日記・コラム・つぶやき

映画「硫黄島からの手紙」ー高橋

  ハリウッドからのメッセージ〜『硫黄島からの手紙』
            
  これほど評価の分かれる映画も珍しい。クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』である。朝日新聞は割と好意的である。12月13日に半藤一利氏の「反戦映画」との評を載せている。批判的な記事の代表は日刊ゲンダイだろう。同日の紙面で「戦争映画にも値しない」と酷評している。
 そもそも私はなぜこの映画を観に行ったのだろう。私は最近の日本の戦争映画に飽き飽きしている(ほとんど観に行かないが)。国を守る価値観を押しつけ、しかも敵国の人の顔が見えない。私達が第二次大戦で学んだのは、「軍隊は国民を守ってくれない」事ではないか。軍隊は国民でなく、国を守るものである。では国民は何のためにいるのか。国を守るためである。国は国民ではない。国体である。つまり国民は体制(政治家)を守るためにいる。私達はその考えに反対だったのではないか。さて同監督が、硫黄島を米軍の側から描くというので『父親達の星条旗』を観に行った。「敵国」の側から見るのは初体験である。そしたら日本軍の人の顔が見えなかった。敵の顔が見えないから怖いので、娯楽映画としては当然の作りかもしれない。もう1本『硫黄島からの手紙』も観に行った。前作と対になっていて、立体的に描くのかと思った。観た結果は、対にはなっていなかった。前作は硫黄島攻防は導入部で、その後を描いているのだが、その事ではない。前作には、戦争への皮肉があった。もちろんマイケル・ムーア監督ほどではないが、「国を守る」一本槍ではアメリカの観客に受けないからである。ところが『硫黄島から〜』に皮肉はない。そもそも監督が、何の為にこれを作ったのかがわからない。この映画がアメリカで受けるとは思えない。とするとこれは始めから、日本向けの映画ではないのか。
 アメリカ人は、自分達が戦争で死ぬのは避けたいが、外国人は別である。特に日本人は、自分達の敵にならない限り、優秀な軍隊になる。朝日新聞では、生井英考氏が遠慮がちに「いまや米国にとって、世界中で日本だけがわかり合える相手、わかり合いたい相手なんだなあ」と書いているが、日刊ゲンダイではフルフォード氏がはっきりと「米国民に対しては『日本人は憎むべき存在ではない』『だから軍事パートナーとして仲良くしよう』と言っているようにも見える』と書いている。つまりこれはアメリカから日本人へのメッセージである。身勝手なメッセージが映画として、前作よりも駄作なのは当然だ。 日刊ゲンダイは「そもそも、この時期になぜ、こんな映画が出てきたのか」と書いているが、新教育基本法が成立したドンピシャリでの公開だと言ったら、深読みしすぎだろうか。
  高橋峰夫

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2007年、新年のごあいさつ

2007年新しい年を迎えました。平和な良き年になりますように!

前からご案内していますように9月29日(土)「会留府の30周年を祝う会」主催により『谷川俊太郎・林光 言葉と音楽の会』があります。また、このブログのメンバーの一人である五十嵐敬也を中心とした若い人たちのイベントを計画しています。
また、このブログの管理者である阿部裕子は今年も本を中心にして読者にせっせと橋渡しをしていきたいと思っています。普通の生活者の目で本を通し、思った事、感じた事を書いていきたいと願っています。
今年も引き続きご愛読下さい。

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2006年の終わりに

 2006年も最後の日になりました。持病の喘息も今年はあまりひどくなく、無事に1年をのりきりました。自分の状況をなかなか肯定できず、落ち込んでみたり、がんばらなくては、と思ってみたり、やっと私は私でしかないし、基本的には一人という存在だということを、すこしづつ確認して生きている状態です。ブログは私の本を通して思っている事を他の人に伝えたいということではじめたのですが、『毎日ブログ』は『なんとか毎日ブログ』になっています。他の人が書いたものを読んで、感じた事を私の言葉で書く、これはなかなか容易な作業ではありません。でも、この作業はこれからも続けていきたいと思っています。『なんとか毎日ブログ』というようにりきむことは止めようとは思いますが、(素直に読書するために)、『ゆっくりブログ』と続けていきます。2007年も読んでいただけたら嬉しいです。
2006年もたくさんの本と人との出会いがあり、別れがありました。一番うれしかったのは『貝の子プチキュー』の原画がみられたこと、1時間半もいろいろとお話ししてくださった福音館書店編集部の唐さんには感謝です。別れがあったのは前に会留府で店を手伝ってくれた根本くんが亡くなった事です。静かな、絵の好きな青年で、仙人といわれていた亡き夫と、ゆっくりとカウンターにすわっていた彼と、ホビットの巣穴のような小さな会留府、できるものならそんな会留府を続けていきたいと願っています。
2006年の終わりに、いつものように好きなバッハの曲を聴きながら本を読み、新年を迎えたいとおもいます。
このブログを読んでくださる皆様、2007年平和で良い年になりますように。暴力と戦いで傷つく子どもたちが少しでも少なくなりますように。

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今年のクリスマス

まだ、クリスマスが終わったわけではありませんが、店としてはお客様を迎えるだけです。準備からはじまって、お渡しするまで、てんやわんやになります。今年はどんな本をお薦めするだろうかという選書から、普段の店名入りの包装紙を使わないために、浅草橋にいって買ってきます。年々早くなって、11月初旬に用意しないと、輸入物のひどく高いものばかりになります。包装紙なら、当然リボンも必要です。会留府では普段は無包装を呼びかけていますが、クリスマスは特別です。団体の注文も入って来るので、この作業がちょっと大変、こんなときは店が狭いのがうらめしくなります。同じような名前の本を間違えないように包んで、期日までに納品しなければならないので、神経をつかうので、無事渡し終えてクリスマス会やおたのしみ会が終わり、喜んでもらうとほんとにほっとします。サンタさんは無事行ったかな?と。(もし、会留府にご注文をいただいているのに、なにも連絡がいってないようでしたら、お尋ねください。)特にメールでご注文いただいたかたで、お返事がいかない場合はご連絡ください。ともかく、迷惑メールがものすごく、件名に会留府の名前をいれていただかないと、削除していまうことが多いのです。(迷惑メールのほとんどはいわゆるアダルトや卑猥なメール、または、投資などの誘いです。)
 今年の店でのクリスマスの本は絵本にこだわらない、特に学校へ行っている子ども対象の場合はその傾向が強い、そして、孫にとおっしゃる方が多いのが特徴です。ここに来れば相談にのってもらえるからと、丁寧に選ばれます。どうしても時間がかかるので、ありがたいやら、おまたせしてしまって申し訳ないやらという気持ちです。でも、少しでもサンタさんが増えれば嬉しい事です。
 さあ、もう少し、風邪を引いたり、ノロウィルスに負けていられません。

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新年おはなし会のご案内

会留府では1年に2回店でおはなし会をします。夏のおはなし会は夜、お話が終わった後は花火をして遊びます。
冬は毎年第一土曜日の11時から、つまり、この新年は2007年1月6日(土)11時からになります。
子どもたちにはおみやげがあるので、予約が必要です。もちろん無料、子どもは当然ながら、おとなだけでも聞く事ができます。年齢の制限はありませんが、あかちゃんなどでちょっと泣いたりする場合は、外にでていただくことがあります。
 お話を聞くということとか、読み聞かせ、この言葉はあまり好きではないので、読みあうといっていますが、最近ずいぶんと言われるようになりました。開店して2年目位からはじめたのですが、毎週一回していました。それと同時に読み手、お話を語る人のための勉強会もはじめていました。というのは、語り方やテキストの選び方など、勉強しないととても難しいからです。はじめは、子どもたちのたくさんの参加がありましたし、子どもたちの年齢の幅もありました。小学生の参加も多い、それがおけいこや塾で忙しくなり土曜日にはできなくなりました。平日は帰りが遅くて無理です。皮肉な事にゆとりとやらで、週5日になったら、小学生から4歳くらいまでが、ぱったり来ることがなくなりました。平日のお稽古などは土曜日に行くので、おはなし会の参加は後まわし、ほとんどが来なくなり、来るのは赤ちゃんに近い幼児ばかりです。
会留府のおはなし会はお話を語ること、聞く事が中心になっています。幼児に対して絵本を読んでやるのはなるべく、親や身じかな人が読んでやるのが良いと思っています。そして、身じかな所に本があって自分でも見る事ができる、それ以上、以下でもないとずっと思い続けています。今は店ではしなくなったので、出張おはなし会、近くの保育所へいって、子どもたちに聞いてもらっています。時々遠くから要請がありますが、ほとんどはお断りです。幼い子どもが絵本を読んでもらうのは親や保育所などの先生、学校ではその学校の先生が一番、それを短い時間で良いから続ける事、日常の生活のなかにあって欲しいとおもっています。親や先生が自分のために読んでくれることの嬉しさは何よりのことなのです。
 1月6日の参加の方はお電話でもメールでも良いですからお申し込みください。締め切りは12月28日までです。

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11月の終わりに

千葉高校のイチョウもずいぶんと色づきました。紅葉がおそくてかなり葉が残っているままに、せわしなくクリスマスのイルミネーションがつけられ、私は欅が心配でぶつぶつと苦情を言っています。あついじゃないか!点滅する光でねむれないじゃないか!と。明日からは12月、だいじな人、2人を見送ったのも12月、せわしない月。でも、この華やかな日々を楽しむ幼い自分もいます。
子どもの本専門店 会留府は明日の12月1日で30歳になります。人間でいえば中堅どころ、少し自分のベースができて、いま以上に1歩先にいかれるような気持ちの時です。夫と2人でわりに軽いノリで始めた店、ともかく本が好きで、子どもと一緒になにかできそうとそれだけではじめました。身内も含めて商売をする人の知り合いもなく、帳簿の付方ひとつわからず、なんとも強引だったと思います。でも、それだからやってこれたのかもしれません。病気をしたり、経営的にピンチになったり、そして、最大の危機は一緒に始めた夫が亡くなった事です。まだ、なかなか整理がつかなくて、ともかくがむしゃらに毎日を過ごしているような状態、まぁ!これもあれも私の人生、同じ生きていくなら、興味津々に進んでいこうと思ってもいます。本を読む、どんなことが書かれているのだろうか、そして、自分の求めていた事をそのなかに見つけた時の嬉しさ、その嬉しい気持ちを子どもたちと共有できた時の楽しさ、なかなかこの想いは捨てきれません。ますます年齢的に体力的になかなか厳しい事になりそうですが、あまりに周りの人に迷惑をかけなければ、もう少し自分勝手に生きてみたいと願っています。
今日は中学生に絵本の話をしてきました。絵本は字の読めない幼い子どものみるものと、思い込んでいる中学生に、絵本は自分の心を表現するもの、他の人の心が表現されているもの、人と人の心をつなげるものなどと話してきました。そういえば昔、本屋のおばさんが絵本を読んでくれて、へぇ〜!と頭の片隅におぼえてくれて、いつかちょっと思い出してくれれば嬉しい。時々幼かった頃会留府に来てくれた子どもがおとなになって、寄ってくれることがあり、30年の意味があったかな?と思います。そんな時は元気がでます。

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ちょっとおくれたおたよりーひろや

日記型徒然草霜月之号(抄)・精神分裂編
【11月○日】
アメリカのKIKKERLAND(キッカーランド)社製のゼンマイ仕掛けの玩具にぞっこんだ。な、なんじゃこりゃ、欲っしぃわあー。ググって(ググる=グーグルにて検索すること)一番上に表示されるサイトだと、多分映像が見られるかと思われます。みんな、買おう!
 
【11月18日】
友人のU(ぼくの得難い友人の1人)と早稲田大学のオープンキャンパスへ行く。勉学へのモチベーションが俄然上昇する。ぼくは学校に過剰な期待を持って裏切られて過剰に絶望するというジンクスがあるので、大学にも過剰な期待はしない。「2+2=4」というような凡庸な情報さえ教えてもらえば満足だ。ただ、それを教えて頂くだけにも大学は魅力的だし、入学・卒業という「経歴」的な部分はどうでも良いにしろ、カリキュラムはきちっと修めたい。そういうことだ。つまりぼくにとっては「2+2=4」さえ在れば、他を特に大学に対して求めない。現時点では。
 
【11月26日】
私が学校で所属している放送委員会の人々(友人のU、O委員長、紅一点のTさん)と高校生文化連盟の放送コンテスト・千葉大会に行ってきた。(in千葉県教育会館)千葉県中の「つまらなさ」を全て結集させたのか、ってくらい面白みがない大会だった。笑える要素の有無じゃない。面白みが無いのだ。あと教師の数名がやけに高圧的だった。どうしても腑に落ちなかった事例を挙げる。(腹が立ったから)今日は本選で、昨日が予選だったのだけどパンフレットに書いてあるのは予選出場者のリスト。故に本選出場者の番号に丸をつける仕事を私が仰せつかっていたのだが、私は耳が悪いので隣に座っているUにアナウンスで読まれる人名を度々聞いていた。蚊の鳴くような声で、だ。決して関係の無い話じゃない。そうしたら休憩時間に前に座っていた教師に私たち4人は思いっきり怒鳴られた。数秒間そいつの目を無感情に眺めて、勿論4人とも無視。どうやら教え子らしき人物の発表の時に話していたのが気に入らなかったらしい。私怨か、くだらん。私の学校はこの大会の準備等で頑張るスタッフの方々に特小(=特定省電力トランシーバの略。通常無線機は飛ばせる電波の距離に応じて免許が必要だが、特小は単三電池が動力源故、極めて狭い範囲でしか電波を飛ばせないので免許が不要。)をお貸ししていたのだが大会が終わった後、使い終わったそれを回収しに行った時、対応してくださった先生は非常に物腰が柔らかだった。聞けばこの大会の主催団体の重役らしい。本当に人徳ってこういうことを言うんだと思ったものだ。県庁前のベンチで昼食時、ハトに餌をやったり、出場校の生徒を「もし世界が100人の村だったら」に準えて分類したり、楽しいこともあったので、相殺。
 
(この文章は五十嵐敬也の脳内メモリを発表用改定、増補したものです。)
 

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サンタになりませんか!その2

もうひとつサンタを募集しています。相手の子どもたちはタイ、ラオス、カンボジア、ミャンマー難民キャンプ、アフガニスタン。教育や文化の支援をしている団体SVA(社・シャンティ国際ボランティア会)がおこなっている<絵本を届ける運動>に参加しています。絵本を選んでそこに指定の言葉を貼って送る運動です。会留府が力をいれたいと思ったのは、絵本という世界共通の文化を届けたいと思ったからです。でも言葉の壁があります。その国の子どもたちが使っている母語で表現されていてほしい、それから、私たちが日本の子どもたちに優れた、楽しい本を与えたいと願うと同じに、その国の子どもたちにも優れた、楽しい本を読んで欲しい、平等に学べる図書館や学校を充実させて欲しい、そんな思いがあってSVAのこの運動をすすめることにしました。
日本図書館協会が選んだ絵本のリストのなかから決めて、その訳文シールをかい、自分で貼って、絵本を届けます。各自申し込んでも良いのですが、会留府ではみなさんに呼びかけています。会留府にご来店できる方や連絡が取れる方は会留府で取りまとめてもいたします。たくさんの人の参加=サンタさんを募集します。
くわしくは会留府
社団法人シャンティ国際ボランティア会「絵本を届ける運動」まで

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サンタになりませんか!その1

この季節になると会留府では一年間にご来店いただいた方に、12月1日の開店記念日などのご案内のハガキをお届けします。そのなかに「サンタクロースになりませんか!」というお誘いがあります。
子どもにはもちろんのこと、絵本が大好きな友人や自分自身にでも画家のサインをいれてもらって、お届けする企画です。画家直筆で宛名もいれてもらえます。12月3日までお申し込みいただいて15日位に会留府に入ってきますので、お申し込みの方にお送りいたします。
今年は小出保子さん。動物たちのゆかいなおはなしの絵本です。
4834011550
「はるです はるのおおそうじ」838円
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「とてもとてもあついひ」838円
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「とんとんとめてくださいな」838円
4834011542
「ゆきのひのゆうびんやさん」838円
4834018326
 「かさかしてあげる」743円
4834014630
「おなべおなべにえたかな?」800円
4834017842

「やまこえのこえかわこえて」743円
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「おおさむこさむ」800円
4834016544_1
「もりのひなまつり」800円

(全部 福音館書店で価格は本体価格です。)
まず絵本をご指定下さい。その時にご来店か宅急便でお届けか包装紙(クリスマス用かそうでないか)宛先の名前の有・無など会留府までお申し込みください。

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ペット飼うことーミドリ

【飼う前に】
こんにちは。久しぶりになってしまいました。私は今高校3年生なのですが、最近無事、志望大学に推薦で合格する事ができました。友達も着々と進路を決定していっています。そんな訳で最近私の周りは高3の冬らしからぬ、ほのぼのとした空気です。
私は動物が大好きで、今家にはセキセイインコのピヨちゃんがいます。ある友達も犬やウサギが好きですが、今家にはペットがいない状態で「何か飼いたいな」と最近よく言っています。でも何となくその言葉に違和感を感じるのです。とても気軽に「欲しい!」と言っている所が原因だと思います。動物を飼うという事は、とても楽しい事ですが、楽しいばかりでも無いのが現実です。でも彼女がそれをわかっていない、というのが言葉のはしばしから感じられるのです。
彼女は飼育情報にあまり興味がなくて、私がうさぎについて、インコについて話す事を「マニアックだよ!そんな話をする女子高生めったにいないよ。」と言って嫌います。飼う気があるのなら、勉強して欲しいです。不幸な動物を作らないために。平均寿命も、どんな性格かも分からず、「くださ〜い。」と買いに行かないで欲しいのです。今私は彼女に「飼うなら、親の了解を取りなさい。よ〜く勉強してどんな動物にするのか、どの種類にするのか考えなさい。全部自分で面倒を見、なおかつ自分が出来ない時フォローしてくれる人を見つけなさい。そして、これが出来ないなら絶対飼っちゃダメ!」と何気なく少しずつ教え込んでいます。それには理由があるのです。
私は小、中学生の時はずっとジャンガリアンハムスターを飼っていました。飼い始めた当時、自分が小さかった事と、一匹目を飼っていた経験からあまり飼い方についての勉強もせずに何匹ものハムスターを飼っていた事を、後になって飼育書を読んで反省しました。本当は毎日してあげなければならなかった事を週に一度しかしていなかったり、健康に生きるために満足な食餌を与えてあげていませんでした。それでもみんな大きな病気もなく寿命をまっとうしてくれました。それだけ丈夫な生き物です。でも、だからといって人間にとって一番手軽な飼いたをして良いものでは無いと思うのです。我が家に居たハム達には本当に可愛そうな事をしたと思います。その反省からピヨちゃんをお迎えする前に、私はセキセイインコについて沢山勉強しました。楽しいペットとの生活を夢見ながらの勉強は楽しいものでした。
また別の友達の家では小学生の妹が欲しがったハムスターを飼っています。 ほんの3ヶ月ほど前に飼い始めた
子を最近亡くし、その子の亡くなったその日に今のハムスターを買いに行ったとの話に疑問を感じてしまいました。
子供時代を動物のいる環境で過ごす事は良い事だと思います。でも「絶対欲しい!世話する!」という子供にす
ぐ生き物を買い与えてしまうのは、どうでしょう?先にも書いた通り、正しい知識と毎日の努力がなければ動物を飼育することはしないで欲しいと思うし、実際それはしてはいけないことです。そう考えると動物を飼うことは小学生には少し難しいかな、と思います。小学生以下の子には「あなたが面倒を見るのよ。」とペットを与えるのではなく、お母さんやお父さんのペットと一緒に遊ぶことの方がいいかな、と思います。責任感を培って欲しいから子に動物を買い与える、という話を時々聞きますが、私の周りでそれが成功している例は聞いたことがありません。結局親がやっていたという人が多いのです。これでは狙いとは逆に「やる、と約束した事を果たせなかったけど、結局親がやってくれて特に困った事はなかった。」という経験をすることになってしまいかねません。だからと言って子供が世話しきれない動物を放っておいたら動物が可哀想です。友達の家の様にすぐ死んでしまって、また新しい命を買って来るのでしょうか?子供の責任感など動物たちには関係ありません。でも彼らには快適に生きていく権利があります。中学生くらいになれば、自分で勉強して責任を持って動物を飼う事もできると思います。それでも中学生は忙しいですし、周りの大人たちがきちんとできているのか見守って、フォローしてあげて欲しいです。
私も、母や家族のみんなにフォローしてもらいながらピヨちゃんのお世話をしています。ペットのいる生活は本当に楽しくていいものですが、よく考えて、沢山勉強して、愛情をもって、お互いが楽しく快適に過ごせるようにしたいと私は考えています。
−追伸−
ピヨちゃんを飼う前、私は鳥が嫌いでした。でも家にいたら少しは慣れるかな、と思い飼い始める事にしたんです。はじめに鳥が欲しい!と言ったのは私ではなく、小さい頃家に鳥がいた、という母だったのです。でも今ピヨちゃんの世話は私の仕事になっています。 私の鳥嫌いが直らなかったらどうする気だったのでしょう...?
「世話しないなら、欲しい!なんて言っちゃダメなのよ、まったく!!」
 from⇒ミドリ

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子育ての悩みーおたより

(おたより  ) 
会留府から大林さんへ
 すっかり寒くなりました。
子育ての悩みは子どもが大きくなると深刻になるケースがあります。子どもの自我が育って来るので、まわりと衝突しやすいからかもしれません。大林さんをみていると、とても安定していていいなぁと思います。
登園拒否とか。季節の変わり目で、行事も多く、単に少しくたびれているだけかもしれません。私は幼稚園には行かなかったのですが学校は登校拒否兒、理由はよくわからないけれどともかく学校がおもしろくなかった。小学校は理由はそれだけだったような気がします。
いま、中学生がとてもたいへんで、ひきこもりに近い子が私のまわりでも多くなって来ています。学校の状況がとても悪い、どうしたことでしょうか?大林さんのおっしゃるように生きていくのに悩みがないわけがない、悩みながら生きていくのだと思います。
11月半ばになるとクリスマス模様になります。また、おでかけください。

(おたより)
大林さんから会留府へ
 こんばんは。
うちの息子も幼稚園に行かないのは、おもしろくないから、と言っております。やはり具体的な理由はよくわからないようです。幼稚園には行くもんだとは思っているらしいのですが、何かがブレーキをかけているようです。今は弱くなっている息子の心がまた元気になるまで寄り添って優しく見守ってあげなくては、と思っています。とはいえ、私の心も弱く、安定しているなんてとんでもない、毎日ゆれて迷ってはイライラしてまわりの人にあたったりしていますよ。困ったことに!息子が幼稚園にいきたがらないことをその内行くようになるだろうとあまり心配はしていないのですが、漠然とした不安もあります。心配してくれているとわかっていても他のお母さんたちから「この時期に困りましたね」とか「だいじょうぶ?」とか、先方は心配して声をかけられると気持ちが沈んでしまいます。主人は理由もなく休むというのが許せないらしく、息子に言ったり、怒ったりします。ちゃんと通ってほしいという主人の気持ちもわからなくもなくもないのですが、今は優しくしてほしいです。
学校の状況がとても悪い、ということですが、最近よく報道されるいじめの問題、高校の必修漏れ、学校に子どもを通わせて大丈夫なのかな、ということがほんとに多いですね。どうして学校がこんなふうになってしまったのか。私には親や世間がそうさせたように思えてなりません。高校は大学受験のための予備校のように思っている親、人を学歴で選別していろんな子どもいろんな人間を受け入れない世間。そんな親や世間が学校の状況を悪くし自分たちが自分の子どもたちが生きにくい環境を作っていっているような気がします。認めたり、許したり、受け入れたり、待ったり、相手に思いやりが持てたらそういうことができる、選んだり要求したりするばかりの世の中よりよくなるような気がします。
しばらくしたら子どものクリスマスプレゼントを選びにまたうかがいます。では。

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悩み多き?子育て

  子育ての悩み

先日、会留府にお邪魔した時に、子育てで悩んでいる人がとても多い、という話になりました。私の実感としては、子どもが小さいせいもあると思いますが。お母さんたちは大なり小なり悩んでいるけど深刻な人は少ないと感じています。子育ての悩みというの、は子どもの成長とともに解決し、また新しい問題に直面するけれど子ども成長で解決していく、というように悩みはかわるけど繰り返していくように思います。小さい子を持つ母親ほど、経験はないのに情報は豊富で、悩んでいるというより、迷っている、決めきれない、選択できない、というようなことが多いように思います。その時はものすごく悩んだり、あれこれやってみたりしていうるちに子どもが成長して自然に解決というか悩みが消滅してしまうこともあると思います。夜泣き、離乳食、トイレトレーニング、などなど。解決してもまた新しい悩みが出てくるのですが、同じ悩みがずっと続くことは少なく、たいていの悩みは子どもの成長と主に現れ成長とともに消えていく、半分時間が解決してくれるようなもの、だから子育ては続けられるのだと思います。
さて、目下、私も下の子の登園拒否で悩み中です。思えば少し前から気持ち悪い、とか、食欲がない、といってあまり食べないことがあったのですが、それが兆候で、とうとう「お休みしたい、いきたくない」と言い出しました。下の子で親子共々幼稚園のことはよくわかっていて、まったく心配していなかったので、兆候には気づきませんでした。具体的に嫌なことがある訳ではないようで、理由はよくわからないのですが、今は幼稚園が楽しく感じられないようです。私としてはあまり心配していないのですが、それでも、悪くなるようなことはしたくないなくらいは思うものです。今まであまり病気もせず、頑張って通ってきたので少し息切れ気味、いく気になるまで休ませてあげようかと思う反面、休みが続くといきづらくなりよけい登園できなくるのではないか、と思ったり、、、。
と、まあ私の迷いと悩みはつきない訳ですが、子育てってそういうものではないでしょうか。子どものことで問題を抱えるというのはつらいことです。でも、親が悩んで迷って、間違ったら修正して、時間をかけて子どもといっしょに成長していくのが子育てではないでしょうか。もちろん、中には深刻で一刻も早く対応しなければならないような問題もあると思います。でも、私のまわりの多くは、そういう切羽詰まったものではありません。原因をはっきりさせて適切に対応する、子育てってそんなに割り切れるものじゃない、子どもは一人一人違うし単純じゃないと思います。もっと悩みながら子育てしてもいいんじゃない?というのが私の心境なのです。そして、私もまだまだ悩みながら子育てを続けなければならないようです。
  大林ハル

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子どもといっしょに音楽を

先日若いお母さんが“お願いがあるのですが”と来店された。用件を聞いてみると子どもと一緒に聴くことができるコンサートを店の近くの県文化会館でするので、チラシを置いてもらえないかという話だった。会留府では貼る場所もないし、狭い店なので、地域限定や会留府が係わっている以外はあまりそういうことはしない。しばらく話を聞いていたが、協力しようかという気になった。理由は説明された彼女の熱意にほだされたということが一つと、演奏会の中の音楽物語「コッケモーモー!」の元版の絵本を私も好きで、良くお客様に薦めたり、会留府のブッククラブ用にも選書してある一冊だからだ。鳴き方を忘れてしまったニワトリ、とてもおおらかな楽しい絵本だ。
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「コッケモーモー!」
ジュリエット・ダラス=コンテ文
アリソン・バートレット絵
たなかあきこ訳
徳間書店 本体1400円
このコンサートは<あかちゃんと子ども 家族みんなで楽しめる>としてあり、文字どおり赤ちゃんからのチケットが設定してある。演奏するのは弦楽四十奏団Drop、子どもたちにもなまの演奏を聴かせたいとはじめたとのこと。学校等にも出張演奏をする話やコッケモーモーの絵本を扱うについての著作権などの話等をしばらく聞いた。
若いっていいなあ!と思った。年齢を重ねると慎重になってというか保守的になって、自分の願ったことをまっすぐにやってみることが少なくなってしまう。とくにこういう時代だから、『いろいろな考えのある人がいるから』などと、小さく自分で納得してしまうことが多い。そんなことをあらためて思ってみた。
コンサートに関心のある人はオフィス・オブリガートまで。


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トラックバックは中止です

もし、えるふ通信を見て「トラックバックを」と、思われた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありませんがトラックバックはできないようにしてしまいました。はじめのうちは困らなかったのですが、ここ半年ほど入ってくるものが、迷惑メールならず迷惑トラックバックになってしまいました。広告といわゆるエッチサイトにつながり、腹立たしい限りです。ブログは簡単にたくさんの人と意見や思っていることを言い合えるので、とても表現としてはおもしろいと思います。でも、必要のないもの、拒否したいものも半ば強制的に入ってきます。迷惑メールもあいかわらず多く、せっせと削除してしまいます。けれどメールは受ける私に固定されてしまうので、腹をたてながらもそれだけなのですが、トラックバックは画像が強制的に入ってきます。そして、それは誰にでも向かってきます。これは暴力だと思います。そんなわけで、トラックバックは受けないことにしましたのでご了解下さい。それにしてもなにか良い方法はないでしょうか?

