児童書(Y・A)

マルベリーボーイズ

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「マルベリーボーイズ」
ドナ・ジョー・ナポリ
相山夏奏=訳
偕成社 本体1600円


 本の扉を開くとこの物語の舞台、1890年代のニューヨーク・マンハッタンの地図がのっています。本の表紙には下町の裏道の建物のところで並んでいる少年たちの写真がつかわれていて、そのなかには主人公のペニアミーノがいるかもしれません。もっともそこではペニアミーノでなくドムという名前です。ペニアミーノはナポリ生まれのユダヤ人で父親は知りません。母親の家族10人もが一緒に暮らしています。貧しく近所の繕い物をしたり、現業についたりしていますが、毎日の食事も充分でありません。でも、母親はなんとか事務の仕事をしたいと思いますが難しく、祖母の怒りをかっています。ある日、母親はぺニアミーノに新しい靴を買い密かに家を出て、ペニアミーノをアメリカ行きの船に乗せようとします。でも、だまされていたことに気がついた母親はペニアミーノだけを船に乗せます。「なによりも生きのびること、まわりをよく見て、そこでうまくやっていくためには頭をつかいなさい。あなたは特別の子ども、できるだけ早く学校にいって、自分の商売をはじめなさい」そういわれわけもわからず、たった一人で、何度か命を救うもとになる新しい靴をはいてアメリカに渡ります。その時のペニアミーノは9歳でした。はじめはなんとかナポリに帰ろうとしますが、イタリア移民がたくさん暮らす、ニューヨーク最大のスラム街の一角マルベリーストリートで生きていくしか方法がないと決心します。ペニアミーノはドムとして生きていきます。
 この物語は作者の家族の物語を題材にしている、(直接話を聞いたわけではない)母方父方の祖父たちがこの物語の人々だったことがあとがきに書かれています。さまざまな人種、人々の歴史があるアメリカ、困難なそのなかで、未来を自ら切り開き生きてきた人々、たくさんの名も無いドムがいまのアメリカを築いてきたのでしょう。けれど、この物語は自分の証明書さえもたない貧乏なイタリア系ユダヤ人の少年の成功物語だけではありません。私たちの前に生きてきた人たちの歴史、その上にいまがあるということが書かれているように思います。それが、日本からは遠い国のことでも。
 人々の生活が綿密に書かれていて、物語の間から街の匂いまでが立ちのぼってきます。ドムと仲間の少年たち、イタリアからの移民たちを誘い込んで働かせてお金を巻き上げる、そのためには暴力も殺人もいとわないパドローネとの戦い、一方少年たちの自立に手を貸す青果店の主人や、はじめは強欲のようだけれど部屋を貸してくれる女の人の意外な面など、脇役の人物描写も確かで、読後心にしっかり残る物語でした。YA向きの小説で今年のNO3にはいるおすすめの本です。

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父さんと、キャッチボール

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「父さんと、キャッチボール」
もう、ジョーイったら!2
ジャック・ギャントス作
前沢明枝 訳
徳間書店 本体1500円


 前作ではジョーイは自分をコントロールできなくて問題児になっていました。やがて、自分でコントロールをするようになるまでが描かれていました。その方法の一つは貼り薬を使うこと、でもなんといってもまわりの人たちがジョーイに手を貸すことです。その理解が落ちついて考えたり行動したりできるようなジョーイにするのです。この2巻目を読むとそのことがよくわかります。
 ジョーイはもうすぐ5年生になります。夏休みはもうずっと会っていない父さんとおばあちゃんが暮らしている所に、チワワのパブロをつれて出かけ、しばらく一緒に過ごすことになります。父さんは少年野球のコーチもしていて、ジョーイも参加でき、うまく過ごせるかとも思うのですが、母さんたちが心配していたことが起こってしまいます。その心配とは父さんがジョーイと同じく、それ以上に問題がある人だということです。そして、とうとう父さんはこんなことを言います。「じぁ、ちょっと考えてみろ、おれがなんでこういう人間なのか。原因のひとつは、こうだ。おれは理想が高すぎるんだ。いつだって、理想的な人生ばかり考えちまう。でも、現実の世界では、なんでもかんでも理想どおりにできるわけがない」P221から。そして、自分はできないけれど、ジョーイならその夢をかなえてくれるといいます。ジョーイの貼り薬も必要ないと捨ててしまいます。いよいよ、野球の決戦試合、一応勝ったのですが、貼り薬もない状況にパニック状態になり、ともかく母さんに迎えにきてもらおうと思いますが、何かあったら連絡するようにと持たせてくれたお金はおばあちゃんのタバコ代になってしまっていました。
 子どもが成長していくのに、どんなに大人の力が必要か、それは決して自分の夢や考えを押し付けていくことでなく、手助けが必要なのだと思います。もし、親がそれができない時は、誰かがそれに気がついて手を差し伸べないといけない、いま、親の期待をしょい過ぎてしまっている子どもたちをたくさん見るにつけ、この物語は単なる特別の外国の子どもの物語と思えません。また、ジョーイは父親から逃げ出すわけですし、おばあちゃんの描き方なども気持ちの良い終わり方をしていませんが、決して暗い物語ではありません。それは、ジョーイが何が自分に必要かを認識できるようになった成長の物語だからと思います。

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ふしぎな家族

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「ふしぎな家族」
ペーター・シュタム作
ユッタ・バウアー絵
まつなが みほ訳
長崎出版 本体1600円


 この本は誰に薦めようかな?と仕事柄つい思ってしまいます。絵本のかたちはしていますが、子どもにはなに?ということになりそうです。と、いうのはこの絵本の物語はある意味では子どもの思考そのものに感じられるからです。それを絵本にすることが子どもには不思議に感じられるでしよう。
 一組の家族がいます。おじいちゃん、おばあちゃん、パパとママ、ぼく、妹。それに描かれている家族をみるとねこが一ぴきいます。一家は青い電灯のある家に住んでいます。みんななにかしらすることがあったけれど妹は淋しそう、それで一家はトロリーバスのなかへ引越します。引っ越しを繰り返すたびに元気がなくなり、16回目「ぼくたちが毎晩違う橋の下で寝ていたとき」おじいちゃんは死んでしまいます。そんな調子で18回目、町の郊外に住んで一家はやっと元気になってきます。「ぼくたちの家には四つの角がある。ぼくたちの一年には四つの季節がある」
 一家は夢と現実の中を放浪して歩きます。絵は少しもシュール的ではなく、一家の日常そのものです。色はおさえてはありますがとても澄んできれいです。最後の鉛筆画、小さな家にひとすじの煙が煙突から風にたなびいています。ふしぎな家族はおわりでしょうか。

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少年少女飛行倶楽部

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「少年少女飛行倶楽部」
加納明子
文藝春秋 本体1667円




くーちゃんこと佐田海月(みずき)は友だち大森樹絵里にたのまれて、不思議な飛行倶楽部に入るはめになってしまいます。この二人は親たちがいわゆる公園デビューからの仲良しです。穏やかで気の良い海月は対照的ともいえる樹絵里にいつも振り回されます。今度も樹絵里が好きになった相手がいる倶楽部ということで拝み倒されて不思議な倶楽部に一緒に入ることになりました。名前のとおり空を飛ぶのが目的、でも部員は偉そうな態度の部長と、いいかげんな指導教師、そして、樹絵里が好きになった中村くん(彼は野球部員でもある、)あとから入ってきた餅田くん、どの子をとってもどこかちょっとかわっている部員たちの一年間の物語です。じつをいうとみんなそこそこに問題をかかえています。たとえば、尊大な態度をとる部長の斎藤くんには体の不自由な姉がいます。彼は自分の存在はその姉のためと思っています。確かに両親は自分たちが死んでしまったら一人残ってしまう子どもがかわいそうでそのためだけにもうひとり生んだと公言してはばかりません。また、そのことにたいして不満も不平も疑問も持たない持とうとしないのです。
 どちらかというと中学生の物語というより高校生たちのようにもおもえるけれど、でも、そんな細かいことはいい!と言いたくなる程明るい学園物語、現実の暗い中学生時代を知っているにもかかわらず、あまり違和感なく楽しく読んでしまうのは、作者の文章力なのでしょう。さぁ!空を飛ぶことができたでしょうか?ちょっぴりせつない青春小説?です。

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天の鹿

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「天の鹿」
安房直子 作
スズキコージ 絵
ブッキング 本体1800円

 朝晩すっかり涼しくなって、秋がはじまっています。この物語はもう少し秋が深くなってのお話です。
 3人の娘がいる猟師の清十さんは鉄砲がうまいだけでなく、鹿笛も上手に吹きましたからその笛の音で鹿をおびき出すのです。鹿笛を吹くとやがてススキをわけて鹿が姿を見せます。そして、しとめた鹿は高い値段で売れました。
 ある秋の晩予感どおりみごとな牡鹿がやってきました。この晩は笛を吹いたわけでありません。やってきた鹿が清十さんに、ここを通してくれるならすばらしい品物をあげようといいます。その品物はむこうの鹿の市で買える、そして、金貨一枚をくれました。
 次に鹿の背に乗って鹿の市へ行ったのは、3人の娘たちでした。最後に乗った末娘みゆきは、昔、病気をした時に鹿の肝を食べて元気になった娘でした。そのかわり肝を食べられた鹿は天の鹿になれなかった、清十さんと娘たちが乗った鹿はその鹿だったのです。鹿は3番目の娘みゆきが肝を食べた娘だとやっと探し当てます。みゆきは鹿に乗って市に行き、半分ずつ飲み、食べ、白い花の中でねむりにはいります。清十さんは初雪の降った日、みゆきが乗った鹿が天を駆けいくのを見ました。
 作者の作品には天や風、降る雪と一緒にむこうの世界に駆けていくこどもや若い人がよくでてきます。それは賢治ほど激しくはなく、自然のなかにはいっていってしまう。むこうの世界にいくこと、現実の欲や不安から解き放されていき、自然に包まれて死を迎える安堵感、そんな思いを感じます。
 

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反撃

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「反撃」
草野たき
ポプラ社 本体1300円



 中学生から高校生への女の子5人の物語、短篇集です。5人の女の子は格別同じ場所を共有しているわけではありません。ただ物語を読み進んでいると、この広い世界=日本の中でいつの間にか、ある人とある人が繋がっている、人の出会いは不思議です。
 最初の物語は森田真奈美の話、小さい時から喘息で弱かった体質は引っ越しがプラスになったのか、運動できるまでになり、バトミントン部にはいれるまでになります。目標を2年生の秋の新人戦でレギュラー入りをめざしてがんばります。けれど次の段階、2月の冬の大会でのレギュラー入りはできませんでした。しかも、たいしたことがないと思っていた1年生に追い抜かれてしまいます。そして、バトミントンはあきらめて、懇願されて演劇部入り、自分が出せたと喜んだのもつかの間、仲間にはいったと思ったのは思い違いでたんなる役をうめるだけだった、勝手に自分が思い込んでいただけだということを知らされます。けれど真奈美は負けていません。このことで身につけた度胸で受験はみごと合格します。中学生活3年間で真奈美が知ったことは人生はなかなか思ったようにはいかないということでした。真奈美は次のステージにシンガーソングライターになるべく路上ライブをはじめます。家族の誰もが反対、ファンなんかつかないと思っていたのに、聞いてくれる女の子があらわれます。次の物語はその女の子里美です。里美は自分を犠牲にしてでも、クラスを平和で良いクラスにしようとした先生の意志をついで教師になろうと思っています。
 物語はこんなふうに5人の女の子へと続いていきます。生きていくことはいろいろのことがあり、おとなではない、かといってもう幼い子どもではありません。表にあらわれることだけでなく、がまんをしたり、悲しんだり、怒ったり、決してかっこ悪くならないように、でも時にはもうだめだと思ったり、なんて人はややっこしいのでしょうか。そして、その時は気がつかないかもしれませんが、そのかげには励ましてくれる人がいたり、支えてくれる人がいます。作者はこの年代の子どもたちの繊細な気持ちを描くのがとても上手です。この物語の女の子はどこにでもいる、それだけでなくその廻りにいるおとなもごく普通にいる人ばかりです。
 作者は悩みながらも、「反撃」をこころみる、つまずいてもそこから次に向かっていく人たちを書く、それは大きな希望、明るい未来への第一歩とあとがきに記しています。

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トレッリおばあちゃんのスペシャル・メニュー

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「トレッリおばあちゃんのスペシャル・メニュー」
シャロン・クリーチ作
せなあいこ訳
評論集 本体1400円

 ロージーとベイリーは12歳、ほんとに小さい時からの仲良しです。仲良しというより親友、きょうだい以上の関係かもしれないくらいです。それなのに今日のベイリーは”もう帰りなよ”と冷たくいい、ロージーがまるで邪魔のようにドアをピタリと締めてしまいます。どうしてベイリーがこんなに冷たいのかロージーには理解できません。
 ロージーは家に帰っておばあちゃんに聞きます。”どうしてベイリーはあんなにつめたいの?”トレッリおばあちゃんはいつものようにスープをつくりはじめます。”まずセロリ(緑色)ニンジン(オレンジ色)タマネギとマッシュルーム(白色)がいるね””ロージーなにがそんなに悲しいの”スープを作りながらおばあちゃんと話すなかで、ベイリーは目がみえないこと、ロージーはいつもベイリーの役にたちたいと思っている、それくらいベイリーのことが大好きに思っていること。けれどベイリーは前ほどロージーといることが嬉しそうではない、時々とてもつれない態度をとるし、他の女の子が好きになったのではないかとロージーは思ってしまいます。おばあちゃんは故郷の料理をつくりながらロージーの気持ちを聞いてくれ、自分の昔の経験を話してくれます。おばあちゃんは16歳で故郷イタリアをあとにしてアメリカにきました。そして、たくさんの嬉しいことや悲しいことを経験して生きてきたのでしょう。ロージーがベイリーとの関係に悩む物語のなかに、そのおばあちゃんのたくさんの経験が料理をとおして描かれています。そして、ロージーとベイリーのみずみずしい感性におばあちゃんの話がぴりっとした香辛料になり、まろやかな豊かな味の料理、物語になっています。
 クリーチの作品は「めぐりめぐる月」から最近の「あの犬が好き」「ハートビート」と、10代の子どもの心理がとても良く書かれていて、しかもどの作品にもその子どもたちに寄り添うおとながきちんと描かれています。


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ジェミーと走る夏

ちがうけれどお互いに認めあうこと

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「ジェミーと走る夏」
エイドリアン・フォゲリン作
千葉茂樹・訳
ポフラ社  1400円

 キャスは12歳、よく遊びにいっていたお隣の家は主を失ったまま荒れるにまかせてありました。いよいよ新しい家族が引越して来ることが解り、キャスのお父さんは隣との境にフェンスで壁をつくります。もちろん自由にお隣と行き来することはできなくなります。フェンスを作ったのは、その隣に引越して来る家族はアフリカ系の黒人の家族と知ったためです。キャスは父親に抗議しますが聞き入れてもらえません。そこで、フェンスの僅かばかりのほころびから、そこにイスを置き声に出して本を読むことにします。おとなりに引越してきた家族はおばあさん、お母さん、キャスと同い年の少女ジェミー、その幼い妹の4人家族ですが、キャスの父親と同様に貧しいなかで育ち、加えて白人によって差別され、そのなかから苦労し猛勉強をして看護士になった人なので、白人を快く思っていません。父親は死んでしまっていません。
 フェンスの切れ目の穴からキャスとジェミーは友だちになります。ふたりとも非常に走るのが早いことを知り、一緒に朝早く走る練習をしたり、今は亡きミス・リズがくれた「ジェーン・エア」を交互に読みっこしたりして、友情を深めていきます。そして、二人で組んで鎌状赤血球貧血という病気の人たちに役立てる基金を集める為のレースにでることにし、そのためもあり二人のチームにチョコレート・ミルクという名前をつけ練習します。もちろんどちらの家族にも知られないようにします。特にキャスの父親とジェニーの母親には。けれどついに知られてしまうようなことがおき、禁止、そして、キャスの妹の熱中症をジェミーの母親が助けたことから、両方の家族の間に少しずつお互いを認めあうということが芽生えてきます。また、この物語にはジェミーのおばあちゃんがとても大切な役割をはたします。おばあちゃんがいつも歌ううた”ヨルダン川をわたって、ふるさとに帰ろう”それは奴隷制時代に自由になることを意味していて、”正しい道を歩んでいさえすれば、この世界だって天国なのよ”P213〜214と、ちゃんとめんどうをみないために熱中症にさせてしまい、すっかり落ち込んでしまうキャスの姉ルー・アンに話す場面があります。それは人種差別のなかで、自分を失わないように生きてきた人たちの意味を若い二人に語る場面でもあるのですが、おばあちゃんはお互いを許しあって、認めあわなければならない、もうこれらの悲劇は乗り越えなければならない、口先だけでなくほんとうに理解しあうことの大切さ、そして女の子が自立することの意味を若い世代に伝えています。毎日の生活をきちんとすること、おいしいものをつくり、食卓をかこんでおたがいを語り合うこと。このおばあちゃんの生き方というか、考え方には遥か遠い日本で、現代に生きている日本の若い人たちにも届けたいことです
 もうひとつ、本を読むことは自分の人生の中でどういう意味があるのかが語られています。なかなかそんじゃそこらでは人の考え方を変えてもらうことは難しい、「ジェーン・エア」を読みあう場面、2つを隔てる壁のところで本を読みあう場面、ミス・リズのお墓の場面、図書館で本を探す場面、などたくさんの本を読む場面がでてきます。
 走ることが物語を動かしているので、訳文もスピード感が良く表現されていて、対比される2つの生き方、前の持主ミス・リズとジェミーのグレースおばあちゃん、キャスとジェミーの母親の性格と生き方、おしゃれが大好きで好きな男の子の言いなりになってしまうキャスの姉(でも素直でやさしい)ルー・アン、キャスのボーイフレンドのベンなど脇役もしっかり描かれていて、作者がなにを若い世代に訴えたいかのかが、きちんと書かれているのでとても爽やかな、それでいて内容の濃い物語になっています。

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ステフィとネッリの物語

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ステフィとネッリの物語
1海の島
2睡蓮の池
3海の深み
4大海の光
アニカ・トール著
菱木晃子/訳
新宿書房 本体各2000円

 ナチスの支配のもと、スウェーデンは500人ものユダヤの子どもたちを受け入れました。この物語の主人公ステフィとネッリの姉妹もそのなかのひとりでした。1939年二人はスウェデンの西海岸の小さな島に別べつの家庭にひきとられます。父親は医師、母親は元オペラ歌手という家庭でなに不自由なく育った二人です。受け入れた家庭、ステフィはエヴェルトとメルタにネッリはリンドベルイとアルマ、どちらも漁師の家で、貧しくペンテコステ派の信者です。ステフィは厳格なメルタになかなか打ち解けることができませんが、けして、愛情がないわけでなく、亡くした娘の替わりのように思っている実直なメルタとやがて心をかよわせるようになります。ステフィは成績が優秀で自分でも父親のように医者になりたいと思い努力します。一方ネッリは母親譲りのすばらしい声をもっているかわいい子どもですが、ステフィのように成績が優秀でなく、幼くて父親のイメージもたしかでなく、自分はいらない子どもと思っています。ウィーンに残った両親はアメリカに渡ろうとしますが、病気になって機をのがし、テレジン収容所におくられてしまいます。3巻目でわかるのですが母親はチフスで命をおとし、父親も移送というだけで不明になって、消息はとだえてしまいます。ステフィは中学進学のためスウェーデン第二の都市イェーテポリで暮らします。けして良いことばかりではありませんでした。経済的な困難と差別のなかでなんども挫折しそうになります。ステフィのまわりの友人、同じユダヤ人、そうではないけれど貧しい労働者階級の人たち、豊かに家庭に育っているのに、この時代のなかで自分をみうしなってしまう人たちが描かれています。そして、ともすれば生きていくことの困難さに負けそうになるステフィに、具体的に提案し力をかしていくピョルク先生のような教師がいます。ネッリもまた、ステフィとちがう生きかた、それは決して悪いことでなく、自分らしく生きていくことを手探りで歩きだします。
 この物語はステフィとネッリの成長物語と読むこともできます。背景には戦争とその過酷な時代が描かれていますが、自分だけが生き残ってしまった、一体自分はその価値があるのか、私はだれになるつもりなのかと悩むステフィ。アメリカに生きていることがわかった父親に移住してくることをすすめられて悩むステフィに、養父のエヴェルトはこういいます。「人生は、なるようになるものさ。水平線のむこうには、常になにかあるんだ」ー4巻P292からー
 この物語を読んで、いまの日本の若い人たちにもこの言葉を贈りたいとおもいます。

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Eggs夜明けなんて見たくない

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「Eggs 93夜明けなんてみたくない」
ジエリー・スピネッリ
千葉茂樹・訳
理論社 本体1500円




 デイビットは9歳、母親を亡くして祖母と一緒に暮らしています。母親の死は父親を悲しみから仕事人間にし、ディビットは殻に閉じこもり心を閉ざしてしまいます。イースターのお祭り、卵探しにいったけれどいじわるされたデイビッドは一つも見つけることができませんでした。それどころか、公園の奥まで入っていって、落ち葉のかげに卵と一緒に死体を見つけたと思い逃げ帰ってしまいます。死体とおもったのはプリムローズ、彼女は自称占い師の、でも少し精神に変調があって娘のことを考えもしない母親と暮らしています。。差別といじめ、その中からプリムローズはなんとか自分の居場所を見つけたいと思い、廃車を使った家にぶつけられた卵をぬぐいとり、家らしくなかを飾ろうとします。その資金稼ぎにデイビッドはプリムローズの手伝いに誘われ、一緒に夜の街を彷徨します。その二人を静かに見守っているおとながいます。冷蔵庫ジョン、生まれつき足に障害があり、廃品のなかから自分でリサイクルをして作った家「屋敷」に住んでいて、二人の廃品を買うだけでなく話を聞いてくれます。
 卵のからで心をとざしているデイビットと、投げつけられた卵をぬぐいとることで、自分をたもとうとするプリムローズだけでなく、都会のなかで必死に生きていながらともすれば自分を見失ってしまいそうになるおとなたちも孤独です。デイビットとプリムローズはけんかをし、時にはおたがいをずたずたにするほど傷つけあい、でも、そのなかからふたりは少しずつ心を通わせていきます。
 最後の冒険のシーン、二人を迎えるおとなたちの場面はとても感動的です。デイビッドには母親の声だけでなくほかの人たちの声も聞こえてくるようになります。その人たちの声は母親が亡くなってしまったあとの大きな穴を「埋める」ことはできないけれど、デイビッドが穴の中に「落ちてしまう」のを防ぐことはできると作者は書いています。

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ひとりたりない

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「ひとりたりない」
今村葦子・作
堀川理万子・絵
理論社 本体1300円




 琴乃の家のたりないひとりは志乃おねえちゃん、もうすぐ夏休みが終わりという日でした。中一のおねえちゃん、私は五年生で弟の周斗は二年生、三人でアイスクリームを買いに行くところでした。周斗はサッカーが大好きで、その日もサッカーボールをバウンドさせていました。どうしたのかボールが横に跳ね、それを追いかけて車道に飛び出しそうになった周斗をおねえちゃんがつかみました。でも、つかみそこねておねえちゃんが前のめりに車道へ、そして車のブレーキの音、おねえちゃんは車の下に。その時から私の家は一人たりなくなったのです。たりなくなったどころか、なにもかもが狂ってしまいました。自慢の娘がいなくなった両親はお酒におぼれ、弟は話をしなくなり、おもらしをするようになり、いつも指を吸いながらかげにかくれてじっとしています。琴乃の家族はプッンと糸が切れたように、みんながばらばらになり、どうなっていくのかわかりません。とうとう苦しくておばあちゃん、おかあさんのおかあさんにS・O・Sの電話をしました。”おばあちゃんたすけて!”
 とても重たい物語です。作者はこの決してありえないとはいえないことに、この家族はどうむきあっていったかを語っています。S・O・Sでやってきたおばあちゃんは、たとえ誰も食べなくとも決まった時間に食事の支度をしました。それ以外にも、いつものどおりに規則正しく生活をしていくこと、とくに自分のせいだと苦しんでいる幼い周斗をそのままに受け入れます。歌をうたったり、本を読んでやったり、自分流にまっすぐに。
 すこしずつ、もとの生活に戻っていきます。そしておばあちゃんの病気で、周斗は自分を必要としている家族がいることに気がつきます。ただ、かといってこの物語は「家族で不幸を乗り越えていきました。おしまい!」というふうになっていません。「時間が解決してくれる」というような結論にもなっていません。やっぱり「ひとりたりないのです」それで良いのではないかと、経験のあるおとなの私は思います。

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風の中のマリア

上質なNFF(ノンフィクション・ファンタジー?)

