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2017年9月30日 (土)

ぼく、ちきゅうかんさつたい

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「ぼく、ちきゅうかんさつたい」
松本聰美・作
ひがしちから・絵
出版ワークス 本体1400円


ぼくはおじいちゃんと地球観察隊をつくった。何をするのだって?まわりのものをしっかり観察する。正義の味方だよ。隊員はいまのところ隊長のおじいちゃんとぼく。ぼくは隊員1号、2号は犬のらんまる。3号もいるんだよ。僕の家のなかにいるクモだ。おじいちゃんはもうたくさん歳をとっているのでベットにいることが多い。ところで僕は困っていることがある。クラスのだいちゃんが乱暴するのだ。嫌いなやつなのでやつけちゃうとおじいちゃんにいったら、まてまて!もう少し観察しようといった。それから、夏にはひまわりのタネを撒いて観察しよう。やがておじいちゃんは病院に入院してしまう。「かんさつして はっけんしたことを、このノートにかいてくれたまえ。たいちょうより」(オビから)!!
 小さな身の回りのことをしっかり観察するときっと良いことがある、新しい発見がある。急がなくともいい、そうおじいちゃんが僕に語ります。この物語のなかでは観察、発見することがあたらしい世界の第一歩になることをエピソード風の物語として書かれています。いろいろ発見したことをおじいちゃんに報告するかたちでお説教でなく書かれています。おじいちゃんの死も書かれています。子どものことだけではありません。たとえば狂騒ではじまっている選挙だって、もっとしっかり観察して投票しましょうということに当てはまります。
 本のなかの折り込みに上遠恵子さんが、センス・オブ・ワンダーを、中村桂子さんが人間も生きものなのでひとりひとりちがう、ちいさな生きものを観察することはどのように人間として生きていくことなのかということに繋がっていることを書いています。


2017年9月28日 (木)

こどもってね・・・・・・

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「こどもってね・・・・・・」
ベアトリーチェ・アレマーニャ
みやがわえりこ 訳
きじとら出版 本体1600円


大判の本いっぱいに描かれている子どもたち、人種的にいろんな子どもでもなく、年齢的にでもなく、数えてみると34人のいろいろな表情の子どもたちが表紙(裏もふくめて)に描かれている。たぶん小学生位だろうか、あまり幼い子どもはいない。そのいろいろな子どもたちはかってのあなたであり、私なのだ。だから幼い子どもには良くわからないかもしれない。むしろ少し大きくなっている子どもたちは”うん!うん”と感じてくれる。最初のページに書かれているように、子どもの時ってとっても短い、おともなくおとなになってしまう。思春期はだから子どもとはいわないのかもしれない。だって身体が日一日と変わっていくし、ある日突然もう自分は子どもではないのだと気がついてしまう。
 ”こどもってね、みんな いつかおとなになる ちいさなひと”子どもの時早くおとなになりたかった。自由に時間も物もできるようになると思っていた。ただ私はそう思っていたけれど、違う気持ちの人もいるということを知ったのはずっとおとなになってからだった。子どもでいたい、おとなになりたくないといった人、いまはどうしているだろうか。
 かって子どもだった、あの時、そうだよなぁ!とこの絵本を見ながら思った。母が生きていたらいっしょに読みたかった絵本だ。
 

2017年9月27日 (水)

ふたばからのおたより  -9月―

       