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めんどくさがり家のための絵本

今朝の朝日新聞にひどく不愉快なニュースを見つけた。「携帯端末に絵本配信」NTTグループが童話の名作に映像や音声をつけたものをネット配信するとのこと。<名作童話にイラストレーターによる絵と、声優のナレーションや効果音をつけてデジタル加工した絵本を順次配本する>というもの。ちょっとまって!なにをしようと勝手だけれどそれって「絵本?」アニメーションとどうちがうのだろうか?それにおそらく考えだした人は絵本をあまり読んだ事ないのではないだろうか?きっと読んでもらうこともなくおとなになったのではないだろうか?絵本は絵を読むもの、読むということは自発的に絵をみることだ。絵の中には画家がいろいろな工夫をしている。読み手はあるときはそのページをあくなく見つめ、画家と思いを共有する。絵本の文はひかえめでな存在だけれど、読み手の感性を動かしてくれる。この作業は一方的に流されてくるネット配信では決して味わえないものだ。まして、子どもは絵本を読んでもらうことで、読み手(ほとんど身じかな顔の見える存在の人)とのきずなが生まれてきて、それは、幼ければ幼いほど強く大切なものだ。それが嬉しいし楽しい。
どうぞ、ゆめゆめ子どもに与えないように願いたい。読んでやるのはめんどくさいから良いなどと馬鹿な思い違いをしないように。

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こどものあそびば

休みが終わってはや1ヶ月、やっと学校、幼稚園生活に慣れてきたところですが、二学期制になったので、学校の方は前期のまとめとかテストなどもあったりして、学期末なんだなあという感じです。幼稚園や学校の用事もあったりして、のんびりとした夏休みの生活と違って慌ただしく、私はちょっと疲れ気味です。子どもも少し疲れ気味だったので週末は体を休めるつもりでしたが、暑さ寒さも彼岸まで、外が気持ちのいい週末だったので少しは出かけることにしました。
ということで、毎月一回、幕張海浜公園でやっている「こどものあそびば」 という遊び場で遊んできました。こどものあそびば
というのは、参加する子どもたちが(大人も)思い思いに遊べる空間と時間です。スタッフの方が工具とか、材料を用意してくださっていて、気が向いた子どもたちは物作りに励みます。もちろん作り物と関係ない遊びをしてもOKで、鬼ごっこなんかをして遊んでいる子もいるようです。
作品をできなくても、なにか作業をするというのはいいものです。木片を紙ヤスリでみがいたり、釘を打ったり、のこぎりを挽いたり、ひもや毛糸を編んだり。黙々と作業をしていると、日常のいろんなことでいっぱいになった頭や、ちょっと重くなった心が、ほぐされてすっきり軽くなるような気がします。なんとなく作品みたいな物ができあがるんですが、「できあがり」という目標を持たずに作業だけに没頭できるのも頭や心にいい気がします。子ども時代にはこんな時間をたくさん過ごさないといけないんじゃないかなと思いました。塾や○○教室じゃなく「こどものあそびば」のような場所が子どもたちの身近なところにたくさんできて欲しいと思います。
大林ハル

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ダッシュ  

【ダッシュ】
 しばらく全然何にも書かずに来てしまいました。確認して見ればなんと【5月のおたより】以来でしょうか。
 4、5月ごろとっても凹んでた私ですが、そのあと何となく忙しくなった事もあってか、元気にやってました。
最近やってる事の話をいくつか書かせてください。
 まず、夏祭りが終わりました!前にも書いたことがあるんですが、毎年地元の団地で小学生達と一緒に和太鼓を
やってるんですが、今年も夏休みの練習にもちょくちょく顔を出して、無事本番を終える事が出来ました。今年
、新しかったのは、小学生の頃から一緒に太鼓をやってきた、同い年の仲間達とオリジナルTシャツをみんなで
つくり、本番に着た事でした。やろう!と言い出したところから、プリントをして仕上げるところまで自分達で全部やり、みんなでお揃いで着た時、何とも言えない嬉しい気持ちになりました。
 あと、家族旅行でハワイに行ってきました。受験生なんですけどね。。姉が今年の正月にお年玉年賀ハガキとい
うやつで一等賞を当てて、その景品がハワイ旅行2名分だったんです。折角行くならみんなで!と8人の集団で行ってきました。とっても楽しい3泊5日でした。
 今進行中のイベントとしては、高校生活最後の文化祭があります。今年私のクラスはシチュー屋さんをする事に
決定し、夏休み中に何度か教室の飾り付けに集まったり、今日はお店で出すホワイトシチューとビーフシチュー
の試食会をして来ました。
こんな感じで充実した夏休みを送って来ましたが、一応私も受験生なので勉強も例年の夏よりはしました。私
の高校では「夏季進学補習」という講習会があるので、受験科目になるであろう国語と英語の講座に参加しても
います。
 ところで、今まで書いた事には共通点があるのです。それは「短距離ダッシュ型」のイベントであるという事で
す。普段の生活の中でやっていることはコンスタントな努力が求められる「長距離マラソン型」と一時期の必死
の努力の要される「短距離ダッシュ型」があるなぁと最近思います。「マラソン」の方には、私の中では、毎日遅刻欠席しないで学校に行くとか、毎月会留府のブログに原稿を書くとか、毎月3回ピアノのレッスンに行くとか、そんなものがあります。普段私は、結構苦痛を感じずにこれがこなせる!と自信があったのですが、このところ「ダッシュ」に分類されるイベントが次々と起こり、目の前の大きなイベントに没頭して、「マラソン」の方は放り出したままになっていました。今、猛烈に反省しているところです。
 もう夏休みも終わりです。(今8月29日午後10時50分)新学期が始まるともう大学入試が始まります。始まって2週間で、文化祭当日を迎えます。まだまだ短距離ダッシュな日々が続きそうですが、マラソンとの両立をしっかり考えて頑張りたいと思います。
                                          ミドリ

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遠くへ行かなかった夏休み

 やっと涼しくなりました。この暑いさなか店の前で工事があって、一応済んだのか重機の大きな音と振動がなくなりました。それと、今日はセミの鳴き声がパタッとやんで静でした。
今年の夏休みはどこにも行かず、ひたすら本の整理とグタグタとねてばかりいました。暑いのはそんなに苦手ではないのですが、蒸し暑いのはダメ!(だから梅雨の頃が大変)
この夏はとてもうれしかったことがありました。「貝の子プチキュー」の原画をみることができたからです。
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「貝の子プチキュー」
茨木のり子・文
山内ふじ江・絵
福音館書店




どうして、どこでかはちょっとないしょですが、念願かなってゆっくり観ることができました。この本の内容は7月9日のブログに書きましたが、山内ふじ江さんの絵はすばらしかった。本を見た時は油絵かなと思ったのでしたが水彩でした。海の中の透明感、波の動き、その中を一生懸命に歩いていくプチキュー、竜のおとしごの表情、カニの悲しさ、輝く星、岩などの感じをだすための工夫や波の動きをだすための描き方など、5年もかけて丁寧に描かれた絵です。しかも、この絵本を編集された福音館書店の唐亜明さんのお話も聞くことができました。唐さんは6月のブログで紹介した絵本「西遊記」の文を書かれている方です。それにやはり7月のブログで紹介した
絵本「のぞく」の編集者ということも知りました。
 この夏はほんとにうれしい夏でした。本を読む、絵をみる、好きな音楽をゆっくり聞く、とても幸せな時でした。


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八月の終わりに

九月というともう季節の感じが変わります。今日の天気は秋の天気とのこと、暑さはまだまだだけれど、秋は湿度が低くなるので暑さの感じ方が違うのでしよう。
八月は敗戦の月、原爆がおとされた月、そして、お盆という死者が帰って来る月でもあるので、戦争のこと、生と死のことなど、いろいろのことを少し考えていきたいと思います。
今月は戦争にまつわる本ですぐれた作品が出版されました。以前は行事にあわせて出版されるようで、そんな商業主義に嫌悪感をもっていましたが、ここ三年ぐらい前から、私は違う思いを持つようになりました。そのように思うのは憲法にまつわる気になることが多くなって来たからです。
 若い世代が靖国問題や中国(台湾も含む)や朝鮮の国々に日本の政府はもっと強い姿勢であって良いという意見が多いというマスコミの調査結果は、なんとなく不安をもっていた私にとってはかなりショックでした。私自身戦争を直接的に知らない世代で、少しうえの世代の人たち、その人たちは戦前の教育もうけてきたし、一方敗戦を境に豹変してしまうおとなをまのあたりにした人たちのわけですが、すこしづつ死者の列に加わるようになってきたのも、あらためて戦争のことをどうとらえるのか、考えなければならないとのおもいを強くしている理由です。
子どもたち、特に中学生から若い人たちに読んで欲しいとおもいました。思春期の子どもたちの殺人事件なども、戦争と根っこのところでつながっているように思うからです。
八月の行事としてでなくでなく、これからもできるだけ紹介していきたいとおもっています。

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子どもの成長ー大林

今年の夏休み

 長い夏休みも残りわずか。さて今年の夏休みはどうだったでしょう。
はじめは雨続きであまり夏らしくありませんでしたが八月には暑くなり、昨年同様、おやこキャンプ、帰省、プール、夏の行事も無事終了。その他はのんびり、ほんとにダラダラした夏休みでした。
子どもが大きくなって手がかからなくなると、年々出かけるのが楽になります。下の子が赤ちゃんの頃は準備や食事や移動、なんでも時間と手間がかかって、朝から「出かけるぞ!」と気合いを入れていないと出かけられませんでした。今は準備はいらないし、なんでも食べられるし、自分で歩いてくれるし、思い立った時に、「これから行くか」と出かけられるようになりました。その分、午前中、ダラダラと過ごすことが多く、子どもの生活としては反省すべきかもしれませんが、朝起きるのが遅くなった訳でもないし、目的なくダラダラ過ごせるのも夏休みだからこそと考え、そういう時間が過ごせてよかった、と思っています。
昨年の夏は上の子の成長というか、変化が印象に残りましたが、今年は下の子の印象が強かったです。カブトムシを飼ったり、サッカー(といっても蹴るだけ)や野球(といっても打つだけ)をやったり、お姉ちゃんがお勉強をしていたら自分もドリルをやってみたり、、、。そうそう、たまごっちのお世話もするようになりました。なにかとやりたがり、やってみた夏でした。プライドか高いというか、失敗するかもしれないことはやりたがらない子で、サッカーや野球も友達の前ではなかなかやりません。家族でトランプやボードゲームなどをする時も「ボクはみてる」といつも参加しなかったのですが、夏休みは参加していました。なんだかわからないけど「ボクだってできる」思える瞬間、自信がついた瞬間があったのでしょうか。
 上の子は三年生になってから本を読むようになりました。少し前まで借りてきても読まずに返すことが多かったり、音読も訥々としていて、自分で読むより読み聞かせてもらう方が好きだった。それが急に一日で一冊読みきったり、弟にスラスラと絵本を読んであげたりするようになりました。少しずつ読んだり、音読の練習をしたりしていたので、彼女の中に蓄積されていたものがあったと思いますが、表に出る時は坂を上るようになだらかにではなく階段を一段上がるように一気に出てくるものなんだなあ、と思いました。
子どもの成長を感じたとき、いつも驚きと嬉しい気持ちでいっぱいになります。そしていつも、私は何も教えていないことに気づき、子どもってすごいなあと思います。なんでも吸収して自分で成長している。私にできることは、子どもがやりたいこと、できるだけいろんなことを経験させたり、触れたりできるようにしてあげることぐらい。残り少ない夏休み、少しでも多くそんな時間が持てたらいいなと思います。

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アニメ「ゲド戦記」

         失敗作・アニメ「ゲド戦記」
                      (高橋峰夫)

 つまらなかった。
 アニメのストーリーは、ある意味ではよくできていたかもしれない。原作の「あらすじ」をよく押さえ、一篇の物語を作っている。アニメの英題が“TALES from EARTHSEA”となっていたから、ゲド戦記の外伝か異伝のつもりで作っているのかもしれない。そうだとすると、本篇なしで外伝が成り立つものだろうか。ル・グインは本篇4巻を出したあと外伝を書いている。
 私は、小説はファンタジーが好きだが、SFは苦手である。 ファンタジーは現在または過去の延長として、世界を作っている。つまり読者のなじみやすい世界から入っていく。SFはそうではない。SFは理詰めで、一から世界を形作っていく。特に本格SFはそうである。作品世界を受け入れるのに手間がかかる。つまり読みにくい。時にはインクのにおいが鼻につく。と、勝手な理由をこじつけている。
 ところが最近のファンタジーは世界の構築が(必要以上に)緻密で読みにくい。その先駆が「ゲド戦記」だと思う。つまりSF作家の書いたファンタジーである。作者はこのファンタジーで一から世界を作っていく。ところが緻密に大きな世界を作る場合、とても一冊の本では収まらないし、作者が書かない限り、その世界は1行たりとも現れない。作者もそれがわかっているから、1巻目では作品世界のどの部分を見せ、どこを謎として2巻に回すか計算する。そして謎解きを絡めながらも、1冊の本として楽しんでもらう。つまり小説の基本であり、映画の基本でもある。ル・グインの小説や駿監督のアニメが奥が深いといわれるのはそのためである。一篇の作品として過不足なく完結しながら、まだ語られない部分がある。  とにかく、そうして4巻まで書いたあとで初めて、外伝や余録で遊べるのである。映画で言えば、その世界が観客に周知だから続編が作れるのである。あるいは、伝説や昔話や古典をモチーフにした映画か、ビジュアルなSF映画なら1作目から周知のものとなるが。
 「ゲド戦記」を映画化する場合、そこをどうクリアするか。残念ながら、このアニメはクリアできていない。原作を知らない観客には、陳腐なストーリーである。
 私はもともと原作で語られる、名前の扱いや生と死の意味付けが、あまり好きではない。ファンタジーにそれを持ち込んだのは、ル・グインんの功績であるが、ファンタジーの寓意化には「なに言ってやんでぃ」という偏見がある。
 このアニメのように作品世界を提示しないで、エピソードをつまみ食いし、改変することは、思わせぶりな映画にしかならない。なによりもストーリーがわからないし、面白くない。
  原作者が書いた精神的なテーマを安易にアクション映画に持ち込むのでは、「スターウオーズ」とどう違うのか。日本アニメのお家芸の精神論・「巨人の星」や「宇宙戦艦ヤマト」とどう違うのか。        
 ここで話は跳ぶが「ヒカルの碁」(全23巻・原作ほったゆみ・漫画小畑健・集英社ジャンプコミックス)というマンガがある。主人公は2人の少年棋士である。ところがその主人公を、マンガ家2人に置き換えたトンデモないマンガがある。「G戦場ヘヴンズドア」(全3巻・日本橋ヨヲコ・小学館イッキコミックス)である。でも、物まねやパロディーではない。こういうときにピッタリの日本語がある。「本歌取り」である。 吾朗のアニメはこのレベルに達していない。
  どうせ失敗するなら、「ゲド戦記」のアニメ監督は、女性に、たとえば二木真希子にやらせたかった。

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友だち100人なんて?!ーひろや

「友だち100人できるかな?の欺瞞について」1.5倍速再生ver

 きっと誰もが知ってるフレーズ。小学校で配られる童謡集を開けばゼッタイに載っ てるタイトル。その名は「1年生になったら」。
ぼくはこの歌を聞くたび、友達の定義も安くなったものだなと思う。
別に友情に普遍の価値を求めているわけではないが、少なくとも友だちってあまり軽 率に使うものでもないような気がする。
いずれにせよ100人は多すぎだ。大体さ、全国全ての小学校において1年生の学年 総生徒数が100人を超えてるワケがないじゃない。
事実わしが小学校に入学した時は、自分のクラスも併せて2クラスだけだったわ、ボ ケ! 
まあツッコミで通すのも芸が無いので、マジメに続けますが、「われわれには理解で きないことが少なくない。生き続けて行け。
きっとわかって来るだろう」とゲーテも言ってる通り、この世界には「答えの出ない 問い」がいっぱいなわけなのです。
「友情」も「友だち」もその一つで少なくとも、「自分がそれをわかってない」とい うことをいつも心のどこかに置いとくべきで、「問い」に誠実になればいつか君だけの答えがでるかもね、というのは普段からぼく が言っていることです。
 最近は同じゲームを持ってる子同士などといった、モノから入る即物的な「友情」 も多いみたいだから100人の友だちなんて倍々ゲームですぐ量産できるのかもしれ ないけど。
まあしかしこんな狂った世界だからこそ、陳腐な願いやベタな呻吟やバカっぽい叫び が意外と効力を持ち始めるかもしれないとも思うのです。
「友情って美しい!」とか。言ってみたいけど言う人が居ない。ほんのり薄しょっぱ い塩味なぼくの青春。嗚呼!
 と・に・か・く。あの歌はいろいろ矛盾している!そもそもですよ?その後の歌詞 の欠陥っぷりが何とも笑わせるじゃないですか。
「100人で食べたいな、富士山の上でおにぎりを」。……自分含めてないじゃん!!
友だちが100人なら自分含めて101人だろうが!どうしても100で語呂を良く したいなら、最初は「友だち99人できるかな」にしておかなきゃ駄目だから!
それともなにか、1人は病欠することを予測しているとでもいうのか?こんなに堂々 と「足し算」間違ってたら、その後の授業のカリキュラムに影響を与えちゃうかもよ?!
もうね、駄目です。有害!この歌。

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夏休み読んでみよう!!

千葉市立の小・中学校では夏休みが7月15日から始まりました。そして、8月28日で終わりなので、気がついたらもう半分過ぎてしまいました。やっと梅雨も明けて、セミの声もにぎやかになりました。夏休みの間にちょっとまとまって読書はどうでしょうか!
比較的新しく出た本も含めて、おすすめの本です。
*「ケイゾウさんは4月がきらいです。」市川宣子さく
   福音館書店( 親子で読みあっても)
*「せいめいのれきし」バートン作 岩波書店
   幕張メッセでは恐竜展開催中(絵本)
*「衣世梨の魔法帳」那須正幹・作 ポプラ社
  3巻あります。身じかなところの探偵(低学年向き)
*「天狗童子」佐藤さとる・作 あかね書房
  カラス天狗になった?少年の話(10歳位から)
*「キルディー小屋のアライグマ」R・モンゴメリ作
  福音館書店 動物好きの人向き(10歳位から)
*「魔女がいっぱい」ダール作 評論社
  魔女たいじをする、おばあちゃんと少年(10歳位から)
*「この湖にボート禁止」トリーズ作 福音館書店
  イギリスの子どもたちの探偵、冒険小説(10歳位から)
*「イサナと不知火のきみ」たつみや章・作
  講談社  古代、日本の海が舞台のファンタジー(Y・A)
*「ゲド戦記」ル=グゥィン作岩波書店
  原作をこの機会に(Y・A)
*「日本という国」小熊英二・著 理論社
  憲法も含めて日本という国について考えてみよう(Y・A)  

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おたより 「おとなが遊ぶ」

 先日、「お母さんのためのリフレッシュワークショップ」なるものに参加しました。何をしたかというと皆で簡単な体を動かすゲームをして遊ぶ、というものでした。参加していたのはお母さんたちで30人くらいで、初対面の人もいれば、顔見知りもいるという感じの集まりでした。休憩をいれながら2時間ほどで5、6種類のゲームをやりました。ゲームは他愛のないもので、例えば、全員で輪になって風船(だったかボールだったか忘れてしまいましたが)をトスして他の人につないでいくという遊びや、二人組で一人が鏡になって相手の動き(太極拳!)をまねして動く、というようなのでしたが、やってみるとけっこう面白くて皆よく笑っていました。
子どものように遊んでリフレッシュ、というのだったらありそうなかんじなんですが、このワークショップの面白いところは、ゲームにかかわらず全体のルールとして、
・自分や他参加者の体も心も安全にできるようにする
・どこまで挑戦するかは自分で決める
・一生懸命する
という約束事があって、それ以外はどのようにやってもいいですよ、というところでした。それぞれのゲームにも簡単なルールがありますが(そうでなければゲームが成り立たないのですが)場合のよってはそのルールさえ守らなくても許されるのです。ルールを破る事で面白くなる事もある訳で、遊びなのだから参加者が楽しく遊べれば、それはOKなのです。
というワークショップだったのですが、参加してとてもよかったと思いました。まず、体験するというのがよかったと思います。子どもにとって遊びは大切だとよく言われる事ですが、頭では何が大切かなんとなくわかっているような気がするのですが、簡単なゲームですが、やってみると夢中になり、うまくできた瞬間の爽快さを感じることができ、これが大切なんだと実感できました。講師の方は、大人が遊べなくて子どもが遊ぶ訳がない、というようなこともおっしゃっていました。
それから、うまくいった爽快感に通じますが、他の人たちと一緒に何かを成し遂げたとき、ピタッと合ったときの気持ちよさを感じる事ができました。それまでには、自分の主張出したりおさえたり、相手の考えに合わせたり思いやったり、少なからず緊張した状態があると思うのですが、うまくいけばその緊張感も爽快感の一部になります。遊びに限らずそういう経験をたくさんしていれば、爽快感を知っていれば、いろんな場面でいろんな人とチャレンジしていけるのようになるのではないかと思いました。
今のところ、雨続きの夏休みですが、子どもともども、「たくさん遊んだ夏」にしたいなと思っています。
                  大林

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昆虫と子どもと学校と

 11時頃薄日が射してまもなく、今年初めて蝉の声を聞きました。これで梅雨があけると思ったのに、また、雨が降り始めました。幻聴のような一瞬でした。梅雨があけないので夏はいまひとつ近くにきません。
我が家の鈴虫は順調に大きくなっています。大小がちゃがちゃといるので、もう少ししたら、また箱を増やさないといけないかもしれません。
店でも図鑑類が売れています。買っていく子は何冊かの図鑑は持っていて、なかには限りなく欲しがる子どもがいます。特に昆虫は家で飼っている子どもが多くいます。動物や魚はなかなか飼う事ができない、昆虫なら飼いやすい、特に「カブトムシ」や「クワガタ」は人気です。聞いてみるとほとんどの子どもが買ってきた、捕まえてきて、観察しながら飼っている子どもは少ない、つまりコレクションになっているのです。だから飼うために図鑑を見るのではなくカタログ的に見ている、日常の飼育は親がしているというのが今の子どもの大半です。
捕りにいく所がない、そして、日常のなかにそれらと共生する場所も少ない、時間がないなど、自然に対しては、子どもの環境はマイナスの面が多いのです。
でも、とっても良い場所があります。学校です。ビオトープなどにも力を入れている学校が増えました。トンボのヤゴは学校のプールから・・・千葉では現実に飼育、観察している学校がたくさんあります。
そこで、本は出番です。飼い方、育て方も載っている図鑑をクラスに一冊、これは昆虫のことばかりではありませんが、かならずクラスでは何らかの生き物を飼う、先生どうでしょうか!

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7月のおたよりーひろや

「7時19分の彼女3」〜完結編〜

 ああそうだ、思い出した。彼女は黒田さんだ。
図書室のカウンターの人だからきっとそうに違いない。そう確信すると、気が付けば 彼女との物理距離はかなり縮まっていた。
挨拶をしようかとも考えたが、一度も話したことすらない人にいきなり挨拶するのも 妙だと思いなおし、一息に彼女を追い越そう・・・とした刹那。「おはよう」という声が した。
だからぼくは後ろを向いてその声の元、つまり黒田さんに「おはよう」と言った。黒 田さんは眼鏡をかけていた。その縁は若干厚く、正しく文学少女という印象である。
そして黒田さんは左手にロバート・J・ウォラ−の「マディソン郡の橋」を持ってい た。そんなチョイスをする女の子は大抵美少女と相場が決まっていて、実際黒田さん は結構な美少女だった。

 その後なし崩し的に学校まで一緒に歩いたのだが、その時に黒田さんが言ったこと には彼女と僕が利用する電車は同じであり、出身中学も隣同士であったらしい。
今日の今日まで終ぞ知らなかった事実に話しも弾み彼女はそれらのことを非常に快活 に語ってくれた。
だが学校に着き教室に入ると、その日の授業以外の時間を全て読書に費やし、余り周 囲の人とは話してなかった。
教室で無口なのはぼくも同じだし本は一度読み始めると夢中になるものだから、ぼく はぼんやりと彼女がページを繰るのを眺めていた。

 彼女と初めて話した日から、図書室のカウンター越しや教室などでぼくたちはいろ んな話をした。お互いについての話が主な内容で、2人で会話する時だけぼくたちは 決まってお喋りだった。
ぼくは彼女に自分を語るのに躊躇いを覚えなかったし、彼女も同様だった。
そうした関係がしばらく続いたある日、中途半端に空いた電車の中でぼくは自分の一 番深い悩みである、「他人との距離がわからない」ということを彼女に告げた。
そしてぼくの定義する他人とは自分以外の全てであることも。
ぼくのその告白に彼女は暫く黙ってからこう言った。
「この世界は謎だらけよね。答えの出ないことばかり。みんな例えば愛とか友情と か、多分何も考えずに使ってる。一度でもそれを真面目に考え始めたら、気軽になれ ないことなのに。
だから真面目な五十嵐君は行き詰まってるんだね。・・・・・・私たちは、この電車に揺ら れているように、時に乗って目的地へといくしか術をもたない小さい存在だけどさ。
それでもどう生きるかは、前に進もうとする力は、いつだって人の力だと思う」

 その言葉を聞いて、ぼくは拍子抜けするくらい気が楽になった。それは気休めに過 ぎないのかもしれないが、その時のぼくにとって黒田さんの言葉は何より嬉しかった。
翌日、ぼくはいつもと同じどおりに家を出発して、駅に到着、7:19分発の電車の2番車 両に乗り込んだ。窓際に立ち発車を待っていると、黒田さんがすぐ近くに座っていた。
だからぼくは彼女に「おはよう」と言った。今度は自分から。彼女は「おはよう」と ぼくに微笑んだ。
彼女はぼくの大切な他人だ。    完
  

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海からのおたより7月ー2

海からのおたより2006年7月・2
 
7月9日、千葉中央博物館主催の化石の観察会に家族で参加してきました。今回の観察会は君津市市宿の採石場が会場です。はじめにこの場所は60〜70万年前の地層で現在の貝とほとんど同じ種類のものが拾えること、博物館で展示しているザトウクジラが3年前に発掘された場所、という説明がありました。昨年はサメの歯も見つかったとのことで期待はふくらみます。
先生のあとに続いて山を登ります。かなり足場が悪いところですがここで化石の眠る地層を掘りだします。採石場はまるで砂漠のようなちょっと不思議な風景です。地層の間からは貝の化石がいくつもはさまっているのが確認できました。かつてこれらの山は海の底だったのです。ハンマーとたがねで化石のまわりをていねいに崩していきます。岩ではなく、硬くなった砂なので意外と簡単にぽろぽろと落ちていきます。注意深く掘っていても貝ももろいのですぐに割れてしまいますがサンゴ、イタヤガイ、タマキガイ、など、館山で見かける貝がたくさん採れました。(中には絶滅したトウキョウホタテも!)北方系の貝も混じっていてサンゴといっしょに見つかるのは興味深いところです。発掘された貝などは70万年まえの化石とは思えないくらいきれいに彫刻がのこっています。残念ながらわたしたちはサメの歯は見つけることができませんでしたが貴重な体験になりました。
山の地層に見えるななめのすじは「クロスラミナ(斜交層理)」という地層ができたとき、急な流れがあったという証拠だそうです。ブルドーザーの掘ったあとではありません。採石場は毎日少ずつ姿を変えているのでザトウクジラが見つかった地層はすでにないそうです。ふだんは操業していて一般の人は入れない場所ですので、来年また観察会があったらみなさんもぜひ応募してみてください。
20060709_132843_0028
化石発掘現場