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「風の中のマリア」
百田尚樹・著
講談社 本体1500円



 人間以外の動物を主人公にした物語は、児童文学の定番です。ファンタジーから、リアルな描写の動物物語まで様々です。もちろん大人向けの動物文学は、シートンや戸川幸夫を持ち出すまでもなく、錚錚たるものです。でもスズメバチを主人公にした大人向けの物語は、初めてでしょう。それが百田尚樹の『風の中のマリア』です。しかも子供でも読めます。むしろ子供に読んで欲しくて書いたのでは、と思うのは前作が高校ボクシング小説の『ボックス!』(太田出版)だったからでしょうか。
 登場するのは、全て昆虫たちです。しかも擬人化してます。ファンタジーに近い。でも擬人化は、飛翔感覚や狩りの快感、狩られる恐怖を虫に語らせる為です。実際に虫が感じてるかは、分かりません。でも読んでいると、虫と一緒に、本当に飛んでるような気がします。映像的です。と思ったら、作者は放送作家出身でした。リアルな描写が、この小説の持ち味です。でもそれだけではない。生態描写もしっかりしてます。スズメバチの命は30日位です。このマリアの30日間の物語に、女王バチの春夏秋冬から遺伝子の説明まで入れてます。しかも虫たち自身に説明させています。ノンフィクションの手法です。『フリズル先生のマジックスクールバス』やテレビ番組に近い。
 ハチやアリの社会は複雑です。セイヨウミツバチの大量死が問題になってますが、日本独特の生態も描かれてます。ニホンミツバチは、セイヨウミツバチが蜜を盗みに来ても、抵抗の手段を持たないので、明治時代に滅ぶはずでした。ところがセイヨウミツバチは、オオスズメバチへの抵抗手段を持たないので、野生では繁殖出来ませんでした。ニホンミツバチはオオスズメバチへ抵抗出来ます。「蜂球」という摂氏2度の体温差を利用する抵抗手段です。この狐拳のような日本独特のバランスも描かれます。
 ハチの社会で、ハタラキバチが自分の妹たちを育てる無償の行為の説明には、ハミルトンの「血縁選択説」を紹介してます。自分の子供を育てるよりも、妹を育てる方が、自分と共通の遺伝子を残すには有利であるという説です。これを推し進めると、ドーキンスの「利己的遺伝子」になる訳です。
 というふうにこの本は、ノンフィクションでありファンタジーであり動物文学です。NFFというジャンルも有りかもしれません。 ここまでして描きたかったのは、生命の精緻への驚きでしょう。その為の描写であり、比喩なのです。虫がどう思ってるかは、誰にも分かりません。「血縁選択説」にしても「利己的遺伝子」にしても、遺伝子がそう思ってる訳ではありません。そう説明すれば、辻褄が合うだけです。人間も遺伝子で出来ており、遺伝子の仕組みの限界が、思考の限界のはずです。限られた思考方法の中で、どう説明するか、この本もひとつの試みでしょう。    
        (高橋峰夫)

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ロジーナのあした

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「ロジーナのあした」
孤児列車に乗って
カレン・クシュマン作
野沢佳織・訳
徳間書店 本体1400円


 時は1881年シカゴから西部行きの列車にのった22人の孤児がいました。そのなか一番大きい12歳のロジーナの話です。とはいえ、22人の孤児はみんな孤児というだけで、年齢も性格もすべて違います。共通なのはあたらしい家族?に引き取られるために列車に乗ったということでした。最初に地図が載っています。ロジーナたちが乗った列車が走った路線、シカゴから終点のサンフランシスコまで、そして、途中通った駅が一章になってひとつの大きな物語になっています。孤児たちはあいついで両親を亡くして心を閉ざしているロジーナと元気な少年たち、(最後近くあっと驚くようなことがあります。)ロジーナをたよりにする知恵おくれ?の少女、左右の目が別な方向を向いているけれど陽気な優しい少年、ロジーナたち孤児だけでなく、一緒に孤児たちの世話のために列車に乗った冷淡なドクターもなにかありそうです。ロジーナは年長だったためにドクターの手助けするようにいわれます。この旅の中には孤児の行く末を描いているだけでなく、その頃のアメリカのようすも描かれています。人種差別、偏見、開拓の大草原のなかで暮らす貧しい農民、ここではロジーナを欲しいという人に連れて行かれたのは、土手の穴蔵を住居にしている子どもがたくさんの家族、母親が死ぬともらった子どもを母親にしている家族です。この結核になった母親が自分が死んだ後ロジーナが替わりをさせられることをロジーナに話して逃げることをすすめるのです。また、花嫁募集の新聞広告で、結婚というあたらしい世界に飛び込んでいく女の人もいます。もちろん自分の土地をだまされ取り上げられた少数民族の人たちにも出会います。そして、いっしょに列車にのったドクターがどうして医者になったか、女が医者で生きていくことの困難さも、物語が後になるにしたがってはっきりしてきます。ロジーナは女でも自立して生きていくことのために新しい一歩を歩き出すのです。
 あとがきによるとこの物語は実際にあったことからヒントを、そして、作者の母方のルーツであるポーランド系の移民のことがあったとのことです。また、作者はイギリスを舞台に孤児になった少女が居場所を得て、村の産婆見習いとして生きていく、やはり自立をテーマに描かれているニューベリー賞受賞の「アリスの見習い物語」(あすなろ書房)があります。
 状況も時代背景も違いますが、ある意味では成長し自立していくのは古くて新しいこと、現代の若い人にも通ずることだと思います。たいへん読み応えのある作品です。

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龍の腹

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「龍の腹」
中川なをみ作
林喜美子・画
くもん出版 本体1500円


 日本では鎌倉時代、この物語の舞台の中国では南宋時代の末期、太郎の父は博多で反物を扱う大店の主だったが、焼き物特に青磁をつくりたいとの願いから、店をたたみ宋に行くことにします。親しくしていた宋の貿易の豪商である謝国明の力添えで、商いの船に乗せてもらい龍泉の窯元についた太郎には思いもかけないことがまっていました。龍泉には名前の通り小高い丘に横幅が1丈(およそ3メートル)長さが22丈(およそ66メートル)もの登り窯がいくつもあり、そこで太郎は希龍という名前に変わります。それだけでなく、父親はここで願いの陶工になるという希望が受け入れられないと知ると、太郎=希龍を陶工にするために置いて行ってしまいます。父の野望に翻弄され、知らない所でひとりになった希龍はさまざまな人と出会います。政治の動乱のなかで、必死に生きていく陶工やそれにつらなる人々、争乱のなかで生まれた家名ゆえに死んでいく幼い武将、なんとか這い上がっていこうとする若者、志がかなうことなく挫折していく人々のなかで、希龍は生きることや働くことについて考えていきます。希龍を捨てるように置いていった父親は、願いの陶工になることなく死んでしまっていました。希龍は桃花と生を共にし、央育の父親になり、三人で龍泉に戻り陶工として生きていく決心をします。日本の土で誰もが使う雑器をつくりたい、桃花は日本の草木で体を元気にする染めを、二人の新しい生活がはじまります。
 中国が舞台なので少しわかりにくいところもありますが、はじめは自分の意志ではないけれど、焼き物に魅せられ、青磁の美を求めていくなかに陶工として自立していく、人間として成長していく物語は若い人に訴えかける力があります。
 

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国境まで10マイル

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「国境まで10マイル」
コーラとアボカドの味がする九つの物語
デイヴィッド・ライス作
ゆうきよしこ訳
山口マオ画
福音館書店 本体1600円




 ここ連日メキシコとアメリカでの豚インフルエンザのことがニュースで流れています。生まれてからずっと日本で暮らしていると、国と国の距離感はあまり近くと感じられません。この物語の舞台はアメリカテキサス州の最南端、リオ・グランデ・バレー地域で暮らす人たち、10代の子どもたちと、それをとりまくおとな(老人たちもふくめて)たちの物語です。つまり国境まで10マイルなのです。見返しに地図がでています。そして、ちょっとわかりにくい読者のために解説がのっていて、それを読むとテキサスとメキシコの歴史と繋がり、そして「テックス・メックス」としてしられているメキシコと南部アメリカの融合文化のことが書かれていて、この物語の背景がより深く知ることができます。(通勤にしろ買い物にしろ毎日国境をいったりきたりする生活等、日本では考えられないことです。)
 でも、どこの国でもどの時代でも若い人たちは、まっすぐにそれらと係わりあいながら生きてきます。「まあまあ金持ちだった僕たちの家にいた家政婦カタリーナ、いつもは家政婦というより家族のような存在におもっていた。でも引っ越ししてカタリーナと別れなければならない理由のひとつには検問所の問題があった。カタリーナの孫のお葬式にいくと子どもたちは僕らのことをみんな知っていた。僕たちのお古を着て、ぼくたちが使わなくなった古いベットに寝て、僕たちを兄弟とよんでくれた。P52」帰りに国境監視員はみんなにアメリカ市民かと聞きます。”正真正銘のアメリカ人か”と聞かれ僕は答えません。ーもうひとりの息子よりー
 この物語集はおとなになりはじめの恋の話、好きな子の話、バレンタインや誕生パーティ、ピニャッタ割りの話、ダンスと音楽と食べ物、そして貧しさと人種差別と、魔術師や魔術、ポップで暖かくて、どこか哀しい、たくさんの青春がつまっています。
 おとなの入り口で精一杯生きていく若い人たちの物語は、はるか遠い国の物語なのですが胸をうちます。


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ベルおばさんが消えた朝

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「ベルおばさんが消えた朝」
ルース・ホワイト作
光野多恵子・訳
徳間書店 本体1500円


 50年代のアメリカの小さな町、12歳のジプシーの家と同じ敷地にあるおじいちゃんの家にいとこウッドローが引き取られて引越して来ました。ウッドローも12歳、母親同士が姉妹だけれど、二人の育った家はとても対象的です。ウッドローの家はジプシーの家から離れた山の際にあり、父親は貧しい炭坑夫、母親はある朝起きたままの姿でいなくなってしまいます。ようとして行方がわからないまま、父親はアルコールにおぼれウッドローは母親の姉にあたるジプシーの家に引き取られます。一方ジプシーの家はお金持ちで、母親もジプシーも大変な美人、なにひとつ不自由がないようですが、ジプシーの父親はすでに死んでいない、義理の父親にはなかなか心を開くことができません。そして、時々みる悪夢に苦しめられています。
 ウッドローは斜視です。本が好きで母親に良くお話を語ってもらっていました。そのためかウッドローは目に見えない世界を感じたり想像することができるといいます。
 ジプシーもウッドローも心に傷をもっていて、それには、二人のみならず母親同士から続いてきた確執がありました。二人はその物語を確かめながらお互いの絆を強くしていきます。
 ジプシーの義理の父親はさりげなく、けれどしっかりと描かれています。”きみがきみらしく生きていれば、いつだってだれよりも輝いていられるはずだ。”とはげます言葉(P192)それと、とてもきれいな声で歌う眼球のない浮浪者のようなペニーさんが、見かけだけにまどわされず、見えないだけにほんとうをみていることを知るなかで、ジプシーもウッドローもパパやベルおばさんが二人を捨てたのではない、”ただ、苦しみが愛より大きかっただけなのだ”(P262)と思えるようになります。ジプシーが死んだパパが大切にした長い髪を切る場面、ウッドローが空を見上げながら母親と語りあったことを話す場面など、二人の気持ちが良く描かれています。
 とかく、幼い時のトラウマから逃れられない、一生癒えない心の傷とか、現代も事件があったりするとよくいわれます。でも、こういう物語を読むと、その中にも人が人らしく生きていこうとする力、魂の力があり、それに信頼していくことが最善のことだ、それが物語の力なのだとおもいます。

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生きることの意味とは

9784338144285


「殺人者の涙」
アン=ロール・ボンドゥ
伏見操/訳
小峰書店 本体1500円

 この本は昨年末には手に入ったのに、今まで延ばしつつ読むことがためらわれました。暮れから新年にかけての気持ちの落ちつかない時に読むべき?本ではないと思えたからです。書名といい表紙の絵といい暗い物語か、しかも涙などと私にはちょっと苦手なタイトルなのに、なぜか気になり、とうとう本に呼ばれて読みました。
 チリの最南端の荒れ果てた荒野に一軒の農家があり、そこではポロヴェルド夫婦とパオロという一人の子ども住んでいました。パオロは両親と住んでいるとはいっても、自分の年齢も知らない、つまり愛情のこれっぽちも与えられたことがない子どもでした。もちろん毎日自然相手に蛇と遊ぶしかなく、友だちなどもいません。この農場にもほんとにたまに旅人が寄ることがあります。ある日訪れた旅人は天使と歓喜という名前アンヘル・アレグリアという殺人者でした。アンヘルはすぐにポロヴェルド夫婦を殺してパオロに穴を掘らせ、そのままその農場に住みついてしまいます。アンヘルはパオロを殺すことをしない、できずに二人は一緒に暮らし始めます。そこへ、一人の旅人が立寄ります。そのルイスは自分の居場所を探していて、この場所の近くに小屋を建てて住みたいといいます。
 パウロは生きて行く為にはアンヘルが必要なことがわかっています。それがたとえ自分の両親を殺した男だとしても。奇妙なことにアンヘルはパウロと暮らすうちに人間らしい感情が芽生えてきます。一方パウロにとってルイスは未知の世界をみせてくれる男でした。ルイスは本をもっていて詩を書き、パウロに本を読んでくれます。パウロは文字を習いたいと言いだします。
 物語は本と手紙と音楽、そして孤独と絶望と希望がその間を波のように繰り返し綴られていきます。アンヘルは処刑され、パウロは自由になったはずなのに、両親がうまっているあの荒野の農場へ帰ってきて生活していきます。荒野はかわりませんが、パウロが住んでいる家は本と音楽ときちんとした部屋と生活、やがて月日がたって結婚し女の子が生まれ、名前はアンヘリーナと名づけました。
 アンヘルはパウロのためにいくたびも涙を流す、読者はおもわず一緒になって涙を流している自分に気がつくでしよう。でもその涙は哀れみと絶望の涙ではありません。
 静かな、生きていくことの意味を考えさせる物語でした。

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生まれでる命と老いていく命

9784037267605


「ハートビート」
シャロン・クリーチ作
もきかずこ訳
偕成社 本体1400円




タッタッ、タッタッ 12歳のアニーの走る音です。アニーは走ることと絵を描くことが大好きです。この物語は散文詩で書かれています。全編アニーの走る音、タッタッタッタッが聞こえてきます。そして、アニーの母親が体の調子が悪いようす、でもそれは、悪いのではなく赤ちゃんがおなかにいるためだとわかります。物語がはじまります。タッタッ、タッタッ 一方一緒に暮らしているおじいちゃんは日に日に物忘れがひどくなり、確実に老いていきます。アニーはおじいちゃんが大好きです。アニーの幼なじみのマックスも時にはいっしょに走りますが、マックスは気分屋でタッタッとは走りません。
 ある日週に2度の美術の授業の時のフリーリィ先生からの宿題はリンゴを毎日描くとのこと、なんと100日間毎日描く、たったひとつのりんごを毎日描くのです。タッタッ、タッタッ 先生はきっとおもしろいことに気がつくといいます。
 あかちゃんを超音波で見ました。そして、トクトク、トクトクと心音も聞きました。ワシャワシャという心臓の鼓動、あかちゃんもがんばっています。みんな、おとうさんもおかあさんも、わたしもあかちゃんもおじいちゃんもわたしたちはみんなチームです。
 一章ごとにアニーは前に前に走っています。一度きりの12歳の日々、タッタッ、タッタッという足音と一緒にアニーの考えていること、思っていること、不安も喜びも、読者の心に新鮮に響きます。声をだして1章ずつ読みあうのもいいなぁと思う青春の本です。

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「ボクラノエスエフ」シリーズはじまる

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「海竜めざめる」
ジョン・ウインダム
星新一 訳 長新太 画
福音館書店 本体1800円


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「闘技場」
ーフレドリック・ブラウンコレクションー
フレドリック・ブラウン
星新一 訳 島田虎之介 画
福音館書店 本体1800円




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「秒読み」
 筒井康隆コレクション
筒井康隆 
加藤伸吉 画
福音館書店 本体1700円



 少し前から出版されるのを楽しみにしていました。福音館書店がSFを!?実際手にとってみないとなぁ!という気持ちでした。私のところではわずかですが学校図書館に納品しています。授業の関係の本は別として、子どもたちが読む文学関係の本のなかで時々疑問に思うことがあります。特に現代文学ではなかなか選書が難しい、子どもたちが選んでくる本はテレビ化されたものが圧倒的に多く、予算がないこともあって文庫になっているものがほとんどです。当然範囲が限られます。そして、テレビものなので刺激も強くかたよっています。先生はいそがしくて本を読んで選書ができないし、学校には専任の司書がいないこともあって、例えばノンフィクションなどがあまり選書されません。
 自分で本を読み始める年齢の子どもたちの幼年童話とYA対象の本が大変少ないので、このシリーズに関心がありました。手に取るのにちょっとおしゃれで読もうかなと気持ちがそそられます。それは装丁の斬新さがおおきいと感じました。店のお客様(おとな)は福音館の本!とほとんどの人が驚きます。たしかにいままでの刊行された本と、すっかりイメージがちがうのは、いわゆる福音館書店が児童書の専門出版社ということだったのでなおのことなのでしょう。ちなみに東京のある大型書店では児童書の売り場になく、一般書のなかに置いてあって、ベストセラーにうもれて目につきにくくなっていました。
 SFなのであまり内容は書けないのですが、私は昔、早川書店版で読んでいたのがあって、今回読んで懐かしく思い出しました。やっぱり最初に手をだしたのは「海竜めざめる」です。長新太の絵が好きなのがその理由です。(今回読んでおもわず「ゴジラ」の映画を思い出しました。)「闘技場」に入っている「星ねずみ」や「不死鳥への手紙」も同じ、昔好きだった話です。じつは筒井康隆は芝居はおもしろのですが、本は自分の読むスピードがあわなくてちょっと苦手です。
 このシリーズをYAの人たちはどう読むでしょうか?中学生の男の子がふたり(ふたりとも良く本を読む子です。)買っていきましたが、どうだったかこんど会ったら聞いてみようと思っています。
 福音館書店にとっては大英断だったと思いますが、私はこれからの刊行が楽しみです。時間をかけてでも、読み応えのある本を刊行して欲しいと期待しています。

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プーカと最後の大王

 「時間のない国で」の続編
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「プーカと最後の大王」
ケイト・トンプソン
渡辺庸子=訳
東京創元社 本体2600円



 前作では人間界からティル・ナ・ノグに時間が流れはじめ、そのもとをつきとめた15歳のJJが一方の妖精世界の青年アンガスと力をあわせて解決するという話でした。物語は各章すべてにアイルランド音楽の楽譜がついているという念のいれかたになっていました。
 この本の物語の舞台はそれから25年以上も一挙にとびます。JJはプロの演奏家になっていて、結婚して、4人の子どもがいます。その次女ジェニーが主人公です。ジェニーはいつも薄着で裸足で野山を駆け回り、もちろん学校にいきたがらない、とても不思議な野性的な子どもです。もちろん長女のヘイゼルも長男のドナルも隣人のミッキーやナンシーも重要な役割をもっています。それだけでなく、今回の物語にはジェニーのそばにいつもいるプーカ(前作でもちょっとでてくるヤギの姿をしている神獣)、ジェニーがいつも行く砦あとにいる幽霊、そして、アイルランド民話「取り替えっこ」が物語の芯になっています。JJがアンガスとした約束、物語は複雑にからみあい、後半で驚くような展開をみせます。一家はとても愉快な音楽家族として描かれていて、JJはかなりドタバタで自分勝手なおとなに描かれていますが、なかなか憎めません。アイルランドの自然と伝説と音楽いっぱいの物語です。

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ビーバー族のしるし

9784751522110

「ビーバー族のしるし」
エリザベス・ジョージ・スピア
こだまともこ=訳
あすなろ書房 本体1500円



 1768年ひとつの家族が新しい土地をめざして相談していました。マットたち一家はメイン地方に土地を買い、最初の白人として移住しようとしていました。そして、まず父親とマットが移って、夏になったらいったん父親だけが戻り、母親と妹のセアラと生まれたばかりの赤ん坊をつれてくる、その間マットがトウモロコシの世話をするという計画でした。時計とライフル銃、小麦粉などの食料などをおいて父親は出かけていきます。マットの孤独な過酷な毎日がはじまります。おまけにならず者に銃をもっていかれてしまい、しかもクマが入り込んで食料も無くしてしまいます。そして、ミツバチをみつけてハチミツをとろうとしたマットはハチにさされ、あやうく命を落としそうになります。
 マットの命を救ったのは、この土地に住んでいる先住民のインディアン(文中のまま)のビーバー族の少年エイティアンとサクニスという老人、長老でした。サクニスはエイティアンが狩りをして獲物をもってくるから、替わりにエイティアンに読み方を教えるように取り決めをしたいと言いだします。エイティアンは初め嫌がるのですが、やがて二人の間には友情がうまれてきます。
 物語にはエイティアンとその部族ビーバー族の暮らしが丹念に書かれています。けれど、この本を自然のなかで生きていくビーバー族の知恵と読むだけではつまらない、かといってたんなる男の子の自立の物語として読むのも、どこかちがうように思いました。この物語には各々個性的な人がでてきます。なんといっても、まず白人のマットとビーバー族の少年エイティアン、マットは厳しい自然のなかで生きていくことをエイティアンを通じて学んでいきますが、自分たちの暮らしがエイティアンたちにどういう意味があるのかに疑問をもち、考えようとします。エイティアンは早く一人前の若者に、おとなになりたいとひたすらそれを願っています。
一方、マットの父親は開拓民として成功したいとひたすら思っています。したがって自然は征服するものです。自分の土地を持ち、家族を守り、豊かになりたいと欲しています。サクニスは住処を白人に追われ、部族をひきいる長老として、このままでは白人にだまされるだけだということを感じています。そして、孫のエイティアンが文字を読めるようになることを希望します。自分たちの生活を守るのに必要なもの、文字を読めるようになることの意味を部族の誰よりも感じています。
 いま、わたしたちはすでに自然を征服すること、多民族や他の文化を同化させていくことの考え方が、決して未来を生まないことに気がつきだしています。戦争がそうです。でも、それならどう共生していったらよいのかということがわからない状況です。サクニスの生き方は共生の考え方なのです。
 この物語のなかに、マットとサクニスのなかに希望をみたいとおもいます。その後のアメリカの歴史などにマットやサクニスをかならずしもはっきり見つけることはできませんが、マットの子どもやサクニスの子孫は生きているのだと私は思います。物語はたんなる自然や古きものや霊への協賛だけでなく、マットやエィティアンが読者に続いていることを語っています。
 私はちょうど「ジャック・ロンドン/著 火を熾す」「鎌田遵/著 ネイティブ・アメリカン」を読んだあとで、関心のある人にあわせて読まれることをぜひおすすめします。

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柳広司の「山月記」

Book

「虎と月」
柳広司・著
理論社 本体1400円



 教科書でおなじみの「山月記」作者は一体どう料理するのか興味津々でした。本をみると表紙のイラストをはじめ、ますますなんだろう!とおもいました。一口でいうとおもしろかった。もとの「山月記」の雰囲気はほとんど感じられません。挿絵もさることながら、文体も軽い、ユーモアがあり、恋というちょっとした遊びもあり、作品からはとても戦争という人間性を破壊つくした時代のなかで、自我の確立をもとめ、中国の古い伝説や古典をもとに作品を書いた中島敦の影響は感じられませんでした。
 虎になった父に会いにいく少年(14歳)が見たもの感じたこと、そして、最後には父がなぜ虎になったかを知ることになる、その謎のなかにみえる人々の営みを作者は現代的な手法でかるく、けれどしっかり語っています。そして、古典の世界がいま生きている私たちのなかにもたちあらわれてくる、”なぜ父は虎になったのか?虎になったと伝えられたのか?現代の読者は少年になって旅をします。
 作者のあとがきにあるとおり、作品がつぎの作品をうむ、そうやってひろがっていく物語のおもしろさを感じました。

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気まぐれ少女と家出イヌ

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「気まぐれ少女と家出イヌ」
ダニエル・ペナック
中井珠子 訳
白水社 本体1900円


 柔らかい色合いの表紙の絵からすると、今はやりの動物の癒し本なのかしらと思ってしまいますが、そうではありません。主人公は単につけられた「イヌ」という名前のイヌと、手に負えないわがままなリンゴという名前の少女の物語です。イヌは子犬の時に捨てられ、野犬収容所で殺される寸前にある家族にもらわれます。住む所ができ、しかもはじめは調子良かったのですが、リンゴはきまぐれで、わがままで飽きっぽい。リンゴの両親もきれい好きで神経質な母親と、いつもイライラと怒ってばかりの父親で、この親たちは無責任に、ただリンゴの気まぐれのご機嫌取りにイヌを飼い始めてはみたものの、めんどうくさく早く捨ててしまいたいと思っています。リンゴは気に入らないことがあると暴れ回ります。イヌは家出をし、仲間たちと留守の家にはいりこんであばれまわります。リンゴたちへの仕返しです。帰って来た家族がどんな反応を示すか。まっているイヌのもとに運ばれてきたリンゴは痩せ細って息もたえだえでした。リンゴとイヌと親たちの緊張感のあるやりとりは、読んでいて現実に問題をかかえている子どもの顔が浮かぶくらいリアリティがあります。その意味ではこの物語は身じかにある物語です。おとなになれない親と子どもそのままではいられない子ども、母性や感情にもたれかからない家族のあり方をきずかせてくれる本です。
 


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アメリカ大統領の背景

 アメリカの人たちはオバマ大統領を選びました。その就任式の様子は日本の私たちもいろいろなメディアで知る事ができました。児童書の世界でもオバマ大統領の伝記がではじめましたし、書店では演説集がたくさん並べられています。
 学校で先生がはなしをするのに、なにか良い本はないかと相談をうけました。なんといっても黒人初の大統領、それがなぜ意味があるのかということは、アメリカの公民権運動について語らなければならないからです。

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「キング牧師の力づよいことば」
マーティン・ルーサー・キングの生涯
ドリーン・ラパポート文
ブライアン・コリアー絵
もりうちすみこ 訳
国土社 本体1500円

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「ローザ」
ニッキ・ジョヴァンニ文
ブライアン・コリアー絵
さくまゆみこ 訳
光村教育図書 本体1700円


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「あなたがもし奴隷だったら」
J・レスター文
R・ブラウン画
片岡しのぶ 訳
あすなろ書房 本体1800円

 3冊とも大型絵本の形になっていますが、なかなか読み応えがあります。 
 また、朝日・毎日・読売新聞はいっせいにオバマ大統領の就任演説の原文と訳文を載せました。読み比べてみるのも私たち日本人には必要なことかもしれません。そして、アメリカの市民が熱狂している背景も知る必要があるのではないかとも思います。

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ルール!