              ゆっくり読む

 秋になると、図書館や小学校でおはなし会が花盛り、日頃はなかなか協力できないので、さすがにこの季節には毎年何回か、おはなしボランティア活動に参加している。
 先日も、ある小学校の低学年クラスでおはなし会をさせていただいた。私の担当は「ダチョウのくびはなぜながい?」というアフリカの昔話絵本だった。実は、その日のプログラム、大型絵本も入れてあったが、どれも短めの話で、手遊びを入れても、その後の素話を入れても、あまりに時間が余ってしまう。いやあ、困った。斜め後ろの教室の時計を横目で盗み見しながら、とにかく、ゆっくりゆっくり読んで時間を稼ごうと考えた。
 ゆっくりゆっくりページを繰る。ゆっくりゆっくりお話が進む。すると、なんだろう。空気がしーんと乾いてきた。アフリカの風だ、ふいに思う。子ども達が息を飲み、お話の中に入りこんでくるのを皮膚のどこかがジリジリと感じてる。それでも、私は横目で時計をちらりと見る。ゆっくり、ゆっくり・・・。
 今までに何度か子どもたちの前で読んだことがある絵本だったが、特に好きなわけでも面白みを感じていたわけでもなかった。読んだ。はい、おしまい。ただそれだけのはずだったのに、何が起こったのだろう。聞く子どもたちと読む私と、絵本の周りに異国の風が吹き、私たちどちらも魅了されていた・・。この秋の不思議な収穫だった。
 いつだったか、数学者だった父のお弟子さんから聞いたことがあった。「昔ね、先生に、その頃流行っていた学説の本を読んでおいた方がいいかと伺ったことがあったんです。先生は、ウンとは言われなかった。僕が先生から教わったのは、一年をかけて6ページ読むような、そんな本の読み方でした。」父が死んだのは、もう四半世紀も前の晩秋だったが、何だかそんなお弟子さんの言葉を思い出したりもした。

 10月は里親月間です。
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今年もそれに合わせて、10月17日から23日まで、きぼーるアトリウムにて里親制度啓発のパネル展示を行います。また、直後の29日(日)の午後には、同じきぼーる3階子ども交流館にてシンポジウムを開催します。今回は児童養護施設出身の元プロボクサーの方と里親家庭出身の若者たちに語っていただきます。多くの皆さまのご来場をお待ちしております。(画像をクリックすると大きくなります。)                (の)


2017年9月22日 (金)

まっくらやみのまっくろ

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「まっくらやみのまっくろ」
ミロコマチコ
小学館 本体1400円


いつ生まれたのか、どこから生まれたのかしらない。気がついたらまわりはまっくら。どれくらいねむっていたのだろうか。まっくろは何者かわからない、ここはどこだろう。まわりもまっくらでわからない。ただこのままではいられない。だれかが自分を呼ぶ、どんどんと胸をたたくものがある。まっくろのなかでてっぺんからつのがはえた。そうかサイだったのか。けれどそれはどんどんふくらんで身体はぶつぶつがわいてきた。サイではない!そうか自分はホロホロチョウだったのか!こんなふうに自分はどんどん変わっていく。それは誇らしい気持ち、力がわいてくる。もうまっくらのなかのまっくろではない。たっぷりと水を飲んで力が弾けとんだ。どんどん華やかな、力みなぎるものになる。やがて静かに太陽は沈む。そうか!まっくろは太陽のなかにいたのか。静かに静かにまっくろはねむる。やがてまっくらのなかにできた無数のまっくろ。
 画家のエネルギーがまっくろのなかで迷っている無数のまっくらに呼びかける。自分は何者かわからず、闇の中をはいまわっているきみに贈りたい。

2017年9月21日 (木)

わたしがいどんだ戦い1939年

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「わたしがいどんだ戦い1939年」
キンバリー・ブルベイカーブラッドリー作
大作道子 訳
評論社 本体1600円