20060709_141204_0031
ところどころに化石らしきものが見えます。



20060711_221244_0032_1
採ってきた化石、ほとんどがイタヤガイ
です。現在の貝よりもうねの数が多いの
が特徴です。


どんぐりつうしん変集長  谷口優子

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「小説となりのトトロ」を読むー2

 前日からの続き
(3)小説にあって、アニメにないもの
 「8、夏休み」の22ページはアニメでは完全にカットされ
ています。でも重要な章です。父さんが学会に行っている十日
間、ふたりは母さんの実家で過ごすのです。仲よしのいとこの
由里子もいます。でも気の重い事も起こります。松之郷が懐か
しくなります。  この章で、初めて勘太の視点が入ります。
次の章では、サツキ達の帰ってくるバスを待っている、美代子
と和子の視点が入ります。ここもアニメではカットされていま
す。
 宮崎は「90分にすることができたらよかったなあと思うん
だけど、どこをふくらませるかといったら、トトロの部分じゃ
なくて、サツキとメイの生活のところをふくらませるだけなん
ですよ」と言っています(宮崎駿の原点)。2分長くなるだけ
ですが。
 小説にあって、アニメにないもの。それは、松之郷になじみ
たいのになじめないでいた、初めての事ばかりでうろたえてい
たサツキの気持ちです。いっぽう松之郷の子供たちの目に
は、サツキとメイは西洋人か、お嬢様のように見えます。自分
達がみすぼらしく見え、ふたりがまぶしく見えます。仲よくな
りたいのに気後れします。アニメでは子供たちの気持ちのギク
シャクは、省略しています。そして児童文学ですから小説で
も、子供たちの面映ゆさに、とどめています。
 でも現実はこんなものではないと、宮崎も言っています。自
分達の村に、学者先生の一家が引っ越してきた。別荘の管
理をしていた関係で、勘太の家が世話をすることになった。
おまけに奥さんは肺病で入院している。昭和30年代の農村
で、こんな一家が受け入れられたはずがないと言っていま
す。それでも学者一家の異邦人として生活する道はあった
でしょう。サツキの家族が完全に受け入れられるとき、時代は
変わり、松之郷は絵本の裏見返しの様な大都会になっている
でしょう。サツキ達が村人のようになるのではなく、まわりの
住民に、みんなサツキ達の様な人が集まるのです。でもそのと
き塚森にトトロはいるのでしょうか。
(4)2本立ての制約(ビデオとの違い)
 ではなぜアニメでは楽しい懐かしい田舎暮らしが、前面に出
たのでしょうか。それは併映された『火垂るの墓』との関係で
しょう。原作は野坂昭如の小説です。戦災孤児の兄と妹のふ
たりっきりの生活から、やがて妹を亡くし、兄も行き倒れるま
でをていねいに描いた90分のアニメです。暗い作品です。
でも敗戦当時は、こんな実話はざらにありました。そしてこれ
は道行きの話です。つまり心中物なのです。ふたりだけの世
界で完結する話です。ある意味では、『となりのトトロ』とも
共通する構造です。しかしこれじゃ『となりのトトロ』は重く
描けません。当初よりも明るく描かなくてはなりません。でも
監督が言いたいのはこんな程度じゃないぞと言う気はします。
それはクライマックスのメイの迷子事件にも現れています。
メイの迷子事件は必要ないのでは、と言う感想は割と聞きま
す。つまり四年生の子に、妹の生き死にの心配をさせるのはか
わいそうだ、責任が重すぎる、と言う意見です。そうでしょう
か。ビデオテープで見ると、そう感じるかもしれません。しか
し封切り時、映画館で見たときは気にしませんでした。たぶん
先に『火垂るの墓』を見たせいかもしれません。美しいけど暗
い映画の後に、『となりのトトロ』は楽しい映画でした。最初
から最後まで、クライマックスも楽しめ、幸せな気分で映画館
を出ました。そして生き死にの問題だからこそ、四年生の前に
トトロが現れたのです。小説でもトトロは、サツキをネコバスに
乗せてくれます。でもネコバスは窓から、六地蔵のメイを見つ
けてくれても、七国山の母さんを見せてくれても、停まらなか
ったのです。その直後メイは、庭に倒れているのを勘太に発見
されます。そして「メイを見つけたので『動かないで、そこに
いて』と言ったから、むかえに行かなきゃ」と言い張るサツキ
の言葉に、半信半疑のばあちゃん達がメイを見つけ出すので
す。エピローグとして小説は「松之郷は小さな村だから、神
かくしにあったメイをさがしに出てくれた村の人達に、父さん
がお礼に行くにも、そんなに何日もかかりはしなかった。あ
の日、夜になってから、がっくり熱を出したサツキがもとの
とおりのおてんばにもどったのも、すぐのこと」とあり、母さ
んは九月のなかばに帰って来ました。「うわあ、サツキ、うわ
あ、メイ、ボロねえ、この家!」
 さてお礼参りは、一行だけ触れられていますが、宮崎は、
実際はお礼に回るのは大変だったろうと言っています。つま
り子どもの目には、総出で探してくれて、自分達は村の子に
なれたんだと見えても、おとなの目には、全く逆に見えると言
うことです。
(5)トトロは必要か?
 宮崎はよく「母親が、うちの子はトトロが大好きで、ビデオ
を何度も何度も見てるんですよと言うが、アニメなんて映画館
で一度見ればじゅうぶんだ」と言います。つまりトトロよりも
友達と外で遊ぶ方が大事で、緊急避難のトトロから、帰って
これなくなるのが問題だというのです。高畑の『火垂るの墓』
での道行きは、必然性があるにしても、宮崎は、サツキとメイ
を、ふたりだけの世界で完結させたくないのです。アニメのエ
ンディングロールにあった様に、サツキとメイが友達と遊び回
り、トトロのことなんか、たまにしか思い出さないほうがいい
のです。
こう考えると、宮崎はつくづく屈折した監督だと思います。
アニメが好きで、でも人一倍アニメの弊害に敏感だと言えま
す。しまいに、自分の息子までアニメ業界に引きずり込んでい
れば、世話ありません。      
 さて、アニメの『となりのトトロ』と小説の違いを見てきま
したが、言えることは、サツキとメイはトトロを必要とし、
そして、いらなくなったのです。塚森がなくなっても、必
要とする子どもがいる限り、このへんないきものは、まだ日
本にいるのです。たぶん。
                                   高橋峰夫

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「となりのトトロ」本とアニメとビデオ

 『小説となりのトトロ』を読む-1
               (高橋峰夫)
(1)トトロに関する本
 88年公開のアニメ『となりのトトロ』に合わせて、その直
前まで「月刊アニメージュ」に『小説となりのトトロ』が連載
されていました。原作・宮崎駿、文・久保つぎこ、で「徳間
アニメージュ文庫」に入っています。時期から見て、映画
のノベルズ化と言うよりも、映画の元シナリオに近いと思
われます。
 アニメ『となりのトトロ』の企画と平行して、高畑勲監督の
アニメ『火垂るの墓』の企画が進んでいて、結局、2本立て
上映が決まりました。1本が暗い戦争(戦災)映画なので、
トトロは、企画より明るく、コミカルになったようです。
なお、以下に述べる私の感想は、特別目新しいものではあり
ません。
久美薫(『宮崎駿の仕事79〜04』鳥影社)や大泉実成(
『宮崎駿の原点・母と子の物語』潮出版社)も指摘しています
し、久美薫は文庫の分析もしています。 文庫を開くと、まず
見返しに、お化け屋敷を中心に松之郷のイラスト地図があり、
昭和30年頃と出ています。そういえば、中川李枝子・詩、
宮崎駿・絵の絵本『となりのトトロ』(徳間書店)の見返しに
も同様のイラストがあって、面白い事に、裏見返しには現代の
イラストがあります。(住宅地の真ん中に塚森だけが残ってい
ます)
(2)トトロとの初めての出会い
 文庫は270ページ、結構な量です。これを当初より短い
88分に納めるには、だいぶ、はしょらなければなりません。
ではなにが多いのかというと、サツキとメイの日常生活です。
主人公はサツキです。ですからサツキの視点で描かれていま
す。そして補足的に、勘太の視点、同級生の美代子と和子
の視点が入ります。
 サツキ達は、母さんの入院先に近い松之郷の古別荘に越
してきます。この家は20年前、母さんと同じ、結核の奥様の
別荘として建てられたのを借りたのです。それまでは都心の、
お手伝いさんがふたりもいる母さんの実家にいそうろうし、
サツキは十歳、メイは四歳までくらしたのです。
 『小説となりのトトロ』となっていますが、トトロはほとん
ど出てきません。サツキの日常生活はなかなか大変です。
母さんのいない実家では肩身の狭い思いをし、初めての土
地では、受け入れてもらえるか心配です。アニメでは省かれ
てますが、サツキは初め、学校へは朝食抜きで、遅刻も多かっ
たとあります。「何度か、そういう破目におちいったあと、サ
ツキは早起きして、朝食のしたくを自分でするようになった」
これは宮崎の実体験のようです。宮崎が小学校中学校の間、
母親は脊椎カリエスで入退院を繰り返したそうです。お手伝い
さんは居着かず、父親と子供たちで家事をやる事もあったよう
です。「ぼくも覚えがあるんです。子どものときに母親が寝て
て、台所をやらなきゃいけないというのはけっして、美談じゃ
ないですよ。日常ですからね。たまの一日寝たとき、かわりに
なってあげるのならいいけど、日常でやるとつらいですよ」
(宮崎駿の原点)。人見知りするメイはもっと大変です。あた
まばっかりが目立ち「細い、栄養失調みたいなからだのメイ」
は、ひとりで遊ぶしかありません。そのメイがトトロを見たと
いうのです。でもメイの話だけですから、はっきりしません。
 父さんがいない日、勘太のばあちゃんにだだをこねて、学校
へやってきたメイと、サツキの心理も、やりとりを交えて、丁
寧に描写されています。父さんをバス停に迎えに行った所も
同様ですが、アニメではほとんどカットされています。とにか
くここで、サツキはトトロに初めて会います。 当初の企画で
は、主人公はひとりっ娘だったそうです。でも、がんばりやの
主人公の目を通して、松之郷を冷静に描写しているのに、
いきなりトトロを登場させるのはムリなので、ふたりになった
そうです。たしかに四年生が「トトロに会った」と言いだした
ら、ほとんどビョーキです。ここでサツキは「メイの言ってる
のはウソじゃなかった」という形でトトロに会ったのです。
ですからふたりは、トトロに助けられる原因を作った父さんに
(小説では)両方からしがみついて、おこります。父さんは何
度もあやまります。それから、「ねえ、きみたち。今、カバン
の中で、コロッケがつぶれたような気がするがね。きみたち
は、どう思う。つぶれなかったと思うかね」 それからふたり
は、夜の庭でトトロに会います。でもふたりは、空を飛びませ
ん。トトロが飛んでいるのを、ただ見ているだけです。ですか
ら次の朝、やっぱり夢だったかもしれません。でも畑の芽は出
ていました。

ー明日へ続く

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ごいっしょにどうぞ

変則的な梅雨の盛りですが、そろそろ夏休みのことが話題に
なります。千葉市は市立小・中学校の夏休みは7月15日から
で、ちょっと慌ただしい様子です。
7月の行事のお誘いです。ごいっしょに楽しいひと時を過ごし
ませんか!
お申し込みは℡043-227-9192かメールで。
メールの場合は件名の最初に<会留府へ>と入れてください。
迷惑メールが非常に多いので、入っていないメールは開封
しません。会留府からお返事がない場合は℡をしてください。

☆☆☆ 夏の夜のおはなし会 ☆☆☆
恒例の「えるふのおはなし会」です。おはなしの後、みんなで
花火をして遊びます。(おとなだけでも参加できます。)
*7月22日(土)7時〜
*子どもの本専門店 会留府で
*参加費 無料
*おはなしを聞く事のできる年齢から
*申し込み締め切り7月20日

⨦⨦⨦児童文学の旅(写真とお話)⨦⨦⨦
児童文学ゆかりの地の写真とお話を聞く会も3回目を
迎えました。今回の舞台はアーサー・ランサム作
「ツバメ号とアマゾン号」イギリスの湖水地方です。
*講師 池田正孝さん(東京子ども図書館理事)
*7月11日(火)10時〜12時
*千葉市立稲毛図書館
*参加費 1000円
*主催 おはなしの会 コスモス


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海からのおたよりー 7月の1

Umi_a4

いま千葉市美術館では「海に生きる・海を描
く」の展覧会が開かれています。サブタイト
ルに、「ー応挙、北斎から杉本博司までー」
とあるように江戸時代の版画から現代アート
まで「海」をテーマにした展示です。
中でも、喜多川歌麿の「潮干のつと」という
江戸時代の版本が4点ほどあって感激しまし
た。「つと」とはおみやげのことです。


当時流行した潮干狩りと狂歌をあわせた「絵本」で貝の絵がと
にかくすばらしいのです。版画とは思えないほど美しく繊細な
色合いと描写は浮世絵の歌麿の世界とは違います。平面的
で簡略化した浮世絵にくらべて「潮干のつと」で描かれている
サザエはとてもリアルです。貝を描くのはとても難しいのです
が、アワビはいまにも動き出しそうです。サザエとアワビは生
きたものを写生したようです。当時の絵師のレベルの高さが
よくわかります。現在の展示は作品の半分のみですが、全
体を見ても本当は潮干狩りではなかなか採れない種類が描
かれています。干潟では採れない貝や観賞用で食用には向
かない貝もあります。今回の展示にはない最終ページには安
房、上総の文字が見えるので、千葉の貝がベースになって
いるのかもしれません。「潮干狩り」、それは約200年前の
江戸人に人気があったレジャーでした。江戸に近い海で見た
ことのない貝は遠くの海へのあこがれだったのかもしれませ
ん。ほかにもすばらしい作品がたくさん展示されています。
入場料がおとな200円、子どもが無料、7月3日を除く月曜
も開館しています。夏休み前、近場でちょっと贅沢な時間をす
ごしてみませんか?
 この作品は
国立国会図書館貴重書展:No.56潮干のつと
http://www.ndl.go.jp/ で見ることができます。
 
  どんぐりつうしん変集長 谷口優子
 

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本を読むことー7月になつて

 日がたつのは早くて、あっという間に7月になってしまいま
した。年齢を重ねると日時はゆっくりと流れるというので、
しなければならないことが多いのは、まだ、若いということ
かもしれませんが、どこに行ってもせかせかとしている人のな
かで、自分自身も忙しがってしまうのは決して良いこととは思
いません。することが多くて、そのうちそれはしなければなら
ようにかわっていき、気がついたときは自分を失ってしまうこ
とになりかねません。
 それと、忙しいと孤独という幸せ?をいつの間にか手放して
しまうことになりかねなく、これも考えてみる必要があると思
います。家族や仲間と過ごす楽しさはなにものにも変え難い
ものがあります。けれど、時には距離をおいてみることも必要
です。一人で、静かに。
どうやって自分の判断でそのバランスをとり、生きていったら
よいのか、本を読むことは、それらのことをゆっくりですが、
かならず教えてくれるように思います。

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テレビの話ー大林

 私はテレビは大好きで放っておいたら一日中でも見てしまい
ます。特別見たい番組でもないのについているとなんとなくい
つまでも見ているのです。(むしろ、見たい番組があればそ
の時間だけつけてだらだら見ることはないのかもしれませ
ん。)そして、テレビがついている間はどうしても画面が気に
なってなにもできないということになり、家事も滞ってしまう
のでテレビはなるべくつけないようにしています。
さて、我が家では数年前、ハードディスクに録画できる機械を
購入しました。ビデオテープのように巻き戻さなくてもいい
し、録画しておけば好きな時間に見ることができるので家族中
愛用しています。特に夫は便利だと言って愛用しています。何
が便利かと言うと、キーワードなどを登録しておくと番組を指
定しなくても機械が選択して自動的に録画してくれる、から。
自分が気がつかなかった番組ももれなく録画されて見る事が
できる、というわけです。もっと新しい機械だとすでに録画さ
れた番組をもとに機械が学習して似たような番組を選んで録画
してくれるそうです。
録画しておけば見たい時に見られるし、録画時間は100時
間、ビデオテープをセットする手間もないのでいくらでも録画
できます。この便利な機械がやってきてから、我が家は、、、。
子どもたちは間に合わなければ録画すればいいので、見たいテ
レビ番組の時間が迫っても遊びをやめず、ご飯や寝るのが遅く
なったりしました。夫はどんどん録画される番組を毎日チェッ
クしていらないのは消去、見たいのは見て消化、そうしないと
100時間の要領を結構いっぱいになってしまうのです。便利
なんだけど、あまりいい感じではありません。
そこで、子どもの番組は学校や幼稚園の行事などで見られな
い場合以外は録画するのをやめ、なるだけリアルタイムで見
ることにしました。夫は、、、、相変わらず機械のお世話を
続けていますが、買ったころほど録画番組を見て消化し
てないようです。私は録画する番組は自分で選んで見る
事にしています。機械が選んでくれた番組を見るなんて、
機械に支配されているようで嫌なので。
この機械に限らず、便利なものってこういう、便利なはず
だったのだが、、、というような事があると思います。ほん
とうに便利なのか、その利便性は必要なのか、少し考えてみ
る事も必要ですね。



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「7:19分の彼女」(2)ーひろや

 こんにちは、皆さん。毎度お騒がせしていますひろやです。
えー先月に引き続き、 意味のわからんものを書いています
が、コレはフィクションですよ。
あっしの日常風景をもとにしちゃあいますがね。あとタイトル
に恋とか愛とかそーい う甘酸っぱいナニカを期待しているそ
このあなた!
そんなもん塵ほどにも含まれてませんからぁ!残念!!
****************************
「7:19分の彼女」(2) 
 駅の改札口を抜けてからプラットホームへと移動する時間も
もちろん計算してある。だからぼくが目的の電車の2番車両へ
とたどり着くのは大抵発車の3分前、7: 16分だ。それ故に
いすに座れることはまずない。が、たかだか数駅分の時間で
ある。それに立 っていると窓の外がよく見える。 毎日同じ車
両に乗っているなら、景色も同じようなものばかりだろう・・・
と思われるだ ろうがこれが存外飽きないのだ。だから今日もぼ
くは車窓から見えるものたちへ縦横無尽に想像を拡げる。これ
も規則 正しき生活の効用のひとつ。時間の余裕は心の余裕。
健全なる魂は健全なる肉体と精神に宿る。うむすばらしい サー
キットだ。
太陽が南中高度に沿って上昇していき、それに伴いぼくの頭
は冴え始めテンション もあがり始める。 
「具体的にぼくの言葉は世界を変えられない。ぼくにできるの
は日々をしっかり生きることだけだ。」という不甲斐ない自分
へのお決まりの免罪符も、学校の最寄り駅の 改札口を出た折に
胸ポケットにしまう。
(朝のニュースをまだ引きずっていたのだ。)学校へは駅から
25分ほど歩くのだ が、脳内麻薬のおかげで心なしかその足取
りは軽い。簡単なことでブルーになる人間 は、周囲が意外に思
うほど簡単な条件でハッピーになれるのだ。その過程がどうに
も 周囲の人々には理解し難いらしく、ぼくが日頃文章(の形を
借りた自慰行為)などを 発信していることも手伝って、昔から
「感受性の豊かなお子さん」と呼ばれ続けてきが、まあ個人的
な意見を言うならぼくはただ自意識が強すぎるだけだと思う。
そのことを中途半端に自覚している点は正しく救いがないとい
えよう。
そんな意味もなく思弁的なことを考えつつあるいていたら、気
がつくとぼくはひどく 自虐的な笑みを浮かべていたらしく、
隣を歩く会社員があからさまにぼくを避けた。
嗚呼青春も海なのですね、アンダーソン監督。広く深くそし
てしょっぱい。
 勿論今回はぼくの精神は凹まなかったし、安いムスクのお香
みたいな生ぬるい思考 の密度がかったるくなってきたので、
ぼくは脳に静かにするよう告げて黙々と歩くこ とにした。
すると歩くと朝の喧騒の中に知った顔を見つけた。確かクラス
の女子だったか?どこ かミステリアスな雰囲気の漂う女性だ。
多分まだ話したことはない。ええと名前は・・・。
(来月は最終回・・・かな?)

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海からのおたよりー6月

海を旅する貝たち

2006_002

アサガオガイ(上)
大きさは20〜35ミリほど
ヒメルリガイ(下)
大きさは4〜10ミリほど
20060526_121253_0062


ハマヒルガオ





 
雨がやんだ初夏の海岸を散歩してきました。さわやかな海風
は、じめじめした気分を吹き飛ばしてくれました。広く長く続
く九十九里浜にハマヒルガオが今を盛りに咲いていました。
白い砂浜には車が走った跡がいくつもありました。九十九里に
はこの季節にウミガメが産卵にくるというのに・・・・。
残念な気分でわだちの脇を見ると青いものを見つけました。な
んとアサガオガイです!こんなところでこの貝を見つけるとは!
(つぶされないでよかった)アサガオガイとはかたつむりのよ
うな形をした青い色のうすい殻をもつ貝です。わたしの先回り
をして浜を歩いていた息子はそのなかまの小さなヒメルリガイ
をいくつか見つけてきました。
アサガオガイのなかまは海面をただよう貝です。カツオノエボ
シなどの青いクラゲを食べながら、群れをなして黒潮にのって
旅をします。強い風が吹くとたまに浜に打ちあがるのですが一
度にこんなにたくさんの貝を拾ったのは初めてのことです。
中には長い旅の間に殻に「エボシガイ」(漂流するものにつく
フジツボのなかま)がついたものもありました。アサガオガイ
のなかまは泡のいかだをつくり、海面に逆さになったまま一
生をおくります。彼らがどこからきたのか、どこへ行こうとし
ていたのかはわかりません。目のない彼らは流されるまま、
餌のクラゲに遇えるもそのときの運次第という生活です。
こうして浜で出会えたのは奇跡的なことです。もちろんアサ
ガオガイご一行さまにとっては不運なことではありますが、
わたしたちにとってはラッキーなことでした。
家に帰ってから‘ゲッチョ先生’の「青いクラゲを追いかけて」
(講談社刊)を読み返してみました。海の魅力は未知なる
ものとの出会いです。海を旅することがやめられないのはわ
たしたちだけではないようです。
 
どんぐりつうしん変集長  谷口優子

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日本の歴史をマンガで読むー高橋

   マンガ日本の歴史というもの
                      
 学習マンガのジャンルに、いわゆる歴史マンガがあります。
本屋さんにも並んでますし、最近では図書館にもあります。
 私は、こういったマンガ日本の歴史は、無意味だと思ってい
ます。理由はまず、通史ものには歴史観が必要なのに、それ
が無い。いくら歴史学者が監修についても、マンガ家になけ
ればだめなのです。史実の羅列だけでは意味がないのです。
ふたつめは、学校の教科書の内容から一歩も出ていないことで
す。これなら教科書を読めばいいのです。教科書以上にやさし
くは書けないのです。みっつめは、内容に関係ないギャグを入
れることです。マンガだから面白くしようと思って、ギャグを
入れるのでしょうが、面白くなりませんし、内容をぶち壊して
いるだけです。
 といった理由で、私は必要ないと思っています。これは石ノ
森章太郎レベルでも同じです。絵を描くほうにしてみれば、
資料がなくても描かなければならない時もあるでしょうし、苦
労してるのは分かりますが、成功してるかどうか、想像で描
く絵に意味があるかどうか、とにかくネタ本以上にならない事
は確かでしょう。
 ということで切って捨てたのですが、私の前提をぶち壊す歴
史マンガがありました。みなもと太郎『風雲児たち』全30巻
(潮出版社)(ワイド版は全20巻・リイド社)『雲竜奔馬』
全5巻(潮出版社)『風雲児たち幕末編』9巻まで(リイド
社)です。全部合わせると、関ヶ原の戦いから幕末までの通史
になります。
 もともとは幕末の動乱ものだったらしいのですが、薩長と徳
川のそもそもの因縁から描きたくて、関ヶ原から始めたら、
幕末まで、30巻かかったらしいのです。とにかく徳川幕府
の崩壊の原因をどこに求めるかという視点で江戸時代を描いて
いるので、まず歴史観があります。近世史に絞ったのも、
成功しました。内容も面白いのですが、私が一番びっくりし
たのは絵柄です。とにかくすごい絵です。歴史ギャグロマン
と銘打ってますが、確かにギャグマンガの絵です。ま、『ホモ
ホモ7』の作者の絵ですから、さもありなんですが、こんなん
で歴史マンガがかけるのかと思いました。ところが読んでみる
と、意外となじむのです。目からウロコなのが、ベタなギャグ
が利いている事です。私はギャグマンガが嫌いなのに、作者は
居直って使っています。歴史マンガでのギャグの使い方を、初
めて知りました。
 歴史マンガには、ストーリーやアクション・コマ割りで説明
できない事も入れなければなりません。方法としては、白土
三平が発明した、説明文を画面に挿入する方法しかありませ
ん。ところが、みなもと太郎は、説明文をギャグで入れる方
法を発明したのです。もともとギャグマンガ家ですから、や
たらとギャグを入れているうちに、気付いたのでしょう。
 マンガの中で威厳をもってシリアスに、登場した武士や幕閣
が、突然、現代語で本音を語り、ギャグを飛ばします。つま
り、登場人物自身に、自分の立場なり、背景を説明させるので
す。しかも本音のギャグを入れて歴史的な意義まで切り取ろう
という、切り口が見えてきます。白土三平がこれをやったら、
ストーリーがぶち壊しでしょう。しかし、もともとがギャグマ
ンガの絵柄なら、違和感はありません。それどころか、マンガ
に登場した歴史上の人物の、本来の人柄まで、デフォルメした
顔の上に、浮かび上がってきます。
  とまあここまでは分かるのですが、なぜ他の歴史マンガは
このレベルまで上がらないのか不思議でした。ところがひょん
な事から、うまい説明が見つかりました。
 鯨統一郎のデビュー作に『邪馬台国はどこですか』があり、
この本自体がトンデモ本なのですが(創元推理文庫)、そ
の解説で橋本直樹が、時代小説と、歴史ミステリの違いについ
て書いていました。「これは、歴史ミステリの成立要件とし
て、極めて長い期間をかけた取材と研究、文献資料の総ざらい
が必要とされ、作者自身の相当な理解なくしては刊行されるレ
ベルには到底届かない、極めて専門性の高い作品が求められ
ることに起因している。…こうした事情で、作者自身が採
算を度外視して、採りあげた題材に相当な興味を持ち、研究
の対象として、半ばライフワークのように捉えていなければ、
作品として最後まで書ききることは至極難しい、要するに仕事
として割の合わないジャンルだといえる」歴史マンガも同じで
す。
 『風雲児たち』第1巻初版は、82年です。30巻が99年
で、17年かかっています。これでは他のマンガ家が歯が立た
ない訳です。このレベルに達しているのは、水木しげるの『マ
ンガ昭和史』(講談社文庫)だけでしょう。でも子ども向けで
も、このレベルを要求していいはずです。子どもをなめるなと
言いたい。
           


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がんばる力ー大林

 
 先日、娘の小学校の運動会がありました。五月なのに、五月
晴れどころか雨が多く梅雨のような天気なので、毎日天気予報
が気になってしかたがありませんでした。娘はとても楽しみに
していて、前日てるてる坊主を作って窓辺にぶら下げていま
した。
 さて、当日、小雨が降っていたのですがプログラムは短縮さ
れたものの決行。でも、開会式の途中から雨脚が強まってき
て準備体操の後、しばらく中断し雨がやんで各学年のリズムダ
ンス、組体操だけやって終了ということになりました。残りの
競技は予備日になっていた火曜日に行うことになりました。
 朝から雨が降っていたし予報も運動会するような天気ではな
かったので、あるという連絡をもらった時ちょっととまどった
のですが、楽しそうに演技している子どもたちを見ていると少
しでもやらせてあげてよかった、とも思いました。たしかに土
曜中が止だと土曜は休みですが日曜は中止なっても登校で
連休にならないし、土曜日に少々無理してやったのはよかっ
たのかな、、、。なるべく負担にならないよう対応した方がよ
いのかもしれませんが、やっぱり不自然に感じました。
頑張らなくてよいところで無理をして、頑張るべきところで逃
げてしまった、、、というような。
 運動会に向けて張りつめているのでなんども延期になると
気持ちや体調を維持するのは大変です。でも、そういうこと
もあるのです。そういう時、頑張る経験をして、頑張る力が
つくように思います。子どもたちの経験の場をなくしてしまっ
たんじゃないかなあ、そんなふうに思いました。
 昔に比べて便利だし、個人の自由も認められているし、私自
身の生活を振り返ってみても、なるべく気持ちよく、なるべく
楽に、といろいろ工夫することが可能です。でも、やりすぎて
いろんな経験をするチャンスをなくしていることがあるかもし
れない。なるべく自然に、おこったこと(都合の悪いことも)
を受け入れ、いろんなことを経験した方がよいのではないか
なあ、と思いました。そうやって子どもの頑張る力とか生きる
力が自然に育っていくのではないでしょうか。子どもの経験
の場をなくさないよう、工夫しすぎず私も頑張らないと、、、
そんなことを思いました。
                              大林ハル

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元気ですか!ひろやです

 ハロー!皆さん。五十嵐敬也です。
そろそろ新しい環境での、意味ナッスィングな全体的テンショ
ンの上昇にも飽きてき たころ?何となく「場の空気」とやらに
合わせてみてみたもの礼儀作法と主体性の放棄は違う ことだろ
って、ようやく本来の君らしいワイズでクールな現実感覚を取
り戻したころ?
ヘイこの瞬間にだって誰かが理不尽に苦しんでるんだぜ。
失った何かを見つけ出そう、もしくは新たに作り出そう。日常
に埋もれて見失いがち の視点を今一度再確認だぜジャパニ
ーズ!