 ルールは、まもります。

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「ルール!」
シンシア・ロード=作
おびかゆうこ=訳
主婦の友社 本体1600円


 キャサリンは12歳、8歳の弟デービッドは自閉症をかかえています。自閉症の人は他の人との関わりがうまくできません。キャサリンの家族ではルール!をつくって、それをデービットに教えています。たとえば”たべるときは、口をとじます。”というようなマナーやあいさつです。それをキャサリンはいちいち弟に言わなければならないので、時にはくたびれてしまい、デービットを疎ましくおもってしまいます。まして、いまは親友のメリッサもいないし、友だちと遊びたいので、隣に新しく引越して来た女の子クリスティと仲良しになりたいと思っています。友だちに弟のほんとうの様子を知られたら仲良しになれないかもしれない、その思いがつのってきて、デービットにやさしくできないことがあります。ある日デービットを病院につれていって車いすに乗っている男の子ジェイソンと知り合います。ジェイソンは話せません。用事のあるときは絵カードをつかいます。はれものに触るようにしているジェイソンの母親、でもジェイソンはなんでもやってみたい、自分の可能性を探し出したい、いくら優しい事を言っても、自分をきちんと認めてくれないおとなの欺瞞をちゃんとみやぶっているのでした。キャサリンは絵を描く事がとくいです。ジェイソンの絵カードをつくることでデービッドやジェイソンの気持ちを理解していこうと前向きになっていきます。
 この物語は作者自身の体験の一部からつくられたとのことです。作者には自閉症をかかえている子どもがいて、病院で会話カードをつかっている親子をみて、それがすばらしい関係だったのでこの物語にしたのだそうです。自閉症や障害を抱えている人たちと、同情でなくきちんとお互いを認めあう関係をつくるのはなかなか困難なところがあります。ところどころにローベルの「かえるくんとがまくん」の会話がでてきます。ゆっくりとしていて、ユーモアがあっておたがいを”そのままでいいんだよ”といっているがまくんとかえるくんの言葉をたいせつに思うキャサリンにうれしくなってしまいます。自分をどう認めてもらえるかがとても気になる10代の人たちに読んで欲しい物語です。

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つむぐ人と悼む人

 先ほどラジオのニュースで天童荒太著「悼む人」が直木賞に決まったと言っていました。私はこの本が大きな書店のベストセラーになっていたので、このお正月休みに読んでみました。しばらく読んでいるうちにとても似ている本を思い出し、それもひっぱりだして再読してみました。

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「風をつむぐ少年」
ポール・フライシュマン
片岡しのぶ・訳
あすなろ書房 本体1400円


 日本では1999年に初版、出てすぐ読んだ覚えがあります。アメリカ、アトランタからシカゴに転校したばかりの16歳の少年ブレントが主人公です。父親の転勤で4度も転校したブレントはなんとか自分をかっこよくみせ、注目の人になりたいと思いますが、級友のパーティーで服装からすべて赤恥をさらしてしまい、酔った勢いでハラをたてながら高速道路で事故、女の子を死なせてしまいます。見ず知らずの女の子リーの母親に、つぐないとしてリーの顔をした風で動く人形をつくって、アメリカの4隅にたてて欲しいといわれます。刑務所にはいるか、何らかの修復作業にあたって罪滅ぼしをするのかとおもっていたブレントはとまどいながらも、はじめてひとりでワシントン州、カリフォルニア州、フロリダ州、メイン州と長距離バスで移動しながら贖罪の旅に出ます。各々の場所で吹く風でまわる人形を作りながら知り合う人との物語と、その風車をみた人たちの物語が交互に語られていくという形式になっています。その旅は贖罪の旅というより、自己発見とその行為が他の人を結びつけて、新しい風をおこす、つむぐということになることを作者は物語っています。最後近くになってブレントははずかしさと怒りで自暴自棄になって自殺をしようとスピードをあげていたことがわかります。
 再読して、はじめ「悼む人」が似ているとおもったのは「悼む人」の主人公静人と、その家族、そして「悼む人」と出会い、自分を見つめ直し出発していこうとする人たちの物語だと思われたからでした。でも、ブレントとちがっているのは、静人が自ら「悼む人」になって人が死んだ場所で膝をつき手をかかげ、下にさげて胸に抱え祈るような動作をすることです。そして、その死んだ人はどんな人だったか、誰かに愛されていたかと聞く行為そのものだけで、その行為が風をおこし、人を結びつけるわけではありません。一番の理解者である「悼む人」の母親はガン末期で、それを見守る家族の救済と再生は子どもの誕生で、自殺を考えていながら「悼む人」について旅をする夫を殺した女は、「悼む人」に魂の救済を求める、けれど反対に「悼む人」を自分の肉体で包み込むことができて救われていく、それは他の人にとって自分が必要とされる存在だったか、存在になるのかがこの本の主題で、自己成長と他の人との見えない結びつきを自らの手で作った物をとおしてつむいでいくブレントのちがいなのだとおもいます。「悼む人」が今の日本で読まれる理由なのだと思います。
 リーという死なせてしまった少女の写真をつけて、プロペラを回し風を呼び伝える行為と「悼む人」の悼みの行為を見ることで魂の救済をはかろうとする、この二つの物語は較べるものではないのだけれど、今の自閉的な日本のなかで、若い人たちに私は「風をつむぐ少年」を薦めたいと思いました。

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ルウとおじいちゃん

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「ルウとおじいちゃん」
クレール・クレマン作
藤本優子・訳
講談社 本体1400円


 ルウとおじいちゃんはとても仲良しだ。ルウのおじいちゃん、ママのおとうさんは奥さん、つまりママのおかあさんであるおばあちゃんと暮らしている。おじいちゃんとおばあちゃんは旧市街地に、ルウたちは線路の反対側にある新市街地に住んでいる。市が新市街地の人たちに市民菜園を貸してくれて、ママはそのひとつを借りた。手入れはおじいちゃんがしてくれるし、子どもたちにとっても良いと思ったからだ。おじいちゃんとルウとおとうとのテオはそこを田舎といって、水曜日にはかならず行くことにしている。おじいちゃんは作業がおわるとパイプを取り出し、まわりをみながらなぞなぞ遊びをしたり、それにカフェに連れて行ってくれる。おじいちゃんはカード遊びが大好きなのだ。おばあちゃんは心臓が悪いので家にいる。そして、ある日おじいちゃんと出かけて帰って来ると、おばあちゃんはベットで動かなくなっていた。そして、お葬式がおわってもおじいちゃんはもう前のおじいちゃんでなくなってしまった。おばあちゃんを亡くしてあまりにも悲しくて、心をどこかに忘れてきてしまったのだ。どんどん心が離れてしまうおじいちゃんを一人にしておく事ができなくて、ママはホームに入れる決心をする。けれどルウにはわかる。そんなことをすればますますおじいちゃんの心は離れていって、きっと戻ってくる事ができなくなることを。ルウはおじいちゃんを連れ出して貨車にかくまうことにする。けれど、貨車にはすでにホームレスの人がいた。
 人は悲しみをどうやって忘れる事ができるだろうか。自分自身の経験を思っても決して忘れる事はできない。ただ、どうやって死や悲しみと共生していけるかだけだ。時間、そして他の人の力が必要なのだ。必死にルウの考えた事した事は、幼いからと切り捨てる事は簡単だけれど、生きていくことの一番大切なことを持っているように思う。ただ涙のみでなく、大切なものを気づかせてくれる物語だ。

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ココの森と夢のおはなし

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「ココの森と夢のおはなし」
文・ときありえ
絵・高山ケンタ
パロル舎 本体1200円


 ココの森とはあなたの家の前の道をずんずん行くと森があって、そこかココの森です。ココの森はいろいろな木が生い茂っていて、すてきな陽だまりがあり、きれいな水の池があり、もちろんいろいろな生き物が住んでいて、なによりも大きな木の根元にはお話の壷があります。
 ココの森の物語、3巻目にはそのおはなしが4つ収められています。
 ロキは小児科医のおかあさんと暮らしています。ロキがお休みでもお母さんはお休みでない時、犬のポンコとゆっくり散歩にいきます。今日は久しぶりに農業大学の演習園だったところに来てみました。とても広い原っぱです。帰り道の塀の脇に”ご入用ならどうぞ”という張り紙のしてある下から、小さな桐の箱を見つけ家に持って帰りました。桐の箱はむかしのロキとおかあさんに会わせてくれました。
 砂漠の町にアリという名前の若者がいました。アリは昼間日雇いの力仕事をしていて、夕方になると着替えて町にでてきます。そして、子どもたち(おとなもまじっていますが)にお話を語ります。アリはとってもお話を語るのがじょうず、それにたくさんのお話を知っています。と、いうのには金庫を持っていて、その中には戦争のさなか、おじいさんの兵士から渡されたちいさなつぼがしまってあります。それはお話のつぼでした。
 リッコは自由研究でイヌの名前を調べています。公園に来る人や駅前や通りで知らない人に尋ねて、出会ったイヌの絵を描き、名前、性別、年齢を描き込みます。きょうの公園のおじさんのイヌで20匹目が完成、描かれた3枚の紙をならべていたら、”イヌの名前がイヌ、ちょっとへんではありませんか”というイヌの声がします。そして、絵の中のイヌたちがてんでにしゃべって大騒ぎになりました。
 ココの森のブナの木の下におばあさんのたんすが運ばれました。長い間このタンスは使われたり、ちょっと納戸にしまわれたり。そして、ある春の日おばあさんが亡くなるとタンスの中のものは片付けられましたが、引き出しに青い毛糸玉が残されました。そこへカラスが何かを落として行きました。それはちいさな貝ボタンです。ボタンは毛糸玉に前に会ったことがあるといいます。このタンスのひきだしのなかにはおばあさんの昔のお話がはいっています。毛糸玉とボタンのお話です。
 この4つのお物語はお話を通して人の生き方を語っています。箱や壷や画用紙、そしてタンスのなかから紡ぎだされたお話に耳を傾けてみましょう。前作同様、挿絵がココの森のようすにぴったりです。 

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武士道シックスティーン

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「武士道シックスティーン」
誉田哲也
文藝春秋 本体1476円


 いま、流行の体育系青春小説と決めつけてはいけないのかもしれないが、剣道が物語の中心になっている。2人の少女磯山と甲本の交互の語りから成り立っている。青春小説と描かれている様にともかく勢いのある物語だ。武蔵を尊敬している男の子のような磯山と、日本舞踊を習っていた為か独特の剣のつかい方をする甲本。磯山は父親が警察官で特練員として活躍してきていまでは助教だ。ほんとうは息子の方を仕込みたかったが、兄は強圧的な父親の反発もあり、幼なじみに破れてからスッパリと剣道をやめてしまう。磯山は兄を目標にして尊敬もしていたが、県の少年剣道大会で同級生岡巧に破れたのを見て、兄の敵討ちをすると道場にかよい、決して同級生ともつるまず、つねに独りでひたすら強くなる事を願っている。その磯山が中学最後の大会に甲本に破れてしまう。甲本は岡巧の後輩である。一方甲本は技術者の父親が世に疎いため破産して両親は離婚(ほんとに憎しみあって離婚したわけではない)モデルをしている姉と母親との3人暮らし、自分は強い剣士とは思っていない。けれど、磯山に勝ってしまうことから執拗な挑戦をうけることになる。この二人、いわゆるボケとツッコミの関係で物語はすすんでいく。剣道のことはあまり知らなくとも、この対照的にもみえる磯山と甲本の剣道をめぐっての高校生活が、ページいっぱいに描かれている。体育系精神主義や学園物語でもなく、けっこう家族問題とか親子の問題とかが書かれてはいるのだけれど、文体に娯楽性というかユーモアがありカラッと乾いている、それが魅力的だ。
 甲本の転校で次巻は「武士道セブンティーン」へ、先日刊行されたが読みたくなる本だ。

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夜のスイッチ

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「夜のスイッチ」
レイ・ブラッドベリ文
マデリン・ゲキエア絵
北山克彦 訳
晶文社 本体1900円


 男の子は夜が嫌いです。暗闇が嫌い、明かりがないと暮らせません。夕闇のなかで子どもたちが話をしたり、遊んでいても、男の子は明かりを煌煌とつけてひとりぽっちで家にいます。夜になると明るくするためにスイッチをいれます。男の子の家だけが一晩中明かりがついています。
ある日、その男の子のところへダークと名のる女の子が訪ねてきて、夜に会わせてあげるといいます。そして、ポーチの明かりを消します。明かりのスイッチを切るのですが、これはスイッチを切る事でなく、夜のスイッチを入れることなどといいます。”夜のスイッチは入れたり、切ったりできるの”といいます。男の子は考えてもみなかったことでした。
 秋が深くなってきました。でも、まだ廻りの樹々は衣を秋色に変えていません。昼間は暖かくとも夜になると闇が深くなります。夜気が冷たくなるにつれて、月が冴えわたり、星が輝きを増します。
 ブラッドベリの世界は月が冴えわたる世界ではありません。月の光はどちらかというと深く暖かい。

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エマ・ジーン・ラザルス、木から落ちる

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「エマ・ジーン・ラザルス、木から落ちる」
ローレン・タースシス 作
部谷真奈美 訳
主婦の友社 本体1600円


 ミドルスクールの7年生のエマ・ジーンは母親との2人暮らしです。父親は優秀な数学者、(ジーンは父親っ子で大変尊敬している)ジーンが10歳の時交通事故で死んでしまっています。ジーンはとても頭が良くて、几帳面で同級生にはちょっと距離をおいています。というのはお互いの気持ちを傷つけあったり、約束をやぶったり、仲間はずれになりたくないために友だちを裏切ったり、それはとてもジーンの気持ちが納得できないので、かかわらずに観察していることにしています。つまりジーンはちょっと友だちから浮いてしまっている子どもです。ところがトイレで泣き崩れている同級生につい肩入れしてニセ手紙を書きます。そして、そのことから3通ものニセ手紙を書くことになってしまいます。どれも、真剣に良かれと思ったことです。それに書くことはジーンにとっての有効な手段です。でも、勘違い行き違いもありどれもジーンが良いと思った方向にすすみません。
 日本風にいくとジーンのような子は「KY」というのでしょうか。おとなの世界では「おせっかいな人」というのかもしれません。いつ頃からか、なるべく他の人のことにはかかわらないような風潮になってきて、それは人を傷つけたくないからと言い訳をしていますが、他の人でなく自分が傷つきたくないということの表れのようにも思います。傷つかない人間関係なんかありえないのに、それを越えなければ信頼関係などできないのに。でも、そのことをきちんと言い、自分で考え判断し行動することの大切さを教えるおとなは、いまどれくらいいるでょうか。
 一方、ジーンの母親、そしてジーンの家の一室を借りていて大学に研究者として暮らしている料理の上手なインド人のヴィクラムとインドにいる母親、娘にうまく愛情表現ができないコリーンの母親、描かれている3人の母親から見えてくるものも興味深いとおもいます。親子、とくに母娘で話し合ってみると良い物語です。
 

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エチオピアのストリート・チルドレン

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「路上のヒーローたち」
エリザベス・レアード作
石谷尚子 訳
評論社 本体1800円


 エチオピアの首都アヘディスアベベ、2人の少年を中心に物語はすすんでいく。1人はマモ、父親は早くに死に母親も死んで姉ティグストと残された。年齢は推定13歳位、母親が死んでしまって生活にも困り、ティグストは仕事をもらいにでかけた。すると、おじさんという男があらわれめんどうをみてやるからついてこいという。うむをいわせずバスに乗せて連れてこられた農家にマモは売られたのだ。牛を触ったこともないマモは激しい労働と暴力と飢えにとうとう逃げ出して、絶望感から毒草を食べて死のうとする。運良く命は助けられるがもとの家に戻ることを決心する。ようやく戻ってみたがすでにティグストは子守りの仕事から雇い主のつごうで遠くに行ってしまっていた。飢えと疲れで倒れそうになっていた時、昔の友だちに会ってストリート・チルドレンのグループに入れてもらえることになる。一方同じアヘディスアベベの一角の大邸宅に住んでいるダニはいつもぼんやり物語を考えている少年だ。父親は苦労して財を成したのでダニのことが理解できない。母親は心臓が悪く、イギリスで手術をすることになり、学校を落第してしまったダニを家庭教師に預けて叩き直そうとする。恐怖と不安からダニは家出をするが寝る所もなくやっと墓地で寝場所をみつけ、警察におわれたマモと一緒にすごすことになる。マモはダニもストリート・チルドレンの仲間、特にリーダーのミリオンにたのんで仲間にいれてもらう。
 ストリート・チルドレンといってもきっといろいろあるのかもしれないが、この物語では単なる浮浪児の集団ではなく、きちんと決まり(例えば絶対盗みはしない)を守った自立した集団としてかかれている。飢えやうらぎり、教育を受けていないので文字の読み書きもできない、けれどそれだけになんとか自立していこうと懸命に生きている子どもたち、おとなたちに裏切られて辛い生活どころが命さえもままならない生活を知っているだけに、人が人たるに支えあい生きていくことの大切さ、希望とあきらめない勇気が大切なことをこの子どもたちは語っている。
 作者はあとがきで家出したいと思っている子どもはよく考えること、もうすでに路上で暮らしている子どもには、とてもつらくとも、悲しくとも決して自殺しようとしてはいけない、死のうとしてはいけないと呼びかけている。おとなとして自分は何ができるのか子どもたちに問われているのだ。

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ペニー・フロム・ヘブン

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「ペニー・フロム・ヘブン」
ジェニファー・L・ホルム作
もりうちすみこ訳
ほるぷ出版 本体1400円


 1953年アメリカ・ニュージャージの田舎にペニーは母親と祖父母と暮らしていた。ペニーの名前はビング・クロスビーの歌「ペニー・フロム・ヘブン」からつけられたという話だ。亡くなった父親はビング・クロビーの大フアンだったので、本当はバーバラ・アン・ファルチーという名前なのにだれでもペニーと呼ぶ。ドミニクおじさんは亡くなった父親の弟、なぜか車の中で暮らしていて、よく野球の中継を聞いている。本当はドミニクおじさんだけでなく父親の方にはたくさんの親戚があって、みんなで親しく行き来しているけれど、ペニーの母親はあまり付き合いたがらない。それは、父親が亡くなったことになにか原因があるようだ。母親は牛乳配達のマリガンの好意を受け入れようとしていたけれど、ペニーは再婚するなら大好きなドミニクおじさんがいいと思っているので、マリガンの優しさを拒否してしまう。
 ペニーの一番の親友フランキーは家の貧乏を救おうとペニーと宝探しに地下室へ行って隠されたお金をみつけるが、ペニーは置かれていた洗濯機の電動ローラに右腕をひきこまれてしまう。腕の切断、偶然聞いてしまった父親の死の謎、父親への思慕と孤独、そのなかの病院での生活はペニーを成長させ、そして母親の新しい人生を祝福しようと思うのだった。
 ベニーをめぐっての家族の物語の背景になったイタリア移民への差別と迫害が物語が進むうちに明らかにされてくる。そのほか、祖父のヨーロッパ戦の話、ビルマに駐留していたというマリガンの話など、歴史的な戦争の事柄の挿入が物語に厚みをもたせている。登場人物、寡黙で素朴なマリガンや父親の兄弟や家族の性格描写も的確で、この物語はフックションだけれど、実際にイタリア系の作者の親戚の話からとられているとのことが、くわしく作者あとがきに写真入りでのべられています。

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コンスタンティノープルの渡し守

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「コンスタンティノープルの渡し守」
塩野七生・文
司修・絵
ポプラ社 本体1200円




 コンスタンティノーブルの(私はイスタンブールとしか知らない。)渡し守の少年テオはある日母親を亡くした少女ロクサーナを舟に乗せる。三ヶ月ほどの二人の喜びの日々。けれど14歳のテオの恋はかなわなかった。ロクサーナは小さな百合の花束を残して去っていってしまった。
 遥か異国の地中海、日本の中にいると想像することさえ難しい国ぐになのに、それでいてどこか懐かしい思いがするのはどうしてだろうか。夕日を映し黄金色に輝く金角湾のように、ゆっくりと輝きながら海に沈んでいく夕日なら知っているからだろうか。それは秋の始めのおだやかな湾だ。
 端正な文とこれ以上の表現がないくらいの魅力的な絵のコラポレーション。

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フェリックスとお金の秘密

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「フェリックスとお金の秘密」
ニコラウス・ピーパー作
天沼春樹 訳
徳間書店 本体1900円


 12歳のフェリックスは両親がお金がないことをこぼしているので、お金持ちになろうと決心しました。親友ペーターとガールフレンドジァンナの三人で考えます。まず、個人一人ではだめなので「小人のなんでもや&Co.」という会社をつくり芝刈りやパンの配達をはじめます。それに、親しい楽器商のシュミッツさんが経済の知識を教えてくれ、おまけに協力してくれることになります。
 じつは私のところは8月が決算。どうも数字に弱いので、暑い中をウンウンということになりそうです。シュミッツさんから3人が教わること、帳簿、銀行、広く経済に関することは私もずいぶんと勉強させられました。全然知識のない私もすこしはわかるようになりましたが、とても解りにくいことが多く、やっぱり頭が痛くなります。
 それにしても、この本はとても楽しい本です。経済の知識だけでなく、3人の性格がしっかり書かれているので友情物語とも、また、クラリネットからみつかった金貨をめぐってちょっとした冒険推理小説みたいにも読むことができます。
作者は新聞の経済記者だったこと、当時12歳だった息子に経済のしくみを解りやすく説明できることを思ってこの物語を書いたとのことです。原書のうしろには経済用語の解説がのっているとのこと、この日本語版にも編集部が親切に訳して載せてあります。株式と決算、貸借対照表、損益計算書、商品先物取り引き、相場、簿記・・・あぁ!しかもこれらのことがわかったからといってもうかるとは限らない、現実はきびしい!とはいえ、この本はわかりやすく文句なしに有用な本です。しかも、音楽のことまで書かれていて、こんな本ははじめて読みました。
 ただひとつ経済的難点をいうと、価格がもう少し安いと中学生でも買えるかな、と、思いますが。