1939年第2次世界大戦がはじまった。主人公のエイダは母親と弟ジェイミーと暮らしています。エイダは生まれつき足が悪くて、10歳までアパートに閉じ込められて一歩も外にでることを許されませんでした。いうことをきかないと台所の下の戸棚に閉じ込められます。ゴキブリがはいまわっている不潔なところに押し込まれます。これはいまでいう幼児虐待なのですが、母親はもちろんそんなことを思ってはいません。父親は事故で死亡、母親ひとりで子どものめんどうをみなければならないとか理由はつけられますが、ジェイミーの出生届ももちろんエイダの学校へいくことも、母親はそのことがどんなに重要なことだとは思っていません。エイダの不自由な足は足首のさきから内側に曲がっている内反足というので生まれた時に手当をすれば歩けるようになるのですが母親は無知と思い込みで適当な処置をしなかったためエイダは歩くことができない状態になっていました。都市は爆撃されるおそれがあるために子どもたちの疎開がはじまりました。当然母親は疎開など少しも考えていません。
 エイダは自分の足で歩けるように血のにじむ努力をします。それはこの物語の背景にながれているナチに対しての市民の抵抗と自分を離さない母親への抵抗とエイダ自身の自由になりたいという要求に対してあきらめてしまおうとする自分自身の戦いです。弟をつれて家を出たエイダたちは運良く?疎開の子どもたちにまぎれ、行き着いたところはケント州イギリス海峡に面した村です。そこでこれも行き違いだったのですが親友を亡くして生きる希望を失っているスーザンに引き取られます。ヨーロッパ大陸が目の前にひろがっている安全といわれた所は、今では空中戦の舞台になりつつあります。ヒットラーひきいるドイツ軍の侵攻はもうすぐそこでした。この物語にはもうひとつイギリスらしい馬に関してのことがエイダの生き方に重要な意味をもつことがらがあります。エイダは歩けるように訓練を自分でしとげますが、どうしても長距離には無理、そこで馬に乗ることを思いつきます。馬がきっかけでエイダと違う裕福な名家の娘だけれども、これもまた、家にしばられそこから自由になりたいと思っているマギーという親友ができます。これらの物語の背景にエイダとジェイミーをはじめはしかたなしにうけいれたスーザン、そして、エイダたちにきちんと生きていかれるように手を貸す村の個性豊かな人たちが描かれていて物語に厚みをもたせています。最後にスーザンの愛と母親の愛にしっかりむきあって、本当の意味で自立をしていくエイダの成長で物語は終わります。(続編があるとのこと、翻訳されることをねがいます。)
 私たちというか私は何でもある程度かもしれませんがそろえてもらった子ども時代のなかに生きてきました。そして、それがあたりまえのようにおもっている。もうそういう生活はゆるされなくなっているにもかかわらず、なんとかなりそうな錯覚をもっている。いそがしいとか、ひとりではできないとか、いろいろと言い訳しながら生きている。子どもたちというより、おとなが自分がなにを願っているのかしっかりと考えなければならないと思います。

2017年9月18日 (月)

キジムナーkids

Kids
「キジムナーkids」
上原正三 
現代書館 本体1700円




読むのにひどくつらい本だった。どう紹介したらよいのか迷いに迷ったけれどやっぱり書こうとおもったのは昨日のニュースだった。10代の少年がガマに入って乱暴した、遺骨まで。「心霊スポット」などと言っているとのこと、新聞を通してなのでほんとうのことはわからないけれど、新聞を読んだ時はおもわず絶句した。少年達は働いている。どんな育てられ方をしたのかな?2000年前後に生まれた子どもたちだ。
 この本は作者の自伝的小説とされている。1937年沖縄生まれ、シナリオライター。ウルトラマンのシナリオを手がけている。物語は熊本に疎開していた少年が家族で沖縄中城村の久場崎沖にきてDDTの洗礼を受けることからはじまる。小学5年生ハブジロー・ポーポー・ベーグァ・そしてぼくハナー・もうひとりサンデーがいる。サンデーはなにもしゃべらない。学校にもいっていないし、年もわからない、家がどこにあるかもわからない、ポケットにはいつもアメリカのタバコをしのばせている。少年たちはいつもおなかをへらしていて、栄養失調。飲み水はボウフラがわいているため水、だからマラリアが蔓延している。もちろんシラミやノミがいるのはあたりまえ、一番手っ取り早く物を手に入れる方法はアメリカ兵にたかることだ。これは沖縄でなくともいわゆる本土で当たり前にみられた光景だ。そして、沖縄と同じように広島も長崎も空襲で家族をなくした子どもたちのあらゆるところで見られた光景だ。これでもかこれでもかとその子どもたちの描写が続く。けれど決して悲惨と絶望ではない。どうしてちがうのか?一番大きなことは沖縄の人たちは負けない、あきらめないということかもしれない。少年たちは両親や兄弟たちが殺されるのをみている。けれど命がけで自分を助けてくれた人がいたことも知っている。
 この物語が私の胸をうつのはうそがないから、いいえ、うそがあるから。生きて行く為にうそをつく、ごまかすし、盗みは当然、でも自分には正直に生きていこうとする。それはなかなかできないことだ。裸になってしまわなければ生きていけなかったのた。少年たちは裸になれるギリギリの年齢だったからかもしれない。
 作者は「戦争が終わってほっとするまもなく戦後の混乱に巻き込まれた。だけど動じることはなかった。それはおそらく透視能力を身につけていたからだとおもう。その魔法の目で、一人ひとりがはるか彼方に色とりどりの光を見つけ、その光をつかむために走り出していた。ーあとがきからー」
 でも、いま心霊スポットなどという禍々しい物をつかむためにガマに入って狼藉をする少年がでてきた。なにをどう考えたら良いのか、もう一度この本を読んでみたいとおもう。
 