**********************

「7:19分発の彼女」 (1)
 まだ寝ていたいのに、再び昨日と同じ時間にぼくは現実に呼
び戻された。瞼を開け ると見慣れた天井。
視覚情報と共に今日が平日であるという事実が脳に伝わる。
平日であるということは 学校に行かなくてはならないというこ
とだから、ぼくはベッドを降りる。
低血圧の気だるさを顔面に湛えながら。

 着替えも朝食も毎日繰り返していることなので、大抵一定の
時間内に終わる。手持ち無沙汰なのでニュースをつけると、
また子どもの惨殺事件が起こったらしい。いつからこの国の日
常はこんな風になったのか。朝の短い時間で勿論答えは出ず、
具 体的に自分に何かができるわけでもない。朝から何とはな
く憂鬱な気分になるが、とりあえず家を出発する。時刻は7
時。時計に 意識を集中させてぼくは、身体の重たさを解消す
る。脳に血液が廻っていくにつれ、徐々に精神が起動してい
く。今日初めて見る太陽の光 が変わらずに眩しい。

 全ては時間通りに進んでいく。電車に乗る時刻や朝食を摂る
時間を選択することに 知性も哲学もいらない。だからぼくは無
心になり、ただただ次の予定の開始時刻を守る。すぐに家の最
寄駅に 着く。毎朝乗っている電車は、7:19分発。
乗るのは2番車両だ。(つづく)


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5月のおたよりーミドリ

【高校3年生になりました。】

4月はどうも元気がでない月でした。
4月の始めくらいから丸一月くらいの間、どうも調子が出な
くて、このブログの原稿も結局書かずに終わってしまいま
した。始めは何となく体調がよくないように感じたので、無
理をしないようにして「元気になったら頑張ろう。」とか思
っただけだったのですが、どんどん体が重くなって、何をして
も面白くない感じになっていってしまいました。授業を聞いて
いても話の内容に興味がわかず、どの授業も退屈で眠たい
ばっかりだし、友達の話を聞いていても頭の回転が鈍くて、
冗談の意味が全く通じなかったり、会話の合間に
「眠い・・・。」とかいってばかりでした。その時も「寝不足
かな。無理しないようにしよう。」と思ってしっかり休むよう
にしましたが全然よくなりませんでした。どんどん体は重
くなり、頭痛がしたり喉が痛かったり。自分でも、最近変
だなーと思い始めたのが、4月の後半になってからでした。
そこで「最近元気出ない〜〜(/_;)」と友達に愚痴った所、
「良く眠れば元気になるかもよ。」とのアドバイスだったの
で、やっぱりそんなものかな、、と眠ろうとしたら、今度は
眠れなくなりました。冷静に考えれば2週間以上意識的に省
エネモードで生活し、しっかり眠っていたので、寝付けなくな
るのも当然なのですが、今までの人生で寝付けない夜なんて経
験がなかったので、その時はちょっと焦りました。不安になっ
てくるとますます寝られないので、音楽を聞き始めました。
聞きながらちょっと涙して、アルバム2枚分くらい音楽を聴い
てから寝た日が3日くらいありました。そうすると次の朝眠く
て悪循環。でも、解決する日は突然やって来ました。
眠れないと一人でいろいろな事を考えますね。結構泣きました
(笑)そして最後に行き着いたのは「こんなにジメジメしてた
らあたし、腐るんじゃないかしら」という案外ドライな考えで
した。そして、どうやって現状打破するか??と自分会議の議
題は移り、とんとん拍子に意見はまとまり、「きっと、気合入
れなおして頑張れば大丈夫!」と決まったのが5月1日でし
た。という訳で結局一月潰してしまいましたが、結論が出た途
端に元気になりました。
この4月で学びました。「辛い時には無理しない事が大切。
ゆっくり寝ると最後には元気になれる。」と・・・元気になる
までに相当辛かったですが。 何か即効で元気になる方法はな
いんでしょうか。1ヶ月も使い物にならないと流石にちょっと
マズイのです。名案が在る方、御一報ください。

■余談■友達が私の様子を見て笑わせようとして言いました
「我慢しないで。鬱は1ヶ月。」(某CMのパクリで爽やか〜
に)。シャレにならないって!1ヶ月経ってんじゃん!!・・・
いや、でももうちょっと長かったら本当に危なかった
のかも・・・?

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共感してはいけないマンガー高橋

         共感してはいけないマンガ?
 吾妻ひでおの『失踪日記』(イースト・プレス)を読みまし
た。本の帯には「全部実話です(笑)」とあります。文化庁メ
ディア芸術祭大賞受賞、日本漫画家協会賞大賞受賞だそ
うですが、確かに傑作です。
最初のコマに「この漫画は人生をポジティブに見つめ、なる
べくリアリズムを排除して描いています」「リアルだと描くの
辛いし暗くなるからね」とあります。ここにマンガの持ち味が
あります。次のコマの「89年11月わたしは某社の原稿をほ
っぽって逃げた」「仕事したくない病と二日酔いのせいです
かね」から始まるのですから、悲惨なはずなのですが、それを
第3者の目で、笑いを入れて描いている。しかし内容は驚愕も
のです。ボロ毛布とシートにくるまって野宿して、起きたら大
雪で、雪に埋まっていたなんて、よく凍死しなかったもので
す。 まさに町中のサバイバル物語、まるで『ロビンソン・ク
ルーソー』を読んでいるようです。しかしかたやロビンソンは
物語、モデルとなったアレクサンダー・セルカークの生活
とはまた違うようです(高橋大輔『ロビンソン・クルーソーを
探して』新潮社)。こちらは親しみやすい絵柄で描かれて
いても実話、笑いながらもその裏の厳しさが見て取れます。
 もちろんホームレスのルポルタージュは沢山あります。しか
し同じルポでも、このマンガを読んで感じるのは、作者の人生
観、達観が出ていることです。人間はそれでも生きていけるん
だと言う実感と共に、地べたに座り込むと(つまり、降りる
と)人間社会がはっきりと見えてくる。動物の目から人間の生
態をみると、こんな風に見えるのかなあとも思えます。そう感
じるのは、作者がマンガを描くより楽だと思っているからでし
ょう。
この本の後半は、描きたいマンガを描けないで追い詰めら
れた作者のアル中病棟篇になっています。これも傑作です。
さて、吾妻ひでおは可愛らしい絵柄と(本人はいやがってま
すが、ロリコン・マンガの走りと言う人もいます)SFマンガ
で、一部の熱狂的なファンのいるマンガ家です。ちなみに
私は、吾妻ひでおと、とり・みき(この本の巻末対談の人)
と、ゆうきまさみの絵柄の区別がつかない時があります
(合作もあります)。
 私は、つげ義春が最高のマンガ家だと思っているのですが、
彼の描く最底辺の生活に共感出来る人は、もう少ないかも
しれません。ニヒルな中に、それでも生きていけると言うしぶ
とさを感じると、細かい悩みが馬鹿らしくなります。『失踪日
記』もそう感じます。
 新聞によるとこの10年間で正社員は400万人減り、非正
社員は600万人増えたそうです。非正社員の月収10万円
未満は37%にもなるそうです。年収300万円ならやってい
けても、120万円では飢え死にです。それでも人は生きて
いかねばなりません。後ろ向きかもしれませんが、この『失
踪日記』は不安感を少し和らげてくれます。その上で、私達は
怒るべきです。大卒者のうち4割が就職できないのでは、私の
息子2人などはどうなるのでしょうか。         (高橋峰夫)

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日本の歴史を知る

風薫る5月と書いたが、若葉の中で自分のことだけでなく、
少し日本のこと、まわりの国のことを考えてみるのも良い機会
だ。それは、なんといっても5月3日と5日があるからだ。それ
はできれば、室内でじっと考えるのではなく、5月の風に吹か
れて考えてみたい。風はどこからきて、どこへいくのか、人は
どこから来きて、どこへいくのか、私はどこにいて、どこへい
こうとしているのか。
日本という国を考えたとき、ほとんど日本の国のことを知らな
いことに気がつく。そんなに昔のことではない。父母の時代
祖父母の時代、幾度もの戦争があったこと、殺された人があ
り、殺したこともあり、その上にわたしがいて、日本という国
のいまがあることを考えてみたい。


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「日本という国」
小熊英二・著
理論社  本体1200円
ー中学生以上すべての人のー





この本では近代日本のはじまりである明治の日本と、第二次世
界大戦後の日本を振り返りながら、これからの日本を考えてい
くという趣旨で書かれている。確かに歴史が受験科目として教
えられた若い人たちにとって、歴史は遠い、不可解な出来事に
なっている。だから、靖国参拝にアジアの人々がどうして怒る
のか、アメリカの基地の移動に日本が3兆ものお金をだすの
か、どうして日本からアメリカの基地がなくならないのか、憲
法改正がどうして必要なのか、自衛隊はいつ、何のためにつ
くられたのか、わからないことばかりだと思う。
この本は明治と戦後という2本の柱をたて、その中でおこなわ
れたことが非常に解りやすく整理され、現在の日本の居る場
所を示している。
親子で、友だちで、サークルで、この本をテキストにして話し
合って欲しい。

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学校図書館がはじまりました

新学期になり、学校図書館の仕事がはじまりました。前にHP
のほうにもたびたびかきましたが、会留府は市立小、中学校の
図書室に本を納入しています。千葉では一括して書店組合が
受注して、各書店が割り振られた学校を担当します。まだ、図
書室にはコンピュータがはいっていないのですが、バーコード
など、いつでもつなげられるように装備をしますが、いままで
の古い本がこれまでの状態のままなので、まだひとつ足踏み状
態です。
予算も図書主任も決まったので、新年度の学校廻りをしまし
た。千葉では図書主任のほかに、図書館指導員という、司書
のような役割の人がいます。小学校に全校配置、中学校は校区
の小学校の指導員の兼務です。すべて非常勤で一年契約、そし
て、3年で異動があります。具体的な仕事の仕方や内容は各学
校で決められます。指導員には決定権はないので私たち書店も
学校の意向をきいて、仕事をすすめます。
5月半ばに毎年書店組合では展示会をして、先生たちの選書の
お手伝いをすることになります。特に調べ学習系の本があれだ
けそろって、一堂にみることができるのは貴重な方法だと思い
ます。
展示会が始まる前に学校へ目録をもってうかがい、意思疎通を
計るように、連日学校をまわり、4月中には全部まわることが
できました。少々くたびれました。
今年も、また、ますます速度が速くなり、当然学校はめちゃめ
ちゃに忙しく感じます。先生がなかなかつかまらない、やっと
会えても5分も話すことができれば良い方です。
週5日制になってひどくあわただしくなりました。くわえて、
2期制になり7月15日から夏休みに入るので、4月、5月に
家庭訪問から、自然教室とか、運動会とか、部外者から見
ても、行事がめじろおしで、学校はバタバタ落ち着きません。
本当は新学期でもあり、少し本でも読んでやるといいのになぁ
とおもいます。できれば、なるべく楽しくて、言葉でいうとリ
ズムにのった本を読めたら良いのにと思います。
朝読がブームのようにおこなわれていますが、子どもに読ま
せるのでなく、教師が読んでやる朝読書にしたら・・・と思い
ます。でないと、この状態では本は楽しめないし、それどころ
か嫌いになるのでは?と危惧してしまいます。
もう一つは図書室に司書をおくこと、子どもたちが図書室に行
けばいつも人が居て、指導をうけたり、はなしを聞いてくれる
ひと、おもしろい本を紹介してくれる人がいるということを、
とても望んでいます。びどく忙しい状態でクラス担任をしてい
る先生が掛け持ちのできる分野ではありません。
図書室で子どもたちの様子を見ながら、おとなはもっと子ども
たちの状況に関心を持つべきだと、今年も強くおもいました。


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もう一度子どもと読むー大林

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「もりのへなそうる」
渡辺茂男・作
福音館書店 本体1300円






 新しい年度になりました。娘は小学三年生に、息子が幼稚園
の年長に進級しました。クラス替えがあって人にも場所にも慣
れるのに時間がかかる娘が少し心配でしたが、さっそく放課
後に遊ぶ約束をしてきたり、新しい環境で楽しくやっているよ
うです。小さい頃は私の側からはなれずお友達の輪に入って
いかなかった子が、知らない子と友達になって初めて行くお
家でも一人で行って帰ってくる、成長したなあ、たくましくな
ったなあ、と思います。
 年長になった息子は幼稚園の文庫から「もりのへなそうる」
を借りてきました。お姉ちゃんが借りた時からお気に入りでな
んどか借りている本ですが、久しぶりに読んで私の方が楽し
んでしまいました。何が面白かったかというと主人公の5才の
てったくんと3才のみつやくんという兄弟が、我が家が娘が5
才、息子が3才の頃にそっくりなことです。みつやくんの数の
数え方、なんでもお兄ちゃんのまねをするところ、、、、、。
「○○も3才の時、こうっだったねえ」なんて言いながら本を
読みました。ここのところ、寝る前に本を読んであげてなか
ったのですが、くすくすげらげら笑いながら久しぶりに子ども
と本を楽しみました。
  「もりのへなそうる」は何度も読んでいるのですが、あら
ためて子どもがよく描けている童話だと思いました。
お母さんが登場する現実の世界と「へなそうる」が登場する想
像の世界をてったくんとみつやくんが行き来するお話の中に私
も子ども達もすーっと入っていけるのです。現実だけでなく子
どもの想像の世界が描かれていることで、ほんとうの子どもの
世界が感じられました。そういえば、うちの子も想像上の友達
と遊んだり、想像の世界によく行ってたなあ、とまたまた懐か
しくなりました。
 今回「もりのへなそうる」を読んで子ども達が大好きな童話
ということがよくわかりました。またこんな楽しい体験をする
ために、子どもと本を読む時間を作ろうと思いました。
                                                        大林ハル

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森はオペラ

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「森はオペラ」
姉崎一馬
クレヨンハウス 本体1500円


26枚の樹木の写真集、舞台は東北から関東
まで、そして季節は初秋まで、ほとんどは、
森がオペラを奏でる春から夏の樹木の姿です
写真家姉崎さんの「はるにれ」には大切な思い出があります。
店を開店して間もない頃、父が初めて遊びに来て「はるにれ」
を見つけ、すごく褒めました。私の両親は本屋をすることに反
対でした。あまりにもハードすぎるのではないかと心配したの
です。子どもの本の専門店がどういうものかもわからなかった
こともありました。父と私は興味のあるものが似ていました。
似ていたというより私が父から影響を受けたのだと思います。
その時、二人で「はるにれ」を、いいねぇ と、言って見まし
た。
 ところで先日「森のオペラ」に加えて「田のシンフォニー」
を聞いてきました。やまぼうしに会いにいったのですが、大原
ではもう田に水がはられていて、小さな稲が風にそよいでいま
した。そのなかでサギがいます。まわりの新緑のかすみのな
かに、山桜が咲いていて、風と光と水と緑、白いサギがシン
フォニーを奏で、しばらく耳を澄ましてきました。住んでいる
所の近くには、田がないのでほんとに久しぶりの春を迎えま
した。やまぼうしも芽をだしていて、まわりにはタンポポと野
のスミレが群れになって咲いていました。
とてもうれしい一日でした。

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世界の中心で何叫ぶーひろや

「世界の中心で何叫ぶ?」

こんにちは。春だけど、出会いの予感は全くなし!・・・
今日も独りでカーニヴァルの ひろやです。
今回は「友情とか愛とかいうものは一生かけて考えていくもん
だろが〜!」がテーマ です。考えた上で、希望を持つなり友情
を振りかざすなりをすべきだと思うんですよね。ぼ くは。
 入学した高校の近くに桜が咲いていないので、ぼくの高校1
年の春は「舞い散る花 びら」という目の保養はないくせに、
但し花粉だけは例年通りに鼻腔に侵入し正常な 思考力を蝕むと
いう例年になくしんどいものとなった。しかし、花粉の方は毎
度のことなので今更気に病んでもどうなるということでもない
し、新しい生活への高揚感はさすがのぼくにとっても花粉より
は勝るものである。 義務教育から脱却したこともあり「生活
の変化」の度合いも、小学校から中学校の それよりは格段に
上である。しかもぼくが今後3年間通うところの高校は、校舎
をはじめとした施設の規模・総生 徒数などが群を抜いて大規模
であり、あまりに生徒数が多いので各授業(正確には講 座と
いう)への出欠はIDカードで管理され、単位制で登校時間が
各自で違う(2・3年生)ため、朝のホームルームというもの
も存 在しない。しかも1時限目が体育だったりすると着替え
も済ませなければならず、慣れない新1 年生にとっては非常
に大変だ。それ故にぼくの「生活の変化」は通常のそれより
かなり激しいものとなっている。ま あ別段嫌いなモノでもない
のだけれど。
 そんな講座間の休みの度に走り回る生活(1年生の移動教室
はまだ少ない方だが) なので、五月病に罹患している暇すら無
い。それに目標や明日への希望を、真面目で大規模なものに
せず細切れにして、1日毎に 自らに供給してゆけば単調な毎
日も意外とどうにかやり過ごせるものではある。
ぼくの問題は、頼る存在としての「絶対的なモノ」を失ったこ
の世界でどのように生 きるのかという問題な訳で、カレンダ
ーの塗りつぶし方などに執着しているのは本末 転倒である。
今ぼくに必要なのは日々の過ごし方ではなく、一生を通して考
えていく普遍的なテー マだ。自分の言葉で世界を変えること
はできなくても真摯に考え続けていくという態 度だ。
そうすることに実効性や、現実へコミットする力がないのだと
しても。「行為すこと にたとえ意味が無くてもぼくは叫び続け
る」これがぼくの、この世界でやり過ごすた めの処世術であ
る。家族だって、友人だって冷めた言い方をするなら所詮は
他人だ。でもそれを信じるこ とに意味がなくてもぼくは信じた
い。
無意味に拒絶する位なら、無意味でいいから愛 したい・・・。
 高校入学という節目を前にして、理想を持って生きようと、
ぼくは決めた。

「バカみたいですけど・・・本気で一生懸命やる。で、『みん
なのためになること』 と『自分のやりたいこと』が重なるのが
理想だと、信じるしかないんです。」
「望に効く薬」第4巻・糸井重里インタビューより引用

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海からのおたよりー4月

今回は春休みに訪れた湘南・江の島からです。
 江の島は相模湾にちょこんと突き出た島で陸とは砂洲でつな
がっています。最近はテレビの無人カメラがあるので天気情報
でもおなじみですね。島内には弁天さまをはじめ神社がいくつ
もあり、近世以降「江の島詣で」として江戸から訪れる庶民に
人気がありました。鎌倉よりも親しみやすい、なんでもありの
レジャースポットです。
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<さざえの形のアイス、ほかにハマグリの
形もありました。参道で売っていた焼きハ
マグリは中国産のシナハマグリだったの
で”食べてもつまらない”と家族に言った
ら、ブーイングを浴びました。>
いまでも参道にはみやげ物店や食事処が軒を連ね、さざえの卵
とじの「江の島丼」が名物になっています。あたりにははまぐ
りを焼く香ばしいにおいがただよいます。
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<江ノ島の貝細工の写真、昭和30〜
40年代にたくさん売っていました。>


 江の島は知る人ぞ知る貝のメッカでもあるのです。江の島詣
でのおみやげに昔から貝細工がありました。江の島では貝は
あまり採れませんが、近くの鎌倉・由比ガ浜は貝の打ち上が
る浜として有名でした。最近では東南アジアからの輸入したも
のがほとんどになってしまいましたが中にはレトロなものも。
そういえば実家にカメの貝細工があったのを思い出しました。
江の島のものは細工がこっているのが特徴です。ペリー来航の
際に与力が艦長に「江の島の貝細工を贈った」、という伝統あ
る工芸品でしたが、いまではあまり売れないそうです。マニア
向けの高価な貝がおいてある店もありました。旅先で10万円
もする貝はちょっと買えませんが、これだけ貝を売る店が並ぶ
のはおそらく日本中でもここだけでしょう。
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<店頭のショーケースにあった古い
貝標本、非売品です。>

開国間もないころの江の島でドイツ人の学者が店先で見慣れな
い貝を見つけて買って帰ったところ、新種だった※、という伝
説があるのでコレクターとしてはどんな貝でも見逃せません。
くいしんぼうのわたしはさらにお菓子屋さんもチェック。
すると、さざえの形をした新種の?アイスを発見しました!
 時間が止まったような風景が残る参道の、一味違った貝
の旅でした。
※オキナエビスという深いところにいる貝でいまでもコレク
ターのあこがれの貝です。 

   どんぐりつうしん変集長 谷口優子
 
 

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子どもはどこへ

 4月になっても風が強かったり、寒かったり、この間は雷が
なって驚きました。雪国では季節の変わり目によく雷が鳴り
ます。雷は夏のものだけではなく、雪が降り始めるときも、
雪があける時も鳴ることがあります。でも、関東の春の雷は
あまり私の記憶にはないものでした。
 先日、小学生と母親が、<カマキリの本>と、とびこんでき
ました。カマキリの子が生まれたので、飼うのだそうで、飼い
方が載っている本を買いにみえたのです。
 そういえば、私にも記憶があります。やはり、小学生の頃、
秋にカマキリの巣を取ってきて、机の引き出しにいれたまま
忘れてしまいました。次の年の春(日にちは覚えていません)
子どもの誕生です。机のそでの引き出しは後があいていま
す。そこから出てくるわ!でてくるわ!母からはしっかり叱ら
れました。
じつは、私は生き物でも、植物でも収集して整理したり、名
前を調べたりすることに、さほど興味はありません。生き物
でなく、切手とか、きれいな紙とかはそうするのも好きです
が、生き物は触ったり、ながめたりするのが好きです。
カマキリの目、振り上げられたカマ、とっても美しいとすら思
います。できたら子どものように飼ってみたい。
一つの巣から260以上の子どもが生まれ、そのなかの1匹
しか大きくなれないとのこと、自然のしくみに感心したり、不
思議に思います。店に来てくれた子どもから、我が家のカマ
キリの巣(山椒の木に3つありました。)をあわてて見たけれ
ど、3つともすでにカラになっていました。残念!
 今年はこれも先日蝶をチラリと見ましたが、この寒さで後が
続きません。
 千葉では7日が入学式、あたらしい年が始まりました。

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昔話を読みくらべる

                     
 節分も終わりました。立春も過ぎ、お彼岸、桜の花、
そして…、来年も節分があります。来年の事を言うと鬼が
笑いますが、年に1度しか使えない、節分の昔話を、今か
ら練習しときましょう。
 なんの本かと言うと『かえるをのんだととさん』
日野十成・再話、斉藤隆夫・絵
(こどものとも2004/1)
です。はらいたを起こしたととさんが、腹に湧いた虫を食
わせるため、おしょうさまの話を真にうけ、かえるを飲み、
次にへびを飲み、そのために、きじを飲み、りょうしを飲
み、鬼を飲み、鬼下しの為にはもちろん、という節分の話
です。去年は、絵本を読んでやって、大受けでした。
 今年は、おはなしでやりました。そしたら意外な事に、か
えるを飲んだり、へびを飲んだりする怖い話と勘違いした
子供がいたのです。もちろん面白い展開ですから、どきどき
して聞き終わったのですが、緊張して聞いて、疲れたと言っ
ていました。
 斉藤さんの絵のとぼけた雰囲気がいかに重要か認識させら
れました。それからは、あまりリアルにやらず、とぼけた昔話
の口調でやって、笑い話だという事をわからせるようにして
います。
 さて、日野、斉藤のコンビです。ムダのない文章、ひとめで
分かるとぼけた絵、しかもこの絵が素晴らしい。あざやかな
色、輪郭線がなく、直接絵の具で描いた顔、その顔に描きこ
んだしわやひげの線の、こまやかでのびやかなこと、さりげな
く描いた湯気の線や、遠景描写の線の素晴らしいこと、私の
大好きな絵です。
 日野さんも、斉藤さんをよく知っています。その絵を、じゅ
うぶん発揮させるための、必要最小限の文、これがまた、
昔話らしい文章になっています。
 もちろん昔話ですから、他にも本があります。
『のみこみとっつあ』寺村輝夫・文、梅田俊作・画(あかね
新作絵本日本の民話・1)(1975初版)です。
同じ話ですが、終わりが違います。寺村さんのは、節分の豆
でとっつあの口から飛び出した鬼は、りょうしを吐き出しま
す。りょうしの獲物のきじも生き返り、きじはへびを吐き出
し、かえるも吐き出します。つまり『ありこのおつかい』
石井桃子・作、中川宗弥・絵(福音館)と同じ構図です。
終わりが違うと思ったら、これは寺村さんの創作だそう
です。でもこちらのほうが、おはなしに向いていると思いま
す。来年は、寺村さんの文で、おはなしをやってみようと思
います。  
 さて、画は梅田さんです。斉藤さんのようなインパクトは
ありませんが、梅田さんのは、ほのぼのとした穏やかな画
です。斉藤さんの、活発でしっかりもののかかさんに比べ、
梅田さんのかかさは、おっとりといろっぽくて、私はこっち
のほうが好みです。
 はなしが変なほうに行きましたが、この2冊は、創作のコ
ンセプトが違います。梅田さんのは、絵ばなし童話の体
裁になっています。自分で読める子が、ページをめくりな
がら楽しめるように、工夫されています。斉藤さんの絵本
が、飲み込んだ腹の中の透視図をメインに据えてるのに
対して、梅田さんの絵本は、飲み込んだとっつあのしぐさ
から、腹の中の獲物がわかります。つまり、かえるを飲ん
だらぴょんぴょん跳ねるしぐさ、へびを飲んだらくねくね
するしぐさで、描いてあるのです。
 となると、この絵本はそのまま学芸会の台本になります。
つまり、芝居仕立てなのです。とっつあの役の子が、
かえるの役の子をやぶの描き割りの陰まで追い詰めて
(誘い込んで)、飲み込む(かえるの子はやぶに隠れてい
る)。同じく次々に飲み込んでいって、吐き出す時はとっ
つあが、やぶの陰へ行ってウエッとやると(陰に隠れてい
た)鬼が飛び出す。とっつあは袖に引っ込む。つぎに鬼が
ウエッとやると、りょうしが飛び出す。最後にかえるが飛び
出し、その後は、全員が豆の入ったマスを持って登場し
(鬼もいるので、鬼は外は出来ないが)福は内と叫んで、
終了。
この絵本を見ただけで、子供達は自分の役柄が分かり
ます。つまり寺村さんのお話に対して、梅田さんはそれだ
けの工夫をしているのです。
 どこかの学校か保育園で、この絵本のお芝居をやらな
いでしょうか。なんなら、えるふの創立記念に、子供たち
にやってもらえば…。
                                              高橋峰夫

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読みました!ーミドリ

【読みました!】
先日このブログで、高橋さんが紹介して下さった“勉強が
できなくても恥ずかしくない”を読みました。
主人公のケンタ君はごく普通の男の子で、ごく普通に自
分と周りの違いに悩んでいます。
『自分はみんなと全然違う。どうしよう』と悩む事は誰に
でもある事だと思います。そんな風に悩んでいる、その人
は、自分だけが自分の異常さに悩んでいてると思って、
他のみんなは自分のように悩んだりはしないで幸せに生
きているんだ!と信じ込んでいるんだと思います。私も小
さかった頃に悩んだ時を思い出すと、そうでした。
そして今、私にはあの時あんなに幸せそうに見えたみん
なも、きっと私と同じ様に悩みながら生きていたんだな、
とわかります。それが解るようになったのは最近の事で
す。それは別に、段階を踏んだり、きっかけになる事件
があった訳でも無く、霧の中をどこに向かっていいのか
も解らずに歩いていて、突然霧が晴れたような物でした。
中学生の時悩んでいた私に、大人は「よくあること」とか
「みんな通る道」とか言いました。私はその時『なんて酷
い人だろう。私みたいに辛い思いをしてる人、他に居る訳
ない!』と思いました。霧の中にいた私は「そのまま歩い
てごらん。そのうち晴れるよ〜」と霧の外から言われたっ
て、霧の中にいない人にはこの絶望感が解る訳がないと
その助言を否定していました。大人達の声は、今までの
人生の中で一番の緊急事態に陥っている私に対して呑
気すぎると思いました。
今霧の中をたった一人で(本当は独りじゃないよ)歩い
ている人は是非ケンタ君に出会って欲しいと思います。
ああ、ケンタ君も悩んでる、とホッとして欲しいです。
偉そうな事を書きましたが、私は今も上手くいかなか
ったりすると『霧の中』に逆戻りして、泣いたりしていま
す。でも一度晴れた時を見た私は泣き止んで冷静に
なれば『そのうち晴れる!』と思いなおせるようになりま
した。ここで私は今悩んでいる後輩達に言いそうにな
ります。「みんな通る道よ!そんなのよくあることだか
らそんなに悩まないで!」。。。危ない!言わないように
しなきゃ!そんな事言ったらきっと「ヒドイ!あなたには
解らないのよ!」って言われるでしょう。(そして彼女は
さめざめと…って続けませんが)大人の人達に心から
お願いします。悩んでいる子供達に言わないでくださ
い。「みんなそうなのよ。」って。悩んでいる時その事
を大人に打ち明けるとしたら、思いつく限りで一番自
分の事を理解してくれそうな人を選んでるんです。そ
の人にそう言われてしまうと本当に一人ぼっちになっ
た気分になるんです。そんな事は言われなくてもあ
と何年かしたらきっと自分で解るようになります。
どんなにバカバカしいと思っても「そうか。大変だ
ね。」って言ってあげてください。
・・・そして、その話とは全然関係ない、という顔をし
て“勉強ができなくても恥ずかしくない”を薦める、
と。。。(笑)
追伸:母はこれを読んで、そう言ってあげたのに…と
呟いていましたが、あの時はとにかく『誰にもわから
ないのよ!!』と思った私でした。

from⇒ミドリ

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明日から春休みー大林

 映画「ナルニア国物語」を娘と一緒に見てきました。

映画を見に行く前に娘に原作を読みきかせて、、、と思
っていたのですが間に合いませんでした。結果、私も子ども
の頃に読んだストーリーを忘れていたので、ハラハラドキ
ドキできて映画が楽しめてよかったです。今、原作を読み
聞かせていて、原作と映画でちょっとニュアンスの違うと
ころに娘が気づいたりして、それもまた面白いです。映画
の感想ですが、ナルニア国の景色など映像はイメージ通
りでストーリーも面白かったです。
ただ、やっぱり原作の味わい深さは映画では味わえないとい
うのが私の感想です。映画と原作は別々のものとして楽しむ
ということで映画化に賛成、というところでしょうか。 映画で
はないのですが、最近見た「風の子バザール」という劇の中
で「ひなどりとねこ」というお話をやりました。おはなし会で、
これもまた最近聞いたので、娘に「この前聞いたお話の劇だ
ったね」と言ったのですが、娘はわからなかったようです。
確かに話の筋とは関係ないディテールをデフォルメしてあ
ったり、たしかに同じ話とは思えない、という感じでした。も
ちろん劇は面白かったです。でも語りで聞くおはなしの
世界は再現されていませんでした。あたりまえなのことで
すが、この時も劇は劇、おはなしはおはなし、で楽しむも
のだなと思いました。

ところで、少し前ですが、幼稚園の送り迎えで子ども
が殺される事件がありました。子どもが被害者の事件な
のになぜかまわりのお母さん達の間で話題になりません
でした。加害者が中国人だったということ、近辺の幼稚
園は園バスかそれぞれ送り迎えで「お迎えを交代する
班」というようなシステムはないこと、が自分たちには関
係ないと感じさせ、話題にならなかったのかなと思いま
した。
皆さんはこの事件を聞いた時、どう思われましたか?
私は疑問だらけでした。
そもそも、当番で送り迎えをする、というのはなんな
のか。なぜ、それぞれが送り迎えをしないのか。
朝から殺そうと思っていたような人だったら様子がお
かしくなかったのか。気づかなかったのか。
その後、同じ班の保護者から加害者のお迎え班の意
味を勘違いしているようだと幼稚園に相談があった、
と報道されていました。加害者のお母さんは子どもを
よそのお母さんに送迎してもらうことに抵抗を感じてい
たようです。 加害者のお母さんのように、自分だけ、
自分たち親子だけが阻害されているような(気がする
場合も)状況に追い込まれているお母さんはたくさん
いると思います。また、阻害されないよう、まわりにとけ
込むよう、気を使って過ごしているお母さんもたくさん
いると思います。まわりにとけ込めないことに焦り、まわ
りから外れないように神経を使う。今のお母さんは、必
ずどちらかのストレスを抱えているのではないでしょう
か。こういうストレスが、今回のような悲しい事件を引
き起こす要因の一つになっているような気がします。
皆さんはどう思われますか?