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ぼくは落ち着きがない

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「ぼくは落ち着きがない」
長嶋有
光文社 本体1500円



主人公望美の通う桜ヶ丘高校の図書室のなかにベニヤで仕切られた部室がある。図書室を運営しているのはどこの高校でも同じように、担当の教師と図書委員と図書部員だ。図書委員はクラスから1名ずつしかたなしに選ばれたに等しい。それは昔本好きな女子たちが図書室の運営、つまり自分たちの読みたい本が入り、貸出しできるようにつくったという。一方図書部員のほとんどは先ず登校すると部室に来て、いろいろと荷物を置いてそれから各々教室にでていく。教師は小田原先生、いまは司書はいない。前にいた美人の金子先生はある新人賞をとって作家になった。
 この物語はある意味ではどこにでもある共学の公立高校の図書室と、そのまわりでおこった日常的な高校生活のできごとだ。場所限定というか、芝居の舞台のような場の設定のなかのできごとだ。それに、この部室は最後には取り壊されることになって、片付ける場面で終わる。高校生活は期日限定なのだ。そして、高校生という賞味期限付きの物語なのだ。
 主人公の望美のことというより、その図書部室に出入りする人たち(かならずしも図書部員だけとは限らない)の日常がただ、ただ描かれている。受験や学業、鬱と噪、登校拒否、先輩(これは学生専用語)、教師との恋愛、失恋、ケイタイという意思ツール、(もちろん本のことがでてくる。)それらは事件でなく望美たちにとっては青春という日常なのだ。
 この物語の最後は金子先生が次の小説の主人公に望実をモデルにして書くという。その本の題名は「ぼくは落ち着きがない」。望美は金子先生を見送って部室でなく、カウンターのイスに腰掛ける。貸出しカードと図書カードをいっしょに止めるのに使うクリップは、すべて一連につながっているという印象的なフレーズでおわっている。青春のはじまりの中学時代と、もろに社会と繋がってしまう18歳以後、高校時代はこのクリップなのだろうか。本のカバーの裏にはその後のみんなが書かれている。望美は高校卒業後すぐに出産、そして、シングルマザーになっていた。

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あたらしい図鑑

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「あたらしい図鑑」
長薗安浩
ゴブリン書房 本体1500円



 明日で僕は13歳、中学校はじめての公式戦、なんとしてもヒットを打ちたかった。うまくいった!けれどホームをまわって三塁にすべりこんだ時、足をくじいてしまった。友だちの智幸の父親の永井先生のところへいったところ、捻挫とまではよかったのだけれど、先生は僕の足をしらべて扁平足だから捻挫を直すついでに扁平足も直さないかと言った。病院へ通うなかで長椅子に松葉杖を並べて座っている老人に出会った。目も耳も大作り、なんといっても大男。じつは僕は中三なのに背が低く、141センチしかない。その老人が立ち上がる時に手を貸すと名前を聞かれ、その老人はムラタさんといったが、背は191センチと聞き驚いた。そんな大きな人と身じかに話したのははじめてだ。ムラタさんも扁平足とのことで、大きなりっぱな足を見せてくれた。誘われるままにムラタさんの家に行ってみた。ムラタさんの家は縦長の不思議な家、猫という名前のネコと住んでいて、家事をする家政婦さん、猫という名前のネコ以外に何匹かのノラネコ、7回結婚して今は一人暮らし、職業は詩人?教科書にも載っているくらいの有名な詩人、でも、僕にはムラタさんのことがよくわからない。「あたらしい図鑑99」と名づけられたスケッチブックをみせられたが小枝に刺さったカエルの死骸が貼付けられていたり、僕にはそれが何を意味するのかわからない。
 ここまで読んでくると読者はムラタさんが誰なのかわかってくる。図書館で知り合って密かに女性の匂いにひきつけられる13歳の少年、体は大きくて永井先生の息子だけれど、跡を継いで医者にはならずに料理人になりたいという穏やかな親友智幸、物語はムラタさんと出会って死ぬまでのことが淡々と語られている。ムラタさんは僕にもやもやして言葉にならない感情をスクラップするように、それがまとまったら「あたらしい図鑑」という本にすることを約束し、智幸には自分の作った料理をおいしいと食べてくれる存在であり、大酒飲みで日常に不適切な人であり、娘の少し不自由な手を天使の手といって手形にとって、それが「あたらしい図鑑ナンバー1」にあったことなど、死にいく老詩人の話を聞きながらムラタさんの最後を僕たちは静かに迎えたのだ。
 明らかに世間の規格におさまらない人、たとえば僕のようなチビの少年、日常の事件の中にたくさんでてくる。子どもたちをとりまく状況、学校などのすざまじいイジメが描かれている重松清の中の少年とこの物語はどう違うのだろうか。ひとつ気がついたことがある。イジメ等のなかで悩み苦しんでいる人たちのまわりには、その当事者と関係ある人しかいないことである。ムラタさんのような他人の、しかも老人がいないことである。そして、言葉のもつ意味、言葉をたんねんにすくいあげていく存在のおとながいないことである。
 子どもたちが成長していくなかで、なにがキーワードになっていくのか、本にかかわる仕事をしていく、しかも児童書にかかわる仕事をしている私自身にとって、それは大きな関心であり、課題でもある。

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ほとばしる夏

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「ほとばしる夏」
J・L・コンリー作
尾崎愛子 訳
今村麻果 画
福音館書店 本体1800円



 シャーナは13歳、弟のコーディーは12歳、父親は美術の勉強するといっていなくなってしまった。もっとも前からいつも生活のためといいながらも職業を転々としていた。いわゆるおとなになっても、家族をもってもいつも自分探しをしていた。現実的な母親はこの手かせ足かせになっている町ウォーレンスバークを離れて心機一転を計りたいと思い引っ越しする。ラグレードは都会だった。転勤させてもらえて、試験に受かれば今より良い条件で働くことができる、母親は新しい生活に活き活きと働きはじめた。落ち着きがなく問題のあったコーディーはラグレードになじめなかった。ある日叔父さんがもっている土地が近くにあると知って、3人はでかけていった。コーディアーは見つけて来た小屋に、この夏はここに住むと宣言した、そして、どこともなくあらわれたやせたネコを見捨てたくないという思いのシャーナ、二人のたのみで、家族はひと夏この小屋を直して住むことにする。
 ある日川でコーディアーの悲鳴と声がしてかけつけると、老人がコーディアーにピストルを向けていた。シャーナの叫び声でピストルを取り落とした老人はこの川で遊んではならない、家も住んではならないので出て行け、という。そして、自分は森林管理官だという。やがて、シャーナとコーディアーと老人3人の奇妙な友情がはじまる。コーディアーは老人にカヌーを習い、大渓谷を流れに添って向こうに越えていく老人の計画を知る。老人は森林管理官ではないことも知ることになる。世間の人たちが言うように老人は気が狂っているのか、それともシャーナとコーディアーに伝えたいことがあるのだろうか。二人を待ちきれなく一人で出発した老人ヘンリー・ラックは岩に頭をぶつけて死んだ。一人で大渓谷を越えようとして。森のなかの住まいや土地シャーナとコーディアーに贈るという遺言状を遺していた。
 ひと夏バラバラになった家族、でも、それぞれが自分の生きていく場を見つけ、一歩すすみ始めた。自然のなかで暮らしてみて、一人一人が自立して生きていくための場所をみつけ認めあった夏、愛と別れと孤独、ほとばしる川の流れのような夏、「おじいちゃんは人生には何度か、贈り物ような瞬間があるといっていた。P362」人の生涯のような川の流れ、シャーナは言葉でこの物語を綴ることを決心する。
 作者は前作と同様、家族がバラバラになっても、つないでいるものがあることを語っている。子どもは自分の生き方を選択することはほとんどない。自分で選択できるような時、それは子ども時代と別れを告げることになる。「クレジー・レディー!」では母子、「プラネット・キッドで待ってて」では親友、そしてこの作品「ほとばしる夏」では孤独な老人といまは死んでしまった祖父とのおもいで、どんなに強く願ってもかなわないことがあるなかで、こどもは何に支えられて成長していくのだろうか。重いテーマではあるけれど、感傷的でなくむしろ爽やかな川風が吹いて明るいのは、自然の描写、とくに表情を変える川の流れ、川魚釣りやカヌー遊びのたくさんのシーンがあるからと思う。
 

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きのうの少年

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「きのうの少年」
小森真弓
福音館書店 本体1600円

この本は出版されて早く感想を求められていた。すぐに読んだけれどなかなか思いがまとまらなくて、しばらくそのままにおいてしまった。
 主人公のアキには母親がいない。アキが小さかった時に交通事故で死んでしまった。おばあさんにあずけられ育てられていたが、1年生の時この街に引越して来た。アキの家のすぐ近くにある池に来た時主を見たのだ。父親の趣味は釣り、その時いっしょに見たクラスメート、ケイト、達弘、タケやんの物語だ。仲良くなった彼らはアキの父親を名人と呼ぶ。この物語は4人、とくにアキを中心にして、その1年間がたんねんにかかれている。来年はみんなで中学生になる。6年生になった今年はいろいろのことがあった。そして、4人をとりまく家族も変わっていく。それはまわりが変わったのか、アキや友だち自身が変わったのか。
 母親がいない、父親と二人だけで暮らしているアキの家庭は、心配して再婚を勧めるおばさんが時々あらしのようにあらわれる。でも、少女のアキにはその意味がまだ良く解らない。仲良くしているのは男の子ばかり、その男友だちが女の子を微妙に意識しだす、たとえば母親や姉に対してさえも女としてみることがあることもアキには良く解らない。ある意味では同級生の女の子の感情もよくわからないアキ。でも、卒業を前にしてすこし男の子の存在が気になりだしたアキ。6年生という年齢はアキにとって「きのうの少年」なのか、ケイトや達弘やタケやんも「きのうの少年」なのか、私にはつかみきれなかった。そして、4人の子どもたちの一年間、私には長すぎる物語だった。
 読みながらもうひとつこだわってしまったのは、私自身のその頃のこと、みんながそうかとはいえないが、6年生位のときは同性がうっとうしかった。つるんでいる、いたがる同性の集団からひたすら逃げることしかなかった。友だちは一人で良い、でもその一人の友だちがみつからない。といって男の子と仲良くすることはもっとめんどくさかった。友だちはいらない、一人のままで良い、考えたうえの結論だった。(私のころは中学生の頃に体がおとなになる。)いまはもっと早い、5年生くらいで教えられる。おとなと子どもの間、少しずつ性の束縛がでてくるなかで、自分自身が一番戸惑ったり、さからった日々。
 おとなというより、母親になる年齢になって、子どもとおとなの間の微妙な感情、子どもでもなくおとなでもないその頃のことをたまに思い出すが、この本は忘れかけていた大切なその思いを再考するのに良いキッカケになった。

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ステフィとネッリの物語2

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「睡蓮の池」
ステフィとネッリの物語
アニカ・トール著
菱木晃子・訳
新宿書房 本体2000円



ナチスの迫害から両親と別れて、中立国スウェーデンの西岸の都市のイェーテボリに近い島の家族が二人をひきうけてくれました。姉のステフィは優秀な成績で中学に進学することになり、島を離れイェーテボリに暮らすことになります。両親から来る手紙では、アメリカに亡命するのにビザがなかなか手に入らず、まだウイーンにいて状況はあまり良くありません。ステフィはイェーテボリの新しい生活のなかで、下宿先の少年スヴェンを好きになりますが、スヴェンは自分と違う階層の恋人がいて、ステフィのことは妹のようにしか思っていないことがわかります。
 学校では奨学金をもらうことでしか勉学を続けられない現実のなかで、良い成績をあげることがステフィに課せられたことでした。学校では好意的な担任ビョルク先生と、ドイツ人の優位を誇りステフィのようなユダヤ人の生徒に厳しいクランツ先生、なんでも持っていて高級住宅地に住んでいるアリスや逆に貧しくたくさんの家族のなかでくらしているマイなど多様です。アリスのたくらみにカンニングの罪をきせられ、加えてスヴェンに失恋してしまったステフィは疲れ果て、絶望的になって学校を辞めて島に帰ろうとします。でも、ステフィに心から応援してくれる学友のマイ、島に残った親友ヴェーラがいました。そして、なによりもステフィの養父母になってくれた素朴で無口だけれど実直なヤンソン夫婦がいる島と海がありました。「睡蓮の池」はイェーテボリの街にあり、ステフィはここでスヴェンとのことを夢に見、別れを知り、少しづつ成長していきます。
 この巻の時代背景は1940年4月デンマークとノルウエー、5月はオランダ、ベルギーがドイツの手に落ち、6月にはフランスが降伏してしまいます。6月にはイタリアがイギリスとフランスに宣戦布告、9月には日独伊三国同盟が締結されます。そのなかでスウェーデンの中立はきびしいものがありましたが、レジスタンス運動をしている人もふくめ、たくさんの亡命者、ステフィ姉妹のような子どもがいました。
 この巻ではステフィの青春が物語の中心になっていますが、3、4巻ではこの姉妹と両親(=テレジン収容所へ)の運命が物語られているとのことです。史実をきちんとふまえられて丁寧に書かれていて考えることが多く、とても読み応えのある物語です。

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ホーミニ・リッジ学校の奇跡

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「ホーミニ・リッジ学校の奇跡!」
リチャード・ペック
斎藤倫子・訳
東京創元社 本体1800円



 それは8月の輝けるある日、独身であまり好きになれなかった教師マート・アーバクル先生が突然死を迎えた。これで学校から解放されるとうれしかった。学校の勉強にはすこしも身に入らなかったし早く仕事をして一人前になりたかった。ところが学校はなくならない。ある日代理教師がやってきたが、驚いたのなんの、その教師は学校大嫌いの俺の姉さんだった。教育熱心なタンジーは俺たちを常に勉強させた。そのタフな精神はどこからきているのか。しかも、タンジーは正式な教員養成教育をうけていたわけではなく、彼女の考えた独創的なやり方で、どんどん俺たちに勉強させた。もちろん、弟だからといって手心をくわえない、それはきびしい。
 ホーミニ・リッジはインディアナ州のなかのもっとも田舎にある。教室がひとつきりで、そのなかでごちゃ混ぜの年齢の子どもたちが学ぶ。俺は15歳だけれど、8年生の卒業試験に受かっていなかった。
 良き時代のアメリカ、まだ、自動車もなく、脱穀車もない時代のおおらかな型破りな自然相手の毎日。生活力はあるけれど、勉強ぎらいな少年達と教師をめざす姉さんとの攻防戦をおもしろおかしく語っている。いつのまにか私たちはラッセルの話、アメリカらしい愉快な物語にどんどん引き込まれてしまう。
 前作「シカゴよりこわい町」「シカゴより好きな町」についで痛快なエネルギーにみちた物語です。


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家族のカタチ「メジルシ」

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「メジルシ」
草野たき
講談社 本体1200円



双葉は中学3年生、卒業すると全寮制の高校に行く事が決まっている。それと同時に両親は離婚、けれどそれは修羅場があったわけでもなく、母親美樹の一方的に近い話からはじまったことだ。父親の健一はなかなか同意しない、というよりどうして離婚しなければならないかわからないのだ。私立高校の事務職の彼は安定した地位と家庭的な夫で、栄養士として働いている美樹が大学院へ行って勉強したいから離婚したいと言い出したことが到底理解できない。けれど、健一は美樹を愛する故に同意することにした。双葉はその両親のなかで、浮遊感があり、それにいつかは向き合わなければならないと思ってもなかなかできない。そして、健一の発案で家族最後の北海道旅行にでかけることにする。
 この家族は善意の塊のような父親、いつも不愉快そうな母親(泣いた事も心から笑う事もない)不安になると自分の手の火傷のあとを触る事によって心を落ちつかせようとする双葉をとおして、壊れそうになった家族の再生を描いている。双葉の火傷、それは母親の不注意とされているが、双葉はその理由を母親自身に語らせようとする。母親だけでなく双葉自身もそこからいつも目を避けようとしてきた。いつかは真実を自分で納得しない限り、次への出発はありえない。
 この家族はお互いに自分を曝け出す事ができない。できないことで不幸をうんでしまった家族を私は知っている。それを知っていたのになにも出来なかった自分を認めざるえない。そんな苦い経験を思い出しながらこの本を読んだ。
 双葉にとって意味の有る旅行になった。ハッピーエンドの旅行ではなかったが、新しい一歩を踏み出すのには、とても有効な旅行になったと、最後に作者は双葉に言わせている。嫌なことは変に目をつぶったり、目をそらしたりしないで真摯に向き合わなければならないことがあること、双葉の新しい一歩だ。

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「スター・ガール」ふたたび

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「スター・ガール」
「ラブ、スター・ガール」
ジェリー・スピネッリ
千葉茂樹=訳
理論社 本体各1500円

 マイカ高校にウクレレをもち、ペットのクマネズミのシナモンをポケットにさっそうと現れたスターガール、名前からして奇抜だけれど、その積極的な生き方も含めて、みんなの人気者になった女の子がいた。けれどいつのまにかみんなから浮いた存在になってしまった。その時スターガールを支えたのはレオ。レオとスターガールの街のはずれで会う最後の場面を覚えているだろうか。
 そのスターガールの一年後の物語がこの本だ。この物語のなかのスターガールはレオと別れた辛さで、驚くほど落ち込んでいる。この物語はレオにあてた日記=手紙?の形式で一年間が語られている。物語に登場する人たちはみんななにかしら心に傷をもち、なかなかその中から一歩踏み出す事の出来ない人たちだ。スターガールは学校に行かないで、自分で勉強をしている。虚無化と瞑想の心の洗濯のためにピーマス公園にいる時小さな女の子ドゥーツィに出会う。天真爛漫な女の子といえばかっこいいけれど、ある意味では奇想天外で困ったこどもだ。貧困家庭で育ったこれもまた、反社会的な男の子ペリーと床掃除や店の下働きの仕事をしている乱暴な女の子アルビナと弟のトーマス、アルビアにドーナツを配達してもらうだけ、一歩も外にでられないベティー・ルー、死んだ妻のお墓の前に一日中いる老人チャーリー、心にささった小さな傷を抱え込んでしまった人たちがいる。
 冬至にひとつの儀式を考えているスターガール、最後その儀式のためににみんなが集まってパーティーをする頃、また、どこかできっとレオと自然に愛し合えることができると、それぞれの場所で自分らしく生きていこうと思うのです。
 ちょっとたくさんの人たちが登場するので、物語は込み入ってしまいますが、前作のように詩的な、内省的な物語は静かな感動をよび、とくに、Y・Aの年代の人たちの心に響きあうと思います。
 

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スリリングなY・A小説

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「絶対絶命27時間!」
キース・グレイ作
野沢佳織 訳
徳間書店 本体1400円



 イギリスのY・A向き小説です。ジョンは16歳、母親は若くしてジョンを産んだシングルマーザーだけれど祖父母と幸せな生活送っていた。けれど事故で祖父母は亡くなってしまい、残された遺産で母親の夢だった本屋を開くことにしてこの遠くの街に引越してきた。ジョンは転校したばかりのある日、ブルック校でまったく知らない生徒に鞄を盗まれる。追いかけたが見失って教室に戻ってみると、ジョンの机の上には鞄が置かれていて、その鞄の中には先生の財布が入っていた。しかも呼び出された教室で学年主任の重要な書類を盗まれた嫌疑もうけ、次の日の昼までに無実を証明できないと退学だといわれてしまう。犯人はどうもこの学校をしきっている不良グループらしく、自分の真実を証明するためにジョンは猛然と立ち向かっていく。まず、このブループのリーダーは誰なのか、最初に声をかけてきたホクロのある少女は敵か見方か?犯人を追っていくうちにこの学校の闇が明らかになっていく。
 27時間という限定された時と学校という限定された場所で、次々におこる事件のハイスピードとスリルで息もつかずに物語は展開してしていく。
 日本のこういう物語はとかく教育の問題点とか、家族、家庭のありかたとか、時には感傷的な話がでてくるのだけれど、この物語はエンターテイメントに徹していて、小説のもっているおもしろさをしっかり感じることができる。それはY・A小説の醍醐味でもある。

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燃えるサバンナ

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「燃えるサバンナ」
澤見彰
理論社 本体1300円



 
表紙からもイメージされるように、真っ赤なサバンナは干ばつで動物も植物も大地もなにもかも燃え上がっている、真っ赤な太陽が照りつけてすべてが渇きに苦しめられています。マサイ族にはサバンナに訪れる4年に一度の赤い月が現れるとき、太陽の化身である赤いライオンのたてがみを取ると雨が降るという伝説があります。マサイ族は大河ナイルの豊潤な地を求めて移動し、もし拒む者がいたら力ずくでも闘いとるという勇敢な種族、率いるのは呪術師レムヤの占いです。今度の移動にナイロビに向うという占いがレムヤからでて、シバは自分の夢見から異論をとなえます。シバは忌むべき日に生まれた呪われた娘、たった一人の女戦士で、シバの夢見は当たり、しかも、不幸なことが多いので、部族からはのけものにされて1ぴきのラスカルと一人で生きていました。。昔、やはりシバという大叔母がいて、40年前に干ばつのなか赤いライオンのたてがみを求めて出て行ったきり帰ってこなかったことがあり、今度のシバの夢見も部族に災いをよぶとレムヤにいわれてしまいます。シバは同じように一人でも赤いライオンのたてがみを得てこようと旅に出て行きます。それは、部族の人を救うというだけでなく、シバ自身の生きる意味を探す旅でもありました。
 この物語は特別な能力があるために恐れられ、忌み嫌われる少女が、自分の生きる意味を求めて旅にでる、けれども、そのために乗り越える試練の冒険話だけでなく、昔の恋人を自分の勇気のなさで死に追いやってしまった老人を一緒に描く事で、生きる意味は何なのか、本当の勇気と愛とは何かを問いかけています。その意味ではいつの時代ともしれぬ、そして、単なるマサイ族の冒険話ではなく、現代の若い人たちへの問いかけの物語かもしれません。
 最後に現れる赤いたてがみのライオンもとても象徴的です。

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アラブの物語

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「漂泊の王の伝説」
ラウラ・ガジェゴ・ガルシア
松下直弘・訳
偕成社 本体1500円


作者はスペイン生まれ、物語の舞台はアラビア半島のためでしょうか、不思議な雰囲気に満ちた本です。この物語の主人公イムルーウルカイスはキンダ王国の王子として産まれました。6世紀に実在したといわれている漂泊の詩人イムルーウルカイスをモデルにして書かれているとのことです。キンダ王国の王子として生まれ、すぐれたカスィーダ(長詩)を作ったことでしられていて、この物語も詩ではじまり、詩で終わっています。王子のワリードはとても魅力あふれていました。カスィーダを詠唱するラーウィー(詠い手)でした。けれど、一番を決める大会で貧しく無名の絨毯織りの詩に栄誉を奪われてしまいます。憎しみからワリードはその絨毯織りに、人類の歴史を全部織り込んだ絨毯をつくれ、と命令します。途中でその決して出来ない命令を出した事に後悔しますが、その時はすでに絨毯織りは自分の命を全部織り込んで死んでしまいます。ワリードの王国は衰退し、国を捨てて「漂泊の王」になり遍歴して歩くうちに盗賊や遊牧民、商人たちと行きあい新しい生き方を探し続けます。そして、心を許せる人に出会ったと思ったけれど、いつもワリードをまっていたのは、過酷な事実でした。
 詩を競うということ、絨毯織り、砂漠、盗賊など、あまり身じかにある世界でないのですが、作者はファンタジーのように不思議な世界を読者に広げて見せてくれます。
 絨毯織りの4人の息子たちに4つに切り分けられた絨毯、縫い合わせる事ができるのはワリードでなく読者のあなたです。

