絶望的になって学校を辞めて島に帰ろうとします。でも、ステフィに心から応援してくれる学友のマイ、島に残った親友ヴェーラがいました。そして、なによりもステフィの養父母になってくれた素朴で無口だけれど実直なヤンソン夫婦がいる島と海がありました。「睡蓮の池」はイェーテボリの街にあり、ステフィはここでスヴェンとのことを夢に見、別れを知り、少しづつ成長していきます。
 この巻の時代背景は1940年4月デンマークとノルウエー、5月はオランダ、ベルギーがドイツの手に落ち、6月にはフランスが降伏してしまいます。6月にはイタリアがイギリスとフランスに宣戦布告、9月には日独伊三国同盟が締結されます。そのなかでスウェーデンの中立はきびしいものがありましたが、レジスタンス運動をしている人もふくめ、たくさんの亡命者、ステフィ姉妹のような子どもがいました。
 この巻ではステフィの青春が物語の中心になっていますが、3、4巻ではこの姉妹と両親(=テレジン収容所へ)の運命が物語られているとのことです。史実をきちんとふまえられて丁寧に書かれていて考えることが多く、とても読み応えのある物語です。

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2008年5月30日 (金)

ホーミニ・リッジ学校の奇跡

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「ホーミニ・リッジ学校の奇跡!」
リチャード・ペック
斎藤倫子・訳
東京創元社 本体1800円



 それは8月の輝けるある日、独身であまり好きになれなかった教師マート・アーバクル先生が突然死を迎えた。これで学校から解放されるとうれしかった。学校の勉強にはすこしも身に入らなかったし早く仕事をして一人前になりたかった。ところが学校はなくならない。ある日代理教師がやってきたが、驚いたのなんの、その教師は学校大嫌いの俺の姉さんだった。教育熱心なタンジーは俺たちを常に勉強させた。そのタフな精神はどこからきているのか。しかも、タンジーは正式な教員養成教育をうけていたわけではなく、彼女の考えた独創的なやり方で、どんどん俺たちに勉強させた。もちろん、弟だからといって手心をくわえない、それはきびしい。
 ホーミニ・リッジはインディアナ州のなかのもっとも田舎にある。教室がひとつきりで、そのなかでごちゃ混ぜの年齢の子どもたちが学ぶ。俺は15歳だけれど、8年生の卒業試験に受かっていなかった。
 良き時代のアメリカ、まだ、自動車もなく、脱穀車もない時代のおおらかな型破りな自然相手の毎日。生活力はあるけれど、勉強ぎらいな少年達と教師をめざす姉さんとの攻防戦をおもしろおかしく語っている。いつのまにか私たちはラッセルの話、アメリカらしい愉快な物語にどんどん引き込まれてしまう。
 前作「シカゴよりこわい町」「シカゴより好きな町」についで痛快なエネルギーにみちた物語です。


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2008年5月23日 (金)

家族のカタチ「メジルシ」

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「メジルシ」
草野たき
講談社 本体1200円



双葉は中学3年生、卒業すると全寮制の高校に行く事が決まっている。それと同時に両親は離婚、けれどそれは修羅場があったわけでもなく、母親美樹の一方的に近い話からはじまったことだ。父親の健一はなかなか同意しない、というよりどうして離婚しなければならないかわからないのだ。私立高校の事務職の彼は安定した地位と家庭的な夫で、栄養士として働いている美樹が大学院へ行って勉強したいから離婚したいと言い出したことが到底理解できない。けれど、健一は美樹を愛する故に同意することにした。双葉はその両親のなかで、浮遊感があり、それにいつかは向き合わなければならないと思ってもなかなかできない。そして、健一の発案で家族最後の北海道旅行にでかけることにする。
 この家族は善意の塊のような父親、いつも不愉快そうな母親(泣いた事も心から笑う事もない)不安になると自分の手の火傷のあとを触る事によって心を落ちつかせようとする双葉をとおして、壊れそうになった家族の再生を描いている。双葉の火傷、それは母親の不注意とされているが、双葉はその理由を母親自身に語らせようとする。母親だけでなく双葉自身もそこからいつも目を避けようとしてきた。いつかは真実を自分で納得しない限り、次への出発はありえない。
 この家族はお互いに自分を曝け出す事ができない。できないことで不幸をうんでしまった家族を私は知っている。それを知っていたのになにも出来なかった自分を認めざるえない。そんな苦い経験を思い出しながらこの本を読んだ。
 双葉にとって意味の有る旅行になった。ハッピーエンドの旅行ではなかったが、新しい一歩を踏み出すのには、とても有効な旅行になったと、最後に作者は双葉に言わせている。嫌なことは変に目をつぶったり、目をそらしたりしないで真摯に向き合わなければならないことがあること、双葉の新しい一歩だ。

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2008年5月19日 (月)

「スター・ガール」ふたたび

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9784652079263

「スター・ガール」
「ラブ、スター・ガール」
ジェリー・スピネッリ
千葉茂樹=訳
理論社 本体各1500円

 マイカ高校にウクレレをもち、ペットのクマネズミのシナモンをポケットにさっそうと現れたスターガール、名前からして奇抜だけれど、その積極的な生き方も含めて、みんなの人気者になった女の子がいた。けれどいつのまにかみんなから浮いた存在になってしまった。その時スターガールを支えたのはレオ。レオとスターガールの街のはずれで会う最後の場面を覚えているだろうか。
 そのスターガールの一年後の物語がこの本だ。この物語のなかのスターガールはレオと別れた辛さで、驚くほど落ち込んでいる。この物語はレオにあてた日記=手紙?の形式で一年間が語られている。物語に登場する人たちはみんななにかしら心に傷をもち、なかなかその中から一歩踏み出す事の出来ない人たちだ。スターガールは学校に行かないで、自分で勉強をしている。虚無化と瞑想の心の洗濯のためにピーマス公園にいる時小さな女の子ドゥーツィに出会う。天真爛漫な女の子といえばかっこいいけれど、ある意味では奇想天外で困ったこどもだ。貧困家庭で育ったこれもまた、反社会的な男の子ペリーと床掃除や店の下働きの仕事をしている乱暴な女の子アルビナと弟のトーマス、アルビアにドーナツを配達してもらうだけ、一歩も外にでられないベティー・ルー、死んだ妻のお墓の前に一日中いる老人チャーリー、心にささった小さな傷を抱え込んでしまった人たちがいる。
 冬至にひとつの儀式を考えているスターガール、最後その儀式のためににみんなが集まってパーティーをする頃、また、どこかできっとレオと自然に愛し合えることができると、それぞれの場所で自分らしく生きていこうと思うのです。
 ちょっとたくさんの人たちが登場するので、物語は込み入ってしまいますが、前作のように詩的な、内省的な物語は静かな感動をよび、とくに、Y・Aの年代の人たちの心に響きあうと思います。
 