2017年9月17日 (日)

じゅう じゅう じゅう

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「じゅう じゅう じゅう」
こどものとも0.1.2. 10月号
あずみ虫 さく
福音館書店 本体389円
子どもたちが好きな?ホットケーキと目玉焼きにコロコロにんじん、ウィンナーもあります。焼ける音からつぎのページではお皿にのせられています。おいしそう。裏表紙には子どもの前にそのお皿がならんでいます。幼い子どもたちは食べものが描いてある絵本が好きです。ただひとつひとつ聞いてみるとアレルギーの子どもがいて卵は食べられなかったリ、やっぱり昔から人参が苦手な子どもがいます。でも、あまり絵が具象的でないせいか、おとなが思う程そこは割り切っている、食べられない食べものが描かれていても、食べものの本は人気があります。食べるということは生物がもっている基本的な欲望だからかもしれません。この絵本ではひとりでいるのがちょっと気になりますが、食べられないものが描かれているからといって本がきらいではないのは、食べる時のうれしさがが刷り込まれていて、孤食のつまらなさことすら気にはならないようです。

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「おにぎり」
平山英三ぶん
平山和子え
福音館書店 本体900円


華やかな食べ物が描かれているのが多いわりにこのシンプルな絵本も人気があります。おにぎりができるまでの絵本です。絵を描いている平山和子さんの絵本に「くだもの」福音館書店刊がありますが、”さあどうぞ”と子どもたちに呼びかける同じ手が描かれています。そして、やはり子どもたちに呼びかける言葉”ほらできた””たくさんできた”など。そして、ごはんはおいしそうなおにぎりになります。おにぎりが魔法のおにぎりになります。”はい、どうぞ””いただきま〜す”母がつくったおにぎりはまん丸でした。

2017年9月16日 (土)

海のかたち

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「海のかたち」
ぼくの見たプランクトン
たくさんのふしぎ10月号
吉野雄輔 文・写真
福音館書店 本体667円