 今年は風邪、インフルエンザ、ヨウレン菌、下
痢や嘔吐、おたふく風邪に水疱瘡などいろいろな
病気の流行してました。我が家の二人の子どもも
無事、おたふく風邪にかかり、無事元気になりま
した。春休みは元気に過ごせそうです。
                                          大林ハル

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映画ーナルニア国物語

春休みになると混み合うのではないかと思い、体調があま
り良くなかったが、ちょっとがんばって、映画「ライオンと
魔女」を見に行った。期待は禁物とは思いながらも、あちこ
ちで映画を褒めているので、少し楽しみにして行ったのだ
がやはり、がっかりした。あらためて映像にすることの良し
悪しを考えさせられた。
なんといっても、映像はわかりやすい。とくに現実の話で
ないだけにあまりあれこれ考えなくとも、目の前に世界を
広げてくれる。とくに、この本は作者のキリスト教という世
界観が強いだけに、ひどくわかりにくいところがある。
おおきな意味のある原罪を背負って磔にされたキリスト
の復活はの話は日本人には知識としてわかっていても、
それ以上のものにはなりにくい。だから4人のきょうだい
の冒険物語として、くりひろげられる。わかりやすいけ
れど、一方では、それだけになって、やはり本のもって
いる力からは遠くなってしまった。
もうひとつ、厚みのないものになった理由は、人間の言
葉を話す動物たち。本で読んでいたときには感じなか
った、なんともご愛嬌といってしまえばそれまでなのだ
が、バランスの悪さ。ペットのような動物たちに感じてし
まった。アスランはちょっとも偉大ではない。そりゃぁ、
堂々としたライオンだったけれど・・・。いっそのことアニ
メにつくってしまったら冒険物語としてすっきりと楽しか
ったかもしれない。
そして、「指輪物語」の映画の時にも感じた、悪(この
場合原罪)の描き方はとても難しい。
原作ではあまり強く書き込まれていなかった、冒頭の
部分、映画では戦闘シーンがかなりあって、この物語の
子どもたちは疎開をしたんだとあらためて思い出した。
やっぱり本を読んで欲しいなぁ!ちょっとこぶりなカラー
版が好評。映画は本を読んでから見に行ってね。
映像は雪の場面がきれいです。
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「ライオンと魔女」
ナルニア国物語全7巻の1
C・S・ルイス作  瀬田貞二・訳
岩波書店

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桜がさいた

昨日のブログに桜の本を紹介したとき、「桜はまだ!」と
書いたのに、なんと、今朝いつものように千葉高校を
通ったら、桜が咲いていました。たった一晩で、三分咲き
です。朝早くに、茨木のり子さんが詩っていた、律儀な
配達夫が、桜の花を起こしてまわったのかもしれない。
今、外はだいぶ雨が強く、花は首をすくめているだろ
うか。
ひと雨ごとに春になる!

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卒業しました。ーひろや

「卒業式にまつわるナイーブな感情」 五十嵐敬也

 ぼくはついこの間中学校を卒業した。義務教育が終わって
4月からは高校生になる。
しかし、今現在は中学生でも高校生でもなく、未熟すぎるぼ
くという人間の存在の根拠は「五十嵐敬也」という名前のみ
によって支えられている。
ぼくは「何者か」ではなくただ生きているだけ。
そんなことを考えているとただ3年間という時間が経過した
だけに過ぎないのに、妙にナイーブな気分になり「卒業」と
いう行事が特別な色を帯び始めたような気がした。
そしてぼくは卒業式当日に感じていたことを思い出した。
 卒業のイメージは何かに似ていると式の間ぼくは思ってい
た。粛々と進む式次第を関心度ゼロパーセントの目で眺め
ながら、それが何かぴったりなイメージを探そうと試みた
後、海外へ旅立つ時の空港であることに気づいた。
具体的に言うと「卒業証書授与」が空港における税関で、
壇上で証書をもらった時点で法的には日本国の外に出て
いる。
だが、卒業式ではその後「学校長祝辞」や「来賓祝辞」と
いったプログラムがまだ残っていて、それをこなす時間と
いうのは、飛行機が離陸するまでのロビーでの待ち時間
なのだ。自分でも見事に一致した2つのイメージに思わず
独り笑いしていたら、教務主任の「卒業生退場」という声
が響いた。独り笑いは退場の時にも止まらず、少し困った。
 「友情」や「団結」といった言葉が、自分にとって遠い
印象に感じるようになったのはいつからなのだろうか。
昔のぼくはそういったものに強い憧れを抱いていた。だが
ぼくは、綺麗事や旧式の論理や社会規範はこの狂った世
界に対して何の効力を持たないことを知ってしまった。勿
論絶望もした。
それ故に盲目的に「友情」を振りかざす者を嫌い、やがて
友情そのものの根拠もわからなくなった。一度現実を自
覚してしまったが最後、ぼくは自分が何に支えられている
のか、いよいよわからなくなった。そして今もわからない。
  だが全てをあきらめるのには、ぼくはあまりにも若す
ぎる。「意味がないかもしれない」という言葉のもとに全
てを放棄することはできないのだ。
だからぼくは飛行機に乗ることを決めた。目的地は一応
「未来」ということになっているが、フライトの安全性は
誰も保障はしてくれない。墜落の可能性も大いにありう
る。でも多分それが人生なのだ。
さて離陸まで、もう暫く時間がある。それまでに必要な準
備を済ませておくことにしよう。
 「心配ないわよ。全ての生命には復元しようとする力が
ある。生きていこうとする心がある。生きていこうとさえ
思えば・・・どこだって天国になるわ。だって生きている
んですもの。」
『新世紀エヴァンゲリオン劇場版【まごころを、君に】』
より引用

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カメの涙ーみどり

【カメの涙で頭グチャグチャです】
カメが卵を産む時涙を流す理由を生物の授業で教わりま
した。体の中の塩分が濃くなりすぎるので目の上に有る
塩類腺というところから濃い塩水を流すんだそうです。
それをメインにした授業だった訳でもなく、そこは特に注目
しなくても良かったのですが、私の頭はそこからしばらく動
かなくなりました。「でもカメのお母さんは悲しいのかも知
れないのに。。。」という思いに捕まりました。
感情を持つ動物は、人間だけだという話はよく聞きますし、
きっと正しいのでしょうが、愛犬家の人で「犬は人間と同じ
ような感情を持っている。」と言う人もたくさんいます。我
が家にはセキセイインコのピヨちゃんがいますが、私もセ
キセイインコは豊かな感情も表情もあります!と自信をも
って言えます。同じようにカメにも感情が有ったって構わ
ないと思います。それにカメのお母さんは大事な卵を世
界に放り出さなければならないことを悲しがって泣いて
いるかもしれない、という考え方を全部否定してしまうの
は寂しいと思います。かといって、絶対悲しいんだ!という
のは間違っているのは解っています。
・・・でも誰も「カメさん?どうしたの?」って聞いてきた訳
じゃないし。。。
何だかずっと考えているんですが結論が出ない事も解
っていて、勉強する事は悲しいことだなぁとか思っていま
す。

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元気になりました

しばらく「えるふ通信」お休みしてしまいました。
今週はさんざんでした。風邪をひいてしまい、それになんと
いっても確定申告の締め切り、いままで夫がしていたことが
いっきょにおしよせました。どうも数学的なことが苦手、とい
うか相性が悪い。たえば定理なんというものが良く飲み込
めない。幼い時がそうだったように、«0»という数字の存在
がわからない、ないものをどうして加えたり、引いたりできる
かわからない、いまだかってわかっていないので、実世界に
つかうことに納得いきません。まして、年をとってくると、残
念ながらこだわりが強くなって、ますます、理解できない、
と、いうふうになります。
風邪の熱と、おなかまで調子が悪くて思考力、行動力、
すべて停止でした。ちょっと不安でした。
でも、楽天家なものだから、風邪が治ってくるにしたがって
元気がでてきました。
5日ちかく休んでしまったご報告です。

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海からのおたよりー3月

20060305_130421_0002
「ビッグひなまつり」と千葉県立中央博物
館分館「海の博物館」の「ハゼの世界」の
展示を見に久しぶりに勝浦に行ってきま
した。
勝浦市では徳島県勝浦町で行われている「ビッグひなま
つり」にならってこのイベントを6年前からはじめました。
3月3日をはさんだ9日間は町の商店街の店先などに寄贈さ
れた雛人形がズラリと並びます。さすがカツオで有名な勝
浦、「大漁祈願雛」なんていうお雛様を見つけました。
右大臣も左大臣も釣竿を持っています。
(恵比寿様みたいですね)
20060305_144122_0004
 勝浦市内の南、鵜原理想郷には「海
の博物館」と海中展望台があります。
見慣れた内房の海とは違う断崖絶壁
のリアス式海岸の風景です。この日は
「小潮」で潮はあまり引きませんでしたが、ちょうど干潮時
にかさなったこともあって「海博」前の磯の観察を楽しみ
ました。

20060305_145614_0001
館山の磯にも春は海藻が多いのですが、
鵜原の磯にはびっしりとヒジキが生えて
いました。足元のヒジキをよけるとクロヘ
リアメフラシがうみぞうめん、と呼ばれる
たまごを産んでいました。
「味噌汁にする」、といってタッパーにカニをつかまえてい
たおばちゃんもいてさほど広くない磯はたくさんの人が出
ていました。春の海はおもしろいです。
 「海の博物館」ではマリンサイエンスギャラリー「ハゼの
世界」を開催中です。日本の魚類の1割はハゼのなかま
だそうです。私もこどものころ海で「ダボハゼ」などといっ
て岩の端に追い込んで遊んだりしたものですが、はたし
て何ハゼだったのか・・・なにしろハゼは600種もいるそ
うなのでちょっと見ただけではわかりません。展示はマニ
アックですがおもしろかったです。いまならカラーのハゼ
図鑑が無料で手に入ります!限定版なのでお早めに。
常設展示は千葉県の海がテーマですので「中央博」と
「海博」、「安房博物館」(館山市・さかなクンがきます)
を制覇すれば「千葉の海通」になれます。海中展望台で
はウツボなどの魚やカジメ(海藻)の林を見ることができ
ます。
 私自身、内房から館山にかけていつも貝を拾っていま
すが勝浦は久しぶりでした。
楽しみにしていた魚料理の店は混んでいたので残念な
がら鰹は食べそびれてしまいました。
東京湾では潮干狩りもはじまりました。春休みにはぜひ
海に出てみてください。
 
   どんぐりつうしん変集長  谷口優子
 


 

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勉強ができなくても恥ずかしくないー高橋

      ヤングアダルト小説の傑作、だと思います

  橋本治の『勉強ができなくても恥ずかしくない』(全3巻)
は奇妙な小説です。1巻目は、ちくまプリマー新書の第2
回配本で出たものです。橋本治は、物事をわかりやすく
説明する天才です。また、「読者がわかりやすいと思い込
んでいる」物事までも、わかりやすく説明するので、時に
は、回りくどい説明になります。

HTbookCoverImage

「勉強ができなくても恥ずかしくない」
1どうしょう・・・の巻
2やっちまえ!の巻
3それからの巻
橋本治・著 
筑摩書房(新書) 本体各700円


この本は、作者の自伝だと思います。主人公
のケンタくんは治自身でしょう。作者が、エッセイなどで書い
ている本人の生活環境と一致しています。つまり作者の、
高校を卒業するまでの半生を描いたものです。
そうすると、児童書に入れてもいい本でしょう。
プリマー新書ですから、とうぜん、子供に読んでもらいたい
のです。 ですから、読みやすい本になっています。
新書判で、3分冊になっているせいもあるでしょう
が、それだけではありません。形態は小説ですが、機能は
脚本のようです。私達が演劇を観る時は、登場人物の台詞
や動きから、その考えを読み取ります。脚本には、台詞以外
にも人物の動きや心理描写が説明してあります。
 小説は、いわば舞台です。ですから人物の行動や会話で表
現し、足りなければ心理描写も入れます。でも人物の心理
分析や、行動分析の説明文までは、あまり入れません。小説
のドラマ性を重視するからです。この本は、そこが違います。
主人公が、そういう考えに至った経緯、そういう行動を取った
原因が、時間を逆のぼってまで、説明されます。でも読み難
くありません。むしろわかりやすくなっています。小説を無視
した本だからです。つまり、新書が、テーマにそって説明す
る形式を、取り入れているからです。ここでのテーマは、ケ
ンタくんの心理分析です。だからプリマー新書で小説を書く
意味があるのです。ですからノンフィクションです。フィク
ションの心理分析をしても意味がありません。
 私が、自分の子供時代を思い出しても、そんなに覚えてい
ません。まして、どうしてそういう行動を取ったかなんて、わ
かりません。この本では、ケンタくんの当時の行動が事細か
に記されています。もちろん大人の行動や考えも記されてい
ますから、本人の当時の記憶だけではありません。むしろ、
説明しやすいように、ケンタくんの行動も変えてあるでしょ
う、だから小説なのです。
 しかしおおもとは、作者の記憶でしょう。そして記憶はして
ても、当時はわからなかった理由が、今は説明できるので
しょう。すごい記憶力です。そして作者は、わからない事で
もそのままにしておけず、自分の中で、くりかえしくりかえ
し考えてきたのでしょう。そうして、いっぱい疑問をため込
んで、大人になったのでしょう。
 この本は、作者の個人的な体験が、小説に昇華されて、
普遍的な体験になっています。大人が読んでも子供が読
んでも、腑に落ちます。特に高校生が読んで、元気と希望
を持ってもらいたいと思います。
本当は、うちの子供達に読んでほしいのですが…

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2月の終わりに

今月も毎日ブログというようにはいかなかった。
正直2月はあまり好きな月ではない。ちょっと日が少ないだけ
なのになぜか慌ただしい、それに試験があったり毎年幼い頃
から会留府に来ていた子どものだれかが入試にあたり落ち着
かない。特にここ何年か試験のやり方等がくるくる変わったり
して、困っている人が多い。おまけに若い人たちの就職難で、
なんとか安定した状況を求めて就職活動をしているのをみる
のもつらい。
今年の2月は暖かい日かとおもうとひどく寒くなったり、花も
遅くて、出不精の私は店で精一杯だった。
そのなかで、ゆっくり読んだ本があった。
HTbookCoverImage

「おじいさんがかぶをうえました」
福音館書店編集部・編
福音館書店 本体2500円

ー月刊絵本「こどものとも」50年の歩み
とのサブタイトルのように2006年3月号
で創刊50周年を迎えた、福音館書店の
月刊誌「こどものとも」の歴史が1冊にぎ
っしりとつまっている本だ。こどもが読む本ではないのは 一目瞭然でだれが読むだろうかと思っていたが好評だ。 まさにおじいさんがかぶをうえ、あまい、大きなかぶに なぁれ!とたくさんの子どもがおおきくなった。そして、 また、子どもたちに本を読んでやる。
日本の戦後の文化をひもとき、そして、次の世代に手渡
していきたいと思う。
もうこの時間では3月1日になってしまったけれど、3月は
光の月、私の好きな月だ。また、せっせと本を読んで紹介
したいと思う。

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ご連絡ください

お願い
何回も載せていますが、メールをくださる方は、ごめんどうで
も宛先は会留府へ、件名は日本語でお願いします。
今も先日「メールを送ったが注文の本を送ったか」いう問い
合わせが店にあったのですが、心当たりのメールがありませ
ん。電話に出た店のものが連絡のお電話番号などをお聞き
した所メールで返事をするようにおっしゃったとのことで、教
えていただけなかったとのこと、お返事のしようがなくて困っ
ています。以前にもお願いを載せたのですが、迷惑メールが
びどくて、しかも大変巧妙になっています。ほとんどが宣伝、
広告、そして、いわゆるHサイトと呼ばれるもので、やり方は
オレオレ詐欺のようにおもいます。
いろいろリスクを承知で、会留府では不明のメールは見ない
まま、消去してしまいます。
不行き届きもあるとおもいますが、メールをくださる時は「会
留府へ」として、日本語で件名をお願いいたします。
お返事をいたしますので、あまりお返事のない時は店のほう
へお電話ください。その節はお名前とこちらからお返事でき
ますようお使いのお電話番号をお教えください。
今回お電話された方、心当たりの方、
再度メールをくださいね。

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病気になるー大林


風邪をひきました、 おたふく風邪になりました。
久しぶりにこどもが病気になって学校や幼稚園をお休みしま
した。まず、上の子が風邪で休み、治ったと思ったら下の子
がおたふく風邪。病気のピーク数日は大変でしたが、その他
はのんびり過ごし、まるで冬休みのようでした。
上の娘の風邪は高い熱は出ましたが三日目の朝には平熱に
なり、病院には行きませんでした。私は熱が出ても、他に症
状がなく、家で養生してよくなるようであれば病院に行く必
要はないと思っています。病院も混んでいます。症状の重い
人、診察が必要な病気の人もいて順番を待っているのです
必要がなければ、他の病気をもらっちゃうかもしれないし行
かない方がいいじゃないかな、とさえ思っています。さて、娘
は土日を挟んですっかり快復して登校したのですが、帰っ
てきてこんなことを言いました。
「先生に病院行ったかってきかれて、行ってないって言った
ら、ちゃんと病院行くようにお母さんに言っといてねって言わ
れた。」え?と思いました。咳も鼻水もなく元気になって登校 しているのになぜそんなことを言われるのか?そもそも病院 に行くかどうか家庭で判断することではないのか?ちょうど 娘のクラスでインフルエンザなどが流行っていて休んでい る子が多かったので、先生は神経質になっていたのか?何 気なく子どもに言っただけだったのか?「???」だったので真 意を確かめようかとも思ったのですが、その時下の子が休 んでいたので、こちらの気持ちを上手く伝えるためにエネル ギーを注ぐことができなかったのでやめました。なんとなく すっきりしないのですが。
下の子のおたふく風邪はちょっと大変でした。初めは頬の痛 みもひどくなく食欲もあり元気だったのですが、三日目あた りから痛みがひどくなり食べなくなりました。痛いから食べな い、お腹が空くから食べる、食べると痛い、食べないと気持 ち悪くなる、、、。とうとう五日目に吐き気がひどくなり、元気 もなくなりました。診察してもらったら、糖分が足りないと気 持ち悪くなるので、食べられないならスポーツ飲料などを飲 むように、とのこと味噌汁とか重湯とか少しずつ飲んでいた だけど、、、、私の不注意で苦しい思いをさせてしまいました 吐き気止めを飲んでスポーツ飲料を飲むと元気になり、丁 度痛みもおさまって夕飯は普通に食べられるようになりまし た。スポーツ飲料の栄養に驚きました。すでに子どもがおた ふく風邪にかかった人にきいた経過は、熱、痛み、腫れの順 にピークが来て五日くらいで治る、というもので、息子の病状 はそのとおりでした。娘はまだおたふく風邪をやっていません うつっていたら来週あたり症状が現れることになります。今度 は経過がわかっているので少しは楽に過ごせるようにしてあ げようと思います。

                                                          大林ハル

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さようならー茨城のり子さん

朝日新聞の朝刊で茨木のり子さんが亡くなったことを知った。
とても悲しく、こんな時はなるべく自然にふれて、静かに過ご
したいと思うのだけれど、今日は雨降り、しかもかなりの雨で
一日家でぼんやりとしてしまった。
茨木さんは私の好きな詩人の一人。そして、やはり好きな詩人
の金子光晴に関しての著作があり、あわせてほとんどの本を読
んでいる。お話を聞く機会があったのは2回くらいしかない。
作品のように静かにゆっくりと、そして凛と話される方だった。
はじめて茨木さんの詩をどこで知り、読んだか定かではなく、 手もとには1969年に発行された思潮社の現代詩文庫の「茨 木のり子詩集」があり、それを何度も読んだことだけは覚えて いる。その頃、大きな壁にぶつかっていた私は、ぐずぐずとそ れを超えることが出来なくて、ひたすら本を読みあさっていた ので、すっぱりと、それでいて個々の思いの何もかも大切にし ている、そんな作風にひかれたのだとおもう。冷静にきちんと 言葉にすること、終世変わらなかった、みごとだったと思う。 詩「わたしが一番きれいだったとき」にあるように1926年生 まれ、20歳の時敗戦、そして、その時読売新聞戯曲第一回 に佳作当選、詩学研究会から川崎洋と同人雑誌「櫂」をつく り次々に詩を発表していった。 私の年齢からすると親世代にはたりなく、姉世代には長過ぎ とても解りにくい世代だ。一番多感な時に人間の惨め、酷さ と向き合あうことを強いられた世代、一方、日本のすべてに ある抒情性、それがいつも私を引きつける。 亡くなられてとても悲しく残念だ。

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海からのおたより2月ー2

20060211_143256_0001 南風が吹きました。日がだんだんと伸びて
陽射しも春めいてきました。南房総は一年
中でいちばん華やかな季節をむかえていま
す。
鋸山をこえると肌着一枚いらなくなる、と
いわれた南房総の冬。いつもの年は強い海からの西風が寒 気を吹き飛ばしてしまうのですが、この冬の寒波は千倉のお 花畑に氷を張らせ、雪を降らせました。立春もすぎ、ようやく お花も咲いてきました。千倉町  (もうすぐ南房総市になりま す)の白間津地区の海の見えるお花畑は春を求めにたくさん の観光客が訪れます。ポピー、金盞花、ストック、金魚草、 矢車草・・・ここでは早春の潮風を受けながらお花を摘むこと ができるのです。小屋ではおばちゃんが畑を案内し、花を売 っています。おばちゃんたちは花の季節以外はアワビなどを採 る海女をしていたり、野菜をつくっていたりしているそうです。 たくさんお花を買ったら、「うちにも男の子がいたよ。これおま け。」と花束をぽん、とひとつつけてくれました。お花は千葉 でも買えますが、ここではおばちゃんとの素朴なやりとりとあ たたかさそしてなによりも新鮮なお花が売りです。 お花畑はだいたい3月いっぱいでその後はそこに野菜が植え られます。
ほんの少し春をお届けしました。

       どんぐりつうしん変集長 谷口優子

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また、つづけます

古いPCを思い切ってかえました。
なんとかがんばって使っていたのですが、どうにも使い心地が
悪くて思い切りました。私のMACには名前がついています。
「サム」あの『指輪物語』にでてくる実直なホビットの名前です
ちょっと手の調子が悪くて、あまり長い時間書くことが大変な
ので、比較的早くからワープロを使い始め、そのままPCを使
っていました。サムはよく働いてくれて、故障もしなかったし、
こういうものは当たり外れがあるのでがその意味では当たり!
けれどもスピード時代、OSは古いし、メモリーは少ない、とて
もとても時間がかかり、読み込んで作業をするのに料理のひ
とつも出来てしまうありさま、しかたがないので、一部分しか
使わないところで専用みたいに使うことにしてあきらめました。
私は一つのことが気に入るとそればかり使うようなところがあ
るので、なんだか2代目サムに慣れるまで時間がかかりそう
です。
それにしても、PCは仕事をする上でなくてはならないものに
なってしまい、けれど、それと矛盾するようですが、人間の能
力とはすごいものだとおもいます。なんといっても、機械は融
通がきかない。点ひとつ落としてもだめ。私はおせいじにも
機械に強いとはいえないし、うっかりものなのですんなりとい
かなくて、いろいろと設定するのにとうとう二晩かかってくた
びれてしまい、なんとも不便なものよ、と思わず笑ってしまい
ました。この手の説明書、むつかしすぎて評判が悪かったの
ですが、あいかわらず説明書の説明がいる、これって本も売
れるように考えだされたのかと、私自身本屋なのにそんなこ
とを思ってしまいました。
ちょっとお休みが多かったのですが、どうやら続ける状態に
なりました。オリンピックもはじまったし、テレビの誘惑も強い
し、本を読む時間がとれるかなと、おもいながら。

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海からのおたよりー2月

 貝寄せの風と貝の華

先月のおたよりに少しだけ書いた「貝寄せの風」。阿部さんから
「季語になっているの?」と聞かれましたのでちょっと今月はその
お話を。
「貝寄せの風」は能登半島あたりでは秋から冬にかけて吹く季節風
のことです。風が吹いたあとの浜は桜貝のなかまが波打ち際にそっ
て薄紅色に弧を描く、といわれています。雪の浜に桜貝、さぞやう
つくしいことでしょう。(今年の大寒波では出かける気になれませ
んが)南房総・館山でも秋の終わりごろから冬にかけて「大西」と
呼ばれる強い西風が吹きます。1度吹くと3日くらいは吹き荒れて
外出もままなりません。庭においてあった物干し台も洗濯物があお
られて重いコンクリートの台ごと倒れたことがありました。外出す
れば砂混じりの潮風で頭は塩ワカメ状態、とにかくすごい風なので
す。しかし、今年の冬はその大西が吹かないそうです。海に出れば
いくらか風があるものの北風です。天気予報を見ていたら千葉でも
ならなかったマイナス4度を記録した日もありました。大西は冷た
い空気を海からの温かい風で追い払ってくれるのだそうです。大西
が止むと海岸にはたくさんの貝が打ちあがるのですが、今年は風向
きが違うのでいつもと違った場所にごみなどが打ちあがっていて様
子が違います。とにかく寒いのでお花畑もまだまだです。そこで先
月は大西が吹くといいな、と思ったわけなのです。館山に住んでい
ない今だからそういえるのですが。
もともとの「貝寄せの風」というのは西日本に旧暦2月18日ごろに
吹く風だそうです。
大阪・四天王寺では寺を建立した聖徳太子の霊をなぐさめる「聖霊
会(しょうりょうえ)」が毎年4月22日に行われています。その
ときに舞楽が奉納されるのですが、舞台には「曼陀羅華(まんだら
げ)」といわれる大きな供花が四方に飾られます。その造花の材料
に貝が使われました。それを「貝の華」と呼びました。貝寄せの風
が吹く頃になると 僧たちも浜に出て酢貝を拾い取ったといいます。