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2008年4月23日 (水)

スリリングなY・A小説

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「絶対絶命27時間!」
キース・グレイ作
野沢佳織 訳
徳間書店 本体1400円



 イギリスのY・A向き小説です。ジョンは16歳、母親は若くしてジョンを産んだシングルマーザーだけれど祖父母と幸せな生活送っていた。けれど事故で祖父母は亡くなってしまい、残された遺産で母親の夢だった本屋を開くことにしてこの遠くの街に引越してきた。ジョンは転校したばかりのある日、ブルック校でまったく知らない生徒に鞄を盗まれる。追いかけたが見失って教室に戻ってみると、ジョンの机の上には鞄が置かれていて、その鞄の中には先生の財布が入っていた。しかも呼び出された教室で学年主任の重要な書類を盗まれた嫌疑もうけ、次の日の昼までに無実を証明できないと退学だといわれてしまう。犯人はどうもこの学校をしきっている不良グループらしく、自分の真実を証明するためにジョンは猛然と立ち向かっていく。まず、このブループのリーダーは誰なのか、最初に声をかけてきたホクロのある少女は敵か見方か?犯人を追っていくうちにこの学校の闇が明らかになっていく。
 27時間という限定された時と学校という限定された場所で、次々におこる事件のハイスピードとスリルで息もつかずに物語は展開してしていく。
 日本のこういう物語はとかく教育の問題点とか、家族、家庭のありかたとか、時には感傷的な話がでてくるのだけれど、この物語はエンターテイメントに徹していて、小説のもっているおもしろさをしっかり感じることができる。それはY・A小説の醍醐味でもある。

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2008年4月13日 (日)

燃えるサバンナ

9784652086216


「燃えるサバンナ」
澤見彰
理論社 本体1300円



 
表紙からもイメージされるように、真っ赤なサバンナは干ばつで動物も植物も大地もなにもかも燃え上がっている、真っ赤な太陽が照りつけてすべてが渇きに苦しめられています。マサイ族にはサバンナに訪れる4年に一度の赤い月が現れるとき、太陽の化身である赤いライオンのたてがみを取ると雨が降るという伝説があります。マサイ族は大河ナイルの豊潤な地を求めて移動し、もし拒む者がいたら力ずくでも闘いとるという勇敢な種族、率いるのは呪術師レムヤの占いです。今度の移動にナイロビに向うという占いがレムヤからでて、シバは自分の夢見から異論をとなえます。シバは忌むべき日に生まれた呪われた娘、たった一人の女戦士で、シバの夢見は当たり、しかも、不幸なことが多いので、部族からはのけものにされて1ぴきのラスカルと一人で生きていました。。昔、やはりシバという大叔母がいて、40年前に干ばつのなか赤いライオンのたてがみを求めて出て行ったきり帰ってこなかったことがあり、今度のシバの夢見も部族に災いをよぶとレムヤにいわれてしまいます。シバは同じように一人でも赤いライオンのたてがみを得てこようと旅に出て行きます。それは、部族の人を救うというだけでなく、シバ自身の生きる意味を探す旅でもありました。
 この物語は特別な能力があるために恐れられ、忌み嫌われる少女が、自分の生きる意味を求めて旅にでる、けれども、そのために乗り越える試練の冒険話だけでなく、昔の恋人を自分の勇気のなさで死に追いやってしまった老人を一緒に描く事で、生きる意味は何なのか、本当の勇気と愛とは何かを問いかけています。その意味ではいつの時代ともしれぬ、そして、単なるマサイ族の冒険話ではなく、現代の若い人たちへの問いかけの物語かもしれません。
 最後に現れる赤いたてがみのライオンもとても象徴的です。

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アラブの物語

9784035404804


「漂泊の王の伝説」
ラウラ・ガジェゴ・ガルシア
松下直弘・訳
偕成社 本体1500円


作者はスペイン生まれ、物語の舞台はアラビア半島のためでしょうか、不思議な雰囲気に満ちた本です。この物語の主人公イムルーウルカイスはキンダ王国の王子として産まれました。6世紀に実在したといわれている漂泊の詩人イムルーウルカイスをモデルにして書かれているとのことです。キンダ王国の王子として生まれ、すぐれたカスィーダ(長詩)を作ったことでしられていて、この物語も詩ではじまり、詩で終わっています。王子のワリードはとても魅力あふれていました。カスィーダを詠唱するラーウィー(詠い手)でした。けれど、一番を決める大会で貧しく無名の絨毯織りの詩に栄誉を奪われてしまいます。憎しみからワリードはその絨毯織りに、人類の歴史を全部織り込んだ絨毯をつくれ、と命令します。途中でその決して出来ない命令を出した事に後悔しますが、その時はすでに絨毯織りは自分の命を全部織り込んで死んでしまいます。ワリードの王国は衰退し、国を捨てて「漂泊の王」になり遍歴して歩くうちに盗賊や遊牧民、商人たちと行きあい新しい生き方を探し続けます。そして、心を許せる人に出会ったと思ったけれど、いつもワリードをまっていたのは、過酷な事実でした。
 詩を競うということ、絨毯織り、砂漠、盗賊など、あまり身じかにある世界でないのですが、作者はファンタジーのように不思議な世界を読者に広げて見せてくれます。
 絨毯織りの4人の息子たちに4つに切り分けられた絨毯、縫い合わせる事ができるのはワリードでなく読者のあなたです。

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2008年3月11日 (火)

算法少女

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「算法少女」
遠藤寛子
筑摩書房(筑摩学芸文庫)
本体900円