台風がくるという。明日あたり東の方へもむかってくるという。台風が去った後秋が訪れるのだろう。台風そのものは目に見えない。風の強さとか雨の降り方とか、現象として認識される。それは海にも言えそうだ
とくに海の中、人の目では見えないものがたくさん蠢いている。陽のあたりかたとか、光の反射とか、風が動かす波、でも海の中にもたくさんのものたちが生きている。そのなかでとても不思議な形をしているけれど、人の目ではみえないもの、プランクトンのことが写真をとおして描かれている。プランクトン、この本のぺージをめくっていろいろなプランクトンの写真を見ると、ほんとに不思議なものたちだ。プランクトンは自分で泳ぐことができない。漂っている、だから浮遊生物、ギリシャ語では放浪者という。(18Pから)貝殻のように身体を覆っている物がない透明だ。海の中というか底というか、いることが多い。イカとかヒラメとかヒトデとかカニ、エビ、タコなど、かれらはみんな水に抵抗がない丸い身体をもっていて、そういえばみんな小さな丸い目をもっている。プランクトンもその幼魚も透明な身体を持っているものが多い。
 台風がきた時、海の中はどうなっているのでろうか。この透明な生き物たちはじっとしているのだろうか。自分の方から動くことはなくいつも漂っているという浮浪者たち、こんな生き方もよいかもしれないなぁ。

2017年9月13日 (水)

エンリケタ、えほんをつくる

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「エンリケタ、えほんをつくる」
リニエルス作
宇野和美訳
ほるぷ出版 本体1500円


見返しには本棚から本をとって木陰で読む”本はもちはこべるうちゅうだね”とエンリケタが猫のフェリーニ言っています。エンリケタはママからすごい色鉛筆のセットをもらいました。さぁ!これでお話を描こうと思います。まずタイトル「3つのあたまと2つのぼうしのモンスター」なかなかいいね。ーよる、エミリアはベッドのなか、すきすきちゃんもいっしょ。暗くなるとなんだかへんな音がしますーこんなふうにエンリケタの物語はすすんでいきます。本の端にエンリケタのお話をつくっているようす。中心にはそのお話が描かれています。この本は絵本となっていますが作者は漫画家なのでいつもの私たちが読みなれている絵本とちょっとちがいます。なかなか新鮮でおもしろい。わたしはすっかりお気に入りの本になりました。エンリケタは子ども、想像力豊かな子どもです。もちろん描いているのはおとななのですが、読んでいるうちに私も昔こんなことして1人の時あそんだっけ!と思い出しました。そのままの気持ちを持ち続けていたら、私も偉大?!な作家になっていたかも。でも残念ながらどこかにおいてきてしまったみたい。でも、時々こういう楽しい本にであうと、エンリケタのように元気がでます。
 (ところでリニエルスの大親友のデザイナーのパンツがあたると帯に書いてあります。応募してみたら!!)

2017年9月11日 (月)

森のおくから

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「森のおくから」
むかしカナダであったほんとうのはなし
レベッカ・ボンド作
もりうちすみこ訳


表紙に描かれているのは木の影から何かをうかがっている男の子、その後ろや草むらにはいろいろの動物の姿が見えます。かくれんぼをしているのでしょうか。(私の好きな「もりのなか)を思い出しました。ここはカナダオンタリオ州の深い森に囲まれたゴーガンダの湖のほとりにたっている宿屋のお話です。1914年この宿屋の息子アントニオが5歳になった夏のことでした。暑い夏には時々あることなのですが、森で山火事がありました。大きな火事で泊まっていた人たちも、どんどん燃え広がる炎のなか、もちろんアントニオもみんな逃げました。逃げたといってもどんどん山火事は大きくなっていきます。とうとうみんなは湖の中に入って炎から逃げようと思いました。人びとは水につかってじっと、そこへ森の中からやはり逃げ出してきたものがありました。森に住む動物、生き物たちです。ヘラジカやクマのような大きな動物もウサギやネズミのような小さな動物たちもいます。それらも人びといっしょにすぐ近くでいっしょに、静かに炎が小さくなり煙が小さくなるのを待ちました。とうとう火事の炎は小さくなり動物たちは静かに森に帰って行きました。アントニオも帰ります。泊まっていたおとなも静かに帰って宿屋が焼けなかったことを感謝しながら眠りにおちました。
 絵がとても良い、みかえしに描かれている動物たちも、ページいっぱいに描かれている人びとの食事のようす、働いている人たち、泊まり客の個々の小さな部屋、そして3階にあるいわゆる大部屋、ここでは底辺に近い鉱山の労働者や猟師などが泊まっている。(もっとも訳者はホテルと訳しているけれど、わたしには大きな宿屋のようにおもう、ホビット達も旅をしながら泊まった宿屋、食器のぶつかる音や食べもののにおいがする、時には歌声や楽器の音が聞こえたのではないかと思う食堂)。物語の後半のページは静かに固唾をのんで湖につかっている人びとと鳴き声ひとつあげない動物たち、じっと自然の怒りに耐えているようなシーンはまるで私自身がそのなかにいるように思われます。
 この話は作者の祖父の経験した、(アントニオは祖父なのです。)できごとから聞いた話をもとにして描かれたとのことです。作者には他に「ドーナツだいこうしん」偕成社刊、「あかちゃんのゆりかご」偕成社刊「牛をかぶったカメラマン」光村教育図書刊があります。どの絵本も静かな作風のなかにユーモアと人びとの暖かな生活がながれていて私の好きな絵本です。
 ゴブリン書房さんのおたよりによると作者はこの8月に亡くなられたとのことです。