 夕映えや 舞台の隅の 貝の花  
  難波女が波間柏をとるほどに日も暮れ袖に月ぞやどれる   
                     読み人しらず

 「まんだらけ」
10003

0002

  
  


ナミマガシワは珍しい貝ではありませんし、カキに近いなかまなので形はいびつですが、
きらきらしてきれいな貝です。食べるために採っていたとは考えに
くいので「貝の華」 のためでしょう。採っているうちに月が出てき
てしまったという歌です。春の日を浴びて貝の華はうつくしく輝い
たことでしょう。いまでは残念ながら赤い花びらの形に切った紙に
なってしまったそうです。また、現在の大阪湾でナミマガシワはほ
とんど見られない(「大阪湾の磯の貝」大阪自然史博物館)とのこ
とです。あまり一般的ではありませんが「貝寄せの風」は季語にな
っています。

「波間柏  ナミマガシワ」
0001
海に出られない日は標本の整理をしようとお
もいつつ、またまた陸で貝の採集をしてしま
いました。国立国会図書館のHPのギャラリー
には「江戸時代の博物誌」が公開されていま
す。当時の絵師による貴重な動植物の図譜を
ぜひご覧になってみてください。

              どんぐりつうしん変集長 谷口優子           


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1月の終わりに

新年の計は元旦にあり!とはいわれているけれど、今年の計は?と
聞かれると、?????ということになってしまう。
2004年の暮から2005年ひきずってしまったことで、計をたてる
元気がでなかった、お正月は久しぶりに台所の大掃除をしたり、
樹木の芽をながめて歩いたり(あまり気がのらないときは体を使う
にかぎる)昼寝をしたり(これも普段したくともできないこと)、
頭は思考停止のまま3日が終ってしまった。
めずらしく1册の本も読みあげないでしまった。
6日の夜、サム=猫が死にそうだという知らせをもらったけれど、
7日は恒例のお話会があったので、すぐいくことが出来ずに、終っ
てかけつけたけれど、7日の朝死んだとのことだった。
16才、親は棄猫、哺乳ビンのミルクで育てたから、弱虫で甘えん
坊で夫が最後まで面倒をみていた猫だ。多い時には犬3頭、猫10匹
?ちかくいた我家もこれで全部いなくなった。
そして、つらつらおもったら2006年12月で会留府は30才になる。
「そうか、なにかしよう!」と気をとりなおして、計画をたてはじ
めた。希望のことがあったら、ぜひ連絡してほしい。
とくに若い人からの案を聞きたい。
目標をもつのは良いことだ。
あとは、いままでどおり本を読んで、みなさんと本の話がしたい。

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雪が積もってー大林


とうとう千葉にも雪が積もりました。土曜日一日中降ったので、
うちの近所も日曜日の朝には20センチくらい積もっていました。
子ども達はこんなに積もっ た雪を見るのは初めてで嬉しくてたまり
ません。日曜日の午前中は家族みんなで公園の雪で遊びました。
公園の傾斜のあるところでは草滑りならぬ雪滑り。そ りを持ってき
ている子もいっぱいいました。雪だるまも作ったし、雪合戦もした
し、小さいかまくらも作りました。かまくら作りは主に私がやった
のですが、 あんなに雪があったのだからもっと集めてもう少し大き
いのを作ればよかった。子どもが四つん這いになってになってやっ
と入れる大きさで、犬小屋のように なってしまいました。

うちの子ども達は一番楽しかったのは雪滑りのようでした。午前だ
けでは飽き足らず午後も滑りにいったのですが、夕方「まだ滑るー
」というのをなだめて家 に帰ったら、上の子が泣いてしまいました
なんで泣いたか言ってくれなかったのではっきりわからないのです
が、「月曜日は習い事があって学校から帰って きて雪が残っていて
も遊べない」ことが悲しかったらしいのです。子どもってこんなこ
とで泣いてしまうんですねぇ。この上の子は時々こんなふうに泣い
てし まいます。子どもに泣かれると「泣く程」嫌なことや困ったこ
とがあったのかと心配になってしまうのですがそんなことはなく、
泣いた後もけろっとしていま す。大人にとっては「こんなこと」
でも子どもにとってはそれが「泣く程」であり、「こんなこと」で
気持ちが動いて泣けるのが、うらやましくも思えます。
さて、雪がでてくる絵本と言えば、えるふ通信で紹介されていた
「はたらきもののじょせつしゃけいてぃー」を私も思い浮かべます
記事の中に「いたずらきかんしゃちゅうちゆう」は女の子のファン
もおおいけれど、「はたらきもののじょせつしゃけいてぃー」はど
ちらかというと男の子に好まれるとありましたが、我が家の子ども
は反対です。上の女の子はけいてぃーが下の男の子はちゅうちゅう
が好きです。私はうちの子以外でもちゅうちゅうが好きな 男の子と
ちゅうちゅうが好きでない女の子を知っていたので記事を読んだと
き、ちょっと意外でした。
今年は雪が積もる、と思って子どもの長靴や靴下やズボンなどを用
意して待っていました。ご本人達はまだまだ遊びたりないようです
が、母は雪でたくさん遊 ばしてあげることができてよかった、と思
っています。まだ雪が残っているので、今日も下の男の子に雪滑り
につきあわされました。全部解けてなくなるまで たくさん触って雪
を楽しんでほしいです。

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祖母の死にーミドリ

2004年の12月に、elf street に書かせてもらった時に、
祖母を亡くした事、「その時考えた事について書きたい」と、
書きました。あの時は、今深く考えたくない、と思いましたが
あれ以来いつか私がその時何を考えたのか書きたいと思ってい
ました。今回それを書きたいと思います。
亡くなったと聞いたとき。朝で、すぐ祖母の家に行くと言われたま
した。すごくびっくりしましたが、すぐ悲しみがこみ上げてくる訳
ではありませんでした。祖母の家に着いて祖母の顔を見ても私は泣
き崩れたりしませんでした。従姉妹と、私の双生児姉はその時点で
号泣していたのに。何故かはその時は考えませんでしたが、後から
考えるとそこに祖母が居たから、だと思います。その前に祖母の家
に行った時も、祖母は寝ていて、その姿とあまり変わらなかったの
かもしれないなぁと思います。
その後、葬儀が終わるまで思っていたより忙しかったです。私は、
何が出来るわけでもないので、従姉妹達と一緒に邪魔にならないよ
うにしていただけですが、それでもじっと悲しみにくれている暇は
ないくらい、やる事はありました。
それまでも、もちろん悲しくなかったわけではありませんが、私が
一番悲しくて一番泣いたのは、告別式が終わって火葬場に移動する
時、です。その時やっと、これでお別れだと思いました。祖母の顔
を見て、皆泣いている時、私は『何言ってるの?おばあちゃん、こ
こにいるじゃん』って感じだったのです。顔を見ながら、もう会え
ないのだとは思えなかったです。夜、遺体と二人きりでも全然怖く
なくて、逆にもう一度起きてくれても、化けて出てくれても全然構
わないと思いました。後になって自分が祖母の死を信じきれていな
かった事に気が付きました。「焼かないで!」と叫びたい位、私は
もう祖母が帰って来ないことが信じられませんでした。それでも、
葬儀が無事終わった時は何となくほっとしました。これで祖母もほ
っと一息付けるなぁと思いました。
それからしばらくいろいろな事を考えました。1つは皆で葬式をす
る事は、もしかして死んだ者のためじゃなく、遺された者のためな
のかもしれない、と。大事な人を亡くして一番悲しいときをわざわ
ざ忙しく過ごして、泣き過ぎないようにするためにあるのかな、と
思いました。普段あまり会わない人たちも駆けつけてきて、周りに
たくさん人がいて悲しいって事だけ考えていられないように、葬式
をするのかもしれない。
あと、死んだ後、どうなるのかなぁ・・・と。これは、どうなるか
決まった答えはないと思います。それぞれが一番イイと思う答えを
信じればいいんじゃないかな。
私の答え:お墓の中で寝てるみたいな感じ。お墓に誰も居ない時は
ぐっすり眠っていて何も感じなくて、誰かが来ると、目が覚める。
でも生きてるうちにあったことはもうなんとも思わなくて(忘れて
ないけど)、すっごく穏やかで満ち足りた気持ちで居られる。そん
な風に永遠に続いていく。
↑これが一番いいと思います。私は。
早いもので去年、一周忌も終わりました。今もまだ思い出すと涙が
出てきますが、最初の頃より悲しく無くなっていることをちょっと
不思議に思います。いつか滅多に思い出さない過去になるのかな、
と思ったりします。でも、あの時の悲しさが薄れていくと同時に、
普通に祖母の思い出話ができるようになりました。これから私の心
の中で、祖母の思い出はどんなポジションに落ち着くのか全然予想
がつきません。でも今はこのままで構わないんだと思っています。
from⇒ミドリ

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人生を楽しむ?!ーひろや

五十嵐敬也です。
あけましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりました。
さて、ぼくは一応受験生であり、明後日に私立入試を控えておりま
す。でも毎日の時 間はいつもと変わらず流れていて、特に焦りな
どは感じません。
今月はぼくの思った事を、仮想の人格に語ってもらいます。別に意
味はないかもしれ ませんが、これがぼくなりの青い春なんです。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

マシンガント〜ク 「愛すべき胡散臭さたち」

やあ、元気だったかい?俺は正直言うとあんまり元気じゃない。
私立受験とかいうフ ザケたテストが二日後にあるからなんだけ
どよ。じゃあこんなところで話してちゃ駄目だろって?まあそう堅
いこと言うなよ。
そんなわけで俺はひいひい言いながら勉強しているわけだが、願書
に貼る写真の焼き 増しをしにいかなきゃならなくなったんだな。
で、近くの写真屋に行ったわけだ。その日はとにかく寒かったんで
車で行ったんだ が、車の中からおもしろいモノを見つけたんだな。
それは何かっていったら、まあ簡単に言っちまえば歯医者の電光掲
示板なんだけど さ。そこに書いてあったものが最高に、胡散臭かっ
たわけ。
「人生は歯のようなものであり、人生もまた歯のようなものである
人生が常に順風 満帆ではないように、歯もまた様様な原因によって
失われてしまうのです。〜(中略)〜美しい微笑みと共に見える前
歯などは、神(噛み様)によって与えられ た至高無上の賜物なので
す。人生には夢がある。不老長寿こそ人生の夢。老いてなお輝く人
生こそ、夢の実現なの です。」
な?胡散臭いだろ?歯医者で言われることじゃないよな。
でもよ、俺は思うんだが、「人生は楽しんだ者の勝ち」っていう小
理屈があるだろ。あれはただしょぼく群れて、まとまって、なにも
考えねえでカラオケやらに直行、み たいなことを推奨してるわけで
はないと思うんだよな。
要するに何でもねえ毎日の中に、潤いを見つけるのが、「人生を楽
しむ」ってことな んじゃねえのかな。
楽観主義じゃなくてよ、世の中はシンドイってのを前提にしてその
上でどう生きるの かということ。それはそれでイカス生き方かもし
れないぜ。兄弟。
(ひろや)

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海からのおたよりー2006年1月

やっぱり海はいいなあ

あけましておめでとうございます。この冬はとにかく寒いですね。
海が荒れていたり、体調もよくなかったりと残念ながらこの1ヶ月
半ほどは海に出ることができませんでした。ようやく連休の中日、
寒さ対策をバッチリして館山の海へ行ってきました。
館山への道路は徐々に整備が進み、房総半島のほぼ南端まで市街地
を通らずに行けるようになりました。道はよくなりましたが海を見
ながら車が走ることはなくなってしまいました。千葉から1時間半
ほどでいきなり「鬼が瀬・布良の海」です。5年ほど前よりもずっ
と便利になりました。雪をかぶった伊豆大島がくっきりと海に浮か
びあがっていて、一部島が浮いたように見えていました。海は群青
色でしたがおだやかでした。思っていたよりも風もなく、あたたか
とはいえないものの寒くはありませんでした。冬には寒さに耐え切
れなくなった南の貝が打ちあがるといわれています。それを期待し
たのですが・・・・どこの浜に行っても貝どころかゴミさえも打ち
あがっていませんでした。浜辺を歩いているときに地元の老夫婦に
出会いました。きれいな貝を集めておられるそうですがこの日は残
念、おたがいに収穫なし、です。最近はビーチコーミングがはやっ
ているので相手のお宝が気になるようでよく話しかけられます。海
風をうけながら浜辺でいろいろな人と出会うのもたのしみのひとつ
です。
風のない日の南房総の日中はあたたかいのですが、さすがにこの冬
の寒波は強烈でいつもの年にはフラワーラインの菜の花が咲いてい
るのにまったく咲いていませんでした。それどころか前日に降った
雪が山の北側に残っていておどろきました。路地もののお花畑もさ
びしげにポピーがゆれているだけでした。しかし空の青さは春を思
わせる明るさで海は泳ぐ魚の姿がみえるほど澄んでいました。蒼い
海に白い海鳥が遊ぶ姿を見るとやっぱり海はいいなあ、と思わずに
いられません。はやく吹いてほしいな、貝寄せの風〜

1月8日の鬼が瀬です。非常におだやかでした。遠く伊豆大島が見
えます。


20060108_110527_0001 この日は貝がどこの浜も打ちあがっていませ
んでした。
千葉の打ち上げ貝ばかり見ている人はおそら
く少ないでしょうが海は生きていることを
海に出るたびに実感します。

20060108_162508_0002
プラスチックかとおもったら
だれかさんのたまごのようです。


どんぐりつうしん変集長 谷口優子

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ゆきだ!ゆきがふったら

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「はたらきもののじょせつしゃけいてぃー」
 バージニア・リー・バートン文・絵
 石井桃子・訳
 福音館書店 本体1200円

今年はいつになく大雪だという。12月の千葉は雨がほとんど降らな
く、乾燥して大地もボコボコしていた。何回か大風が吹いたけれど
日中は暖かく、年末にいっきょに寒くなるなど思ってもみなかった。
日本海側から雪のたよりが伝えられたと思う間もなく、大雪が連日
伝えられている。
私は18才まで新潟県で暮らしたので、雪はいやというほど良く知っ
ている。ここ近年あまり積もらなくなっていたが、子どもの頃は、
良く降った。そのなかでじっとがまんをして春まで待つのが冬の暮
らしだった。屋根のゆきおろし、道の確保、学校へ行く道はひと1
人歩く巾しかなく一本に続く。学校の体育の時間はまとめられスキ
ーの授業、幼いこどもは橇(といっても木のミカン箱に竹のスキー
をはかせたもの)すべりをしたり、ゆきだるまを作ったり、落とし
穴をつくったり、雪合戦をしたり。私は良く風邪をひいたので、あ
まり外遊びはしなかった。
新潟県といっても農村地帯ではなく、町のなかの住宅地、さして広
くなかった家だったので、物置きはあったけれど日常品や食糧は、
買い物にいかなければならない。道をつくらなければならない。
道をあけるのに活躍したのが除雪車、とくに国道では除雪車が大活
躍する。今晩も除雪車けいてぃーはせっせと雪をふきあげて、大仕
事をしているにちがいない。
ところで、バートンの乗り物の本、「ちゅうちゅう」と「けいてぃ
ー」を子どもと読んで気がついたことがある。「いたずらきかんし
ゃちゅうちゆう」は女の子のファンもおおいけれど、「はたらきも
ののじょせつしゃけいてぃー」はどちらかというと男の子に好まれ
る。「ちゅうちゅう」の方が物語性が強く「けいてぃー」の方が馬
力の説明や地図があって図解的だからかもしれない。
今晩も「けいてぃー」は大忙しで雪のなかを働いていることだろう

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1月7日、冬のお話会

今日は「えるふ冬のお話会」をしました。
予報はされていましたが、暖かな千葉でも昨夜はちらちらと雪が降
り、朝は日影に白く残っていました。
今日は冬のお話会があるので、みんなが来ることができるだろうか
と、少し心配しました。ほんとうは会留府は地域密着型の小さい本
屋なので、交通機関の心配等しなくてよいはずなのですが、今は近
所の子どもたちが来るということはほとんどないので、こんな心配
もします。小学校高学年以上ならいざしらず、それ以下の幼い子ど
もだけで来るなどということはありえないことになってしまいまし
た。交通事故と犯罪のターゲットにされる事件のためです。
店では開店からお話会をしていました。初めは1週間に一度、ほと
んど土曜日、店にたずさわっていたものが、ちょっとするという感
じでした。お話や本を読む人たちの勉強会も行っていました。
聞いてくれる子どもたちはあまり遠くからは来ない、幼い子どもは
母親と、小学生になると子どもだけで来ることもありました。
ところが参加する子どもがだんだん低年齢になり、ちゃんと日時を
お知らせして、参加を呼びかけないとならなくなり、毎週するのが
無理になってきました。子どもたちがぱったり来なくなったのは、
学校が週5日制になった頃からです。月〜金曜日までは学校の帰り
の時間がおそくなり、ともすると冬は外が薄暗くなって学校から帰
ってきます。そのぶん土曜日はお稽古などにいって、日曜日はお父
さんも含め家族で動くというケースが多くなりました。店だけでな
く、文庫や図書館のお話会も同様です。しかも来るのは赤ちゃんと
しかいいようのない幼い子ども、わざわざ遠くまで連れて行く、そ
れより親やみじかな人が絵本1册でよいからちょっと読んでやる、
その方が良いのになぁ!とおもいます。
いま、会留府ではお楽しみをかねて、夏と冬に「お話会」をします
夏は夜、終った後は花火をして遊びます。冬はお楽しみのプレゼン
トがあります。そして、語りであるお話を中心にして、親子いっし
ょに聞きます。
ちなみに、きょうのプログラム
お話      ゆきんこ
絵本      アンガスとねこ
手遊び
お話      ちいさな赤いセーター
パネルシアター かにむかし
おみやげは「紙ひこうきのキット」
参加 親子で30人位が小さな会留府の店で聞きました。
とても良く聞いていました。良くというのはおとなしく聞いたとい
うことでなく楽しんで、時には笑い声をあげながら・・・。
家に帰ってみんなで紙ひこうきを作ってとばして遊んでくれるかな!
と思っています。

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なによりもの希望

2006年のトップページをかざる本を何にしようか、
じつをいうと12月のうちから決めてありました。
aka


「あかちゃんってね」
 星川ひろ子・星川治雄
 小学館 本体1500円

私は星川ひろ子、治雄さんの描かれた本の大フアンです。
はじめて出会った本は「ぼくたちのコンニャク先生」
あぁ!人ってこんなに美しいのだと息をのむ思いがしました。
今度の本も生まれてから1才まで、さまざまな表情をしたあかちゃ
ん。名前があります、「玲衣ちゃん」。写真はあかちゃんがモデル
ですが、本文でかたっているのはおねいちゃんの結衣ちゃんです。
表情がかわいいというだけでなく、(もちろんかわいいのですが)
やっぱり星川さんの人をみる視点に感心します。
それは、まっすぐ未来をみつめる瞳と、人を信頼して差し出された
手、自立していこうとしている足に私はみることができます。特に
手の表情が好きです。
そして、おとなとしての自分の責任を感じます。
この子どもたちのいのちがすこやかに育ちますように!


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2006年思うこと

2006年がはじまりました。
次の世代の力を期待します。
言葉を武器ととして、次の世代に出来うる力を渡したいとおもい
ます。
そのために最大の協力を惜しみません。
なんとしても、子どもたちの未来のために力をつくしたいと思っ
ています。それは、私自身のより良い生とより良い死であるから
言葉を私自身のもの、未来につなげるものと信じ、旅にむかいま
す。それは無力なホビットが未来に向かって、向こうの場所に向
かって旅にでたことを再確認していきたいとおもいます。

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時はすすむー2006年へ

2005年もあとわずかになりました。時は止まることなく確実に
進んでいきます。それは良いことです。
けれど、大切な人の時間が止まってしまう、人の死はだれにでも訪
れるもの、こんな当たり前のことがおこってしまってはじめて、生
と死が背中合わせだということに気がつきます。
同じく生を受けて、同じく死んでいくなら、人間らしく生きて、死
んでいきたいと思います。
辛い一年でしたが、たくさんの人たちと心を通わせることができま
した。本を通じて新しいうれしい出会いもありました。自然は変わ
らなく私の心を受け入れてくれました。
幼い時から会留府に来ていた若い人の力をかりて、元気に棚卸しも
終り、新年の準備ができました。
2006年少しでも戦争がなくなり、平和な年になりますように!
また、せっせと本を読んでみなさまと話をしたいと思います。
2006年良い年になりますように!

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最近思うこ事、友達の事ーミドリ

【最近思う事、友達の事】
今回は友達の事、と言うのか人間関係について書かせてください。
最近考えるのはその事についてが多いので。
私は何故か人間関係で悩む事が多いのです。自分がちょっと変わり
者の部類に入るのかなぁという風に思ったりもします。途中まで上
手くいっていたクラスメイトとの関係が途中から上手くいかなくな
る、という事が小学校でも中学でもありました。それはシカトとか
イジメと見えかねないようなもので、正直その頃は親に何か学校に
行きたくない理由があるのだろうか、と心配されたくないという思
いと(両親に心配をかけては申し訳ないというのではなく…ただ漠
然と)、学校に行かなくなることは『負け』だ!という考えがあっ
たから毎日登校していた感じです。今年私は、自分のクラスは自分
が馴染まない雰囲気だな、とクラス替えをした当初から思っていま
した。そして新学年の始まりの頃に『今年は無理にクラスで友達作
んなくてもイイや、勉強する事だけ考えよう』と考えを固めていま
した。そして今、クラスでちょっと微妙な立場になっています。
今現在の対人関係に関する事なので細かい説明は避けさせてくださ
い。
今そんな状態にあるので、人間関係について考えている訳です。小
学生の時も中学生の時も悩みがあったので、私は友達と付き合い、
生きていく中で大事だと思う事があります。それは『自分の席』を
いろんな所に持つことです。中学生の時私は運動部に入っていて毎
日朝と放課後練習がありました。部活の仲間とは中学3年間ほとん
ど関係が悪くなることもなく、クラスで暗ーい顔をしていた日も、
一度グランドに出ると自然に笑顔になれていました。小学生の時か
らガールスカウトに入っていたので、週末には、平日には全く顔を
あわせない友達と会い楽しく話をする事が出来ました。他にも習字
の教室にも通っていたので、普段は顔を会わせないほかのクラスの
幼なじみ達とお喋りしたりふざけあったりしていました。もちろん
家に帰れば私の居場所はちゃんとありました(今も)。そんな風に
教室に居るのがイヤでイヤで何時間と授業があっても何一つ面白い
事は無い様な日々でもちょっとシチュエーションが変われば教室で
の時間なんて考えもせず楽しく安らいですごせる時間が沢山あった
のですごくそれに救われていました。だからいろんな所に『自分の
席』を持つ事、自分が居て当たり前の場所が沢山ある事、が必要だ
と思うのです。あちらこちらで人間関係を築き維持するのはちょっ
と大変だけど、いろいろ手を広げてどれも完璧にはこなせていない
かもしれないけど、それでもクラスに用意された席とおうちの席2
つしか持たないよりはずっとマシだと思うのです。なぜなら、もし
もたった2つの自分の居場所のうち1つがものすごく居心地が悪くな
ってしまった時どうなるでしょう?クラスの居心地が悪くて逃げる
先がおうちしかなければ不登校、引き篭もりになっていくのが自然
でしょう。おうちの居心地が悪くてクラスの友達といる時だけが安
らぐ時だったら、夜遅くまで遊んでくれる人と仲良くするようにな
るでしょうし、プチ家出なんて何でも無いと思って当たり前だと思
います。それに、もし両方居心地がわるくて、どちらからも逃げ出
したくなったら・・・小学生や中学生には(高校生もそうかもしれ
ませんが)両方捨てて一人でどこか居心地のいい場所を探すなんて
とうてい無理です。そうしたら無理してそこで生きていくか、最悪
の場合生きていくことをやめたくなるかもしれないのです。
長くなってしまいました。最後にひとつだけ書いておきたい事があ
ります。それは、人間関係で悩んでいる人の相談にのるとき自分が
いつも言うことです。ずっと信じていたはずなのに最近忘れていま
した。それは『人間関係なんて、刻一刻と変化しているもので皆そ
の流れの中にいる。今の関係がちょっとづつ変わっていくのは自然
なことだから、今までとちょっと違うからってそんなに焦る事はな
いんだ。』という事。私には今もいくつも『自分の席』があります
そのどの席も微妙に変化し続けています。だからめげずに緩やかに
いってみます。(もうすでにちょっとめげてるけど。)


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サンタさんやぁーい!

今日24日はクリスマスイブ、クリスチャンでなくとも子どもたちに
楽しみを与えてくれる、国民的行事になった。サンタさんが来てく
れると信じている幼い子どもたち、その夢を信じていることを喜び
と思うおとなたちで店はにぎやかになる。そのために店では毎年店
名のはいらない包装紙を用意する。
この時期はそのほかに嬉しくおもうことがある。保育所などで父母
の会が中心になって子どもたち皆に本をプレゼントするところがあ
る。一冊づつ包装したり、名前を書いたり手数がかかるが、もらっ
た時の、読んでもらう時の子どもたちの様子を想像することは楽し
い。選書からはじまって、納品まで、本を配るサンタさんのことも
想像しながら、本が無事揃い、無事納品するまでやきもきしながら
の作業だけれども楽しい。
会留府ではもうひとつサンタさんのお手伝いをすることがある。
サンタさんになるのは「総武中央ライオンズクラブ」の方たち、会
員がお金をだして、本を買い、町の保育所、幼稚園、計16カ所に本
を配るということを続けていらっしゃる。毎年11月になると選書を
初め、12月中旬すぎに会員がサンタの格好をして配って歩く。200
05年は21日におこなわれたとのことで、みんなに喜ばれた。
現在は読書に関してもニ極分化が非常に激しく、読書が日常の生活
のなかにしっかりはいっているところは、年々少なくなっているよ
うに感じられる。貧しいから本を買わないということより、子ども
に読書という発想をしない。子どもは幼い時からケイタイだ、ゲー
ムだと機械相手に1人で遊ぶことが多くなってしまった。
子どもは親を選べない。どんな子どもにも豊かな生活を送ることが
できる権利があるのだが。学校は一応法律で学校図書館を置くこと
きめられ、わずかであろうともそのための予算がつく。けれど、幼
稚園、保育所にはそれは該当しない。不思議なことだ。
せめて、1年に一度でも本を持ったサンタさんが幼い子どもたちを
訪れてくれますように!
今年5年目を迎えた「総武中央ライオンズクラブ」サンタさんに感
謝をこめて!
たくさんのサンタさんが増えることを願う。サンタさんやぁーい!