一月に一回児童書を読んでいる小さなグループがあります。そのグループの母体は地域文庫です。だから読書会に集まる方たちは主婦の人たちです。文庫の活動やら、学校への読書に関してのボランティアをしていたり、なかには図書館を考える市民運動をしている人もいます。お茶を飲みながら、テーマの本を読んだ感想をいいあったり、現実の子どもたちのこと(読書に関する事や学校図書館のこと)を話し合ったりする、とてもゆるやかな会です。個人的に読書活動に役立てる人もいるかもしれませんが、読書会としての結論はありません。
 今日は「算法少女」を読みあいました。これを選んだのは私で、昔、前の版で読んだ事があって、久ぶりに復刊され、あまり類書がないのが取り上げた理由です。
 時は江戸時代、算数好きの少女の物語です。算数といっても和算です。父親から算法を教わっていたので観音様に奉納された算額にまちがいがあることを指摘します。とはいえ、少女あきはそれでいばっているわけでもなく、頭は良いけれど素直な心のやさしい少女です。でも、それからあきは算法の流派争いと、それにつらなるお家騒動にまきこまれそうになります。その頃の江戸の様子や子どもたちやとりまく寺子屋など、たくさんの庶民の生活も含めて、いきいきと描かれています。
 感想はとても好評でした。それだけに学芸文庫で復刊されたのは、ある面では残念でした。本の内容と学芸文庫という体裁は中途半端、オビには歴史小説と書かれていますが、ノンフィクションとしてとてもおもしろく、もう少し各々のことについて描き込まれていれば、確かにおもみのある歴史小説になったと言う意見がでました。
 いま、私たちはなんのために勉強するのかわからなくなっている、勉強する事が生活、生きていくこととなかなか繋がりません。字の読み書きができること、計算ができこと、仲間を(友だち)つくることの意味など、原点にかえってみる必要があると思います。
 今日は市立中学校の卒業式でした。暖かく穏やかな一日でした。
 

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2008年3月 4日 (火)

とっておきの「科学の本」2冊

        とっておきの「科学の本」2冊
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 2年前の夏、本屋で、きれいなしゃれた表紙の本を見つけました。吉村仁の『素数ゼミの謎』(文芸春秋)です。そして07年夏もう1冊見つけました。『多賀城焼けた瓦の謎』です。同じ出版社。 同じく、表紙・絵は石森愛彦、装幀は野中深雪で、夏休み向けの、さわやかな表紙です。この2冊には、ほかにも共通性があります。ルビ入り。書名にもルビが入ってます。子供にも読める、わかりやすい内容です。私は2冊しか見てませんが、シリーズ化すれば、ユニークな児童書になると思います。せっかくですから、2冊まとめて紹介します。
 遊び心でしょうが、この謎シリーズ、特に『素数ゼミの謎』は、推理小説ふうです。「大学の数学ゼミで起きた殺人事件の本」と思って手に取りました。ところが中身は小説より奇なり。帯に「子どもから大人まで楽しめる科学読みもの」とある、進化の歴史の壮大な物語。それがハードカバー、カラー挿絵入り、126ページの(判型は四六判と言うのでしょうか)コンパクトな本に入っているのです。
 要するに「素数ゼミ」というのは蝉のことです。一般に「周期ゼミ」と呼ばれる北米の蝉で、13年か17年にいっぺん大発生します。「素数ゼミ」は著者の命名のようです。この蝉の3つの謎「なぜこんなに長年かけて成虫になるのか?」「なぜこんなにいっぺんに同じ場所で大発生するのか?」「なぜ13年と17年なのか?」を解き明かすのに「素数」が必要なのです。この本は、著者の論文『氷河期における周期ゼミの進化的起源』を一般向けに書き下ろしたもので、半分数学の本で半分生物学の本です。生物学が、数字で理路整然と説明できるなんて、まさに推理小説です。「数理生態学」がこんなに面白い学問だとは知りませんでした。
 さてもう1冊は、氷河期ほどではありませんが、千二百年はさかのぼります。帯には「小学生から大人まで考古学と歴史学を感動しながら学ぶ本」とあります。このもう1冊の本『多賀城焼けた瓦の謎』は、前とは著者が違いますが、肝心の著者名がありません。監修名・工藤雅樹はあるのに。
 結局この2冊に共通するのは、画家の石森愛彦です。緻密でデザイン性に富んだ絵です。「かがくのとも」にも挿絵を書いているようです。この人の表紙なら子どもも手に取るでしょう。
 さて著者名ですが、奥付には文・文芸春秋とあります。そして著者の代わりに、画家のあとがきがあります。それによると著者は、編集者の下山進で、娘の萌子さんの夏休みの自由研究がきっかけだそうです。編集者は、本の全体の設計者であり、出来のよしあしは編集者の力量にかかっています。編集者の自由な発想と感性からうまれた2冊が子どもに贈られ、今後が楽しみです。内容の面白さは保証しますので、卒業、入学の贈り物にいかがでしょうか。                        (高橋峰夫)
『多賀城焼けた瓦の謎』はこのブログ07年10月22日に紹介しています。 

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2008年2月20日 (水)

リリー・モラハンのうそ

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「リリー・モラハンのうそ」
パトリシア・ライリー・ギフ=作
もりうちすみこ=訳
吉川聡子=画
さ・え・ら書房 本体1600円




 1944年ニューヨーク州セントオールバンズから物語は始まります。リリーは母親が死んでしまって、祖母と父親の3人家族です。元気で泳ぎが得意、それだけではありません。読書も大好き、小説を書きたいとおもっています。夏休みになり、本、書きためた小説、水着、母の形見の銀の鏡、生まれたとき母親が天井に貼付けてくれた金の星をひとつとって、なんとピアノもいっしょに祖母の別荘地へ向います。待っていた親友のマーガレットは父親がデトロイトの工場で働く為に、家を留守にすることになりがっかりしますが、隣のオーバンさんがひきとった男の子アルバートと出会います。リリーの父親も戦地へいくことになり、ちょっとしたことに意地をはって見送りに行かず、後悔と父親へのおもいをつのらせ、毎日手紙をまちます。戦時の秘密で父親はどこに配属されているのかわかりません。そこへ、マーガレットの兄が戦場で行方不明になったという知らせ。リリーはどこにいるかわからない父親を思い不安をつのらせます。手掛かりは手紙だけ、(あとで父親が手紙の中に読む事を薦めている本と関係があることがわかります)それなのに祖母はいろんなことをうるさくリリーに言い、リリーは孤独感をつのらせ、アルバートにボートを漕いで沖の軍艦に乗って父親に会いに行くとうそをつきます。アルバートはナチスから逃げてきたハンガリーの少年でした。両親は反ナチの活動をして、逃がされる途中、言葉の行き違いから妹と離れてしまい、パリに妹を捜しにいきたいと熱望していました。リリーのうそ、それは希望だったのですが、アルバートは信じ込み、泳ぎをおぼえ、ボートで海にのりだしていきます。
 作者は前作「ノリー・ライアンの歌」で19世紀半ばのアイルランドのジャガイモの飢饉のなかで、まわりにまどわされず家族を守る少女を、「ホリス・ウッズの絵」で生後すぐに捨てられてしまい、里親の間を転々とした絵の才能がある少女が、自分の生きていくところを見つける物語等、家族と人の絆を求めて成長していく個性豊な少女の物語を書いています。そして、物語のなかにはその少女を見守る複数のおとながかならずでてきますが、そのおとなは決してりっぱで英雄ではない、どこにでもいる人なのだけれども、子どもたちとちゃんと向き合い手を差し伸べる、素朴だけれどたっぷりとした愛情があるおとなです。
 ところで、この作者のちょっとちがった作品「ポークストリート小学校のなかまたち 全5巻 さ・え・ら書房」が店では人気があります。このシリーズは低学年の子どもたちが楽しんで読んでいます。ここにも等身大の子どもたちが描かれていて、それが子どもたちに読まれる理由です。