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算法少女

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「算法少女」
遠藤寛子
筑摩書房(筑摩学芸文庫)
本体900円



一月に一回児童書を読んでいる小さなグループがあります。そのグループの母体は地域文庫です。だから読書会に集まる方たちは主婦の人たちです。文庫の活動やら、学校への読書に関してのボランティアをしていたり、なかには図書館を考える市民運動をしている人もいます。お茶を飲みながら、テーマの本を読んだ感想をいいあったり、現実の子どもたちのこと(読書に関する事や学校図書館のこと)を話し合ったりする、とてもゆるやかな会です。個人的に読書活動に役立てる人もいるかもしれませんが、読書会としての結論はありません。
 今日は「算法少女」を読みあいました。これを選んだのは私で、昔、前の版で読んだ事があって、久ぶりに復刊され、あまり類書がないのが取り上げた理由です。
 時は江戸時代、算数好きの少女の物語です。算数といっても和算です。父親から算法を教わっていたので観音様に奉納された算額にまちがいがあることを指摘します。とはいえ、少女あきはそれでいばっているわけでもなく、頭は良いけれど素直な心のやさしい少女です。でも、それからあきは算法の流派争いと、それにつらなるお家騒動にまきこまれそうになります。その頃の江戸の様子や子どもたちやとりまく寺子屋など、たくさんの庶民の生活も含めて、いきいきと描かれています。
 感想はとても好評でした。それだけに学芸文庫で復刊されたのは、ある面では残念でした。本の内容と学芸文庫という体裁は中途半端、オビには歴史小説と書かれていますが、ノンフィクションとしてとてもおもしろく、もう少し各々のことについて描き込まれていれば、確かにおもみのある歴史小説になったと言う意見がでました。
 いま、私たちはなんのために勉強するのかわからなくなっている、勉強する事が生活、生きていくこととなかなか繋がりません。字の読み書きができること、計算ができこと、仲間を(友だち)つくることの意味など、原点にかえってみる必要があると思います。
 今日は市立中学校の卒業式でした。暖かく穏やかな一日でした。
 

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とっておきの「科学の本」2冊

        とっておきの「科学の本」2冊
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 2年前の夏、本屋で、きれいなしゃれた表紙の本を見つけました。吉村仁の『素数ゼミの謎』(文芸春秋)です。そして07年夏もう1冊見つけました。『多賀城焼けた瓦の謎』です。同じ出版社。 同じく、表紙・絵は石森愛彦、装幀は野中深雪で、夏休み向けの、さわやかな表紙です。この2冊には、ほかにも共通性があります。ルビ入り。書名にもルビが入ってます。子供にも読める、わかりやすい内容です。私は2冊しか見てませんが、シリーズ化すれば、ユニークな児童書になると思います。せっかくですから、2冊まとめて紹介します。
 遊び心でしょうが、この謎シリーズ、特に『素数ゼミの謎』は、推理小説ふうです。「大学の数学ゼミで起きた殺人事件の本」と思って手に取りました。ところが中身は小説より奇なり。帯に「子どもから大人まで楽しめる科学読みもの」とある、進化の歴史の壮大な物語。それがハードカバー、カラー挿絵入り、126ページの(判型は四六判と言うのでしょうか)コンパクトな本に入っているのです。
 要するに「素数ゼミ」というのは蝉のことです。一般に「周期ゼミ」と呼ばれる北米の蝉で、13年か17年にいっぺん大発生します。「素数ゼミ」は著者の命名のようです。この蝉の3つの謎「なぜこんなに長年かけて成虫になるのか?」「なぜこんなにいっぺんに同じ場所で大発生するのか?」「なぜ13年と17年なのか?」を解き明かすのに「素数」が必要なのです。この本は、著者の論文『氷河期における周期ゼミの進化的起源』を一般向けに書き下ろしたもので、半分数学の本で半分生物学の本です。生物学が、数字で理路整然と説明できるなんて、まさに推理小説です。「数理生態学」がこんなに面白い学問だとは知りませんでした。
 さてもう1冊は、氷河期ほどではありませんが、千二百年はさかのぼります。帯には「小学生から大人まで考古学と歴史学を感動しながら学ぶ本」とあります。このもう1冊の本『多賀城焼けた瓦の謎』は、前とは著者が違いますが、肝心の著者名がありません。監修名・工藤雅樹はあるのに。
 結局この2冊に共通するのは、画家の石森愛彦です。緻密でデザイン性に富んだ絵です。「かがくのとも」にも挿絵を書いているようです。この人の表紙なら子どもも手に取るでしょう。
 さて著者名ですが、奥付には文・文芸春秋とあります。そして著者の代わりに、画家のあとがきがあります。それによると著者は、編集者の下山進で、娘の萌子さんの夏休みの自由研究がきっかけだそうです。編集者は、本の全体の設計者であり、出来のよしあしは編集者の力量にかかっています。編集者の自由な発想と感性からうまれた2冊が子どもに贈られ、今後が楽しみです。内容の面白さは保証しますので、卒業、入学の贈り物にいかがでしょうか。                        (高橋峰夫)
『多賀城焼けた瓦の謎』はこのブログ07年10月22日に紹介しています。 

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リリー・モラハンのうそ

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「リリー・モラハンのうそ」
パトリシア・ライリー・ギフ=作
もりうちすみこ=訳
吉川聡子=画
さ・え・ら書房 本体1600円




 1944年ニューヨーク州セントオールバンズから物語は始まります。リリーは母親が死んでしまって、祖母と父親の3人家族です。元気で泳ぎが得意、それだけではありません。読書も大好き、小説を書きたいとおもっています。夏休みになり、本、書きためた小説、水着、母の形見の銀の鏡、生まれたとき母親が天井に貼付けてくれた金の星をひとつとって、なんとピアノもいっしょに祖母の別荘地へ向います。待っていた親友のマーガレットは父親がデトロイトの工場で働く為に、家を留守にすることになりがっかりしますが、隣のオーバンさんがひきとった男の子アルバートと出会います。リリーの父親も戦地へいくことになり、ちょっとしたことに意地をはって見送りに行かず、後悔と父親へのおもいをつのらせ、毎日手紙をまちます。戦時の秘密で父親はどこに配属されているのかわかりません。そこへ、マーガレットの兄が戦場で行方不明になったという知らせ。リリーはどこにいるかわからない父親を思い不安をつのらせます。手掛かりは手紙だけ、(あとで父親が手紙の中に読む事を薦めている本と関係があることがわかります)それなのに祖母はいろんなことをうるさくリリーに言い、リリーは孤独感をつのらせ、アルバートにボートを漕いで沖の軍艦に乗って父親に会いに行くとうそをつきます。アルバートはナチスから逃げてきたハンガリーの少年でした。両親は反ナチの活動をして、逃がされる途中、言葉の行き違いから妹と離れてしまい、パリに妹を捜しにいきたいと熱望していました。リリーのうそ、それは希望だったのですが、アルバートは信じ込み、泳ぎをおぼえ、ボートで海にのりだしていきます。
 作者は前作「ノリー・ライアンの歌」で19世紀半ばのアイルランドのジャガイモの飢饉のなかで、まわりにまどわされず家族を守る少女を、「ホリス・ウッズの絵」で生後すぐに捨てられてしまい、里親の間を転々とした絵の才能がある少女が、自分の生きていくところを見つける物語等、家族と人の絆を求めて成長していく個性豊な少女の物語を書いています。そして、物語のなかにはその少女を見守る複数のおとながかならずでてきますが、そのおとなは決してりっぱで英雄ではない、どこにでもいる人なのだけれども、子どもたちとちゃんと向き合い手を差し伸べる、素朴だけれどたっぷりとした愛情があるおとなです。
 ところで、この作者のちょっとちがった作品「ポークストリート小学校のなかまたち 全5巻 さ・え・ら書房」が店では人気があります。このシリーズは低学年の子どもたちが楽しんで読んでいます。ここにも等身大の子どもたちが描かれていて、それが子どもたちに読まれる理由です。

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ガッチャ!

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{ガッチャ!」
ジョーダン・ソーネンブリック
池内恵・訳
主婦の友社 本体1400円



「ガッチャ!」の意味は「やったね!」、この本で「ガッチャ!」と言うのは老人ホームにはいっているおじいさんのほうだ。主人公アレックスは家を出た父親に抗議するつもりで(父親はかってのアレックスの担任だった人と暮らしている。)車を運転して事故をおこす。アレクッスは高校生、成績はまあ一般なみ、なんだかんだと理論武装をして、切り抜けようとするがあまり成功したためしがない。今回もなんとかちゃらんぽらんとして切り抜けようとするが、根はあまり器用でなく、その分ドジな愛すべき存在だ。もう一方の主人公である老人ソルもまた、一風かわっていて、憎まれ口ばかりたたく。けれど実際は情にもろく、暗い過去をひきずっている。でも、それを見せたくなく、気難しい偏屈老人だ。
アレックがおこした事故に対しての刑罰は奉仕、アレックはソルの担当世話をしたり話し相手になるために老人ホームに通うことになる。当然アレックは不満、逐次そのことを裁判所の担当判事に手紙を送るかたちで物語はすすんでいく。その手紙の文体がとても小気味よく、抵抗するソルが昔は有名なミュージシャンであり、がんこで口が悪く、ソルの過去が明かされていくうちに、読者はアレックスとソルの丁々発止のなりゆきに、いっしょに”イェーイ!と叫んでしまう。その他にもこの物語のなかには、いつのまにかよりが戻ってしまうトボケた両親、ガールフレンドのローリー、どこかおかしな友だちブライアンなど個性的なキャラクターがいっぱい登場するので、最後にはソルは死んでしまうのだが元気をもらえる物語になっている。人生の大切なものは自分の意志で選んだものばかりではないが、愛は自分の力でつくれるものであると作者は語っている。

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ぼくらが大人になる日まで

 ”ぼくたちは、この国の大人を、信じていいですか?”
そう聞かれたらあなたはどう答えますか
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「ぼくらが大人になる日まで」
岡田依世子
講談社 本体1300円




 <中学受験専門 えいしん塾>に通っている6人の小学6年生。塾は私鉄の駅から歩いて7分、商店街のど真ん中にある。英二郎の家はコンビニで彼は店の手伝いが好きだ。私立中学受験は英二郎の方から言い出した。太って動作がにぶい英二郎は学校でいじめの対象になっていた。だから彼らと一緒の地元の公立中学に行きたくない、でも、成績は合格からとおい。大介は野球がしたかった。野球のために中学受験をする、家族はもろ手をあげて大賛成だ。けれど、ずっと一緒に野球をしてきた晃は家庭の事情から公立中学へ行くことになり、受験のために一時野球チームをやめた大介は、晃との距離がどんどん開いていってしまうように感じている。紀雄の妹は重い喘息で、父親が転勤になりそうで一家で行くことの話がでている。紀雄の家では妹が中心に動いている。父親はいつも仕事ばかりで紀雄の気持ち等少しも考えていない。ロボコンに出る事を目標にして受験しようとしていた紀雄は、とうとう妹に”おまえなんかいなければよかった”と言ってしまう。修一は優等生だ。父親が経営していた会社がつぶれた。引っ越しをしてなんとか生活もすべりだしたかに見えたが、母親が鬱病からアルコール依存症になり、入院してしまう。母親が元気になるために修一は国立大学の附属中を受けてほしいと父親に懇願される。烈子の母親はシングルマーザーだ。烈子は父親の顔を知らない。学歴こそ自立していく条件だと思っている母親の期待を一心にうけて、ともかく勉強している。美優が受験する中学は母と祖母の母校だ。お嬢様学校といわれている学校が、ほんとに自分の行きたい学校なのか、美優は良く解らない。そして、修一のメルトモ、チハルは不登校のひきこもり、修一は一度も会った事がない。この物語にでてくる子ども、どの子もしっかり親や大人の期待をしょっている子どもたちだ。
 <えいしん塾>の教師、東大をでているのに、社会と折り合いがつけるのがへたな通称里ちゃんは、一生懸命子どもたちに寄り添おうする。もう一人の教師の真理ちゃんの考えは違う。いま、大切なこと、受験に勝ち抜く事が未来につながるのだいう。6人と里ちゃんは元気をだすためにとガスぬきに開校記念日をつかつて、国会議事堂を見学しようと計画をたてる。真理ちゃんは親に話してやめさせようとする。里ちゃんはその責任をとって先生をやめるという。けれど、禁止されても自分たちだけで行くことに決心、大臣に会って意見と質問をしようと決める。当然相手にされないが、一人だけ議員が聞いてきた。「ね?ぼくたちは、なに?」「本当に知りたいことは、なに?」修一は答える。ーそれは、ぼくたちが受け継ぐこの国の、本当の姿・・・「ぼくたちは、この国の大人を、信じていいですか?」と。作者は各々の子どもたちの状況と心のゆれをていねいに、いつも前を向いて描いている。
 まいにちニュースは告げる。政府はアメとムチで米軍の施設をひきうけよ、と、いう。沖縄では少女の暴行事件がおき、中毒の内容を調べて欲しいという市民の訴えを聞かない役所があって、あたりまえに暮らしていく仕事と賃金がほしいと若者がいう。
 千葉では県立高校の特色化(特色科でなく特色化)の合格発表があった。クラスの半分が決まっているなかで月末に一般入試がおこなわれる。
 表紙の走っている子どもたち。その先には何があるのかわからないけれど、<ぼくらが大人になる日まで>は難しいが、走るに値する未来をつくろうとしなければならないと思う。決して、物語のなかの議員のように絶句して、ごまかしてはならない。
 

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天平九年の物語「氷石」

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「氷石」
久保田香里
飯野和好・画
くもん出版 本体1500円



 天平九年(737年)平城京の東市でひとりの少年が霊験あらたな丸い小石を売っていた。この時、都では天然痘が大流行、たくさんの人々が死んでいった。少年は千広といい、母が亡くなったあと、本家の援助を拒否して、一人で暮らしていた。父は平城京につとめる役人だったが、唐で学問を学びたいと遣唐使の船に乗り唐へ行ったきりで、短期で戻るはずがいまだに帰ってこなかった。元気でいるのか、いつ帰るのか、ようとして不明、その間母はもがり(天然痘)にかかり亡くなってしまった。そのまま叔父の離れにいたが、自分で生きていかなければならない。時々いとこの八尋が叔母の好意のものをもって来るが、その気持ちを素直に受け入れる事ができない。すさんだ気持ちでいる時に下女の少女宿奈や施薬院で病人のせわをしている伊真に出会う。小石はインチキなものだと知られてしまい売る事ができなくなり、千広は替わりに、木を削ってご利益のあるまじない札というふれこみで売ろうとする。ほんものらしく、施薬院の入り口にかかっているおふだの文句を書く事にする。偶然だろうか、それは千広が父と繋がる新しい生き方を選ぶ事になる。
 物語は騒然とした時代のなかで必死に生きていく少年と少女、それを支え励ましていくおとな達、日本を律令国家としていく、ひとつの時代の転換期に生きていく人々の苦悩と、希望を描いている歴史小説だ。この分野の小説は数少なく(昔のことばかりでなく、少し前の時代でも)、作者はあとがきでこんなことを書いている。”物語を見つけるのは発掘に似ている気がします。お話は土の中に埋まっているのです。”そして、平城京を駆けていく千広、宿奈、千広を慕う安都、小さな石と施薬院、呪符木簡がぴたっと合わさって物語がうまれたとのこと。この物語のずっと先に私たちの生命がある。そして、続きの物語を綴るのは読者の私たちなのだ。若い人たちに読んでほしい。それと同時に次の作品が期待される。

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生きのびるために

 1938年「戦争のうわさ」から物語ははじまる。ジャック・マンデルバウムはポーランドのバルト海沿岸のグディニアに両親と姉、弟と住んでいた。父親は魚の缶詰工場のオーナーで裕福だった。母親はおしゃれで美しく、姉のヤジャは音楽が好き、弟のヤーコプもかわいい男の子だった。ユダヤ人が経済的に裕福だったり、団結が強く、イディッシュ語を使い自分たちの文化に固守していることに反感を持っている人もいて、両親は不安を感じていたが、まだヒトラーのことを子どもたちには知られないようにしていた。

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「ヒトラーのはじめたゲーム」
アンドレア・ウォーレン作
林田康一/訳
あすなろ書房 本体1300円



ジャックの回想を挟みながら物語はすすんでいく。8月半ば父親は妻と子どもたちを祖父のところへ預ける。2,3週間後には合流するからと言って。1939年9月1日ナチスドイツはポーランドへ侵攻し、イギリスとフランスはドイツに宣戦布告、第二次世界大戦がはじまる。一週間もしないうちにドイツ軍はポーランド軍を壊滅、待っていても父親は来ない。そして、10月半ばの父親からの手紙にはシュトットホフの強制収容所にいるとのことだった。やがて母親や姉弟と離れ、ジャックたちも収容所送りになる。ひとりぽっちになり、ジャックは強制収容所を転々として、過酷な生活を送る事になる。
 この物語は10代のうち3年間強制収容所で過ごしたジャックの体験と歴史上の事実で構成されたものだという。(作者あとがきによる)作者がその事を知った、話してくれたサム・サンダーはジャックと同じように強制収容所,ホロコーストからの数少ない生還者のひとりとのことだ。
 先日映画「ヒトラーの贋札」を観た。(監・脚本ステファン・ツォヴィッキー)
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 この主人公は贋札づくりのうで?を見込まれて、強制収容所のなかでのナチスの秘密作戦に従事する。それはポンド紙幣の贋札をつくり、イギリスの経済を混乱におとしいれるというものだ。ユダヤ人のサリーはこのプロジェクトの中心になる。他の囚人よりは待遇がよいが、秘密の仕事はちがう面で過酷な要求があり、したがわなければ命にかかわる。しかもチームを組んでいるので、遅れたもの、能力のないもの、体力、精神力が続かなければ、その人だけでなくチーム全部が殺されてしまう。贋札をつくるという行為はナチスに加担した事になるが、つくらなければ殺される、なんとかそのゲームに勝たなければならない。「ヒトラーのはじめたゲーム」のなかでもジャックは決心する。”ゲームの規則がどのようなものであっても、わたしはその規則に従ってプレーしようと心に決めたのです。”すこしでもナチより長く生きるためにはうまくゲームをする、それはゲームなのだから決して人間の尊厳をなくしてしまうことではない。でも、人間の尊厳とはなんだろうか。すでに生きていくために人間らしい生活は失ったも同然なのだ。生きぬいていくのに運もあったかもしれない。しかし、この生きていこうする強烈な意志に、私たちはすくなくとも彼らの歴史を知らねばならないとあらためて思った。

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絵で読む「ユゴーの不思議な発明」

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「ユゴーの不思議な発明」
ブライアン・セルズニック
金原瑞人・訳
アスペクト 本体2800円




 以前この作者の「ウォーターハウス・ホーキンズの恐竜」(光村教育図書)というとても印象深い本を読んだことがある。その本は絵本の形態をしていたので、画面いっぱいの絵に圧倒されながらもその事自身にはあまり違和感をもたず読む事ができた。この本をまず手にして、542ページの大変な厚さに驚いた。しかも黒一色、従来の本からは考える事ができない。”えっ!こんなに厚い本”と言いながらページをめくってまた、驚いた。文字のない、見開きいっぱいの絵だけですすんでいく。表紙の男の子の眼差しは読む者の心に語る。あるページでは見開きいっぱいの瞳、あるページでは駅の雑踏、そして、機械じかけのからくり人形、不思議な少女、時計。物語はそれらの絵をページをめくりながら読むだけで充分わかる。文字がなく絵だけで、ことがらだけでなく心理的なことまでわかることができる絵本には「アンジュール」のような絵本もある。ただ、この本の物語は12章からなりたっている長編で、ところどころに見開きいっぱいに文が記されている。(でも、全体からみればやはり文はほんの一部分である。)
 舞台は1930年代のパリ、パリ駅に秘密の部屋をもって一人っきりで暮らしている12才の少年ユゴー、父親の残したからくり人形の秘密を探している。そして、不思議な少女イザベルと出会い、いっしょに秘密を探っていく。ユゴーが苦心して部品を集め完成したからくり人形に、盗み出したカギをはめる。動きだしたからくり人形が描いた秘密の絵。
 不思議な雰囲気に興奮しながら読み進んでハタと気がついたこと。それは、この本はまるで映画を見ているよう、興奮しながらこの本にであって良かったと思った。
 今年は驚くような本に出会う事が多いような、うれしい予感がする。

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探偵小説がおもしろい

 ファンタジーという本がたくさん出版されましたが、そろそろブームも下火でしょうか。いや、ブームになったのはファンタジーもどき、おんなじようでおもしろくありません。そのわりには次から次へ出版され、内容もホラー小説といって良いよう、だいいち、倒すべき悪は何?どこに?といささかうんざりしてきました。一方、すこしなりをひそめていた探偵小説の作品が多くなってきました。
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「ベイカー少年探偵団」
1 消えた名探偵
2 さらわれた千里眼
アンソニー・リード
池 央耿・訳
評論社 本体各800円




 ベイカー少年探偵団、シャーロック・ホームズの本を読んだ人なら「ベイカー・ストリート・イレギュラーズ」と呼んでいた浮浪児たちの集団のことを知っていると思いますが、その集団をふくらませ「ベイカー少年探偵団」として書かれたのが、この本のシリーズです。ホームズの連作をもとにBBC放送のテレビドラマになったのですが、それを作者が台本から物語化したものです。 
 ホームズの作品と同様に、この作品の読みどころはコナン・ドイルの作品に登場する人物とアンソニー・リードの作品の少年達がからみあって物語が進んでいく、重層的になっていることです。しかも、その物語の背景のヴィクトリア朝末期のロンドンの様子、産業革命が発展して、活気があるロンドンの底辺で生きている浮浪者のこどもたちはいきいきと描かれていて、霧と風と匂いまでが感じられます。劇場やオペラ劇場がたくさんあり、大衆芸能も盛んでした。ロンドンだけではありません、2巻ではアメリカやカナダのゴールドラッシュのことまでが描かれています。しかも、「野生の呼び声」の作者で有名なジャック・ロンドンらしき人まで登場、ホームズはもちろん、ワトソン、レストレイド警部やモリアーティ教授も登場、「シャーロック・ホームズの作品」、「宝島」などの作品もところどころに顔を出しています。
 1巻目は「アイルランド共和同盟がイギリス女王の命を狙い」2巻目は「ゴールドラッシュで大富豪になった財産を狙う」話、貧乏だけれど、自由で自立しているこどもたちが、霧の街ロンドンで自分たちの力と団結で事件を解決していく全6話が楽しみです。


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友情のありか

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「リバウンド」
E・ウォルターズ作
小梨直・訳
深川直美・画
福音館書店 本体1600円



 カナダのシニア・パブリック・スクールの8年生、日本では中学2年生の男の子2人の友情物語、そのうちの一人は交通事故で車いすの生活、こう書くとそれだけで良くある小説のように思うかもしれません。しかも、その少年デーヴィッドは伝説のヒーロー、バスケットボール選手とあらば、なんか物語もあまり読みたい意欲がわかないのが正直な気持ちでした。それはこの種の物語、かわいそうな少年が本人の努力とまわりの励ましで、たちなおっていくというような物語があまりにも多いからです。けれど読み始めたら、それは私の思い違いだことがわかり、グイグイと引き込まれてしまいました。その点この物語は障害をおってしまったデーヴィットを中心におくのでなく、もう一方の少年ショーンを中心に物語がすすんでいくので、お涙ちょうだい式の物語にはなりません。ショーンはバスケットボールが大好きでレギュラーになりたいとおもっているのですが、自分に自信がない。いじめにあったり、悪ぶって問題ばかりおこしているのも、それだって先生とうまくいかなく、したがって成績も良くないというキャラクターを中心にすえています。デーヴィットのつっぱり、落ち込んだり、元気良くしているかとおもうと、自分を哀れんでいるのではないかと感ずると、凶暴と言って良い暴れ方をするようすを見、ショーンはその気持ちに添おうとします。
 車いすに乗ってみると、他がどう見えるか、それによって自分の気持ちが、考えがどうかわっていくのか、ダンスをする場面、買い物に行く場面、ただ動けないだけでなく、例えばトイレに対しての体の機能が働かない為に尿を漏らしてしまう場面など、かなりくわしく描かれています。
 それでいて悲しくなったり、暗く不愉快になったりしないのは、2人の少年とガールフレンドや家族や教師のそれぞれを丁寧に描いているからだと思います。それがこの作品をとても魅力的なものにしているいちばんの理由です。