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とびきりすてきなクリスマス

1155120


「とびきりすてきなクリスマス」
 キングマン作 クーニー絵
 山内玲子 訳
 岩波書店 本体1200円


この物語の主人公10歳のエルッキをはじめとして、セッパラ家の子
どもたちは、働きにいってクリスマスにはプレゼントを持って帰っ
てくる兄マッティを待っていました。セッパラ家の10人の子どもた
ちはお父さんからのプレゼントの10セント銀貨入りの、お母さんの
編んだミトンがもらえます。それはそれで嬉しいのですが、1人1
人の希望を聞いて買ってきてくれるマッティのプレゼントは、特に
楽しみでした。ところがクリスマスがやってくる!のうたを歌って
帰ってきたこの夜、いつもとようすがちがいます。マッティの乗っ
た船が行方不明になったというのです。不安が一家をおそいますが
きっと帰ってくるとマッティをまって、すてきなクリスマスを迎え
られるよう準備することにします。エルッキは小さなきょうだいた
ちのためにあることを決心するのでした。そして、クリスマスの夜
セッパラ家にはとびきりすてきなクリスマスが訪れました。
この作品に白黒の挿絵を描いているクーニーは貧しい平凡な人たち
が、そのなかで精一杯生きていく姿や喜びを多く描いています。ま
た、女の人の自立、少年の成長などを描いている作品も多く、水彩
やエンピツをつかったきれいな淡い色調のなかで、地味ですが作家
の生き方がいきずく作品がたくさんあります。
この作品ではマッティの乗った船が行方不明になって家族が心配す
るのですが、いま、イラク戦争のように戦場へいっている家族を、
心配している人たちがたくさんいるのではないでしょうか。子ども
たちがとびきりすてきなクリスマスを迎えることができるように、
平和を願わずにはいられません。

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読み聞かせにいってー大林

ご無沙汰しています。大林ハルです。先月は締め切りを間違えて、
お休みしてしまいました。
さて、12月です。また、1年経ってしまいました。去年、いつも
のような原稿を書いて、今年は年末らしく1年の振り返りをしよう
と思っていたのですが、 12月は慌ただしい。とても、落ち着いて
1年を振り返る気分にはなれません。ということで、振り返りはま
たの機会ということで、いつものように日常お こったこと、思った
ことを書こうと思います。今回は子どもに読み聞かせをしたときの
ことを書いてみます。

小学校の絵本の読みきかせに参加しています。各クラスに一人、お
母さんが絵本を読みきかせに行きます。小さい子には読んだことは
ありましたが、小学生に 読み聞かせをするのは初めてでした。10
月、11月、12月と三回、行って参りました。絵本1冊の読み聞
かせなのですが、子どもの学年、絵本の長さなど を考えると、けっ
こう限られてきます。記念すべき1回目は家にある本の中で学校の
おすすめリストに載っている絵本の中から、娘(担当の学年です)
に選ん でもらいました。娘も私も好きな本だったのですが、読み聞
かせてみると、なんだかしっくりきませんでした。二回目、娘のク
ラスで『ダチョウのくびはなぜ ながい?』というアフリカの昔話」
を読みました。大成功でした。子ども達の反応が笑ったり、歓声を
あげたり、とてもよかったです。こちらの気持ちと子ど も達の気持
ちがピタッと合わさったような感じがして気持ちよかったです。3
回目、違うクラスでまた『ダチョウのくびはなぜながい?』と読み
ました。今度 は笑いも歓声もなく静かなクラスでしたが、やっぱり
気持ちよく読めました。
2回目の時、昔話ってすごいな、とあらためて思いました。子ども
達を引きつける力があるんですね。何を読むか、それがどれだけ大
切かを実感しました。3 回目の時、同じ本なのにクラスでこんなに
反応が違うというのが、とても面白く感じました。子ども達一人一
人の個性が集まって、クラスの特徴を作っている んだな、と思いま
した。クラスや子どもに個性がある、というのを実感しました。

育児サークルで幼稚園に入る前の子を相手に絵本を読んでいます。
その時も、気持ちが子ども達とピタッと合う時、まったくばらばら
で読みづらい時、があり ます。初めはどうして上手く行くときと
上手く行かないときがあるのかわかりませんでした。幼稚園の先生
をしていた人と話していた時のこと「先輩の先生は 子どもを注目さ
せることができ自分はできない。それは子どもが注目するまで、あ
とちょっと待つってことができなかったんじゃないか。」というよ
うな話を 聞きました。なるほど、注目させるのではなくて、待つ。
育児サークルや子どものお友達の集まりでやってみました。早く始
めたい気持ちを抑えて、ほんの ちょっとだけ待っていると、子ども
達は聞く準備をして静かになります。
12月です。クリスマスです。子どもの幼稚園のお友達でクリスマ
ス会をしました。お母さん達でちょっとした出し物をしました。仲
良しのお友達、ママもい てちょっと甘えが出ている子ども達、飛ん
だりはねたり大騒ぎです。でも、出し物のお母さんが声をかけ少し
待つと何かが始まる雰囲気ができてきます。
なんのときでも、子どもをちょっと待ってあげる。ひと呼吸おく。
来年はそれを忘れないよう毎日すごしていきたいです。

1年間、私の文章を読んでくださった皆さま、ありがとうござい
ます。
来年もまた、毎日の出来事を徒然書いていこうと思いますので、
またよろしくお願いし ます。
では、よいお年を!


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ゲド戦記がアニメになるんだって!

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ジブリの次のアニメは「ゲド戦記」だって!ヘーェ!なんか現実味がなくて、なん
となく聞いていたことが大きく新聞に発表されて、まわりがあわただしい。
岩波書店は3月上映の「ナルニア国物語」に総力?をあげてている
ので、それからいくらもたたないうちに今度は「ゲド戦記」。発
表されたのがクリスマスシーズンなので、すこし多めに在庫して
いたものがあっという間にうごいた。
それにしても、「指輪物語」の映画が良くできていたので期待感
があるとしても、そんなにうまくいくだろうか?
文字で書かれていたものを映像化するのは難しい。抽象化されてい
るものを絵、または、映像で具象化するのだから、細部にわたって
細かく表現しなければならないからだ。映画「指輪物語」はよく創
られているとは思うけれど不満がある。たとえば。悪の描き方、異
形として描かれた悪は平たんで存在感が薄い。だから、悪に対して
の戦いとなると、単なる勝敗の問題になってしまう。
「ゲド戦記」のなかで書かれている『影』とは?どう具体的に表現
するのか?
でも、見ないうちにゴチャゴチャ言うのはやめよう。どう料理され
るか、その料理をおいしく、納得して食べられるかどうか。
ただ、まだ本を読んでいない人、かならず、アニメを見る前に本を
読む。まちがえても後から読まない。

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今年出会った樹

yamabosi


「ヤマボウシ」
 姉崎一馬(野山の樹木)
 山と渓谷社より


昨日12月15日は夫の命日だった。
樹木葬で千葉県の大原町にある天徳寺の片隅に夫は眠っている。
いま、生きている私を含め諸々をみまもり、静かに生まれた大地に
かえっていこうとしている。
樹木葬で樹をきめる時、即座に「ヤマボウシ」に決めた。
1973年、近くにフクロウがいる森があるということにひかれて、
千葉に引っ越した。ちょうど、夫の誕生日で暑い夏の日、猫と犬と
5匹の金魚をレンターカーに積んで、そして、そのトラックには一
本の「ヤマボウシ」の樹も積まれていた。
その樹は2人でかよっていた先生から新居のお祝にいだいたものだ
った。けれど、私たちの扱いが悪く(やっと植えて少し落着いたの
に犬が根のところを掘って)枯らしてしまった。
「ヤマボウシ」は大きな樹になる。春、白い花(ほんとうは花でな
く総苞)秋にはかわいい赤い実がなり食べられる。あまり甘くはな
いがおいしい。
機会をみて植え直そうと思いながらも、その後、いろいろのことが
あってはたせなかった。
今度の事があって、11月家を取り壊した。お酒や食糧になった柿、
梅、かりん、さくらやハナミズキやさざんかの樹、狭い庭に所狭し
と植えた樹木や草花たちにあやまりながら。
植えて2ヵ月たった夫の「ヤマボウシ」はしっかり根づいて、心な
しか芽もふくらんでいた。空がとてもきれいな日だった。
千葉は12月に入っても昼間は暖かく、風もなく穏やかな毎日が続い
てきた。店にくるのに歩いてくる千葉高校のイチョウの黄色がとて
もきれいだ。さすがに葉もだいぶ落ちて、枝の間からむこうが透け
てみえる。拾った銀杏も料理の出番をまっている。
5月、日比谷公園で出会ったスズカケ、まだ若い葉の間でちいさな
実が風にのって揺れている。樹にできたうろの中にヒナがいるらし
く親鳥が時々出たり入ったりする。その下では憲法九条を守ろうと
する集会、スズカケの実を拾ってきて図鑑で調べていた夫がいた。

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そこにある雰囲気ーひろや


「そこにある雰囲気」

ケースに入っているタイプのCDの売上が、ここ数年急激に落ちて
いるそうだ。
そしてその代替品として注目を集めているのが「配信ビジネス」で
ネットショッピ ングの感覚で曲を購入、それを個人がiPodなどに
ダウンロードするという方法がその うち一般化するんだとか。
「なんだか物寂しい」そのことを聞いた瞬間は「反射的に」そう感
じた。なぜならぼ くはCDをプレイヤーに入れるときの感じが好き
だからだ。
もっと言えばレコードに針をのせる時の感じだ。音楽が始まる前の
一瞬の静寂。そう いう一連の動作を愛している。それに模範的で清
潔なだけのものは大抵においてつま らない。
一見清潔の権化に見えるオーケストラだって、楽員は家ではカジュ
アルなカッコウを しているはずだし、酒を飲めば後輩に絡むかもし
れない。
「人間なんて不完全」という共通の了解事項を承知の上で、彼らが
美しい演奏をす る。だから感動があるのだ。「なんだあ、やるじゃ
ない、人間」って。
ロミオとジュリエットは一日中「おお、ロミオー」とか言い続けて
いる訳ではおそら くなくて、「なんか、ロミオ最近私に冷たい…浮
気でもしてるの?」くらいのレベル の会話はしている筈なのだ。
多分。
つまり一般的に「美しい」と言われるものには必ず、「人間味」が
存在しているのだ と思う。
だが例外的に、人間味を持たずに美しさを構築する能力を持つ、突
出した人間という のもやはり存在する。歴史はそれを「天才」と呼
んだ。
「美しいだけ」か、「人間味」か。個人によって意見の分かれると
ころではあると思 うが、ぼくはこの意見の差はすなわち「雰囲気に
対するこだわりの差」ではないかと 推測する。
勿論交響楽団の演奏もモーツァルトの小品も等しくクラシックだ。
だが両者は持つ 「雰囲気」が違う。優劣がつけられるものでもない
ようするにごく端的に言えば、ケースのCDの曲とネットで買う曲と
同じような差なの である。「雰囲気」はどんなものからも常に放出
されている。
意外と人は、感性や美意識でその目に見えぬエネルギーを感じ取り
行動している。そ してその過程はさらに深い感性や美意識を育て、
人を成長させる。

この日本という地に外国からやってきた仏教が根付いたのはなぜ
か?
多分古代の人は こう思ったのだろう。「この雰囲気好き」と。
人類が初めて自主的に行った行動は多分、とてもとても広い 意味
での周りの雰囲気——環境に対する直感だったのかもしれない。

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海からのおたよりー12月

20051123_162014_0013

誰もいない海

初冬のおだやかな館山の海辺をひとり歩いて
きました。ついこの間まで北条海岸(ほうじ
ょうかいがん)ではカバザクラという桜貝のなかまが波打ち際に大
量に打ちあがっていました。風向きが変わったのか?今回は見つか
りませんでした。
広い砂浜の真ん中にこの前と同じように流木がぽつんとありました
が、まるで別の場所のようでした。休日の風がない凪なのに散歩す
る人もなく、拾う貝もありません。私は手持ち無沙汰になってしば
らくぼーっと海をながめていました。
館山湾は夕日がとても美しいのですが、この日は空気が澄んでいた
せいか日の入り間近に富士山の頭だけがシルエットで浮かんできま
した。伊豆の大島も見えます。さっきまで青かった海が夕日に染ま
ってすばらしい光景になりました。
こどもとおとうさんが「つり」を終えて迎えに来ました。きょうは
なんでも大漁だったとか。夏には海にしずむ太陽も今は洲崎(すの
さき)にかくれます。みんなだまって暮れてゆく日を見つめていま
した。
これから房州は「大西」とよばれる強い西風が吹き荒れる日が多く
なります。「常春」といわれている館山ですが、朝は意外に冷え込
んで氷も張ります。しかし風のない日の昼間は暖かです。年が明け
るといよいよ花の季節がやってきます。
                   どんぐり変集長 谷口

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サンタクロースをまつ子ども

11月の半ばから時々クリスマスの本のことを聞かれたり、新しい
年のカレンダーのことを聞かれたり、そして、12月になると12月
1日の開店記念セールをするので、店はにわかに、にぎやかに慌た
だしくなります。飾り付けはもちろんのこと、カラフルな絵本が並
ぶために、季節感があふれた店内になります。宗教的な意味合いの
ない日本のクリスマスはなんといってもサンタさんの本がいっぱい
です。そして、おとなたちは幼い子どもたちの夢を壊したくないと
子どもに悟られないように買い物にきます。子どもたちの夢を壊し
たくないことでもあるのでしょうが、おとな自身が思い出を大事に
したいと願っているようです。
何年前からになるでしょうか?会留府ではクリスマスの時は、いつ
ものプレゼント用の店の名前のはいった包装紙でなく、いっさい名
前の入らないクリスマス用の包装紙をつかうようになりました。
サンタさんが会留府で買い物をしたのでは困るのです。サンタは遠
い北の国で子どもたちのプレゼントをつくり、クリスマスイブに持
ってきてくれるのです。
この話を朝日新聞社の千葉支局の若い記者にしたところ、おもしろ
がって小さな記事にしてくれました。(12月6日の千葉版)そして
こんなコメントを最後にいれてくれました。『なお、この記事は、
サンタを待つ子どもたちにはないしょです。』おもわず、笑ってし
まいました。
サンタがいるのか、いないのか、父と子どもで話す本にとても楽し
い絵本があります。

4-8340-0903-3
「サンタクロースってほんとにいるの?」
 てるおかいつこ文 杉浦範茂 絵
 福音館書店 本体838円

文をかいているのは経済学者、絵は装丁など
でも活躍しているデザイナー。ページの下の方ではお風呂にはいっ
たりいろいろなことをしながら、子どもがサンタのことを聞いて、
父親がそれに答えているようになっていて、そのサンタのようすが
上の方いっぱいに描かれています。その絵はまるで楽しい夢をみて
いるよう。
子どもが成長する過程で、きっとこんなやり取りをすることもある
のでしょう!

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いい原作といい脚本ー高橋

           いい原作といい脚本
                      (高橋峰夫)
映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を観てきました。でも、懐古
趣味は現代の自信のなさの裏返しだと思っていたので、最初は観る
つもりはなかったのです。ただ、昭和の再現をVFXでやるという
ので、その興味だけで行ってみました。出来上がりは、大満足でし
た。SF映画のより、日常場面のVFXのほうが大変なのに、違和
感はほとんどありませんでした。
原作のマンガは読んでいましたが、監督も役者も、映画を見るまで
知りませんでした。後で思い出しました。山崎貴監督は、あの傑作
『ジュブナイル Juvenile』を作った人です。文字どうり
の子供向けですが、VFXもストーリーも役者も申し分ない映画で
した。特に、子役がいい映画でした。(そういえば茶川竜之介の頼
りなさがぴったりの役者も、『ジュブナイル』の中で、主役の子の
大人時代を演じていました)『三丁目の夕日』の子役も、私達の子
供時代と同じく、純粋で素朴でした。でも、今の子が演じているわ
けですから、私達は大人の立場で気付かないだけで、今の子供も純
粋で素朴なのかも知れません。
とにかく私達が観て懐かしい映画ですが、考えてみれば、監督も役
者も(婆さんは別ですが)映画の中の時代は経験してないわけです
それでも完璧に再現しているのですから、彼らにとっては、新しい
興味しんしんの時代だったのかもしれません。
4091847552


さて、西岸良平ファンなら知ってるように原作
では、六さんは男ですし、茶川さんは爺さんで
す。小学館も商売上手ですから、『三丁目の夕
日 映画化特別編』というのを出しました。映
画の原案となった短編マンガだけを集めて1冊
にしたものです。映画とはまた違った面白さが
あります。これを読むと、原作のエピソードのしっかりしているこ
と、そのエピソードをうまく生かした脚本のしっかりしていること
を、改めて感じます。
私がこの『映画化特別編』を買ったのは、父親に引き取られた古行
淳之介が逃げ出して、茶川さんの所に戻ってくるシーンを確認する
ためです。原作では1コマで済んでいました。つまり映画のあのシ
ーンは、オリジナル脚本なのです。淳之介は、茶川さんの世話にな
った事に感謝していますし、遠慮も我慢もしています。ですから映
画の中では、茶川さんの指示に従って、出て行きます。しかし逃げ
戻ってきてからは、茶川さんが突きとばしても、突きとばしてもし
がみついてきます。そこには遠慮も我慢もありません。エゴを必死
でぶっつけています。茶川さんが自分を受け入れてくれる確信とと
もに、ここで主張しなければ後がないという必死な気持ちが伝わっ
てきます。
この映画は昭和を再現しているのではありません。昭和の懐かしさ
を再現しているのです。ですからエピソードもコミカルで、おおげ
さで、通俗的です。その中に、こういったオリジナルなシーンを入
れてくる。子供の気持ちの見事な表現です。子役がいいはずです。
考えてみると、西岸良平も変わったマンガ家です。新人賞は取って
いません。ビッグコミック賞の佳作になった作品です。たしか選評
に、珍しい作風なのでこのまま続ければものになるかもしれない、
とあったはずです。そのまま続けて、単行本51巻(隔週刊誌『ビ
ッグコミックオリジナル』で連載のタイトルは『三丁目の夕日』、
単行本のタイトルは『夕焼けの歌』です)デビューの作品で連載中
のマンガ家は、他には秋本治の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』
147巻ぐらいです。こちらは週刊誌『少年ジャンプ』連載ですか
ら、いい勝負です(秋本治は最初は、「山止たつひこ」というふざ
けたペンネームでした)
昭和の子供時代をこつこつと書き続けてきたマンガ家、もちろん平
成になってからの昭和ブームとは関係ありません。その意味では、
時代が西岸良平に追いついたのかもしれませんし、昭和を懐かしむ
こと自体が、日本の衰退期の表現かもしれません。

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29歳の誕生日

会留府は12月1日で29歳の誕生日をむかえました。
正直のところ1年前はどうなることかとさすがのわたしも
、ともかく歩くしかないと思いました。
29歳の会留府は店の大きさ等はほとんど変わりません。
スタッフは私をのぞいていろいろな人たちが、力を貸して
くださいました。会留府が誕生した頃の千葉は第一次の新
住民であふれかえり、あちこちで子どもたちの声が響いて
いました。自分たちの手で読書環境を作り上げようと、市
民の活動があり、地域、家庭文庫ができ、クチコミで会留
府へ来て、一緒にいろいろなことをしてきました。
いま、集団の活動力は緩やかに、弱くなって、読書に関す
るボランティアも少しづつ積み上げて行くかたちでなく、
できる時に短時間で活動するように変わってきています。
私にとってなんといっても嬉しいのは、先日トラックバッ
クを寄せて下さった「はるくんこんにちは」のように、高
校生の頃や幼い頃に来てくれた子どもたちがおとなになっ
たり、親になったりしても会留府を思い出したり、来くれ
ることです。先日も絵本を買ってくれた高校生の名前を見
て“あら、大きくなったのね。そういえばあなたのお母さ
んがはじめて会留府に来た年令くらいになるんだ!!”と
言ったら驚いていました。母親の今の自分くらいの年令の
時のこと、ちょっと不思議なことをみたような表情でした
その人たちが懐かしそうに、かって子どもだった頃に読ん
だ本を選んでいく。この仕事をしていて良かったとおもい
ます。
もうすこし歩いていこうと思います。

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2005年11月

11月は穏やかな日々がながれた。
地球温暖化は困るのだけれど、この暖かい日々はうれしい。
生活はなかなか順調にとはいかないが、5時半の魔の時間をふくめ
て、それはそれなりに規則ただしくながれていく。いまのところ
喘息もおきないし、ときどき忘れっぽくなった頭を叱りながら、仕
事をつづけている。きれいな月と深い闇も見たし、お天気つづきの
せいか、家の前の桜の落ち葉がとてもきれいだ。かさこそと風に舞
うと、はじめて飼った小犬が落ち葉にじゃれついて遊んでいたこと
をおもいだす。もう、30年以上も前の話だ。
今月の本、一番の収穫は「かはたれ」(朽木祥・作 福音館書店)
聞くところによると続編を書いているとのこと、楽しみだ。
あいかわらずファンタジーと称する本が次々とだされるが、新鮮味
がなく、いささかあきてきた。
昨日マーヒーの新作「錬金術」を読んだ。マーヒーはやはりすごい。
近々ブログに感想を書きたいとおもっている。それと、ル=グィン
の新作が出たようで、読むのを楽しみにしている。
明日からいよいよ12月、今年最後の月、店もいそがしく、にぎやか
な月、そして、開店記念の日、それにサンタの来る月。
世界中の子どもたちに平和というサンタが訪れますように!!

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もう一度のお知らせ

先日迷惑メールがひどいことを書きました。
ところが、このことはメールだけでなくブログにもおよんで
います。トラックバックがはいり、あけてみるといかがわしい
画像つきのサイトにつながります。ウイルスつきかもしれません。
たいへん腹立たしく、ともかく見つかり次第削除していますが、
気がつくのがおそくて、せっかく楽しんで見て下さる方々に被害が
およぶのを心配しています。
次の事をもう一度お願いします。
*日本語以外のトラックバック、コメント、メールなど一切あけな
 いでください。
*トラックバック、コメント、メールなどを発信するときは日本語
 で、そうでないときは削除いたします。
*えるふへ、または、えるふ通信へといれてください。
*返信が3日たってもないときはTEL、FAXなどでご連絡ください。
日本語以外をシャッタアウトしてしまうこと、たいへん残念におも
います。インターネットの力、はるか遠くの見知らぬ国の人たちと
も瞬時につながって、その輪をひろげていけることには、目をみは
るおもいでした。それだけに残念ですが、有効な手だてがないので
残念ですがしかたがありません。

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ブログ、メールについてのおねがい

12月をひかえて風邪をひいてしまった。
おまけにPCまで風邪をひいたのかちょっと調子が悪い。
私はMACのクラッシックを使っているので、メモリがたりなくな
って、動作がおそいのが悩みのたねなのだけれど、使いでもよく 
愛着があってなかなか新しいのにかえかえようとしないままにき
てしまった。それにPCはどんどん新しくなるので、追っかけてい
たらとても身が持たない。がんばってくれるわがサムくん(PCの
名前)もう少しよろしくね。
PCでもうひとつ困っているのは迷惑メール。ひどいときには1日
に100通くらいはいってくる。ほとんどが儲け話のお誘いと、い
かがわしいメール、先日はトラックバックにまであって驚いた。
私のブログを楽しんでくださる人が、トラックバックをあけたら
ひどい画像つきのサイトに繋がってしまうなんて・・・。と、い
うことで、私にメールをくだる方は次ぎのようにおねがいします
*日本語で
*あてさきは会留府へ
*件名も日本語で
以上のないものは見ないで削除していますので、会留府からの返事
が3日以上になってもなかったら、お手数でもTEL FAXなどでご連
絡ください。(不明なのはどんどん削除してしまっています。)
それにても、インターネットはおもしろいし、楽しいこともたくさ
んあるけど、不愉快なことも多いと削除しながらブツブツと言って
いますが、なにか良い手だてはないものでしょうか?

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修学旅行に行ってきましたーミドリ

長崎に修学旅行に行ってきました。とっても楽しんで来ました!!
学んだ事もありました。
原爆を体験した方の話を聞き、原爆を体験した街を見てきました。
60年も経ったんだと思うとき、60年しか経っていないのだと
思うとき、両方ありました。
人間は良くも悪くもすごいパワーを持っているんだなぁと思いまし
た。沢山の人を殺す兵器を作る事もできる人間は、悲惨な時を乗り
越えて街を再建し生きていく事もできる。。。自分はそんなすごい
パワーを持てる生き物である。という事は不思議な事だと思います
何というのか、これが果たして人間のした事なんだろうか?と疑問
に思う様な事実がたくさんありました。
普段から一緒にいる友達と、いつもより一緒に居る事になりました
事前に校長からされた話に『旅にでると賢いものはさらに賢く、愚
かなものはさらに愚かになる物である。』という話がありました。
これは本当にその通りでした。普段そう見えない人がとても面倒見
が良かったりして、そういえばこの人は本当は普段もさり気なく優
しい人だったな。と思ったり、その逆もあったりで、クラスメイト
の本質が垣間見えて、ちょっと面白かったです。(私が実は甘えた
がりなのが友達みんなにばれました↓)
P.Sせっかく長崎に行って来たので一番美味しかったモノを・・・
・・チリンチリンアイスが一番おいしかった!!道端で小さな屋台
でおじさんおばさんが売ってました。お試しあれ〜

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ベトナムだより11-2

お元気ですか?
「来週」といいつつ、数週間がたってしまいました。
洪水の後は、識字教室も1週間休校。
道路にたまった泥の掃除で大変そうでした。

鳥インフルエンザも広がっていて、
フエでは、昨日から、鳥の販売が禁止になりました。
大変な伝染病です。。。

ところで、ホネホネさんの写真は、今週末に送ります。
今回の文章は写真なしでも良いかと思います。
最近、なんとなく写真を撮りづらくて。
フラッシュとともに、子どもの集中力が切れてしまうんです。

ではまたメールします。
                    古関陽子
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
日本の絵本をベトナムの子どもたちと読む。その3

前回は、子どもたちと、「あきいろのホネホネさん」
という絵本に色をつける作業しました。
子どもたちは、“ホネホネさん”が骸骨だということにも、
“秋”がテーマだということにも気づいていないようでしたが、
実にカラフルな紙芝居を完成させました。

そこで、今回は、その紙芝居を使って、
子どもたちに、お話の内容を理解してもらい、
紙芝居として朗読してもらうことに。

翻訳作業は、友人の協力を得て行い、
主人公の“ホネホネさん”は、Ong xuong xuong
(オン・スォン・スォン)と訳しました。
xuongは「骨」という意味です。
直訳ですが、ぴったりの訳!