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2008年2月17日 (日)

ガッチャ!

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{ガッチャ!」
ジョーダン・ソーネンブリック
池内恵・訳
主婦の友社 本体1400円



「ガッチャ!」の意味は「やったね!」、この本で「ガッチャ!」と言うのは老人ホームにはいっているおじいさんのほうだ。主人公アレックスは家を出た父親に抗議するつもりで(父親はかってのアレックスの担任だった人と暮らしている。)車を運転して事故をおこす。アレクッスは高校生、成績はまあ一般なみ、なんだかんだと理論武装をして、切り抜けようとするがあまり成功したためしがない。今回もなんとかちゃらんぽらんとして切り抜けようとするが、根はあまり器用でなく、その分ドジな愛すべき存在だ。もう一方の主人公である老人ソルもまた、一風かわっていて、憎まれ口ばかりたたく。けれど実際は情にもろく、暗い過去をひきずっている。でも、それを見せたくなく、気難しい偏屈老人だ。
アレックがおこした事故に対しての刑罰は奉仕、アレックはソルの担当世話をしたり話し相手になるために老人ホームに通うことになる。当然アレックは不満、逐次そのことを裁判所の担当判事に手紙を送るかたちで物語はすすんでいく。その手紙の文体がとても小気味よく、抵抗するソルが昔は有名なミュージシャンであり、がんこで口が悪く、ソルの過去が明かされていくうちに、読者はアレックスとソルの丁々発止のなりゆきに、いっしょに”イェーイ!と叫んでしまう。その他にもこの物語のなかには、いつのまにかよりが戻ってしまうトボケた両親、ガールフレンドのローリー、どこかおかしな友だちブライアンなど個性的なキャラクターがいっぱい登場するので、最後にはソルは死んでしまうのだが元気をもらえる物語になっている。人生の大切なものは自分の意志で選んだものばかりではないが、愛は自分の力でつくれるものであると作者は語っている。

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2008年2月14日 (木)

ぼくらが大人になる日まで

 ”ぼくたちは、この国の大人を、信じていいですか?”
そう聞かれたらあなたはどう答えますか
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「ぼくらが大人になる日まで」
岡田依世子
講談社 本体1300円




 <中学受験専門 えいしん塾>に通っている6人の小学6年生。塾は私鉄の駅から歩いて7分、商店街のど真ん中にある。英二郎の家はコンビニで彼は店の手伝いが好きだ。私立中学受験は英二郎の方から言い出した。太って動作がにぶい英二郎は学校でいじめの対象になっていた。だから彼らと一緒の地元の公立中学に行きたくない、でも、成績は合格からとおい。大介は野球がしたかった。野球のために中学受験をする、家族はもろ手をあげて大賛成だ。けれど、ずっと一緒に野球をしてきた晃は家庭の事情から公立中学へ行くことになり、受験のために一時野球チームをやめた大介は、晃との距離がどんどん開いていってしまうように感じている。紀雄の妹は重い喘息で、父親が転勤になりそうで一家で行くことの話がでている。紀雄の家では妹が中心に動いている。父親はいつも仕事ばかりで紀雄の気持ち等少しも考えていない。ロボコンに出る事を目標にして受験しようとしていた紀雄は、とうとう妹に”おまえなんかいなければよかった”と言ってしまう。修一は優等生だ。父親が経営していた会社がつぶれた。引っ越しをしてなんとか生活もすべりだしたかに見えたが、母親が鬱病からアルコール依存症になり、入院してしまう。母親が元気になるために修一は国立大学の附属中を受けてほしいと父親に懇願される。烈子の母親はシングルマーザーだ。烈子は父親の顔を知らない。学歴こそ自立していく条件だと思っている母親の期待を一心にうけて、ともかく勉強している。美優が受験する中学は母と祖母の母校だ。お嬢様学校といわれている学校が、ほんとに自分の行きたい学校なのか、美優は良く解らない。そして、修一のメルトモ、チハルは不登校のひきこもり、修一は一度も会った事がない。この物語にでてくる子ども、どの子もしっかり親や大人の期待をしょっている子どもたちだ。
 <えいしん塾>の教師、東大をでているのに、社会と折り合いがつけるのがへたな通称里ちゃんは、一生懸命子どもたちに寄り添おうする。もう一人の教師の真理ちゃんの考えは違う。いま、大切なこと、受験に勝ち抜く事が未来につながるのだいう。6人と里ちゃんは元気をだすためにとガスぬきに開校記念日をつかつて、国会議事堂を見学しようと計画をたてる。真理ちゃんは親に話してやめさせようとする。里ちゃんはその責任をとって先生をやめるという。けれど、禁止されても自分たちだけで行くことに決心、大臣に会って意見と質問をしようと決める。当然相手にされないが、一人だけ議員が聞いてきた。「ね?ぼくたちは、なに?」「本当に知りたいことは、なに?」修一は答える。ーそれは、ぼくたちが受け継ぐこの国の、本当の姿・・・「ぼくたちは、この国の大人を、信じていいですか?」と。作者は各々の子どもたちの状況と心のゆれをていねいに、いつも前を向いて描いている。
 まいにちニュースは告げる。政府はアメとムチで米軍の施設をひきうけよ、と、いう。沖縄では少女の暴行事件がおき、中毒の内容を調べて欲しいという市民の訴えを聞かない役所があって、あたりまえに暮らしていく仕事と賃金がほしいと若者がいう。
 千葉では県立高校の特色化(特色科でなく特色化)の合格発表があった。クラスの半分が決まっているなかで月末に一般入試がおこなわれる。
 表紙の走っている子どもたち。その先には何があるのかわからないけれど、<ぼくらが大人になる日まで>は難しいが、走るに値する未来をつくろうとしなければならないと思う。決して、物語のなかの議員のように絶句して、ごまかしてはならない。
 