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白いキリンを追って

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「白いキリンを追って」
ローレン・セントジョン
さくまゆみこ訳
あすなろ書房 本体1400円



11歳の少女マーティーンは怖い夢を見ていた。それは夢でなく現実、家は火事になり、マーティーンはどうやら外へ逃げられたものの、両親は焼け死んでしまう。マーティーンの後見人はまだ会った事のない祖母、突然その祖母が暮らしているケープタウンの鳥獣保護区へ行くことになる。空港に出迎えてくれたのはその保護区で働くテンダイ、祖母のところへ連れて行かれる途中グレースという占い女のもとに連れて行かれ、おいしい料理をごちそうになるけれど、グレースはマーティーンが特別の才能があること、マーティーンの母親を知っていて、マーティーンにいろいろと話そうとするが、なぜかテンダイに止められてしまう。車のなかでテンダイは白いキリンの伝説、白いキリンに乗る事のできる子どもはすべての動物に対してを力をもつという伝説を話してくれる。白いキリンは密猟者にねらわれていた。
 祖母にはなじめず、学校でもいじめられてしまうマーティーンはその白いキリンに会いたいというおもいをつのらせる。課外授業でカーステンボッシュ国立植物園へ行ったとき、以前夢に見た動物を生き返らせる事ができる能力がほんとうに自分にあることを知り、また、学校ではいつもみんなから離れているベンという少年と友だちになることができた。そして、白いキリンを密猟者の手から救おうと決心して、白いキリンを探す。白いキリンは実在した。そして、密猟者は執拗に追いかける。密猟者は誰なのか?マーティーンは白いキリンを救う事ができるのか?白いキリンはマーティーンに会いにやってくるようになり、マーティーンは白いキリンにジェミーと名づけ、背に乗る事もできるようになる。
 マーティーンの孤独、夢のなぞ、少年ベンとの友情と2人で密猟者に挑む冒険、物語はアフリカの神話を舞台にドキドキハラハラとすすんでいく。
 なによりも表紙や挿絵が良い。キリンという動物は怒ったことがないのだろうか。穏やかなまなざし、ちょっと淋しそうなキリンの絵は少女の心を表現しているようだ。
 最後に祖母がどうしてマーティーンにきびしかったのか。マーティーンは白いキリンを自由にし、保護区のなかを駆けて行く姿をみとどけて祖母のもとに帰ってくると、そこにはグレースが待っていた。「才能は恵になるだけでなく呪にもなること、これは終わりでなくてはじまりなのだ」と、グレースがマーティーンを励ます言葉は多くの事を示唆している。

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ルイジアナの青い空

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「ルイジアナの青い空」
キンバリー・ウィリス・ホルト
河野万里子・訳
白水社 本体2000円




12歳といったら中学生になる頃、いまはだいぶ早熟になっているけれど、少し昔ではそろそろ体も変化してくる頃です。体だけでなく、中学生はおとなへの入り口に差し掛かる頃なので、思春期独特の多感な年齢です。主人公タイガーは12歳、野球の大好きな利発な少女です。舞台は1957年アメリカ、ルイジアナ州の田舎、両親と祖母とで暮らしています。ただ、タイガーの家庭が他のうちと少し違うのは両親共が知的障害者だということ、当然タイガーを育てたのも、家庭の細々したことを維持しているのもおばあちゃんです。タイガーには母親の妹にあたるドリー・ケイおばさんがいて、州都で秘書の仕事をしているキャリア・ウーマンですが、母親であるおばあちゃんとなにかあって、あまりスムースな関係ではありません。タイガーはおばさんの生き方をみて、田舎ではなく都会で存分に働きたいと思う気持ちが強くなってきます。しかし、タイガーがいなかったらどう暮らしていくかわからない幼い子どものような無垢な母親、言われたことを実直に確実にゆっくりと仕事をしていくだけの父親、タイガーを育て家庭の要になってきたおばあちゃんの死で、タイガーの気持ちは揺れ動きます。後半タイガーの母親の知的障害の原因があかされ、また、都会に行ってみて、タイガーは両親のもと田舎で暮らして行くことを選択します。この両親の純粋な愛に心動かされますが、もうひとり、おばあちゃんが亡き後に家庭の面倒をみるために来た家政婦の黒人のマグノリア、社会では黒人差別をうけながらも、タイガー家族をしっかり支え続ける姿勢がとても印象的です。そして、最後のハリケーンにおそわれ、家族で立ち向かう姿は感動的です。
 その頃から社会はもっと複雑になり、あいもかわらず差別は手をかえしなをかえ無くなっていません。そして、一番小さな単位の個人、家族の本質もまたかわらず、自分自身で考えていかなければならないのです。

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ぼく、カギをのんじゃった!

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「ぼく、カギをのんじゃった!」
ジャック・ギャントス作
前沢明枝・訳
徳間書店 本体1400円




 主人公のジョ-イは小学校4年生、本のオビに「カゲキ」に元気な男の子と書かれていますが、ジョーイの行動は注意欠陥多動性障害(ADHD)の子どもにみられます。考えるより先に行動する、じっとしていられない、思ってもいないのに“それはあとにしてチョーダイ”などという言葉がわけもなくでて、相手を怒らせてしまいます。幼いときに父親が家を出て、母親もいなくなり、おばあちゃんにつらく育てられていましたが、母親が戻って来て新しい生活がはじまります。けれど教室で孤立していたために友だちを傷つける事故をおこしてしまい、特別支援センターに通うことになります。
 読みすすんでいくにしたがって、父親はむろんのこと、母親もアルコール依存症にちかく、祖母には虐待にちかい育てられかたをしていたことなどがわかってきます。
 ジョーイ自身さえ予測のつかない行動は、まわりの人たちにもなかなか理解し難いのですが、ジョーイの母親を思う気持ち、そして、母親も一生懸命働きながらジョーイと暮らしていく、切々と読む人の心を打ちます。
この書名になっているカギを飲んでは引っ張りだすシーンなど、読むことも堪え難い場面がありますが、そんな行動もジョーイにとっては意味のあるものなのです。特別支援センターでの教師たち、医者、それになによりも保健室のホリーフィールド先生のユーモア、特別支援センターにいるさまざまなこどもやその親の希望の星になっていることを知ったジョーイの驚きと喜び、ぼくは悪い子じゃないとつぶやく最後のページに作者の視点が感じられます。
 作者が描いた絵本「あくたれラルフ」の物語版ともいえる本です。

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リンドグレーンの生涯

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「遊んで 遊んで」
リンドグレーンの子ども時代
クリスティーナ・ビヨルク文
エヴァ・エリクソン絵
石井登志子・訳
岩波書店 本体2300円
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「サクランボたちの幸せの丘」
アストリッド・リンドグレーン作
石井登志子・訳
徳間書店 本体1400円



長くつ下のピッピ」などで早くから日本にも親しまれてきたリンドグレーン、今年はその生誕100年とのことです。
アストリッド・リンドグレーンは、スウェーデン南東部にある小さな町ヴィンメルビーでこども時代を過ごしました。そのネース農場、ゆかいでお話好きな父親、しっかりものでしつけに厳しいけれど、子どもの自立心を大切にした母親、父親のいとこで馬や農場の監督をしていたペッレや、誠実で愛情深いおとなのなかでのびのびと育ちました。兄のグンナル、次がアストリッド、4歳年下のスティーナ、末っ子のインゲエードが兄妹でした。
 「遊んで 遊んで」にはそのネース農場のなかで豊かにのびのびと育ったアストリッドの様子と、その様子がアストリッドのどの作品のなかに描かれているがたくさんの挿絵と写真が入って述べられています。そして、やはり作品のなかの、豊かな自然と動物たち、とくにたくさんの桜の木があり、桜の花が咲く頃のすばらしい5月の自然について、いまでも訪れれば残っているその場所についての魅力が描かれています。自然だけではありません。アストリッドの生涯の友になるマディケンとの出会い、おもしろくて、ちょっと怖い話をしてくれた祖父母、農場で働いている人たち、時々一夜の宿を求めてくる浮浪者や行商人などから聞いた知らない土地の話など、作品の中にあふれるほど描かれていることは、みんなアストリッドの子どもの頃に得たものなのです。
「サクランボたちの幸せの丘」は都会から田舎に移り、農場を始める一家の話です。16歳の双子バーブロとシャスティンはちようどサクランボのようなのでそう呼ばれます。おそらくこのサクランボはアストリッドとマディケンのこと思っても良いでしょう。家を改築して、草取りやミルク運びなどの農作業に取り組むようすや、近所の同時代のともだち(もちろん男の子も)と楽しむハイキングや釣りやパーティのようす、やがて2人にも好きな人ができて・・・。この小説のなかにも溢れるばかりに描かれているのが自然のすばらしさです。
 おとなになってたくさんの苦難の中にも楽しい作品を残してくれたアストリッドの魅力は、この自然につちかわれた想像力と自立心にあるのだと思います。


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黄色いハートをつけたイヌ

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「黄色いハートをつけたイヌ」
ユッタ・リヒター 作
陣崎草子 訳
さ・え・ら書房 本体1500円




ロッタは森の中で小さな黒くてやせたイヌに出会いました。行く場所のない迷いイヌをかわいそうにおもって、どこのイヌかわかるまで家においてあげると約束します。連れていかれた家ではノーマンぼうやが留守番をしていて、旅行のおじいちゃんが帰ってくるまで納屋に置いてくれるといいます。このイヌはしゃべることができました。もちろんイヌ語ですが、自分がしゃべれるだけでなく人間語、ネコ語、ハト語、それにちょっぴりネズミ語もわかるといいます。
 一方イヌは名前を聞かれても思い出せません。昔、お城の庭園のブナの木の下にのびてしまっていた酔っぱらいの男ロブコヴィッツにはじめてであったことを思い出しました。ロブコヴィッツは男とふたりでいて、そのとき男が彼にロブコヴィッツという名前をつけてくれたのでした。イヌは食べ物のかわりに(チキンの皮が大好物)ノーマンぼうやたちにお話をする約束をしました。
 イヌの語ったお話とは世界の創世のこと、楽園と創造主と人間の誕生の物語です。グ・オッドとの出会い、友だちが欲しいとグ・オッドの絵を書き直し人間を造り、世界の均衡をやぶり、グ・オッドをうらぎったロブコヴィッツ、グ・オッドと暮らした楽園を追われたこと、イヌはグ・オッドをなぐさめ、ロブコヴィッツを探し出して連れて帰ることを約束して庭園をでてきたのでした。けれどやっと探し出して庭園に戻って来たのに入り口はなくなっていました。
 毎日ノイマンぼうやはイヌにチキンの皮をもってきてくれて、イヌはそのかわりにグ・オッドとロブコヴィッツの話をします。一時はネズミの脅迫に会いつらい思いをします。その窮地を救ってくれたのはネコでしたが安心していられる場所、生活はイヌにとって何もまして必要なことになります。冬がくるのです。ノイマンぼうやはある日黄色いハートをつけてくれました。イヌはやっと大切なものを手にいれたのです。帰って来たおじいちゃんにイヌはロブコヴィッツとグ・オッドの庭園の話を語ります。
 不思議な創世記の話です。キリスト教者でなくとも、イヌの語るこの物語が神とキリストと人間のことを述べていることがわかります。ノイマンぼうやとロッタは庭園の入り口を探し出すことができるでしょうか。それはイヌの語るこの話を信ずるかどうかで決まることだとおもいます。それに名前を持つことの意味も考えさせられることです。

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ちょっと変わった魔女の子ども

9784652079119


「魔女の愛した子」
マイケル・グルーバー
三辺律子・訳
理論社 本体1500円




深い森の中に赤ん坊が捨てられていた。赤ん坊はどんな子でもかわいい。けれどこの子はひどく醜かった。この魔女は決して悪い魔女ではない。ほうきに乗ったり、人を食べたり、悪しき魔法を使ったりはしない。この魔女は命の均衡を保つことをしている。そのために、ときには少し魔法をつかったりするが、一日のほとんど命の営みに心を澄ませ、その手だてを考えることだった。魔女はこの醜い赤ん坊に瘤とか固まりの意味があるランプという名前をつけてクマのイスルを乳母にして育てることにした。
 ランプは元気に育った。ランプのまわりには忠実なイスルのほかに、ネコのファランスをはじめとして、たくさんの動物がいたが、それだけでは満足できずに、森に浸食してきた人間の世界にちかずいていく。魔女からは禁止されていたが、力がついて反抗的になってきたランプはその禁止の意味がわかっていない。人間世界からは魔女はあってはならない悪しき存在、まして、魔女は子どもを食べると思われていたし、そして、ランプは酷く醜い、それが何を意味するか、当然人々の襲撃にあう。それにもうひとつ禁止されていたこと、ランプは魔神を呼び出し、しかも、その計略にまんまとひっかかってしまい、追われる身になってしまう。
この物語は これらのエネルギーあふれる描写をドキドキしながら読むだけでなく、この物語の中にはたくさんの昔話がちりばめられていてそれが奥行きをあたえている。「赤ずきん」「ヘンデルとグレーテル」「ラプンツェル」「眠れる森の美女」そして、最後にはランプの魂の救済「青ひげ」と「ルンペンスツェルトヘン」、グリム童話そのままではなく、そのモチーフがいかされているのだがそれがとてもおもしろい。
 この物語にあたって書かれている「魔女でもあり、母親でもある、世界中の女たちに捧げる」献辞、たしかにすべての子どもたちの母親、女は魔女かもしれないと、そのひとりである私自身も含めてうなずけることでもあった。女はもっと深く自分の魔性を自覚すべきなのかもしれない。
 

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カッソン家再登場

9784338144247


「インディゴの星」
ヒラリー・マッカイ
冨永星・訳
小峰書店 本体1500円




 前作「サフィーの天使」のカッソン家、両親は共に画家だけれど、一緒に暮らしているのはママのイヴ。あいかわらず家事が苦手で今の日本でいえば育児放棄もいいとこかも。育児放棄といえばパパはロンドンにスタジオがありほとんど帰ってこない。長女キャデーはロンドンで大学生、優しくてたくさんのボーイフレンドをふることができない。次女サフィーは前作の主人公でほんとうは養女。事故で死んでしまったママの妹の子どもで、車いす生活の親友サラ共々積極的で中学校一番に目立つ子ども、長男インディゴは繊細で気が優しい、そして、末っ子ローズ、生まれながらの画家といってよいほどの才能があり、メガネが嫌いで悩んでいる。この物語はインディゴがインフルエンザから腺熱にかかりほとんど一学期学校を休むところからはじまる。休んでいたら透明人間になったような気分、病気になる前は旅人だったように思う。じつはインディゴは学校でいじめにあって密かに悩んでいた。ある日アメリカから転校生トムが入って来る。トムもまた、母親が家を出て行き、引き取られた父親が再婚して淋しく、人間不信になっていた。そんなトムは悪ガキたちのいじめの格好な的になってしまう。そのことをを知っているのはローズだけでとても心を痛めている。ローズが心を痛めていることのもうひとつに両親のことがある。ほとんど家に帰ってこないパパを心配して、インディゴのこともあり、パパになんとか帰って欲しいとあの手この手を考える。トムとインディゴは友だちになるが学校でうけているいじめはなかなかやまない、ローズのパパが戻る作戦もうまくいかない、ママは相変わらず夢見る人のように現実的でなく、お金にうとく子どもたちは食べるものにも不自由な生活をおくったり、けれども一家は決して暗いせつないだけではない。みんな強烈な個性があり、悩みながらも正直に精一杯自分であろうとしている、そんな不思議な魅力のある物語は読む人の心をうつ。読んでいるうちに自分自身もこの一家のひとりになったような暖かい気持ちになる楽しい本だ。

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夕暮れのマグノリア

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「夕暮れのマグノリア」
安東みきえ
講談社  本体1300円



 表題から漠然とポール・トーマス・アンダーソン監督、脚本の「マグノリア」を思いながら読みはじめた。でもちがった。「マグノリア」はモクレン・コブシ、タイサンボクの総称だという。ハクモクレンかなと思ったが、作中おじちゃんのことを語るところで『初夏だったんだろう・・・』(P200)というフレーズがあり、オガタマノキにいきあった。神道思想の招霊「おぎたま」から転化したとのこと。そう、夕暮れなのだ。私の目の前に「マグノリア」がゆっくり開いていくのがみえてきた。
 主人公の灯子が中学校に入学してからの一年間、美帆、凛、千夏、関田、きい、おばちゃん、6人との関わりが語られいる。背景には「マグノリア」と「おじちゃん」。おじちゃんは7年前に亡くなっている。6人も何かのかたちで現実ではない向こうの世界をかいまみてしまった人だちだ。そして、その人たちと一緒の時間をもったことで、灯子はママのにいさんであったおじちゃんや、ネコのムンク、パパやママ、そして、見えないものでも信ずることができた。『けっしてひとりぼっちではない、だれもいないと思ってはいけない』昔、幼い灯子におじちゃんはそうささやいたのだ。
 私も、夕暮れ時は好きだ。特に夏の夕暮れ、暑さも幾分静かになって、太陽は空の下に沈んでいく。『また、あした。』

 明け方3時、外にでて流星群をみた。風が少し吹いていて、昼の暑さはない。時々セミがジィーと鳴く。しばらく空を見上げていたら、若い男の子がひとりでとおりかかって、私を見て驚いた。“流星群をみているのよ。”黙ってしばらく空を見ていたけれど、“じゃぁ”といって行ってしまった。しばらくするとスウーと星が流れる。昔、祖母の背中で流れ星を見たのを思い出した。“あれは、どこかで人が亡くなったのだよ"静かな祖母の声。
 7つまで数えて家にはいった。

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ゆうれいになった少女の物語

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「アイヴォリー」
竹下文子・作
坂田靖子・さし絵
ブッキング 本体1400円
(1994年理論社から刊行)



わたしの名前はアイヴォリー・ホワイト。少し前は塚原美月だったり、両親にはみっちゃんと呼ばれていて、友だちはミッキーと呼んでいた。生きていた時は。つまりわたしはもう死んでいてしまって幽霊になっている。この管理事務所で働いている八代さんだけには(もちろん八代さんは幽霊ではない)わたしが見える。八代さんはいつも「I hear their gentle voices calling・・・」と口ずさんでいる。わたしはここで何をするまてでもなく、あちらこちらをのぞいたり、空を見上げたり、墓参に来る人を見ていたりの毎日をおくっている。ある日男の子の足音がして、その男の子はわたしの姿が見えたし、話も出来た。そんなずはない、男の子は生きている人間だし、わたしは幽霊なのだ。
 ここの墓地の幽霊はどうしていつの間にかいなくなってしまうのだろうか。消えてしまうということは今度こそ確実に向こうの世界にいくことなのだ。無限の闇の世界、わたしは行きたくない。よくわたしと話をするカトーさんもいなくなり、ある日八代さんも倒れてしまった。ここにいる幽霊は死んでしまってすぐに向こうの世界にいくことができない理由がある。 男の子、光介くんはこの墓地からわたしを連れ出そうとする。幽霊はだれも生き返ることができないというと、「それなら生まれ変わるのだ」と言って。
 この本のイラストのようにはかなく、秘密をかかえている幽霊アイヴォリーの哀しみが読者の心に伝わってくる。それは、この物語がアイヴォリーの物語であると同時に美月の物語でもあり、あなたの物語でもあるからだ。決してあかすこともなく、できずに彷徨い続ける魂、でも、生きていればその魂をすくいあげてくれる人がかならずあらわれる。どんなにつらいことがあっても塚原美月でいれば、だれかのために何かをすることができる。
 この物語は決して怖い物語でも、暗い物語でもない。作者は魂の救済の物語を語ったのにちがいない。

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 BLUEBACK ブルーバック

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「フルーバック」
ティム・ウィントン作
小竹由美子・訳
橋本礼奈・画
さ・え・ら書房 本体1300円




 オーストラリアのロングボード入江にジャクソン一族は暮らしていた。捕鯨にはじまり、100年以上も昔から一族は生きてきた。まわりは全部国立公園、今ではエイベルと母親だけが住んでいる。父さんは真珠とりをしていたが、エイベルが2歳のときイタチザメにやられ、遺体も発見されなかった。エイベルの母親は男のようになんでもする。機械いじりも得意で、トラックも発電機なども自分で整備してしまう。魚をとったり野菜や果物を栽培したり、アヒルやニワトリを飼って卵をとり、ミルクを得るためにヤギも飼っている。電気はきていないのでテレビもなく、雨水を使い、森を歩いたり、海で泳いだり、エイベルはこの母親との生活に満足していた。ある日、入江に住む巨大な青い美しい魚ブルーバックに出逢い魅せられる。そして、成長したエイベルは都会の学校に進学して、海洋学者になり世界をとびまわる。入江に残った母親ドラには、リゾート計画や貝などを根こそぎ取ってしまう漁師、(アワビの密猟者と戦うところはどきどきしてしまう)、タンカーの座礁などいろいろな問題がおしよせる。ドラは海を救うためにある決心をし、その志はエイベルに受け継がれていく。
本の題名だけからだと、魚の物語と思うが、この魚ブルーバックはエイベルと母親ドラの希望の象徴だ。むしろ、この物語は海を愛した女性の生涯の物語といえるのではないだろうか。もちろんちがうのだが、私はこの物語を読みながら「沈黙の春」の作者レイチェル・カールソンのことを思い出していた。
 人は海で生まれたという。また、海は私たちの揺りかごともいう。いまでもどこかの海でブルーバックは泳いでいるにちがいない。

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川かますの夏

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「川かますの夏」
ユッタ・リヒター
古川まり・訳
主婦の友社 本体1400円




誰にも忘れられない夏の思いでがあると思います。夏は生命が爆発する季節ですが、そのかげではかすかな死の匂いがします。それは命を知る季節だからかもしれません。
 幼かった頃、昆虫採集に夢中の時がありました。セミの羽化をみて命の不思議を感じながら、一方捕えたとんぼや蝶などに注射をして標本を作ったりもしました。13歳の夏休みは軽い結核といわれ、空ばかりをみていました。もとの生活に戻れるのか不安でしたが、秋がめぐってきて、冬になり、歳をひとつとりました。子どもの私にとっての生と死は漠然とした不安でした。
 この物語はアンナと友だちのダニエルとルーカスの兄弟たちの2ヶ月の夏のできごとです。川かますという大きな魚を3人だけで捕まえる、それは、ダニエルとルーカスの母親がガンでもうすぐ死んでしまうという不安とむきあって、それを受け入れていくということでもありました。ダニエルたちが釣りをすることに、はじめアンナはどうしても耐えられません。父親が家をでていってしまい、母親と暮らしているアンナにとって、ダニエルの一家は家族ともいってよい存在です。がんというどうにもできない病気、両親が別れてしまうとうことに何もできないない無力なこどもだったアンナ、でも、逃げることなく現実をうけいれていくしかないのです。ガンの治療ですっかり頭髪が抜けてしまい、スカーフをまいているほんとうの理由を知ってしまう子どもたち、ダニエルは川かますを素手で捕まえ、アンナは母親と話すこと、父親とのかっての暮らしを思い出すことによって、現実の悲しみをのりこえていこうとします。川かますを捕まえた日、ダニエルとルーカスの母親は亡くなってしまいます。そして、アンナもダニエルも成長の1ページをめくったのでした。
 静かな心に響く物語です。
  
 

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海と親しもう

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「カラー版 海と親しもう」
ー遊ぶ・観察する・学ぶー
伊藤勝敏・著
岩波ジュニア新書 本体980円