2017年9月 6日 (水)

きょうはたびびより

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「きょうはたびびより」
ちいさいかがくのとも10月号
とうごうなりさ さく
福音館書店 本体389円


千葉に住んでいる私たちにヒヨドリはとても馴染みのある鳥です。わがやの空き地にある木の枝に果物の食べ残しなどを刺して置くと集まってきます。前にはよく寒くなるとそうしたのですが、今はやめてしまいました。ヒヨドリはうるさくて裏の家にご病人がでたのと、カラスがやってくるので、木はやめてベランダにしたところ今度は猫が鳥を狙い、ある日帰宅してみると鳩が無残になっていて、そんなことでもあり野鳥の餌やりはやめました。ただ冬寒くなると米粒のような鳥の餌をカゴに入れて木に吊るすようにしました。
餌が粒だとカラスは食べられない、木に吊るすと猫には届かないということを発見しました。幼鳥のヒヨドリが3年越しできます。(同じ鳥だと私が思っているだけかもしれません。そのヒヨドリはこの絵本のように綺麗でなくボサボサ頭なので同じヒヨドリと思っています。それに人なっこくてそばまできておせいじにも美声とは言えない鳴き声をあげるのが特徴なので私がそう思っているのです。
 この絵本でヒヨドリの中には渡りをするというものもいることがわかりました。その時集まる場所に千葉の富津岬があることを知りました。一度行ってみたいなぁ。渡りをする鳥としない鳥があるとのこと、理由はわからない、それは人間の手の及ばない範囲でそれもちょっと嬉しい、そして何度も挑戦しながら群れをつくって渡っていく。刷り込まれた行動だとはわかっても頑張れ!と声をかけたくなります。
 秋が少しずつしのび寄ってきます。陽か落ちるのか早くなって、店から帰る頃には暗闇の中に電気がともるのか暖かく嬉しい気分になります。この絵本のヒヨドリは消しゴム版で描き、気がつくと灰色の部分だけでも100種類もつくったとか、すごいなぁ。山口さんの解説も面白いです。

2017年9月 5日 (火)