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2008年2月10日 (日)

天平九年の物語「氷石」

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「氷石」
久保田香里
飯野和好・画
くもん出版 本体1500円



 天平九年(737年)平城京の東市でひとりの少年が霊験あらたな丸い小石を売っていた。この時、都では天然痘が大流行、たくさんの人々が死んでいった。少年は千広といい、母が亡くなったあと、本家の援助を拒否して、一人で暮らしていた。父は平城京につとめる役人だったが、唐で学問を学びたいと遣唐使の船に乗り唐へ行ったきりで、短期で戻るはずがいまだに帰ってこなかった。元気でいるのか、いつ帰るのか、ようとして不明、その間母はもがり(天然痘)にかかり亡くなってしまった。そのまま叔父の離れにいたが、自分で生きていかなければならない。時々いとこの八尋が叔母の好意のものをもって来るが、その気持ちを素直に受け入れる事ができない。すさんだ気持ちでいる時に下女の少女宿奈や施薬院で病人のせわをしている伊真に出会う。小石はインチキなものだと知られてしまい売る事ができなくなり、千広は替わりに、木を削ってご利益のあるまじない札というふれこみで売ろうとする。ほんものらしく、施薬院の入り口にかかっているおふだの文句を書く事にする。偶然だろうか、それは千広が父と繋がる新しい生き方を選ぶ事になる。
 物語は騒然とした時代のなかで必死に生きていく少年と少女、それを支え励ましていくおとな達、日本を律令国家としていく、ひとつの時代の転換期に生きていく人々の苦悩と、希望を描いている歴史小説だ。この分野の小説は数少なく(昔のことばかりでなく、少し前の時代でも)、作者はあとがきでこんなことを書いている。”物語を見つけるのは発掘に似ている気がします。お話は土の中に埋まっているのです。”そして、平城京を駆けていく千広、宿奈、千広を慕う安都、小さな石と施薬院、呪符木簡がぴたっと合わさって物語がうまれたとのこと。この物語のずっと先に私たちの生命がある。そして、続きの物語を綴るのは読者の私たちなのだ。若い人たちに読んでほしい。それと同時に次の作品が期待される。

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2008年2月 7日 (木)

生きのびるために

 1938年「戦争のうわさ」から物語ははじまる。ジャック・マンデルバウムはポーランドのバルト海沿岸のグディニアに両親と姉、弟と住んでいた。父親は魚の缶詰工場のオーナーで裕福だった。母親はおしゃれで美しく、姉のヤジャは音楽が好き、弟のヤーコプもかわいい男の子だった。ユダヤ人が経済的に裕福だったり、団結が強く、イディッシュ語を使い自分たちの文化に固守していることに反感を持っている人もいて、両親は不安を感じていたが、まだヒトラーのことを子どもたちには知られないようにしていた。

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「ヒトラーのはじめたゲーム」
アンドレア・ウォーレン作
林田康一/訳
あすなろ書房 本体1300円



ジャックの回想を挟みながら物語はすすんでいく。8月半ば父親は妻と子どもたちを祖父のところへ預ける。2,3週間後には合流するからと言って。1939年9月1日ナチスドイツはポーランドへ侵攻し、イギリスとフランスはドイツに宣戦布告、第二次世界大戦がはじまる。一週間もしないうちにドイツ軍はポーランド軍を壊滅、待っていても父親は来ない。そして、10月半ばの父親からの手紙にはシュトットホフの強制収容所にいるとのことだった。やがて母親や姉弟と離れ、ジャックたちも収容所送りになる。ひとりぽっちになり、ジャックは強制収容所を転々として、過酷な生活を送る事になる。
 この物語は10代のうち3年間強制収容所で過ごしたジャックの体験と歴史上の事実で構成されたものだという。(作者あとがきによる)作者がその事を知った、話してくれたサム・サンダーはジャックと同じように強制収容所,ホロコーストからの数少ない生還者のひとりとのことだ。
 先日映画「ヒトラーの贋札」を観た。(監・脚本ステファン・ツォヴィッキー)
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 この主人公は贋札づくりのうで?を見込まれて、強制収容所のなかでのナチスの秘密作戦に従事する。それはポンド紙幣の贋札をつくり、イギリスの経済を混乱におとしいれるというものだ。ユダヤ人のサリーはこのプロジェクトの中心になる。他の囚人よりは待遇がよいが、秘密の仕事はちがう面で過酷な要求があり、したがわなければ命にかかわる。しかもチームを組んでいるので、遅れたもの、能力のないもの、体力、精神力が続かなければ、その人だけでなくチーム全部が殺されてしまう。贋札をつくるという行為はナチスに加担した事になるが、つくらなければ殺される、なんとかそのゲームに勝たなければならない。「ヒトラーのはじめたゲーム」のなかでもジャックは決心する。”ゲームの規則がどのようなものであっても、わたしはその規則に従ってプレーしようと心に決めたのです。”すこしでもナチより長く生きるためにはうまくゲームをする、それはゲームなのだから決して人間の尊厳をなくしてしまうことではない。でも、人間の尊厳とはなんだろうか。すでに生きていくために人間らしい生活は失ったも同然なのだ。生きぬいていくのに運もあったかもしれない。しかし、この生きていこうする強烈な意志に、私たちはすくなくとも彼らの歴史を知らねばならないとあらためて思った。

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2008年2月 3日 (日)

絵で読む「ユゴーの不思議な発明」

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「ユゴーの不思議な発明」
ブライアン・セルズニック
金原瑞人・訳
アスペクト 本体2800円