こうして、準備万端で識字教室に向かった私ですが、
教室に入るなり、先生が、
「あ、陽子が来た。今日は、急に会議が入ってしまったから、
 30分くらい授業を任せるわ!よろしくね。」
「えっ!今日は朗読の練習だから、
  先生がいないと困るんですけど。。。」

そんな私の願いは、“もちろん”受け入れられず、
子どもたちと朗読の練習をすることに。
声調が6つもあるベトナム語は、
子どもたちにとっても、私にとっても、悩みの種です。
普段は、口が達者な男の子も、小さな声に。。。

2回通して朗読しても、まだ時間が余ったので、
今度は、私が“日本語で”朗読。
すると、普段は収拾がつかないほど私語が多い子どもたちが、
私の周りに集まり、熱心に聞き始めました。
「日本語の発音って変だね〜。」なんて言いながら。


子どもたちが初めて作った紙芝居「あきいろのホネホネさん」。
発音はまだ正確ではないけど、みんなで楽しく読めました♪
せっかくなので、もう少し教材として使ってみようと思います。
“日本の秋”がたくさんつまっている絵本ですし。

ここ(ベトナム中部の)フエには、乾季と雨季のみで、
秋はないはずなのですが、今年は雨季なのに晴れの日が続いています。
これは貴重な“フエの秋”かもしれません。
子どもたちがイメージする“秋”は、どんなものでしょう?
サツマイモや紅葉は連想できないかもしれません。


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偶像・マツタケーひろや

「偶像・マツタケ」
スーパーの棚に我が物顔で鎮座している「マツタケ」。
ぼくはどうも、あのいけすかない雰囲気が好きでない。だって美味
しくなさそうじゃ んアレ。
牛肉とかならその値段の高さの理由がわかりやすい。色も情熱色の
赤である。いや、別に全てのキノコたちを敵に回そうとしているの
ではないのですよ!ぼくも鍋 の椎茸は好きです。
ぼくが嫌いなのはマツタケですから。
無愛想な色とフォルム。同じキノコなのにあの法外な値段。高いモ
ノを無意識にありがたがるのはバブル経済の名残か。「安いけどウ
マイもの」「高いけどマズイもの」があることを、私たちは忘れて
いな いだろうか。
庶民からの搾取の歴史をここで止めなければならない。
では具体的にどうするか?当然である。闘うのだ。貴重だというだ
けでありがたがられるマツタケと。理由もなくマツタケを崇拝する
庶民の意識と。
倒せ!悪の権化、マツタケを。潰せ!搾取の象徴、マツタケを。
どうでも良いことを非難してうさばらし。
かくいうぼくも小市民。

関係あるような、ないような ーここから会留府


063240
<正しいキノコの見方>
いま、千葉県立中央博物館では
「きのこワンダーランド」の展示をしていま
す。きのこに対するもろもろのいわれなき誤
解を解くためにも正しくきのこを理解するた
めにも行ってみましょう!
ちなみに私はきのこ大好き!おいしい、それ
にふしぎないろいろきのこがあって楽しい。


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海からのおたよりー11月

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20051111_211843_0001
 


久しぶりに館山に宿をとりました。昨夜からの大風で残念ながら波
は高く、水は緑色。うさぎが飛んでいて(沖で白波が立っているよ
うすを地元ではこう表現します)浜には目ぼしいものはなにも落ち
ていませんでした。
今回は宝さがしをあきらめて父子の海釣りに付き合うことにしまし
た。場所は地元では有名な堤防釣りのスポットです。日曜日なので
大勢の先客がいましが、バケツはみんなからっぽでした。こどもた
ちはそれぞれ自分のさおに仕掛けをつけて釣り始めました。魚をあ
つめるためにコマセ(えさ)をまくと堤防の際をメジナの群れがや
ってくるのが見えました。手をのばせば獲れそうなのに、海の透明
度が高いと魚は釣れないようです。なかなかテレビの釣り番組のよ
うにはいきません。
こどもたちも飽きたのか堤防をウロウロし出しました。すると「ク
ラゲの大きいのがいる!」。わたしはタモ網をせいいっぱい伸ばし
て引き寄せてみました。普通見かけるミズクラゲよりはるかに大き
く、重さで網がしなりました。やっとの思いで引き揚げるとかさの
直径は40センチを超える大物でした。(話題のエチゼンクラゲに
間違いない!)網で揚げたせいでかさに網目もようがついています
エチゼンクラゲが外房で採れた話しは聞いていましたが館山湾にも
いたなんて!触手には毒があり、漁業被害が出ているのでかわいそ
うですが堤防の上で御仕置きするしかありません。日干しにされた
クラゲを釣り人たちは珍しそうに見ていました。
しばらくするとハゼが次々にかかりました。釣れだすと不思議なこ
とに釣れるのは同じ種類の魚ばかりです。生きている魚は本当に美
しい!きょうの収穫はメジナ、カタクチイワシ、シロギス、ハゼで
した。釣りに行く回数を重ねるうちにだんだんと釣れるようになっ
てきたようです。夕食は豪華な?てんぷらとなりました。
海から帰ってくるとなにかと忙しいので(いつもながらのことです
が)クラゲのことはすっかり忘れていました。数日してから図鑑で
調べると、館山でお仕置きしたのは「スナイロクラゲ」というエチ
ゼンクラゲのなかまの別の種類のようでした。いくらか青みを帯び
ていたのでたぶんこれでしょう。青団子とも呼ばれるこのクラゲ、
悪いことをしちゃったかな。こどもたちはおとうさんと釣りをする
のがいま一番たのしいみたいです。

どんぐりつうしん変集長 谷口優子


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ベトナムだより11月

お元気ですか?
日本は寒くなっていますか?
こちらは、今日から急激に寒くなりました。。。
台風が近づいて、一日中雨です。
原稿を書いたので、お送りいたします。
今回は、2回に分けたので、短めの文章です。
来週またお送りします。
PCの調子が悪くて、大変です。。。
では、お体に気をつけて、日本の秋を楽しんでください。

日本の絵本をベトナムの子どもたちと読む。その2
    ーホネホネさんと楽しんだー

外国語で書かれた1冊の絵本を、識字教室の子どもたちに楽しく
読んでもらうには、どうしたらよいか。。。
思い悩む私に、ヒントをくれたのが、

10333
「あきいろのホネホネさん」
(にしむらあつこ作・絵/福音館書店)です。


この絵本は、白黒で色がついないので、A3用紙に拡大コピーして、子どもたちに塗り絵を
してもらうことにしたのです。
いつもはうるさい子どもたちも、塗り絵の作業中は、集中して
静かでした。
中には、不思議な絵と、理解不能の文字に戸惑う子もいて、
「これは何?」という質問を受けることもありました。
そこで、私は逆に「何だと思う?」と聞くと、
「○○じゃないの?」と珍回答の連発。。。
サツマイモがダイアモンドに見えたり、狸が猫に見えたり
そして、主人公のホネホネさんが骸骨だということに気づ
いた生徒はいないようでした。。。
私も「骸骨」をベトナム語で何と言うか分からなかったの
で、ホネホネさんの顔は、実に様々な色に塗られることに
来週は、子どもたちに自分が塗った絵を発表してもらう予
定です。ストーリーをベトナム語訳して、生徒に読んでも
らうだけでなく、この絵本に隠された「日本の秋」を紹介
したいと思っています。
子どもたちが作った初めての紙芝居。
どんな反応を見せるか楽しみです。
                   古関陽子

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ドキュメンタリー映画の大変さー高橋

ドキュメンタリー映画『にがい涙の大地から』の上映会に行ってき
ました。旧日本軍が中国に埋めてきた毒ガス弾や砲弾による事故は
今も続いています。この映画はその被害者の現状と、日本政府を相
手取っての訴訟の模様を撮影しています。           
はっきり言って、映画の完成度は高くありません。したがって、あ
まり見たくありません。また映画だけでは誤解を招くでしょう。そ
ういったことに気付いたのは、上映のあと監督の海南友子さんの講
演があったからです。NHKにいた方だそうです。
原因は予算不足だとおもいます。ドキュメンタリーの場合、本と違
って、映画は映像がいります。いくら取材を重ね、いい資料を集め
ても、その時撮影してなければ、画面は埋まりません。監督は中国
で沢山の人に取材したのでしょうが、実際に被害者の家に入って撮
影できたのは、その一部でしょう。カメラマンは監督だけなのです
被害者1人に密着して撮影するだけでも大変な手間です。したがっ
てどうしても、限られた被写体の人の映像が延々と続きます。個々
の被写体の人にのめり込まざるを得ないので、観ている側に反発心
も芽生えてきます。
映画には、中国政府のコメントはでてきません。また日本政府が控
訴した理由もでてきません。被害者の側の感想だけがのべられます
旧日本軍の兵器が原因なのは分かりますが、困窮した被害者の生活
を延々と見せられるのは苦痛です(もちろん明日の生活にも事欠く
のですし、画面の中の病人は死の苦しみなのですが)。仕事中の事
故なのに雇用主の補償もない、薬代がなくて治療が受けられないの
は、中国の制度の問題ではないか。日本軍は中国を破壊して敗走し
たが、日本も焦土となった。彼我の格差は戦後の経済の問題ではな
いか。(映画とは無関係ですが、『諸君』では『中国人を不幸にし
たのは「日中戦争」ではなく「共産主義」という論調です)
映画だけを観て帰ったら、誤解した人もいるでしょう。画面の制約
もあるのでしょうが、日中にまたがる問題の背景を説明し、論駁す
るという映画にはなっていません。まず、実際の被害者の苦しみを
観てもらうのが目的であり、その後で、個々の観客に考えてもらい
たいということなのでしょう。
その映画の欠陥をカバーするのが、監督の講演であり、会場で手渡
される資料のコピーです。『日本で大騒ぎになっている拉致問題も
北朝鮮では誰も知らない、という憤りは、日本人なら誰でもある。
でも、中国人なら誰でも知っている遺棄毒ガス・砲弾問題を私たち
日本人は知っているでしょうか』つまり被害者の悲惨さや制度の欠
陥だけが問題なのではなく、被害者は今も生まれ続けている、被害
に遭えば悲惨な生活に突き落とされるのに、救済体制が整備されて
いないのが問題なのです。そして中国の人が監督に訴えたのは、い
まどこに毒ガス弾が埋まっているのか教えてくれということです。
日本政府の公式発表だけでも、今も中国に70万発の毒ガス弾が埋
まっているのです。中国政府も危機感は持っています。でも日本政
府に危機感はあるでしょうか。日本政府の控訴は許されることでは
ありません。
旧日本軍は、畑や古井戸の中に毒ガス弾を埋めて逃げました。皮肉
にも、中国の経済発展が遅れたから、被害が拡大せずに済んだので
す。農耕に使われていた畑は、いま高度成長によって掘り返されて
います。その建築現場で被害が拡大しているのです。つまり町のど
真ん中です。中国経済がもっと早く発展していたら、戦後60年も
たたずに被害が拡大して、とっくに日中間の大問題になっていたで
しょう。旧日本軍の関係者がまだ若くて、生々しい証言が出ていれ
ば、日本政府も知らぬ存ぜぬとは行かなかったでしょう。
中国取材が終わり、映画の目途がついてから、監督は日本国内の毒
ガスの取材にまわったそうです。つまり神奈川県寒川町・茨城県神
栖町・千葉県習志野です。環境省の旧軍毒ガス弾全国調査で「A事
案」と呼ばれるものです。特に広島県大久野島は悲惨で、中国と全
く同じ被害があったそうです。しかも政府の対応は鈍く、裁判闘争
を積み重ねて補償にこぎつけたそうです。国内のようすは残念なが
ら映画には少ししか描かれませんでしたが、つまり毒ガス弾の問題
は、遠い中国の問題なのではなく、私たちの身近の問題なのです。 
最後に、監督から託されたメッセージを掲載します。
 日本政府は元兵士や旧『満州』関係者に遺棄兵器に関するおおが
かりな調査を行ったことがなく、遺棄情報は中国側に提供されてい
ません。次にいつどこで被害が起こるかわからず住民は不安な毎日
を送っています。旧「満州」の関係者の小さな情報が次の事故を防
ぐ大きなチカラになります。
 情報提供は 海南友子オフイス03−3357−5140まで。
 公式HP www.kanatomoko.jp

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10月も終り

今日で10月も終り、里の紅葉も始まり秋が深くなる。
2005年の10月は気にかけていた夫の埋骨ができた。ほんとに
縁があって千葉で樹木葬ができるところがあるのを知って、訪
ねてみた。樹木葬はもちろんなのだけれど、その考えのなかに
里山を育てるという話を聞いて決めた。
いろいろないきさつがあるのだけれど、お墓にお金はかけない
お葬式はいらないといっていたのを守りたかったし、「仙人」
というあだ名のとおりの人だったので、一番自然なかたちだと
おもっている。
後ろからぶつけられ、自力で車から出たのに、次の車にはねられ
て即死、最初に車をぶつけた人は自分は物損だけだと主張し電話
ひとつ寄越さない心のおぞましさ。どうやってその無念をはらし
たら良いのか悩んだ、今も悩んでいる。
今年の10月は雨が多かったけれど、その合間の秋晴れの空は高く
きれいな月もみることができた。
夫の樹は「やまぼうし」。大きく育ってみんなを守ってくれるの
を願っている。
まだ落着かないし、いろいろしなければならないことが多くてあ
まり本が読めなかったけれど、大好きなりんごや柿の実りの秋、
続けて楽しい本、おもしろいこと紹介したいとおもいます。

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スローライフって?

この頃「癒し」という言葉をしばしば目にするようになった。
とくに自然に対して使われることが多い。私自身のことをいえば
幼い頃から山が見えるところで育ったので、嫌なことが続いたり
失敗があったりすると、ボンヤリと山々のことをおもったりして
いる。そして、のんびりした生活に憧れたりする。でも、それは
たんなる憧れ、自然相手の生活はずっと厳しいことを知っている。
2005.10.17の朝日新聞朝刊にこんな2つの記事が載っていた。
「時の墓標銘」のはソローのこと、その下の記事は「玉村豊男の
スローライフは忙しい」。この2つの記事にはスローライフとは
自然相手ののんびりした生活?自立的に生きること、自主選択権
をもつこと、時にはそのためにNO!ということが書かれている。
jp


「ヘンリーフイッチバーグへいく」
 D・B・ジョンソン文・絵/今泉吉晴・訳
 福音館書店 1200円

この本はソローの思想に共感した作者が、
クマのへンリーを主人公にして自分で生
き方を選択していく考え方を描いている。
スローライフとは厳しく、エネルギーを必要とする生き方なのだ。
スローライフという生活者としての生き方の選択、憧れるけれど
できないだろうと思う。せめて耳を澄まして、目をこらして、
深く息をして、しっかり歩きたいとおもう。

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幼稚園選びー大林

11月1日は幼稚園の願書受付開始日です。この日、来年幼稚園に
入る子どもを持つお母さん達は春ごろから悩まされたこの幼稚園選
びという問題から解放さ れるのです。
いいなと思う幼稚園があるんだけど、迷っている、という人の話を
ききました。なんで決められないかと言うと仲良しのお友達(子ど
ももママも?)が他の 幼稚園を気に入っているから、とのこと。
わたしなら気にいった幼稚園があったら、お友達と違ってもその幼
稚園にすると思います。ただ、わたしにとって 「お友達と一緒の幼
稚園したい」というは幼稚園選びの基準にならないけど、そういう
人もいるでしょう。決められないのは選ぶにあたっての条件が自分
でも よくわかっていないのではないかな・・・。などと、今はきっ
ぱりいえますが、わたしも迷った一人です。どうやって決めたのか
思い返してみました。
子どもの頃わたしは家の近くの幼稚園に歩いて通っていたのでなん
となくそうするつもりでいたのですが、わたしの子どもの場合、毎
日歩いて通園できる程 近くに幼稚園はありませんでした。そのかわ
り通園バスを利用できる幼稚園がたくさんあったので、逆に幼稚園
を決めるにあたって条件がなくなってしまって 選択の幅が広がりま
した。資料を集めたり、見学に行ったり、幼稚園を選ぶ材料集めを
したものです。しかし、子どもに関わり始めて三年とたたない新米
お母 さんには、各園の保育方針をきいても、自由保育?一斉保育?
チンプンカンプンで選ぶことはできませんでした。どうやって決め
たかと言うと、園バスであっ ても遠いところは×、人気があり列ば
ないといけないところは×、などという消去法なのでした。それで
残ったところの一つに、知っている人が通っていた、 という誠に自
主性のない決め方でした。それでも、今では入園当初よくわからな
かった「保育方針」など他の園との違いも少しはわかるようになり
ましたし、 いい園を選んだと満足もしています。
幼稚園選びを経験して。選択肢があるというのはいいことだけど、
逆に大変な面もあるなと思いました。家の近くにあったら、園バス
が来ている園がひとつ しかなかったら、悩むことはなかったでしょ
う。たかが幼稚園に見学や説明会に時間を割いて、こんなに頭を悩
ませ、あげくになんとなく決めて気にいってい る、というわたしの
話を聞くと、ばかばかしいとも思うのですが、高い保育料をはらう
のです。気が済むまで比べたり悩んだりすればいいと思います。
ただ、 その時にひとつだけ気をつけたいこと、それは、子どものた
めを考えて自分の子育てにほんとうに必要な条件なのかということ
をいつも問いかける。そうして いれば、おかしなことにはならない
と思います。幼稚園は子どもが通うところ、子どもが生活するとこ
ろ親のためのものではない。そこで子ども達はいろん なことを学ん
でいくのです。
それをサポートできる幼稚園や親でありたいですね。
                        大林ハル

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行ってきました「ある池のものがたり」ー投稿

arueke
「ある池のものがたり」
 三芳悌吉・作 福音館書店
 1986年初版・現在は絶版
(画像はHP://www.najiranet.com/より)


10月8日〜10日の3連休に新潟に行ってきました。
旅行の行き先を新潟に決めたのはなんとなくですが、この本の舞台
がどこなのか出版当時から気にかかっていた夫の提案で、行きの新
幹線の中で「この池の跡をたずねて行ってみよう!」と決定しまし
た。
この3連休、千葉では雨ばかりだったそうですが、新潟では9日は
汗ばむほどの陽気。レンタサイクルでさがしに出かけました。
手がかりは、表紙を開いたところについている、1917年と1952
年の地図。そして、現在の新潟市内の地図と最後のページの
コピー。最後のページには、教会の2つの塔、そして大きくカーブ
した道が描き出されています。これを片手にまずは、信濃川の河口
を海側に渡るところから始めました。にぎやかな市内の繁華街を抜
けてそろそろ目的地。 
近くまで来ているはずなのですが、なかなか「ここ!」というとこ
ろに行き当たりません。教会は残っているということだったので、
2つの塔を探したのですが、見つかりません。でも、地面は前日降
った雨がまだ水溜りになって残っていて、いかにも水の湧いてきそ
うな土地です。「この辺であることには間違いない。」と、また、
大通りに出て少し行くと、絵本の最後のページにあった、大きくカ
ーブした道路がありました。
「ああ、絶対ここだ!」と、その絵と同じ構図が見渡せる場所に行
ってみれば、そこは、「どっぺり坂」という新潟の人の知る人ぞ知
るスポットになっていて、この絵本と異人池についての説明板もつ
いている場所だったのです。
59段の「どっぺり坂」をのぼってみると、眼下には教会と異人池の
跡地が絵本そっくりに見え、後ろを見ると日本海側の防風林が目前
にありました。絵本で見た新潟の街の変化が実感できるようでした
ああ、やっと見つかったと、しばし市街を眺めていました。
気がつけば、「どっぺり坂」の隣りに立っている集合住宅はその名
も「異人池ハウス」とあり、いまも、そこに池があったことを名前
に残していたのです。
目的を果たして、坂の上から海岸に出ると、前日行った佐渡から帰
ってくる佐渡汽船のフェリーがやってくるのが見え、フェリーと競
争で新潟港まで海岸線をサイクリングしてきました。
写真は、「どっぺり坂」か「異人池」のサイトからご覧下さい。
このサイトの存在は、旅行から帰って知った次第。知らないで行っ
てよかった。
絵本は残念ながら絶版とのこと、図書館でご覧下さい。 

2005.10.22 平野 容子


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こんな総合学習がいいな!ーミドリ

こんにちは。ミドリです。

前回書いた続きを書きたいと思います。
今回は『総合』をいかに使うかって話です。
小学校の時年に何回か校外の先生に来てもらって講演会のような
ものが催されたのを覚えています。普段はただ座って話を聞くなん
てつまらない、という顔をしていてもみんなかなり真剣に聞いてい
ました。あんな風に講演会を開くのも1つの方法だと思います。
興味に合わせての勉強は前回も書いたようにわざわざ取り立てて時
間を取らなくてもいいと考えているので、逆に生徒達の興味がある
かどうかはあまり気にしすぎずに普段聞けないような話を聴く機会
として、使うのも1つではないかと思います。
講演会を開く時に、先生が企画をするのもイイと思います。『こん
な事を学んで欲しい』という思いを込めて立ち上げられた企画はき
っと参加するだけでも楽しいと思いますし、学ぶ事も多いと思いま
す。また、生徒達にアンケートを取って決めると本人達の興味にあ
った話が聞けるので聞く側は嬉しいです。でも、実現しにくいかも
しれないですね。。。
毎回校外の人を招くのは大変だと思います。それに週に一度企画を
決めるだけでも時間が足りないかもしれない。だから、先生方が自
分の話をする、というのもいいと思います。クラスごとに担任の先
生の半生について聞くのもいいし、全校で校長先生が先生になろう
と思った訳を聴くとか、面白そうだと思います。先生の事をいろい
ろ聞くと、先生と仲良くなった様な気がして授業を聞いても何を考
えているのか、さっぱり分からない人の話を聞くよりも聞く気がお
きます。
他にも案があります。あえて何も決めないで生徒達に『私たちは一
年間かけて、これをやりました。って最後に発表できるように。何
をしても構いません。』というのです。ウエディングドレスを縫う
とか、校内にビオトープを作るとか。そして毎時間の作業中は先生
は、困っていればアドバイスをする。ただこれは、小学生にはちょ
っと難しすぎるかな、とも思います。中学生高校生は部活があるか
らそんなに時間を割きたくない、と言う人も多いと思うので、あん
まり現実的では無いかもしれません。ただ文化祭目標にして、直前
意外はさほど忙しくならないようにする、という方法もあるのでや
り方によってはみんなで協力したりするイイ機会になると思います
もう1つ。これは私のお気に入りですが、総合の時間は無くして、
その分週に一日午前中で授業が終わる日を作る。というのはどうで
しょう。そして午後には学校に残るもよし、帰って遊ぶもよし。と
いう日にする。具体的には、各教科担当による質問室を作ってもら
うとか、自由参加の音楽会や観劇会を開催するとか、小旅行を企画
してみんなでその日に出かけるのもいいと思います。それにその日
は部活も活動していい事にすれば、部活命の人も喜ぶかな、と思い
ます。
そして今まで書いたモノを総合して一年間やっていくのはどうでし
ょう?!週に一回は授業は午前中で終わりにして、日によって講演
会があったり、先生の話を聞いたり、どこかに出かけたりいろいろ
な事をやる・・・。それらを全部自由参加にしてしまうんです。そ
して文化祭の3ヶ月前くらいから何かすごいもの作ろう!プロジェ
クトの時間にし、もしも、文化祭までじゃなくて、ずっとやって行
きたい人が出てくればその人はそれから先、自由参加の会には出ず
にそちらに時間を使えばいい。テストの一ヶ月前位から質問室を同
時開催すれば、選ぶ事もできるし、全部無視して部活をすればテス
ト前で放課後の部活が禁止になる時期でも総合の時間に練習ができ
ます。これ結構名案だと思うんですが。。。
先生方、、、どうですか??

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男の料理ブック

daecon
「男の料理ブック」
 だいこんの会・編
 DTP出版 本体1000円

友人が長く料理を教えていた会で本を出版し
た。会の名前は「だいこんの会」。調布市の
福祉ゆうあい公社「男性のための料理講座」
修了生の有志ではじめた料理教室とのことである。
本にはごく普通の料理を中心に会食やおすすめのレシピが載って
いる。その前に包丁の使い方から基本的な道具や食材のことなども
写真やイラストがはいっていてなかなか読みごたえ、作りごたえ?
がありそうだ。
食いしん坊の私は料理が好きだ。料理の本をみるのも好きだ。なん
といっても好き嫌いが多いために自分で作るのが一番なので、コン
ビニのおべんとうもほとんど買ったことがない。
子どもの頃海の近くにいたので、良く魚を食べた。父が魚釣りが趣
味だったので魚のさばき方は見ていておぼえた。その他生活のなか
からおぼえたので、この本に載っている大根、じゃがいも、にんじ
ん・・・冬だいこんを切っているそばでつまんで食べる、水気が多
くておいしい。こんなイメージが今でも私の食生活の中心である。
今の私のまわりの男の人で料理をする人はあまりいない。でも料理
が好きな男の子はずいぶんといるようにおもう。
それなのに、いつのまにかしなくなり、社会にでると企業戦士にな
って、ただひたすら遅くまで働いている人が多いのは悲しいことだ
これから寒くなるけど、たまにはぶりのアラと大根を煮る料理など
はどうでしょうか!ー大根を厚く切ったらお米のとぎ汁で茹でる
P17ーそんなちょっとたコツも書かれています。
男の料理とのネーミングですが、女の人も、学校や社会人になって
1人暮らしをはじめた人にもお薦めです。

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学校で学ぶことの意味ーひろや

「飛鳥川 淵は瀬になる世なりとも 毎週録ってるアニメ忘れず」 
こんにちは!敬也です。
受験生にとって秋というのは、涼しさとともに強烈な「焦り」を
運ぶ季節です。
今月も、もしよろしければおつきあいください。
RE!学校で学ぶことの意味㈪
 ※これは決して「学校批判」ではありません。まだ未熟なぼく
にはできないことです。「愛あるツッコミ」とでも受け止めて頂
ければ幸いです。

 ヒトはその人生の中でさまざまなことを考える。そもそも人間
なんてものが存在すること自体よく考えれば謎だらけだ。
そういった数々の「人生の問い」、人が“考えてしまう”問い。
それに一生翻弄され続けるのがヒトなのではないのか。
「一定のルールに従ってテキパキと情報処理をする」スキルを身
につける塾の教育は、社会で生きていく上では必要となることだ。
だが、塾に行こうが行くまいがそのスキルは身に付けられる筈だし
どちらにしてもヒトがヒトであるということは確認するまでもない
事実である。
そして「社会で生きていく」という現実的問題と同じくらい、もし
くはそれ以上に重要な「ヒトとしての問い」というものも、いつだ
ってそこに存在している。
教師が度々する発言のひとつに「無限の可能性」というのがある。
嘘だと思う。やはり各々のキャンパスに描ける生き方は限りがあ
る。だが「考える」ことができる限り、ヒトはヒトであり続けるこ
とができるとぼくは思うのだ。そしてそのきっかけを作ってくれる
のが本来あるべき学校の機能であったはずだ。
明確な答えなど誰も出せないし、それは教師の方々も同じだ。しか
し、教師という職業は敢えて、その「わからない」という単語、人
生に漂う朝霧に耐える責任を負っている。
暗記やテクニックでは賄えないそれらに。あなた方があきらめてし
まったらそれまでで、生徒はなにも解消できない。さらに辛い静か
な絶望が、学生の方に重く、のしかかる。
そして、学生。我々にも問題が無いわけではない。ぼくらに足りな
いのは「謙虚」な姿勢だ。別に学校という空間において教師が、
「本当に腐っている」なら、ぼくは反抗を止めない。
だがまだ学生、しかもとことん無知な中学生に、その判定を下すこ
とは可能なのか。答えはきっぱりNOだ。無知ゆえに感情に依存し
反抗へと結びつく。この構図ほど個人の愚かさを示すものはないだ
ろう。
もちろん今ぼくが書いていることだって、かなりのレベルで不完全
だ。きちんと意見を示したい時、ぼくの文体はついつい固くなって
しまうが、ぼくはこんな文体好きじゃない。
「汝自身を知れ」と、かの哲学者ソクラテスは言った。本当のこと
を何も「知らない」ということを「知れ」という大変含蓄に富んだ
言葉だ。そして今まで書てきた文脈に当てはめるなら「教師・学生
本来の意味を知れ」だ。(また懲りずにわざと複雑な当てはめ方を
してしまった。)完璧に正しい答えのもとに行動しろとは言わない
学生はこれからそのことについて考えていくのだし、教師はそのき
っかけを作っていくからだ。わざわざいうまでもないだろう。本来
の学校の存在意義が、学校で学ぶ「意味」、そのものだ。本来の学
校の姿について考えて、ときどき反論して、ときどき感心して、悩
んで若さに身を任せて生きていけば、少なくとも学校は,今現在の状
況よりは整然としたものになるだろう。
もしかしたらこんなことをいうことすら、もうとっくの昔に使い古
された、陳腐な祈りなのかもしれない。なんの意味も持たないもの
なのかもしれない。
だがぼくはまだ15歳だから、とりあえずまだ希望を胸に抱いている
ことにする。
(完)
ぼくは「特定非営利活動法人 国境なき子どもたち(KnK)」の
2002年子どもレポー ターとしてカンボジアに派遣されて以来、
活動に協力しています。是非「国境なき子どもたち」 のHPを
ご覧下さい。
「国境なき子どもたち」http://www.knk.or.jp/


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海からのおたよりー10月

2005-10-10


海からのおたより・2005年10月
〜鬼が瀬・海の幸

今月10日までブリヂストン美術館で開かれていた明治時代の洋画家
青木繁の特別展に行ってきました。重要文化財《海の幸》100年の
記念展です。*‘大きなサメを肩にかけた裸の漁師たちが浜を歩
く’大作を教科書などで目にされた方もおられるでしょう。この作
品は房総半島南端の館山市布良(めら)で製作されました。
10月3日のブログで紹介された新刊の「鬼が瀬物語 さいはての潮
に叫ぶ」から20年ほどたった1904年(明治37年)、美術学校を
卒業したばかりの青木繁は画題を布良(本では豊の浦となっていま
す)に求めました館山の夕日は海に沈むのでとても美しいのですが
《海の幸》のバックは描かれた当初は真ちゅうの粉で金色に輝いて
いたといいます。
明治時代の布良はマグロのはえ縄漁がさかんでした。いまではほと
んどマグロは獲れないそうですが、漁をなりわいとしている布良は
漁港を見下ろすように家が密集しています。むかしむかし黒潮に乗
ってやってきた忌部(いんべ)氏が上陸したところと伝えられ、早
くから拓けたところでもあります。和歌山に目良、伊豆に妻良とい
う同じ読みの地名があっていずれもゆたかな漁場だそうです。
房総半島の南端の浜は、知る人ぞ知るタカラガイハンターのメッカ
です。市内の浜でもここは特別です。たかが貝拾い、とは思わない
でくださいね。夜中、ライトで照らしながらタカラガイを採るプロ
たちは最近ライバルが大勢あらわれたせいか種類はふえませんが。
中には半日、貝を拾っていたという人もいるので恐れ入ります。
布良の浜は貝殻混じりの砂が美しいのですが海水浴はできません。
急に深くなっていて危険です。波打ち際を歩いていて急に高い波が
きて足元がずぶぬれになったことが何度もあります。
「さいはての〜」本の中で、こどもが赤い貝を拾っていて波に飲み
込まれる場面が出てきます。海を背にして貝拾いするのはあぶない
のですがここでは要注意です。とてもリアルな描写で読んでいてぞ
っとしました。「鬼が瀬」と船乗りが恐れる布良沖の複雑な地形は
黒潮からのおくりものをたくさん運んできますが、やはり波打ち際
でも布良浜は厳しい自然が顔をのぞかせる場所なのです。
数年前のテレビドラマ「ビーチボーイズ」は布良で撮影されました
ひと夏の若者たちの出会いと別れの物語でした。マイク真木ふんす
るおじいちゃんがステキでしたがこの浜でサーフィンをしたまま帰
って来ない、という切ない結末でした。「鬼が瀬」はいつも暗く牙
をむいた恐ろしげな海ではなく、冬でも荒れていなければ明るい海
です。秋休みの布良海岸は荒れていて、潮であたりは靄がかかって
いました。岸に向かって三角の波が押し寄せていましたが、緑色、
深い青と変化する水の色がとても美しかったです。それが余計にこ
の海のおそろしいところなのかもしれません。
* 青木繁《海の幸》は石橋美術館(福岡県久留米市)
   で展示公開されています。

            どんぐりつうしん変集長 谷口優子

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子どもたちと絵本を読むーベトナムだより

elf9
「子どもたちと絵本を読むプロジェクト」
は、9月になってから、ようやくスタート
しました。

今回は、初日の様子をお伝えします。

「どうやって、日本語が分からない子どもたちに
日本の絵本を楽しんでもらおう。。。」
阿部さんに贈っていただい