著者は海中写真家なので、ほとんど全ページにカラーの海の写真がはいっています。それを見るだけでもとてもおもしろく楽しい本です。日本は周囲を海に囲まれているのですが、以外と海のことは知りません。それでも私のような年代の者は学校にプールがなかったので、夏になると臨海学校があり、海から遠い地域に住んでいても、何回でもないかもしれませんが海に行く機会がありました。それは海は泳ぐためのところだけでなく、遊ぶところでもあったからかもしれません。そんな海は自然としての海だからです。
 人類は海から生まれたといってもよいのでしょう。大地も空も山も川も森も自然はきびしいと同時にいつもふところに抱き包んでくれます。多様な生物が生きているこの地球、そのひとつである海のことをもっと知り楽しんでみたいとおもいます。
 作者はまず「海に近づいてみよう」と、砂浜・干潟・磯・潮溜りについて季節や時間、服装、注意することなどが書かれています。そして、海辺の生物、海中の生物のたくさんの写真を使って海のドラマをみせてくれます。不思議で、愉快な生き物たち、汚れた海でも生きていくたくましさ、これから夏に海に行く機会が多くなりますが、ただ人間だけで遊ぶだけでなく、海の生き物と遊んできたいものです。
千葉の海のことですが 盤洲里海の会からおたよりが届きました。関心のある方はクリックしてみてください。

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ファイアーガール

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「ファイヤーガール」
トニー・アボット
代田亜香子・訳
白水社 本体1500円



トムはある意味ではどこにでもいる普通の男の子だ。容姿もあまりぱっとしないし、気が優しいというか、弱いというか、クラッシックカーが大好きで、手にいれること、乗ることをいつも夢想している。クラスにいる聡明なコートニーに憧れているが、気づかれないように、めだたないようにしている。クラスでは前からの友だちジェフがいる。ジェフは父親に好きな人ができて家を出て行き、母親とだけ暮らしている。あまり豊かでない家庭で放任で育っているジェフは強がりばかりいっているが、ほんとうはとても寂しがりだ。今度もトムの憧れているクラシックカー・コブラに乗せてやるといいかげんのことをいって、本気でまっているトムの気持ちを傷つける。
新学期、トムのクラスにジェシカという子が転校してくる。ジェシカは火事にあってひどいやけどをして、その治療のために、少しの間このクラスにいるとのこと、そして、席はトムの隣になった。ジェシカの顔はほんとにやけどで、ひどいなんていうものでなかった。それにジェシカが落とした写真をめぐり、ジェシカに嫌なうわさがたち、クラスの誰もジェシカと話すらしようとしなくなる。トムは家が近いため休んだジェシカに届け物をしなければならないことになり、ジェシカとすこしづつ話すことで、ジェシカのやけどのことも知ることになるがそのことで、クラスから自分がいじめにあう、特にジェフにいじめられるのを恐れ、できるだけ関係のないふりをしてしまう。
「百枚のドレス」のように、この本も積極的ではないけれど、自分がみんなからいじめられるのをおそれ、結果的にはいじめる側になってしまった少年の物語である。見て見ぬふりをする、いいわけや自己弁護はゆるされることではないのだが、だれでもおちいること。このマイナスのことの加担者にならないこと、意志をもつことがどんなに意味があるのかこの本は静かに語っている。「とにかく、ジェシカはすくなくともひとり、この学校に好きな人ができたのよ。ジェシカはあなたのことがすきだったわ。P173より」という最後のコートニーの言葉がずしんと心に響く。

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トメックとハンナの物語

202502
トメック
さかさま川の水1
202512
ハンナ
さかさま川の水2
ジャン=クロード・
ムルルヴァ 作
堀内紅子 訳
平澤朋子 画
福音館書店 
本体1・ 1700円 2・1600円

 オビに少年編の「トメック」は(かろやかで胸にしみるファンタジー)とあり、少女編の「ハンナ」は(ひりひりと心を焦がすファンタジー)と書かれている。これは2冊がついになっている構成になっていて、この2冊を結ぶのは『さかさま川』と呼ばれ、川下から川上、源流にながれている川、クジャー川へいく少年と少女の物語だ。クジャー川は『聖なる山』へ流れていく、そして、そのもとの岩のくぼみの水を飲むと死なないという、でも、誰一人として帰ってきたものはないといわれている。村の小さな雑貨屋のトメックのところに、ある夏の終わりの夕暮れ、ひとりの少女が棒キャンディを求めて来て、クジャーの川の水があるかと問いかけられたのが、その少女ハンナに会った最初だった。少女を追いかけて旅にでるトメックからの物語が1巻から、一方全財産をつぎこんで得た父のかたみのたいせつな小鳥の命を救うために、クジャーの川の水を求めて旅に出たハンナの物語が2巻目になっている。もちろん、2人は最後には各々の苦難の旅からクジャーの川を探し当てて出会い、ひとしずくもってトメックの村に帰って来る、そして、ハンナは小鳥のところへ、最後はトメックのエピローグで終わる。
 この2人の物語の中にはふしぎなことや、人たちの物語がたくさくつまっている。ワスレ森、砂漠、どこにもない島、虹から下がっているブランコ、老婆とのなぞなぞ、トメックの店のなんでも入っている引き出しを開けてハンナがのぞきこむ最初のシーンから❲あってないもの、なくてあるもの、な〜んだ❳と思わず唱えてしまうような描写が続く。そして、2冊共に、ふたりだけでなく、物語に登場するひとびと、死と向かいあったり、貧乏だったり、醜かったりしても、それを肯定してなおも生きていくひとびとが心に残る。
 きらきら光る春の風と静かな夏の夕暮れをおもわせるような物語だ。

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片目のオオカミ

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「片目のオオカミ」 uブックス
ダニエル・ペナック
末松氷海子=訳
白水社 本体850円




誇り高き動物「オオカミ」、日本オオカミはすでに絶滅したといわれているが、そうではないとも、時々ニュースになることがある。この物語の主人公の1人、いや一匹のオオカミは家族と別れ転々としながら、いまでは動物園にいる。賢く自尊心の高いオオカミは人間に対する不信感と絶望感の中で暮らしている。もう一人の主人公の少年も戦争で家族をなくし、アフリカの国々を転々とするなかで、ある年寄りの夫婦に助け出され養子にしてもらえるが、自然破壊という不条理なことから移住を余儀なくされてしまう。
 ある日オオカミはオリの前でただじっと自分をみつめている少年にであう。少年は来る日も、来る日もオオカミのオリの前にたたずんでいる。このオオカミは10年前人間に生け捕りにされた時片目を失っている。少年は瞬きひとつしない。オオカミはおびえはじめ、自分の無力にくやしくて、残された片目から流れた涙、すると、不思議なことに少年は片目をつぶる、片目のオオカミと片目の少年、オオカミと少年の生い立ちが交互に語られる。少年には天性の才能があった。それは物語を語ること。その物語を聞くと誰でも楽しく生きる希望が湧いて来るのだ。そのことは他の人にとってだけでなく、語る少年自身にとっても生きる喜びにつながっていく。
 この物語ではオオカミになっているが、人間のこと、あなたのこと、私自身のことでもある。少年のもっている、想像力とそれを物語る力はさまざまな人の心を解放してくれる。この物語はその希望の物語である。

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これは喜劇「漱石先生の事件簿」 

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「漱石先生の事件簿」
猫の巻
柳広司
理論社 本体1400円




新しくはじまったこのシリーズのなかで、この本は中学生位からがおもしろいかもしれない。と、いうのは漱石先生という書名からからもわかるように、夏目漱石の「吾輩は猫である」を読んであったほうがおもしろみがますからである。英語の先生の家で書生として暮らす少年が、事件を解決するいう短編6編がはいっている。もちろん、先生の家に飼われている名無しの猫がでてくるけれど、この物語ではあくまで、書生である少年の目を通しての人間模様である。先生自身もいまでもあんがいいそうもないようでもいる人、癇癪持ちで変人、世の中の常識と離れて生活しているのに、みようなリアルな存在感があるのは、この作品の力なのだろう。もちろん、下敷きがあるので時代は今ではなく、ちょっと昔の良き時代(そうともいえないか?出征兵士の話もあるのだから)のひと騒動、そのあたりがわかっているほうがおもしろく読むことができると思う。
 シリーズになると全部が全部おもしろとはいえないかもしれないが、Y・Aの特に男の子たちが読みたがるものが出版されると良いのにと思う。「雨の恐竜」についで滑り出しまず良好だ。

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新しいシリーズ「雨の恐竜」など

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「雨の恐竜」
山田正紀
理論社 本体1400円




 Y・A向きに新しいシリーズがはじまった。「ミステリーY・A」という。これから出版されていくのを読まなければなんともいえないのだが、本格ミステリーとちがっていまの10代が抱えている問題がからめてあっておもしろかった。
 たとえば「雨の恐竜」、恐竜の化石発掘が多い北陸のある街、その発掘場所で殺人がおこる。どうも犯人は恐竜のようだ。しかもそこでは二十年前にも同じ事件がおきていた。こんど殺されたのはヒトミの学校の教師、浅井先生だった。ヒトミは成金の母親と暮らしている。その母親と財産のことで仲違いをしてしまった母親の弟田所は刑事でこの事件を調べている。ヒトミには今はあまり行き来をしなくなった友だちがいて、その一人サヤカは恐竜の研究者になろうとおもっている。アユミは走るのが速いが病気の母親を抱え、美少女なのをわざと意識したくないのか、ひどく乱暴な言葉をつかう。少女たちが現実生活のなかでかかえている問題をからめて、この物語は進んでいく。幼なじみの14歳の三人の少女たちには共通の忘れられない記憶があった。夕陽が沈む頃、大きな恐竜の背に乗っている、ゆっくり歩いている恐竜、やがて夕闇にすっぽり包まれ恐竜は森に帰って行く。その恐竜が犯人のはずがない、三人の少女は各々のかわりのなかからこの事件の真相を調べていく。
ミステリーなのでこれ以上はここに書くことはできないが、恐竜の名前や生態のことがたくさんリアルに書かれていておもしろかった。 小学校へ入る頃からの男の子が楽しむ物語がない、しかも男の子は主人公や主題にこだわる傾向が強く、そうこうするうちに本から離れていってしまう。講談社から出版されているYA向のシリーズよりはすこし本格小説よりなのは、作家が一般書の書き手だからなのか、良く書かれていた。(ただ、「タイムカプセル」は最後の犯人がわかるところが袋とじになって、切らなければ読むことが出来ないようになっていて、これはあまり嬉しくない。内容と文と構成で勝負しなければ!)
 ところで、ほんとうに恐竜が犯人だったのかって?さぁそれは読んでのお楽しみです。

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強烈な個性「ビッグTと呼んでくれ」

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「ビッグTと呼んでくれ」
K.L.ゴーイング作
浅尾敦則 訳
徳間書店 本体1500円



表紙ではすごく肥満した男の子が叫んでいる。この男の子、名前はトロイ、17歳、身長184センチ、体重135キロの高校生、母親を早くにガンで亡くし、きちんと生活しようとする父親となにかにつけてトロイをばかにする弟と暮らしている。ある日、ニューヨークの地下鉄で、かってはトロイの高校の先輩だがパンクギタリストとして伝説的な存在なのに、母親の再婚相手に虐待されて、家庭を無くしたも同然でホームレスになっているカートに声をかけられ、すげえドラマーになれる、バンドを組みたいと誘われる。しかも、はじめて”ビッグT”と呼ばれ嬉しかったトロイは嫌われたくない一心で承知しドラムを叩くのだが、まったく自分に自信がなく、デビューの舞台で緊張から吐いて演奏も出来ずに逃げ出してしまう。
 この物語に引き込まれて電車のなかで一気に読んだ。ここに登場する何らかの形で心に深い傷を負っている若者たち、音楽をとおして友情を育むなどとそんな穏やかな表現が通用しない位に、スピード感とパワー、強烈なユーモアの裏に抱えられた若者たちの絶望と哀しみが良く描かれている。
母親が死んで、きちんと自分の手で育てようとする厳格な父親、母親が死んでからトロイが異常に太ったのは自分のせいだと思っている父親、音楽と友だちをやっと手に入れたトロイを精一杯理解しようとする父親、母親の死をどんなに不安に思い、何につけても自分に自信が持てない兄を、憎むかのような弟の言動の意味を悟るトロイ、この物語は家族の再生の物語でもある。
 読んでいる間中私の頭の中にはずっとロック音楽が流れていた。

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たとえ、失われても「失われた町」

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「失われた町」
三崎亜記
集英社 本体1600円



 これがどうして児童書?といわれるかもしれない。確かに児童書とはいえないかもいれない。でもY・Aのなかに入れたいと思う。どうしてかというと、いま、岐路のひとつにたたされ、なにもかもおもったようにいかなくて、その場からどうにもならないと思っている若い人がいると思うからだ。
 何歳頃からだろうか、それは人によって違うと思うけれど、以外と子どもははやくからこの世は不条理に満ち満ちていることを知っている。そして、とても大切なものを失っていまい、それは取り返しがつかないこともあることも知っている。災害、事故、病気、そして戦争、それらのもののなかでいつも生と死が背中合わせにある世界に私たちは生きている。廻りは日常に動いているのに、その人の時間は止まったままと思っている人がいるにちがいない。
 「失われた町」、町はそのままなのに30年に一度、その中にいた人が忽然と消えてしまう。残された者の悲しみと再生、この物語はその夫や妻、子ども、孫、恋人たちの物語だ。そして、消滅した町からすべてを処分しなければ、残ったものを飲み込み他の町に広がってしまうために、その消えてしまった人たちのすべてを処理していく役目をおわされた人々の物語だ。それは、つらく苦しく哀しい。
 命の消滅、死は暴力だ。でも、人はそのなかで生き続けて来た。誰かと繋がりながら、明日に向って。

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アクセラレイション

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「アクセラレイション」
ーシリアルキラーの手
グラム・マクナミー著
松井里弥・訳
緒方剛志・イラスト
マックガーデン 本体1190円
なんだか毎日バタバタとして少しくたびれ気味のあなたへ薦めます。この本はいきなりエドガー賞を受賞した作品で、そこに緒方剛志のイラストというふれこみ、読んでみると確かに単なるエンターテイメントの小説ではなく、主人公の高校生の男の子ダンカンが過去のつらい体験(湖で女の子を助けることができなかった)を乗り越えていく物語です。ダンカンはたびたびその悪夢をみるのでプールにもいくことができません。
 ダンカンは夏、トロントの地下鉄の遺失物取り扱いのアルバイトをしています。偶然手にして開いた手帖に書いてあったこと、それは殺人の計画でした。警察は取り上げてくれないし、さんざん迷ったけれど、友だちに話して犯人を突き止め計画を防ぐよう必死になります。最後に突き止めていく、けれど、物語は単なるミステリィーには終わっていません。
 下流階層の子どもたち、もと地下鉄の車掌だったという無気力な上役、殺人犯に育ててしまった年老いた女(祖母)、そして、ダンカンの両親、登場の脇役が良く書かれていて物語に深みを与えています。

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サフィーの天使

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「サフィーの天使」
ヒラリー・マッカイ
冨永星・訳
小峰書店 本体1400円



いまの日本だったらおそらくダメな家庭といわれるだろうな、と、おもうような一見ハチャメチャ家族の物語です。まず、父親も母親も画家なのはいいけれど、父親はちょっと自分勝手でいばりん坊、絵が描けないからといって一人でロンドンにいて週末しか家に帰ってこない、家事能力ゼロの母親。子どもは4人、みんな自分のカラーチャートから名前がつけられているのにその中の13歳のサフィーだけはちがうことに気がつきます。そして、サフィーはこの両親の子どもでなく、母親の妹の子どもで実の母親は交通事故で死んでしまったので引き取られたということを知ります。サフィーを連れて来たおじいちゃんが亡くなります。みんなに残していったもののなかで、サフィーに残されたのは石の「小さな天使」なのですがどこにもみつかりません。サフィーはかすかに残る記憶を手がかりに、はるばるイタリアまで旅をすることになります。それはサフィーにとっては自分探しの旅でした。手助けしてくれるのは、友だちになった車いすの子サラ、そして、3人の兄弟たち。
 だからといって この物語は決して重い物語ではありません。なんといっても子どもたちはみんなやさしくナイーブなのですが、ユーモアが溢れていてとてもパワフルです。サラも自分のハンディをフルに利用するしたたかさがありますし、私立学校の校長先生というサラの母親もきびしいなかにもユーモアを持ち、子どもたちに手を貸そうとします。いろいろとうまくいかないことが多いけれど決してあきらめない、前向きにたくましい、それでいて人を思いやる気持ちにあふれていて、読者を明るい気持ちにさせてくれる魅力的な物語になっています。
 あとがきによると作者はこの兄弟たちを主人公に各々の物語を書いているとのこと、続きを読んでみたいと願います。イギリス、ウィッドブレッド賞受賞作品です。

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戦争についてーウルフィーからの手紙

 戦場にいった兄と愛犬
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「ウルフィーからの手紙」
パティ・シャーロック作
滝澤岩雄・訳
評論社 本体1700円




この物語は1969年、この当時の戦争といえばベトナム戦争、今の若い人たちには遠い昔のことに思われるかもしれない。第二次世界大戦の時代をくぐり抜けてきた人たちは既にかなり高齢になってきていたり、亡くなってしまったり、その子ども世代が直面してきたのがベトナム戦争。日本においては直接的に戦場にならなかったが、いま、沖縄などで問題になっている根底の「日米安全保障条約」など、ベトナム反戦運動、大学闘争へと歴史は続いている。青春期にベトナム戦争を迎えた人たちが大統領になったり政治家になっているアメリカ、これらは当然現代のイラク戦争やテロなど大きな影響力をあたえてきた。このベトナム戦争で戦死したアメリカ兵は6万人近くベトナムでは200万人近くの人がなくなり、その当時アメリカによって撒かれた枯れ葉剤での被害はいまなお続いている。しかも、アメリカにとって敗北に終わったこの戦争への挫折感、そして、正義のもとに送り込まれた兵士が知った事実はとっても悲惨なもので、撤退後も精神的に立ち直れない人々がたくさんうまれたことは忘れてはならないことだ。
 この物語のマーク少年は13歳の中学生、父親はもと軍楽隊にぞくしていた保守的な学校の音楽教師、マークの兄ダニーは奨学金を得るためにベトナムへ志願兵となっていく。マークは自分より優秀な兄に対しての劣等感と羨望から、かわいがっていた犬ウルフィーを軍部の要請のままに、軍用犬として送り出してしまい、母親は最愛のダニーを戦場に送ってしまった後悔から働きだし(図書館で)、ダニーの戦場での負傷とマークへの不安から、子どもを決して戦場へ送らない決心をしていく。やがて、戦場での訓練施設でウルフィーの担当になった兵士タッカーからウルフィーの名前で届く手紙を中心に、ウルフィーを取り戻したいと運動を始めるマークの支えになる少女クレアや、マークに愛国の意味を教えようとする教師、ナチスに夫の命をうばわれた亡命者である隣人エフィーさんなどさまざまな登場人物のさまざまな考え方がマークとウルフィーをめぐって展開されていく。
 この本の最大の特徴はいろいろの人たちのたくさんな生き方を若い読者に提示していることだ。1975年の最後のウルフィーへの手紙はこんなことで終わっている。アメリカ兵がベトナムから最後の引き揚げをする様子、それは人だけでなく、国家に翻弄されたあげくに放置されたもの言わぬ動物軍用犬、それらを新聞記者になって追求してゆこうとするクレア、政府をハッキリ批判して非難され、戦争支持の議員に政治家に成って戦いを挑もうとするケーシー先生、装身具をつけ自立しようと家をでて、戦争に反対するベトナム帰還兵のグループに入り活動しはじめた兄ダニー、殺されてしまったウルフィーの訓練兵でウルフィーの名前で戦場から手紙を送ってくれたタッカーとの交流、いつも静かに暖かく小さな日常を大切にしているエフィーの生き方は心に残る。これらの各々のその後の生き方で物語は締めくくられている。エフィーはナチスからの生き残りとして、人間の善も悪も見てきた人間として文中こう述べている。「男も女も一人一人が善良であるよう自ら判断し、選択しなければならないということだ。そうすることが善き人生への道だーP330から」
 ところどころにある注にたいして最後にある訳注(注釈)はとてもわかりやすいく、それだけでもベトナム戦争時のアメリカの様子が良く解り、YA文学としても適切だ。
 戦争の本質を語りながらも、生きていくことの根源的な問いかけがなされている日本の児童文学作品がでてくるのをあらためて望みたい。


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戦争と平和ーベルリン1945

「 まっすぐに問われること」
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「ベルリン1945」
クラウス・コルドン
酒寄進一・訳
理論社 本体2500円




 「ベルリン三部作」が完結した。本の厚さだけでなく、内容もずっしりと重いこの作品は刊行が待たれていたものだけれど、では、読み終わったからといっての満足感とはほど遠い作品だ。ある人はきっと言うだろう。とてもつらくて読むことができなかったと。また、ある人はいうだろう。児童文学ではないと。表紙の少女、一人はうつむいていて、一人は真直ぐに読者を見つめている。みんなに読んで欲しい、特に若い人に。なにがあって、なにがおこなわれて、人々はどう生き抜いてきたのだろうか。少女の深い哀しみと絶望の先になにがあって、生き続けてきたのか。
 「 第一部ベルリン1919」は帝政が崩壊して、国が揺れ動くなかのきわめて普通の労働者一家、両親と長男をめぐって話は展開していく。第一次世界大戦が終わりドイツはワイマール共和国として出発する。「第二部1933」はワイマール共和国は終わり、ヒットラーが政権をとりナチ政権が街を支配するなか、15歳の次男ハンスを中心に物語は展開していく。そして、「第三部1945」は長男の子どもエンネが主人公、長男である父親ヘレは共産主義活動で捕えられエンネは祖父母に育てられている。母親は死亡、次男ハンスもやはり死亡、ユダヤ人であるその妻マルガレーテ、そして、ナチの親衛隊と結婚して両親の怒りをかい家を出た娘マルタ、アパートの人たち、組織に属さないけれど一人で密かに反戦活動をしている男クルト、家族のいなくなった孤児たち、ケープハルト一家を中心に当時のベルリンの様子が全編に細かく描かれている。とても読むのがつらい街のようす、読んでいて死臭が感じられるほどの破壊された街のようすに何度も深い息を吐いてやっと読み続けたというのが正直な気持ちだ。それだけでなく、戦争は終わりベルリンは解放されるが、ヘレや仲間のハイナーが命をかけて守ろうとした思想、共産主義もスターリンの圧政で決して希望にはならなかった。ベルリンはその後も東西二つの異なる国家に分断され、40年にわたって人々を苦しめることになり、そのことを容認できないヘレやハイナーの絶望感と喪失感は悲しい。最後には「第三部1945」に二部で次男ハンスが両親に変わって面倒をみた三男ハインツ、エンネの父親ヘレと次男ハンスの妻のミーツェの再出発を暗示してこの物語は閉じられた。(あとがきにはかんたんにその後の一家のようすが書かれている。)
 人々は、ドイツ人は自らの意思でナチを生んだ被害者でもあり加害者でもある。個々にも生き延びるために時の権力者に添っていった人たちもいる。この物語はある意味ではドイツのことだけでなく、私たち日本にもいえることだとおもう。残念ながら日本の児童文学のなかに一人の人、一つの国家のなかに、被害者でもあり加害者でもあるという、そのねじれを書いた作品を私はあまり知らない。若い人たちに伝え、残さなければいけない大きな課題を私たちは持っていることを忘れてはならないと思う。

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でかい月だな

現代の青春小説
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「でかい月だな」
水森サトリ
集英社  本体1400円



 これは児童書?と言われそうだ。13歳の少年の物語、<19回小説すばる新人賞受賞作>帯に書かれているように青春小説というか、ヤングアダルト小説だと思う。
主人公幸彦は両親と姉との4人家族、政府がモデルにする現代の日本の平均的家族だ。親友綾瀬は離婚して父親が家をでて、水商売をしている母親と暮らしている、こちらもある意味では政治がモデルにする典型的な家族だ。幸彦は綾瀬の渡米中の兄のスクーターをひっぱりだしてでかけた帰り、突然綾瀬に突き飛ばされ崖下に落ち、命は助かったけれど大好きなバスケができない足になってしまう。綾瀬がそんなことをした理由は誰にもわからず、二人とも語らず、綾瀬は保護観察施設に入って幸彦の前から姿を消してしまう。家族の労りと怒り、廻りの級友たちの同情と友情、幸彦の心は自分でも理解不能、廻りに合わせて幸彦の心は、ただうつうつと過ごしてしまう。まわりのおとなはみんなやさしい。一方、一年おくれたが学校に通いだした幸彦をとりまく級友たち、母親が死んでしまい、幼い妹の母親がわりをしながら妹のために霊界通信機を作りたいと、とりあえずキャベツの言葉?を翻訳する機械の発明をしている秀才で変人の中川、ひどいいじめにあってから誰とも口をきかずに片目に眼帯をして邪眼といわれている横山、どんなにうとまれても幸彦にバスケをすすめるヒカルなど、どこかで帳尻をあわせて生きていく現代の若者たちのいらだちと諦観が良く描かれている。
 どうして綾瀬とスクーターをひっぱりだしていったのか?小さな海辺で干物をある男から買って食べる。その男は?あの日のことは決して言わない、それは子どもの仁義だと作者はいう。
幸彦は綾瀬とあの海辺に行くことを決心する。満月!月の子どもの波が、魚がひたひたと押し寄せて来る。
 最後に綾瀬とあの海辺で会うシーンをゆっくり読んで本を閉じ、外を見た。そういえば 私はしばらく月を見ていない。