 以前この作者の「ウォーターハウス・ホーキンズの恐竜」(光村教育図書)というとても印象深い本を読んだことがある。その本は絵本の形態をしていたので、画面いっぱいの絵に圧倒されながらもその事自身にはあまり違和感をもたず読む事ができた。この本をまず手にして、542ページの大変な厚さに驚いた。しかも黒一色、従来の本からは考える事ができない。”えっ!こんなに厚い本”と言いながらページをめくってまた、驚いた。文字のない、見開きいっぱいの絵だけですすんでいく。表紙の男の子の眼差しは読む者の心に語る。あるページでは見開きいっぱいの瞳、あるページでは駅の雑踏、そして、機械じかけのからくり人形、不思議な少女、時計。物語はそれらの絵をページをめくりながら読むだけで充分わかる。文字がなく絵だけで、ことがらだけでなく心理的なことまでわかることができる絵本には「アンジュール」のような絵本もある。ただ、この本の物語は12章からなりたっている長編で、ところどころに見開きいっぱいに文が記されている。(でも、全体からみればやはり文はほんの一部分である。)
 舞台は1930年代のパリ、パリ駅に秘密の部屋をもって一人っきりで暮らしている12才の少年ユゴー、父親の残したからくり人形の秘密を探している。そして、不思議な少女イザベルと出会い、いっしょに秘密を探っていく。ユゴーが苦心して部品を集め完成したからくり人形に、盗み出したカギをはめる。動きだしたからくり人形が描いた秘密の絵。
 不思議な雰囲気に興奮しながら読み進んでハタと気がついたこと。それは、この本はまるで映画を見ているよう、興奮しながらこの本にであって良かったと思った。
 今年は驚くような本に出会う事が多いような、うれしい予感がする。

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2008年1月14日 (月)

探偵小説がおもしろい

 ファンタジーという本がたくさん出版されましたが、そろそろブームも下火でしょうか。いや、ブームになったのはファンタジーもどき、おんなじようでおもしろくありません。そのわりには次から次へ出版され、内容もホラー小説といって良いよう、だいいち、倒すべき悪は何?どこに?といささかうんざりしてきました。一方、すこしなりをひそめていた探偵小説の作品が多くなってきました。
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「ベイカー少年探偵団」
1 消えた名探偵
2 さらわれた千里眼
アンソニー・リード
池 央耿・訳
評論社 本体各800円




 ベイカー少年探偵団、シャーロック・ホームズの本を読んだ人なら「ベイカー・ストリート・イレギュラーズ」と呼んでいた浮浪児たちの集団のことを知っていると思いますが、その集団をふくらませ「ベイカー少年探偵団」として書かれたのが、この本のシリーズです。ホームズの連作をもとにBBC放送のテレビドラマになったのですが、それを作者が台本から物語化したものです。 
 ホームズの作品と同様に、この作品の読みどころはコナン・ドイルの作品に登場する人物とアンソニー・リードの作品の少年達がからみあって物語が進んでいく、重層的になっていることです。しかも、その物語の背景のヴィクトリア朝末期のロンドンの様子、産業革命が発展して、活気があるロンドンの底辺で生きている浮浪者のこどもたちはいきいきと描かれていて、霧と風と匂いまでが感じられます。劇場やオペラ劇場がたくさんあり、大衆芸能も盛んでした。ロンドンだけではありません、2巻ではアメリカやカナダのゴールドラッシュのことまでが描かれています。しかも、「野生の呼び声」の作者で有名なジャック・ロンドンらしき人まで登場、ホームズはもちろん、ワトソン、レストレイド警部やモリアーティ教授も登場、「シャーロック・ホームズの作品」、「宝島」などの作品もところどころに顔を出しています。
 1巻目は「アイルランド共和同盟がイギリス女王の命を狙い」2巻目は「ゴールドラッシュで大富豪になった財産を狙う」話、貧乏だけれど、自由で自立しているこどもたちが、霧の街ロンドンで自分たちの力と団結で事件を解決していく全6話が楽しみです。


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2008年1月 9日 (水)

友情のありか

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「リバウンド」
E・ウォルターズ作
小梨直・訳
深川直美・画
福音館書店 本体1600円



 カナダのシニア・パブリック・スクールの8年生、日本では中学2年生の男の子2人の友情物語、そのうちの一人は交通事故で車いすの生活、こう書くとそれだけで良くある小説のように思うかもしれません。しかも、その少年デーヴィッドは伝説のヒーロー、バスケットボール選手とあらば、なんか物語もあまり読みたい意欲がわかないのが正直な気持ちでした。それはこの種の物語、かわいそうな少年が本人の努力とまわりの励ましで、たちなおっていくというような物語があまりにも多いからです。けれど読み始めたら、それは私の思い違いだことがわかり、グイグイと引き込まれてしまいました。その点この物語は障害をおってしまったデーヴィットを中心におくのでなく、もう一方の少年ショーンを中心に物語がすすんでいくので、お涙ちょうだい式の物語にはなりません。ショーンはバスケットボールが大好きでレギュラーになりたいとおもっているのですが、自分に自信がない。いじめにあったり、悪ぶって問題ばかりおこしているのも、それだって先生とうまくいかなく、したがって成績も良くないというキャラクターを中心にすえています。デーヴィットのつっぱり、落ち込んだり、元気良くしているかとおもうと、自分を哀れんでいるのではないかと感ずると、凶暴と言って良い暴れ方をするようすを見、ショーンはその気持ちに添おうとします。
 車いすに乗ってみると、他がどう見えるか、それによって自分の気持ちが、考えがどうかわっていくのか、ダンスをする場面、買い物に行く場面、ただ動けないだけでなく、例えばトイレに対しての体の機能が働かない為に尿を漏らしてしまう場面など、かなりくわしく描かれています。
 それでいて悲しくなったり、暗く不愉快になったりしないのは、2人の少年とガールフレンドや家族や教師のそれぞれを丁寧に描いているからだと思います。それがこの作品をとても魅力的なものにしているいちばんの理由です。

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2007年12月23日 (日)

白いキリンを追って

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「白いキリンを追って」
ローレン・セントジョン
さくまゆみこ訳
あすなろ書房 本体1400円