絵本「よるのおと」の制作

 昨日4日、前にお願いしていた絵本「よるのおと」が「よあけ」と同じ手法で作られたと聞き、どういうことかと偕成社に聞いたところ、説明するからどうぞという話になりご好意に甘えて偕成社にうかがった。
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6月14日のこのブログに感想を書いた「よるのおと」たむらしげる 偕成社刊が入ってきた時、この絵本の基調の青色がすごく綺麗なのに目をみはった。画家はデジタルを十分に使って何冊の絵本を描いている。
音のない世界、少年が池の周りを歩いておじいちゃんの家に行くまで、いわゆる生活音のない夜、音はほとんどというか全然表記がない。ただあとがきに書いてあるように作者は芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」(ページがある)に啓発されて描いたということは良くわかる。その点「よあけ」も漢詩からとられたというとおり、ほとんど説明の文がない。静かに夜が明ける、おじいさんと孫はその中を船を漕いで出かけて行く。どちらも文は説明としてないけれど自然の沈黙の中で、むしろ豊かな物語が展開される。でも一方は水彩のような画風、「よるのおと」はデジタルを生かして制作されていて、色が綺麗なのは単純に印刷技術の進歩と技術の違いとして捉えていた。それが同じような印刷のやり方がされている、これは何としてもどういうことか教えてもらわなければと偕成社に申し込んだ。快く広松編集長が話してくださるというので、それなら何人かに一緒に勉強してもらおうと、これも快諾してもらえた。

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(クリックすると拡大できます)
この絵本制作の共通のところ、「かきわけ版」いうのだということ、ただ違うのは「よあけ」が手仕事「よるのおと」はデジタルとのこと、そして、手仕事でできる印刷の職人さんはもういないということだ。広松さんは一枚一枚、一場面ずつ色の三原色から始まって色を重ねて作られる方法を説明してくださった。
 私はよくお客様に最近の絵本は本当に綺麗になったと話をする。強い色はもちろんでも、淡い中間色なども原画に近くなっている。(もう一言・・・墨色がいいー色を引き立てる)
 一緒に行った店の「絵本の会」の人はもちろん、こういうところにほとんど行ったことのないという図書館の人たちもとても勉強になったと言っていた。
画家は命を削って描き、編集がより良い本の形に位上げて行く、優れた絵本の中にある感性と時間とエネルギー、さあ!それをどうやって子どもたちに届けようか・・・私も考えなければ!!
 広松様はじめ快く引き受けてくださった偕成社の皆様どうもありがとうございました。

2017年9月 3日 (日)

エルマーとブルーベリーパイ

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「エルマーとブルーベリーパイ」
ジェーン・セアーさく
シーモア・フレイシュマン え
おびかゆうこ やく
ほるぷ出版 本体1400円


妖精のエルマーが住んでいる家はパイを時々作ります。冷凍パイではありませんよ。ちゃんとパイ生地を伸ばして作ります。今日はブルーベリーがたくさんなったので摘んでブルーベリーパイです。エルマーの大好きなパイです。甘くてとろりとしていてね。お腹いっぱい食べたけれどまだ残っていたので、明日の朝を楽しみにして寝ました。ところが朝起きて見ると、みんなですっかり食べてしまったあと、家族はちがうパイを食べますが、エルマーはなんとしてもブルーベリーパイがたべたい。いろいろと頼んで見ますが、残念ながら妖精は人間には見えないし、声も聞こえない。あんまりがっかりしてお皿から出るときに魔法の布で足を拭かなかったので足跡をつけてしまいました。エルマーはそれを見て知らせる良い方法を考えました。
大成功です。!妖精のエルマーの表情がとても可愛い。そうだ!私もパイではないけれどジャムがあった。明日の朝食はご飯でなく、パンにブルーベリージャムをつけて食べよっと。
 9月はおいしい食べ物の絵本を紹介します。食欲の秋ですから!

2017年9月 2日 (土)

お知らせ

      rain今日2日の「えるふ夏のお話し会」は台風のため一週間延期です。
      flag9月9日(土)になります。時間は変わらず7:00からです。

2017年9月 1日 (金)

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「て」
こどものとも年少版10月号
とのむらせつこ さく
福音館書店 本体389円