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タイムマシン

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「タイムマシン」
アニリール・セルカン作
日経BP社  本体1300円





 時空を越える『タイムマシン』、昔から文学の中に取り上げられています。ほとんどがSF小説ですが、この本はSFではなく、強いていうなら『タイムマシン』を作ろうとした少年たちの友情物語です。しかも、もう一つ特徴的なのは、登場する15歳の13人の少年たちがいろいろな民族の人たちだということです。アジア人や少数民族の子どもたちはいませんが、作者は1973年のドイツ生まれのトルコ人、東京大学大学院建築学専攻助手をされていて、トルコ人として初の宇宙飛行士候補に選ばれた(経歴より)、そして、作者の分身のような少年が登場します。この物語は日本語で書かれたようです。
 スイスにある寄宿学校にいる13人の少年たちは、学校のあまりの厳格さに反抗しますが、退学になり各々の国にちらばります。けれど、『タイムマシン』を造ろうと、1988年ドイツのケルンに再び集まります。それは、途方もない試みで廻りからは揶揄されたり、反対されたりしますが、少年たちの熱意は親たちも動かしていきます。はたして、成功するでしょうか?
この物語のなかにはたくさんの物理学、数学などの理論や数式が話として行き交い、正直なところ物理音痴の私にはちんぷんかんぷん!でも、とてもおもしろく読むことが出来たのは、物語の主題が科学の本ではなく、むしろ、それらはこの物語をリアリティーのあるものとしてくれる働きがあるからでしょう。もちろん、科学に強い人なら、ずっと楽しみが増えることは確かです。

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幽霊を見た10の話

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「幽霊を見た10の話」
フィリパ・ピアス作
高杉一郎・訳
岩波書店 本体2200円




10編の物語がはいっています。中学校の教科書に載っていたことがある「水門」、戦争にいっている兄さんが、嵐の中水門をぜんぶ開ける手伝いをする、でも、その兄さんは戦いに行っていてここにはいないはず、やがて戦死の知らせがはいるという話なのですが、他の話も、生きているなかで遭遇するつらいこと、そして、それをこえる不思議なことが書かれています。幽霊がでてくるといっても、いま、流行のオカルト的な物語ではありません。暗闇、恐怖、悲しみ、恐れ、そして、樹木をはじめとしての自然の力、一生のなかで遭遇するきびしいこと、これらがあってこそ、人は生きることへ一歩をふみだしていくことができるのでしょう。10の短編のなかでは、どれにも子どもがその生を切り開いていく力になるのが私にはとても印象的です。それには、ピアスの人生を見る目深い洞察力が感じられます。それと、これは他の長編にもいえることですが、ピアスの物語には家族がよくでてきます。特別な家族ではない、普通の人たちがかたちづくっている家族、作者の個人的な意味もこめられているのだとはおもわれますが、意味深いものを感じさせてくれます。

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時間のない国でー上・下

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「時間のない国で 上・下」
ケイト・トンプソン
渡辺庸子=訳
東京創元社 本体各1700円




 毎日時間がとても早くたってしまうのは私だけではない。みんななぜか忙しがっている。いや、忙しいのだ。かたずけても、かたずけてもすることがでてきて、時間を持て余した事はいつのことだっただろう。そんなことをエンデは作品「モモ」では時間泥棒がいて、いつのまにか時間をとられ、しまいには人間性もあやうくなることを物語にしていた。この本では私たちが生きている世界の向こう側に時間のない世界があって、こちらでは、時間がどんどんなくなり、むこうでは時間があるようになるという物語だ。時間があるということは命に終わりがあるということ、つまり向こうは不死の世界。アイルランドが舞台、リディ家では、両親はきちんと結婚していない、そのためかまわりからはちょっと浮いている。毎土曜日にはケイリーやセットダンスのレッスンがおこなわれる、つまり代々続いているアイルランド音楽の演奏一家で、その長男のJJにも才能は受け継がれている。JJは母親のために時間を買おうとしているうちに、時間のない国にたどりついてしまう。そして、なぜ時間がJJのいるところではどんどんなくなって、時間のない国で時間がでてくるのか、どうもどこからか漏れているのではないかということに気がつく。
 この作品は「モモ」のような社会的な問題提示はなく、推理小説仕立てで、それでいて充分にファンタスティクでとてもおもしろかった。JJの母親、警察官のラリー、出版業者のアン・コーフ、そして、ティル・ナ・ノグの住人、アンガス、ダグザなど登場人物も多彩だ。ブランという傷ついた犬が二つの世界をつなぐ重要な役割をもっている。PART6まであり、その小節にアイルランドの伝統音楽を採譜した曲が載っていて、この曲を聞く事ができれば、もっとおもしろいだろう。下巻の最後にある、用語解説もうれしい。あとがきの井辻朱実さんの「妖精のさきわう国」もアイルランド=妖精の国の入門になっている。

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父親たちの星条旗

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「父親たちの星条旗」
ジェームズ・ブラッドリー/
ロン・パワーズ著
大島英美  訳
イースト・プレス 本体1300円




この本は同名の映画の原作版ということだけれど、私は映画は見ていない。昨日のこのブログに載せた「硫黄島からの手紙」も見ていないので、本を読んだうえの感想のみである。
 私自身は戦争は記憶にない。本で読む、学校で学ぶ、ただ戦争の残骸があちこちに残っていた世代だ。戦争は父母の歴史であった。中学生の頃、一度だけ父に聞いた事がある。どんな気持ちで戦争に参加したのか、と。かえってきた答えは家族を守らなければと思ったと、それだけである。この本の主人公のジョン・ブラッドリーと同じように父もまた、戦争のことはほとんど語らなかったし、いわゆる戦友会のようなところへも行かなかった。
 この本は 戦略的に(補給基地として)必要だった硫黄島に、星条旗を掲揚した6人のその後を、その一人の息子が書いた本のヤングアダルト版である。しかも、訳者は著者に、かってアフガニスタンで肝炎にかかり、助けてイランまで連れて行ってもらい、父親のジョン・ブラッドリーにも会っている。
 写真は何かでみたことがあるが、そのあげられたのは2度目のことであり、その偶然の写真がその後の人生におおきな意味を持ってしまったこと、どんな戦争でも人が人でなくなってしまうものだということが6人の1人ジョン・ブラッドリーを中心にこの本には書かれている。でもやはりわかりにくい。このアメリカの兵士も日本の兵士も、自分ががんばれば家族を守れるとほんとに思ったのだろうか。それほど自信があったのだろうか。いや、思わされたのだとこの本は教えている。文中の「お父さんは君に、いつも覚えておいてほしいことがある。硫黄島の勇者たちは、あそこから帰ってこなかった人たちだということだ」「人々はわれわれのことを勇者だと言います。ですが、われわれは決して勇者ではありません。これは他の5人のためにも、わたしがここでこうして、はっきり言っておきたいことです」
  今日、防衛省が発足した。それは何を意味するのか!

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フィリッパ・ピアスを読む

2007年新年そうそう二日間朝から夜までともかく本を読んで過ごした。そのうちの丸一日はピアスの本だった。
クリスマスの頃、サイトで偶然ピアスが亡くなった事を知った。12月21日86歳とのこと、しばらく読み直すチャンスもないままになっていたので、これを機会に読み直すことにした。
ピアスは1920年イギリス・ケンブリッジ州グレート・シェルフォードという田舎町で生まれた。祖父の代からの大製粉工場を経営する家系の出身で、邸宅にはすごく大きな庭園があり、『トムは真夜中の庭で』のなかに書かれている庭園はここが舞台とのことである。児童文学作品を書いたのはBBC放送で学校放送を担当していたということで、それらが動機になっているといわれている。処女作は『ハヤ号セイ川をゆく』1955年35歳、決して早いスタートではない。(日本では講談社からだされていたが、2段組みの本で、いまは講談社青い鳥文庫のみ)。  1958年に2作目『トムは真夜中の庭で』が発表されカーネギー賞を受賞した。
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「トムは真夜中の庭で」
高杉一郎・訳
スーザン・アインツィヒ絵
岩波書店 本体1900円
(少年文庫もあり)
いわゆるタイム・ファンタジーといわれている作品で、少年トムが弟のハシカのために親戚のおじ夫婦が住んでいる狭い古いアパートにあずけられるところからはじまる。元気な少年にとってとても苦痛な生活なのだが、おりこうなトムは我慢をして暮らす。ある夜玄関の広間に置かれている古い時計が13時をうち、トムはその時にひかれて、裏の戸口を開けるとそこには庭園が広がり、草花が咲き乱れていた。そして、そのなかで両親が死んでしまい親戚で育てられている少女ハティと知り合い楽しい時を過ごす。不思議な事にトムはそのままでハティだけが成長していく。ハティと園丁のアベル以外の人にはトムは見えない。この庭園の描写や、ふたりでこおった川をスケートで下って行く冬の情景はとても美しい。ミステリヤスなこの庭園でのできごとは、ハティ=このアパートの大家であるバーソロミュー夫人の毎晩見る夢の中のできごとという話があとになってわかるのだが、«はい、夢のはなしでした!»というばかばかしいことにならないのは、物語の最後トムとバーソロミュー夫人がしっかり抱き合う感動的なところがあるからだ。人は誰もが歳をとっていくのだけれど、たとえ老いてもその時を生き直す事で人間性を失わずにいられることなのかもしれない。ただ、だれもが生き直せるのか、生き直すということはどういうことか、ピアスは次の作品でもその事を描いている。
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ー「サティン入江のなぞ」ー
高杉一郎・訳
シャーロット・ヴォーク絵
岩波書店 本体2400円
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「まぼろしの小さい犬」
猪熊葉子・訳
アントニー・メイトランド絵
岩波書店 本体1800円



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「川べのちいさなモグラ紳士」
猪熊葉子・訳
パトリック・ベンソン絵
岩波書店 本体1800円
 父親は自分の生まれた日に事故で死んでしまったと聞かされていた少女ケート、家の人に内緒で父親のお墓にいっていたが、ある日突然そのお墓が無くなってしまう。母親もおばあちゃんも(母方の祖母)も大きいお兄さんもみんなケートに隠しているが、ケートはその事を知りたいと思う。いろいろと調べていくうちにケートが知った事は父親は生きていること、ケートや家族を必要としていること、そして、人はだれか自分を愛してくれるものが必要な事、そのためにがまんしなければならないこともあること。ー『サティン入江のなぞ』ー
 街のこどもベンは犬が欲しい、自分の犬が飼いたいと思っている。ベンの誕生日におじいちゃんは犬をプレゼントしてくれると約束していたが、送られてきたのは犬の絵だった。やがてベンは目をつぶれば自分の欲しい犬が現れる事を知り、いつでも目を閉じて幻の犬と過ごすようになり、とうとう事故にあってしまう。心配した母親の機転でベンの家族は引っ越しをすることになり、ベンも犬を飼える事になり、約束して預けていた犬を引き取りに行く。しかし、その犬はベンが想像していた犬とは全然違ったものだった。ー『まぼろしの小さい犬』ー
 私自身はピアスの作品は『まぼろしの小さい犬』が一番好きだ。犬を飼いたいけれどだめ、それだけでなく、おとなはそんなベンをかわいそうに思ってくれる。トムにしろ、ケートにしろ、ベンにしろ、『川ベのちいさなモグラ紳士』のベットにしろ、こどもたちは子どもであるという理由でどんなに願っても自分の手の届かないものがあることを知っていく。かわいそうと思うおとなたち。けれど、そういうことではないのだ。とても不当なことで怒りいっぱいになったり、絶望してしまうこともある。やがて、その人自身願いや愛を必要とするけれど、他の人もその人と同じく願いや愛を必要としていることに気がついて来る。トムもケートもベンもビアスのどの作品にもそんな子どもたちがでてくる。そして、とても魅力的な老人も描かれている。特に『サティン入江のなぞ』のトランターおばあさん、『まぼろしの小さい犬』のおばあさん、性格や表現の仕方はちがうけれど、子どもを決してわけのわからない子ども扱いをしない。だから、その場限りのいいかげんなことは約束しない、きちんと対等に道理を話してくれる老人、子どもたちからみたらこの老人たちはどういう存在なのだろうか?
 『川ベのちいさなモグラ紳士』は出版された時にも思ったのだが、イギリスの階級社会のことがいまひとつ私にはわからないところがあって、正直読み込まれていない。宿題というところだろうか。その他、ピアスにはたくさんの短編集があり、できればこれらを中学生たちと読みあう機会が欲しい。
 また、最近このくらいの本がほとんど売れなくなった。けれど、再読してみて、はたしてどれくらい薦めてきたかと考えてしまった。売れなくなったのでなく、売らなくなったのかもしれない。どれも中学生から(Y・Aとして)薦めたい作品だ。鶴見俊輔さんが書いていた。«自分がじぶんに入ってゆく道を教えるのが文学で、それができなかった時に、その道への入り口を教える批評もある»と。(加藤典洋 創作は進歩するのかーセミナーシリーズ 鶴見俊輔と囲んで5ー編集グループSURE発行)

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勢いのある作品ー獣の奏者

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                                              「天と地の守り人」

上橋菜穂子                                    第一部 ロタ王国編
  
「獣の奏者」                                    偕成社
  
Ⅰ 闘蛇編

Ⅱ 王獣編
                            
講談社 本体Ⅰ 1500円 Ⅱ 1600円

 戦士を乗せて闘いにいく 闘蛇を養う獣ノ医術師の母と暮らしているエリンは 、闘蛇を何匹も死なせてしまった責任を取らされ処刑されてしまった母の形見の小さな笛を持って逃げる途中、蜂飼いのジョウンに助けられ一緒に暮らす事になる。ある日天を翔ぶ野生の王獣をみて、王獣の医術師になろうと決心する。はやくからエリンの才能をみいだしていたジョウンはエリンに竪琴を教え、一人で生きていく道を考えていた。エリンは母のような医術師なろうとし、カザルムの学舍へ行きたいと、ジョウンに自分の秘密を打ち明ける。願いがかなったエリンはカザルムでエルサというすぐれた教導師長のもとで学び、学友も出来、すぐれた医術師になっていくが、傷ついた王獣の子リランを救った事がエリンの運命を大きく変えていってしまう。王国の争いのなかに巻き込まれてしまい、なんとかリランを助け、囚われの王獣を野生の王獣に戻したいというエリンの願いはかなうのだろうか?決してならしてはいけない王獣、エリンとリラン、人と人との結びつき、人と獣との絆は幸せをもたらしたろうか?
守り人シリーズの新しい展開がはじまった。3部作の1巻目が刊行されて、チャグムとバルサの新しい物語がまた、はじまったのだが、それとは別にこのシリーズも刊行された。
作者、上橋菜穂子の作品は、骨太でスピード感があり、読者は読み出すとグイグイと作品に引き込まれてしまう。時代背景も場所の設定も、特定されない不思議な雰囲気があり、読みながら読者が自分でそれらを設定していくおもしろさがある。それにしても、作者は力強く、意志の強い女を描き、若い世代から、高年齢の人まで幅広い女性のファンがいるのも、このあふれんばかりのエネルギーのためかもしれない。

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一瞬の風になれ

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「一瞬の風になれ」
1 イチニツイテ
2 ヨウイ
3 ドン
佐藤多佳子
講談社 本体1,2、 各1400円 3、1500円
帯にも書いてあるように爽やかな青春小説といったら良いのだろうか。8月に1巻がでて、毎月一冊のペースでだされ、3巻そろって読もうと思っていた読者に、今度は1巻なかなか入荷しないで気をもんだがやっとちゃんと注文に応えられるようになった。水泳の「ダイブ」、野球の「バッテリー」続いてのスポーツもの、これは陸上競技をあつかった物語だ。タイトルのつけかたでもわかるように、位置についてから走るまで、綿密に構成されている。そして、スポーツものにありがちな根性物語でなく、人気がでたのは主人公の性格が明るく、くったくがなく、人の輪をうまくまとめて引っ張っていく、かといって、茶髪にしている(陸上選手で茶髪の存在はいない)ように充分個性的で魅力があるからだ。たとえば、主人公新二の兄健一はサッカーで将来親だけでなく皆から期待されている選手、けれど新二はサッカーの強い私立の高校を受けずに、失敗の前にさっさと公立高校を受けて陸上選手になってしまう、別に兄に劣等感や対抗意識をもっているのではなく、兄をひたすら尊敬したうえで自分の道を選ぶというような描きかた。また、幼い時から一緒の友人連に対しても、どこかさめた、個人プレーをする彼に熱い気持ちを語り、チームのなかにひっぱっていくのだが、その気持ちも押し付けがましくなく描かれている。教師も精神主義的でなく充分個性的だ。この本の主題は陸上競技のなかでもリレー、新しい記録をだして、南関東大会の優勝、総体にでようとする神奈川春野台高等学校の陸上部員たち、リレーはいうまでもなくバトンでつないでいく競技だ。3巻通して読んでみるとそれらはしっかり計算されて構成されていることに気がつく。
どこにでもいる高校生、けれど、どこにでもいるわけでもない高校生たちを描ききったこと、これがこの物語のすぐれた理由だと思う。


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絵本ーひとり

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「ひとり」
文=片山令子
絵=片山健
ビリケン出版 1300円




シリーズ5冊目の本です。のうさぎさんは雨の日が続いたので家に一人でいました。さみしかったので晴れて勇んでくまさんの所へ遊びにいきました。けれど、いつものように丘を登ったり川で遊んでも元気がでません。鳥が虫を食べているのをみてどうして、元気がでないのかわかりました。おなかがすいていたのです。な〜んだ!鳥にすすめられたけれど虫を食べる気にはなりません。気持ちが悪い・・・鳥に虫を食べるときはあなたの元気をもらいます、いただきます!と言って感謝をして食べると言われてのうさぎさんは考えてしまいます。自分が生きているのは他のものに元気をもらうからだという考え方、いま自分はひとりぽっちだと思っている若い人たちに読んでみる事をすすめます。この本を読んだから淋しくなくなるとはおもわない。そうかもしれませんが、明るいのうさぎさんのお話も聞いてみて下さい。そして、ちょっと好きなものを食べて、ゆっくりしてみると、きっとのうさぎさんの元気が伝わってきますよ。片山健さんの最近の絵本は明るい暖かな色になりました。

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家族の歴史ーカッティングルース

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「カッティングルース」上・下
マイケル・Z・リューイン
田口俊樹・訳
理論社  本体各1500円
第一章1895年ハドスン川のそばの病院で主人公ジャッキーの親友ナンスが死んで、その復讐とナンスのロケットと取り返すことを誓う場面から物語ははじまる。第2章1826年クローデットと二人の弟、マティユとピエールが売られていくことからはじまる。その後、3章ではジャッキーのことが、4章ではクローデットというふうに交互に物語がすすんでいくうちに、14章でクローデットはジャッキーの祖母にあたり、一族の歴史が語られていく。もうひとつの物語はメジャーリーグの黎明期に父から続いた野球選手ジャッキー、けれどユニホームの下はまぎれもなく女であり(野球選手は女ではなれない。)、親友を殺した犯人をおって男の姿そのままにアメリカからイギリスに渡っていくサスペンスにみちた物語になっている。そして、西部開拓の終焉、プロ野球の創設、ワイルドウェスト・ショー、孤児を集めて売るところなど、さまざまな風俗もおもしろいし、たくさんな探偵小説を書いている作者だけに、下巻のアーサーことフォザーギル巡査や女優ルビーなどの脇役の描き方なども良く書かれている。
孤児の身から持ち前の才覚で実業家として成功するクローデット、野球に魅せられてしまったその息子マシュウ女に生まれたのに野球が好きで、父親を尊敬し、女であることを隠し野球を続けるジャッキーの一族の歴史と、偏見と差別と貧困のなかで真直ぐに生きていく人たちが読者の心を揺さぶる読み応えのある物語だ。

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トモ、ぼくは元気ですー家族を繋ぐもの

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「トモ、ぼくは元気です」
香坂直
講談社  本体1300円





小学生最後の夏休みに父親の祖父母にあずけられた和樹が、古い理髪店の二階で茫然としているところへ向かいの和菓子屋の子ども夏美が来て、しゃべりまくっていくところからはじまる。和樹には中一の兄トモ、友樹がいる。友樹はいわゆる障害児だ。小さいときからトモに手がかかるため、いつもいろいろと我慢させられてきた、それにそのためにイジメにあったり、からかわれ自分まで馬鹿にされてきたと思っている。それからのがれるために受験勉強をして、トモと同じ中学に行かないようにしたいと密かに決心をしていた。ある日トモがいじめられていた。和樹は見て見ぬ振りをして逃げてしまうが、それを母親に叱られ、とうとうキレてしまう。ところで、夏美がたのんできたのは、町内対抗のあることに出て欲しいということだった。それは夏美だけでなく、おとなたちみんなのたのみで(地域の商店街の再生と言う願いがあって)、しぶしぶとそのたのみをひきうけることになる。後半に書かれているのだか夏美にも障害児の妹がいて、しかも、父親は家出、母親は病死して祖父母に育てられていた。町内対抗のあることとは<金魚すくい>に勝つことだった。話はちょっと喜劇的に進んでいく。もちろん、夏の終わり智樹はカズのことを理解しようという気持ちで家に帰っていくバッピーエンドで終わる。
浪速の義理人情の世界、一方智樹たち家族が住んでる核家族の平均化された世界。いま、日本の家族が揺れているが、少し昔にあった人の繋がり方しか再生はないのだろうか。とてもおもしろく読んだけれど、読み終わって考え込んでしまった。作者は1964年生まれ、YA世代はどう思うだろうか。


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キサトアー人を繋ぐもの

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「キサトア」
小路幸也
理論社  本体1500円




僕にはキサとトアという妹がいる。母さんはいない。この町へ越して来る前に死んだ。父さんは風のエキスパート、風の流れをつかんで組み立てるそれが仕事だ。この町は夏向嵐(かこらし)が吹いて、たいへんな被害をうける。
それで巨人の腕の管理研究者として迎えられた。これについてはもうひとつ不思議な伝説が伝わっていた。夏向嵐を鎮めるには双子をいけえにとして捧げると良いという。ひどい、いやな伝説だ。
この町へ来たのにはもう一つ理由がある。双子のキサとトアには不思議な病気があった。キサはあさ日が昇と同時に起き、トアは同時にねむる。トアは夕陽が沈むと同時に目を覚まし、キサは同時にねむる、自然のなかのこの町はそんな二人の体に良いかもしれないと父さんは判断した。じつは僕にも生まれた時からではないがすこしづつ色がわからなくなる病気がある。
この話はこんな寓話的な設定で書かれている。風を管理できる特別な力(この話の中では超能力でなく国際組織で正式に認定されている職業だ。)をもっている父親、そして、色はわからないが<世界芸術トリエンナーレ>で受賞してしまうくらいの造形の才能をもっている僕、不思議な双子の妹たち、自然と人間との歪んだ関係はこの家族によって修復できるのか。また、いつもすれちがって生きていかねばならないこの家族の再生はあるのだろうか。
静かな、不思議な物語の世界だ。
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同じ作者の作品に「東京バンドワゴン」が
ある。(集英社  本体1800円)この本は
対照的にとてもにぎやかな物語になってい
る。舞台は下町の一角、築70年の古本屋、
2年前に76歳で死んでしまったサチが空
の上から語ると言う形式になっている。
ともかく性別、年齢、国籍、職業さまざまのたくさんの登場人物、いろいろあっても最後はうまくおさまってハッピーエンド。読み終わって思ったのは、これは家族小説なのだ。そして、少し前私たちはこんな人との繋がりのなかで暮らしていたのだ。


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