11歳の少女マーティーンは怖い夢を見ていた。それは夢でなく現実、家は火事になり、マーティーンはどうやら外へ逃げられたものの、両親は焼け死んでしまう。マーティーンの後見人はまだ会った事のない祖母、突然その祖母が暮らしているケープタウンの鳥獣保護区へ行くことになる。空港に出迎えてくれたのはその保護区で働くテンダイ、祖母のところへ連れて行かれる途中グレースという占い女のもとに連れて行かれ、おいしい料理をごちそうになるけれど、グレースはマーティーンが特別の才能があること、マーティーンの母親を知っていて、マーティーンにいろいろと話そうとするが、なぜかテンダイに止められてしまう。車のなかでテンダイは白いキリンの伝説、白いキリンに乗る事のできる子どもはすべての動物に対してを力をもつという伝説を話してくれる。白いキリンは密猟者にねらわれていた。
 祖母にはなじめず、学校でもいじめられてしまうマーティーンはその白いキリンに会いたいというおもいをつのらせる。課外授業でカーステンボッシュ国立植物園へ行ったとき、以前夢に見た動物を生き返らせる事ができる能力がほんとうに自分にあることを知り、また、学校ではいつもみんなから離れているベンという少年と友だちになることができた。そして、白いキリンを密猟者の手から救おうと決心して、白いキリンを探す。白いキリンは実在した。そして、密猟者は執拗に追いかける。密猟者は誰なのか?マーティーンは白いキリンを救う事ができるのか?白いキリンはマーティーンに会いにやってくるようになり、マーティーンは白いキリンにジェミーと名づけ、背に乗る事もできるようになる。
 マーティーンの孤独、夢のなぞ、少年ベンとの友情と2人で密猟者に挑む冒険、物語はアフリカの神話を舞台にドキドキハラハラとすすんでいく。
 なによりも表紙や挿絵が良い。キリンという動物は怒ったことがないのだろうか。穏やかなまなざし、ちょっと淋しそうなキリンの絵は少女の心を表現しているようだ。
 最後に祖母がどうしてマーティーンにきびしかったのか。マーティーンは白いキリンを自由にし、保護区のなかを駆けて行く姿をみとどけて祖母のもとに帰ってくると、そこにはグレースが待っていた。「才能は恵になるだけでなく呪にもなること、これは終わりでなくてはじまりなのだ」と、グレースがマーティーンを励ます言葉は多くの事を示唆している。

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2007年10月18日 (木)

ルイジアナの青い空

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「ルイジアナの青い空」
キンバリー・ウィリス・ホルト
河野万里子・訳
白水社 本体2000円




12歳といったら中学生になる頃、いまはだいぶ早熟になっているけれど、少し昔ではそろそろ体も変化してくる頃です。体だけでなく、中学生はおとなへの入り口に差し掛かる頃なので、思春期独特の多感な年齢です。主人公タイガーは12歳、野球の大好きな利発な少女です。舞台は1957年アメリカ、ルイジアナ州の田舎、両親と祖母とで暮らしています。ただ、タイガーの家庭が他のうちと少し違うのは両親共が知的障害者だということ、当然タイガーを育てたのも、家庭の細々したことを維持しているのもおばあちゃんです。タイガーには母親の妹にあたるドリー・ケイおばさんがいて、州都で秘書の仕事をしているキャリア・ウーマンですが、母親であるおばあちゃんとなにかあって、あまりスムースな関係ではありません。タイガーはおばさんの生き方をみて、田舎ではなく都会で存分に働きたいと思う気持ちが強くなってきます。しかし、タイガーがいなかったらどう暮らしていくかわからない幼い子どものような無垢な母親、言われたことを実直に確実にゆっくりと仕事をしていくだけの父親、タイガーを育て家庭の要になってきたおばあちゃんの死で、タイガーの気持ちは揺れ動きます。後半タイガーの母親の知的障害の原因があかされ、また、都会に行ってみて、タイガーは両親のもと田舎で暮らして行くことを選択します。この両親の純粋な愛に心動かされますが、もうひとり、おばあちゃんが亡き後に家庭の面倒をみるために来た家政婦の黒人のマグノリア、社会では黒人差別をうけながらも、タイガー家族をしっかり支え続ける姿勢がとても印象的です。そして、最後のハリケーンにおそわれ、家族で立ち向かう姿は感動的です。
 その頃から社会はもっと複雑になり、あいもかわらず差別は手をかえしなをかえ無くなっていません。そして、一番小さな単位の個人、家族の本質もまたかわらず、自分自身で考えていかなければならないのです。

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2007年9月15日 (土)

ぼく、カギをのんじゃった!

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「ぼく、カギをのんじゃった!」
ジャック・ギャントス作
前沢明枝・訳
徳間書店 本体1400円




 主人公のジョ-イは小学校4年生、本のオビに「カゲキ」に元気な男の子と書かれていますが、ジョーイの行動は注意欠陥多動性障害(ADHD)の子どもにみられます。考えるより先に行動する、じっとしていられない、思ってもいないのに“それはあとにしてチョーダイ”などという言葉がわけもなくでて、相手を怒らせてしまいます。幼いときに父親が家を出て、母親もいなくなり、おばあちゃんにつらく育てられていましたが、母親が戻って来て新しい生活がはじまります。けれど教室で孤立していたために友だちを傷つける事故をおこしてしまい、特別支援センターに通うことになります。
 読みすすんでいくにしたがって、父親はむろんのこと、母親もアルコール依存症にちかく、祖母には虐待にちかい育てられかたをしていたことなどがわかってきます。
 ジョーイ自身さえ予測のつかない行動は、まわりの人たちにもなかなか理解し難いのですが、ジョーイの母親を思う気持ち、そして、母親も一生懸命働きながらジョーイと暮らしていく、切々と読む人の心を打ちます。
この書名になっているカギを飲んでは引っ張りだすシーンなど、読むことも堪え難い場面がありますが、そんな行動もジョーイにとっては意味のあるものなのです。特別支援センターでの教師たち、医者、それになによりも保健室のホリーフィールド先生のユーモア、特別支援センターにいるさまざまなこどもやその親の希望の星になっていることを知ったジョーイの驚きと喜び、ぼくは悪い子じゃないとつぶやく最後のページに作者の視点が感じられます。
 作者が描いた絵本「あくたれラルフ」の物語版ともいえる本です。

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2007年9月12日 (水)

リンドグレーンの生涯

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「遊んで 遊んで」
リンドグレーンの子ども時代
クリスティーナ・ビヨルク文
エヴァ・エリクソン絵
石井登志子・訳
岩波書店 本体2300円
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「サクランボたちの幸せの丘」
アストリッド・リンドグレーン作
石井登志子・訳
徳間書店 本体1400円