手をあんまりしみじみ見たことがなかった。手に限らず自分自身の体をあまりしみじみと見ることはなかった。特に若い時には。それをしみじみと見る時は、何らかの形でマイナスの時だ。病気をした時、けがをした時、その人が亡くなってしまった時だ。「て」、私自身の「て」を見たのは店をすることになって自動車の運転免許書を取りに教習所へ通い始めた頃、右手の指、小指から始まったのだけれど第一関節が痛みと同時に腫れた時だ。リュウマチではないかと病院へ行った時、そうではなかったので気にしないようにしたけれど、痛みには困った。あまり長い時間ボールペンや鉛筆が持てない。ただいつも痛いかと思うと時々でそうでもない。そのことはいまでも変わらない。どうなっているのかとじーっと手を見る。わからない。
 この絵本の家族の「て」大小様々、どの「て」もそれなりにがっしりとしている生活者の「て」だ。でも大人が作業している時の「て」はまた、随分違うと思う。人と人をむすびつける「て」、それを通して血が流れ込むような気持ちになる。
 母の手は綺麗だった。ふっくらと色が白くて、指先が細かった。難病になって注射のあとだらけ痣だらけの腕、でも手は細っそりと生きていた。時々母のことといえば「て」を思い出す。


ごちそうの木

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「ごちそうの木」
タンザニアのむかしばなし
ジョン・キラカ作
さくまゆみこ訳
西村書店 本体1500円

アフリカ・ケニアのお隣の国タンザニアの昔話が絵本になりました。アフリカの昔話は時々語る人がいて聞く機会があります。日本からは遠い国ですが、意識の中には少しばかりの知識があって、そのくせほとんど知らないのはどうしてからかと思ってみました。新聞などのメディアをとおして、本から知るということが多いのは、まだまだ少ないとはいえ絵本などが出版されているからと思い当たりました。作者の本も私は初めてではありません。岩波書店からだされていた「チンパンジーとさかなどろぼう」を面白く読んだことをおもいだしました。どろぼうがやめられないチンパンジー、紙の質がちがうのでこの本のように鮮やかな色づかいの絵本ではありません。なんともまぬけな?おおらかなおはなし、でも、この本もそうですがひでりで食べ物が手に入らない、アフリカといえば人種差別と、飢餓、内戦、なんだかいつも悲惨なことを聞くことが多くて、悲しい大陸というイメージが強い、それだけにゆかいな絵本は人々のエネルギーを感じます。
 ティンガティンガ派という独特の手法の絵は昔話にはぴったりです。先日来日されて講演会もあったようですが、残念ながら行くことはできませんでした。原画が見たいなと思います。

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11月の営業とお休み

  • 11月のお休み
    *お休み 3日(臨時)・6日(月)・13日(月)20日(月)27日(月) *営業時間 10:30〜6:00 日曜日は1:30〜6:00

お仲間にどうぞ

  • ー元気になる集まりいろいろー
    *よいこ連盟(保育士・なろうとする人)10日(金)7:00〜 「おもちゃと子ども」おもちゃカフェサンタ・西宮さんを囲んで話を聞く          *Y・Aの会 読書会(どなたでも)9日7:00〜 「とりあげる本 紙の動物園」        *学ぼう語ろう〜13日10:00〜「母の友10月号を読む・子どもの貧困とは(どなたでも)   *絵本の会 今年のクリスマスの絵本をみよう 17日7:00〜(誰でも)         *グループ放課後 読書会「くまのあたりまえ」(公共図書館司書・その他)15日(水)7:00〜            *ボランティア講座 非公開 20日(月)10:00〜       *憲法カフェ28日(火)「沖縄は今」レポーター沖縄在住石坂さん 28日(火)7:00〜(事前参加申し込み受付)       *羊毛チクチクの会30日(木)10:30〜クリスマスの飾り(事前参加申し込み受付)                                                                                                                         

これからの会

  • 子どもと本これからの会
    読書は知識や楽しみも含めて心の栄養を与えてくれます。そして考える力になります。 被災地の子どもたちに本を届けたい、身の回りの子どもたちの環境を考えていこうという、二本の柱をたててボランティア活動をすることで出発しました。 いろいろの方たちの希望と力を持ち寄って、すばやく、やわらかく、活動を続けていきたいと思います。参加される方は参加登録してください。 世話人 坂上・宮田・大山