長くつ下のピッピ」などで早くから日本にも親しまれてきたリンドグレーン、今年はその生誕100年とのことです。
アストリッド・リンドグレーンは、スウェーデン南東部にある小さな町ヴィンメルビーでこども時代を過ごしました。そのネース農場、ゆかいでお話好きな父親、しっかりものでしつけに厳しいけれど、子どもの自立心を大切にした母親、父親のいとこで馬や農場の監督をしていたペッレや、誠実で愛情深いおとなのなかでのびのびと育ちました。兄のグンナル、次がアストリッド、4歳年下のスティーナ、末っ子のインゲエードが兄妹でした。
 「遊んで 遊んで」にはそのネース農場のなかで豊かにのびのびと育ったアストリッドの様子と、その様子がアストリッドのどの作品のなかに描かれているがたくさんの挿絵と写真が入って述べられています。そして、やはり作品のなかの、豊かな自然と動物たち、とくにたくさんの桜の木があり、桜の花が咲く頃のすばらしい5月の自然について、いまでも訪れれば残っているその場所についての魅力が描かれています。自然だけではありません。アストリッドの生涯の友になるマディケンとの出会い、おもしろくて、ちょっと怖い話をしてくれた祖父母、農場で働いている人たち、時々一夜の宿を求めてくる浮浪者や行商人などから聞いた知らない土地の話など、作品の中にあふれるほど描かれていることは、みんなアストリッドの子どもの頃に得たものなのです。
「サクランボたちの幸せの丘」は都会から田舎に移り、農場を始める一家の話です。16歳の双子バーブロとシャスティンはちようどサクランボのようなのでそう呼ばれます。おそらくこのサクランボはアストリッドとマディケンのこと思っても良いでしょう。家を改築して、草取りやミルク運びなどの農作業に取り組むようすや、近所の同時代のともだち(もちろん男の子も)と楽しむハイキングや釣りやパーティのようす、やがて2人にも好きな人ができて・・・。この小説のなかにも溢れるばかりに描かれているのが自然のすばらしさです。
 おとなになってたくさんの苦難の中にも楽しい作品を残してくれたアストリッドの魅力は、この自然につちかわれた想像力と自立心にあるのだと思います。


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2007年9月10日 (月)

黄色いハートをつけたイヌ

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「黄色いハートをつけたイヌ」
ユッタ・リヒター 作
陣崎草子 訳
さ・え・ら書房 本体1500円




ロッタは森の中で小さな黒くてやせたイヌに出会いました。行く場所のない迷いイヌをかわいそうにおもって、どこのイヌかわかるまで家においてあげると約束します。連れていかれた家ではノーマンぼうやが留守番をしていて、旅行のおじいちゃんが帰ってくるまで納屋に置いてくれるといいます。このイヌはしゃべることができました。もちろんイヌ語ですが、自分がしゃべれるだけでなく人間語、ネコ語、ハト語、それにちょっぴりネズミ語もわかるといいます。
 一方イヌは名前を聞かれても思い出せません。昔、お城の庭園のブナの木の下にのびてしまっていた酔っぱらいの男ロブコヴィッツにはじめてであったことを思い出しました。ロブコヴィッツは男とふたりでいて、そのとき男が彼にロブコヴィッツという名前をつけてくれたのでした。イヌは食べ物のかわりに(チキンの皮が大好物)ノーマンぼうやたちにお話をする約束をしました。
 イヌの語ったお話とは世界の創世のこと、楽園と創造主と人間の誕生の物語です。グ・オッドとの出会い、友だちが欲しいとグ・オッドの絵を書き直し人間を造り、世界の均衡をやぶり、グ・オッドをうらぎったロブコヴィッツ、グ・オッドと暮らした楽園を追われたこと、イヌはグ・オッドをなぐさめ、ロブコヴィッツを探し出して連れて帰ることを約束して庭園をでてきたのでした。けれどやっと探し出して庭園に戻って来たのに入り口はなくなっていました。
 毎日ノイマンぼうやはイヌにチキンの皮をもってきてくれて、イヌはそのかわりにグ・オッドとロブコヴィッツの話をします。一時はネズミの脅迫に会いつらい思いをします。その窮地を救ってくれたのはネコでしたが安心していられる場所、生活はイヌにとって何もまして必要なことになります。冬がくるのです。ノイマンぼうやはある日黄色いハートをつけてくれました。イヌはやっと大切なものを手にいれたのです。帰って来たおじいちゃんにイヌはロブコヴィッツとグ・オッドの庭園の話を語ります。
 不思議な創世記の話です。キリスト教者でなくとも、イヌの語るこの物語が神とキリストと人間のことを述べていることがわかります。ノイマンぼうやとロッタは庭園の入り口を探し出すことができるでしょうか。それはイヌの語るこの話を信ずるかどうかで決まることだとおもいます。それに名前を持つことの意味も考えさせられることです。

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2007年8月19日 (日)

ちょっと変わった魔女の子ども

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「魔女の愛した子」
マイケル・グルーバー
三辺律子・訳
理論社 本体1500円




深い森の中に赤ん坊が捨てられていた。赤ん坊はどんな子でもかわいい。けれどこの子はひどく醜かった。この魔女は決して悪い魔女ではない。ほうきに乗ったり、人を食べたり、悪しき魔法を使ったりはしない。この魔女は命の均衡を保つことをしている。そのために、ときには少し魔法をつかったりするが、一日のほとんど命の営みに心を澄ませ、その手だてを考えることだった。魔女はこの醜い赤ん坊に瘤とか固まりの意味があるランプという名前をつけてクマのイスルを乳母にして育てることにした。
 ランプは元気に育った。ランプのまわりには忠実なイスルのほかに、ネコのファランスをはじめとして、たくさんの動物がいたが、それだけでは満足できずに、森に浸食してきた人間の世界にちかずいていく。魔女からは禁止されていたが、力がついて反抗的になってきたランプはその禁止の意味がわかっていない。人間世界からは魔女はあってはならない悪しき存在、まして、魔女は子どもを食べると思われていたし、そして、ランプは酷く醜い、それが何を意味するか、当然人々の襲撃にあう。それにもうひとつ禁止されていたこと、ランプは魔神を呼び出し、しかも、その計略にまんまとひっかかってしまい、追われる身になってしまう。
この物語は これらのエネルギーあふれる描写をドキドキしながら読むだけでなく、この物語の中にはたくさんの昔話がちりばめられていてそれが奥行きをあたえている。「赤ずきん」「ヘンデルとグレーテル」「ラプンツェル」「眠れる森の美女」そして、最後にはランプの魂の救済「青ひげ」と「ルンペンスツェルトヘン」、グリム童話そのままではなく、そのモチーフがいかされているのだがそれがとてもおもしろい。
 この物語にあたって書かれている「魔女でもあり、母親でもある、世界中の女たちに捧げる」献辞、たしかにすべての子どもたちの母親、女は魔女かもしれないと、そのひとりである私自身も含めてうなずけることでもあった。女はもっと深く自分の魔性を自覚すべきなのかもしれない。
 

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