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「ベラスノアとキックオフ!」って?

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「ベラスノアとキックオフ!」
片平直樹 作
平澤朋子・画
福音館書店 本体1200円

 表紙の絵はワニとサッカーをしている男の子、これだけでも魅力的です。けれど、子どもたちが何を期待して手にとるかわかりませんが、じつはサッカーの本ではないのです。
 最初に書かれているようにー古くからサッカーがさかんなある国の、ある町でー主人公のぼくは母親と二人きりで住んでいます。サッカーが大好きな10歳11ヶ月の少年はこの町のプロサッカーチーム<ロケッティー>の下部組織の<ロケッティー・ジュニア>の入団テストを受けようとしています。このことは母親にはないしょ、というのも、少年の良く知らない父親が、かってはロケッティーのキャプテンをしていて、11年前なぜか八百長事件にかかわったとかの疑惑で町を離れ、それ以後ロケッティーも二部に転落、それから何かにつけていろいろのことを言われて来たからです。少年も母親もそのことや悪口も聞こえない、言わないという生活をしてきました。
 突然、その父親があらわれます。ワニになって。(もっとも少年にはまわりのサッカーがらみのおとなたちは動物にみえています。)父親、ベラスノアは臭くてオナラやゲップをして、ぼくと母親の間に割り込んでくるし、ゆるせないと嫌います。
 そうです、これはサッカーの物語でなく父と子の物語、10歳頃からの男の子はこんな感じで成長していくのかもしれません。だから、もしサッカーでなく音楽でも同じようにいえます。男の子は中学生になり、夏休みが終わった頃から急におとなになります。体つきだけでなく、いうことからすることまで、おとなをからかうようなものの言い方までします。
 決められた滞在の日が終わり、父親は町を出て行きます。追いかけて行きながら主人公ははじめて”おとうさん”と言います。実際はこんなふうに劇的には終わらないと思います。父親が社会でどういう役割をしているかということを知り、感じながらゆるやかに自立していくのだとはおもいますが、そうならない父子もいる、何が分かれ目なのか、少年の目から語っているこの物語のなかには、それも描かれているように思います。
 

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おいで、フクマル

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「おいで、フクマル」
くどうなおこ・さく
ほてはまたかし・え
小峰書店 本体1400円




 いまから20年以上も前、一通の手紙が店に届きました。この絵本の絵を描いている保手浜さんからで、くどうなおこさんの「のはらうた」に版画をつけて、「のはらうたカレンダー」をつくったので店で扱ってもらえないかとのお話でした。それから、毎年のおつきあいがあり、11月頃にはお客様へお届けします。保手浜さんは版画家とばかり思っていたら、しばらくして個展の案内があり、油絵なのでびっくりしました。版画とは全然感じがちがいました。
 この絵本でほてはまさん=保手浜さんは油絵でフクマルという犬を描いています。犬を飼ったことがある人はわかると思いますが、犬は呼ぶとこのフクマルのようにちょっと首を傾げて、ん?!という表情をします。目をひらいてなに?!というのです。でもこれは人の子、あかちゃんもそうです。
 見開きにはフクマルだけ、バックの様々な書き込みはほとんどありません。そして、くどうさんのみじかい言葉。余計なことはいらないのです。フクマルはみんなに呼ばれてここにきたのです。フクマルはこの絵本を読んでいるあなたでもあるのですから。

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とりとわたし

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「とりとわたし」
ケビン・ヘンクス作
ローラ・ドロンゼック絵
風木一人/ひびのさほ訳
あすなろ書房 本体1400円


 表紙にも裏表紙にも樹々に集まった3羽の鳥たちが歌を歌い、何か話をしているようです。大きな鳥も小さな鳥も、様々な色の鳥たちが自由に歌い、空を飛びまわっています。飛翔できない人間はつまらない?!飛ぶことに関しては個人的にいうと私は高所恐怖症的なところがあるので、鳥のように飛びたいとは思わないのですが、不思議なことに雲になりたいとは思います。雲に乗って空を飛ぶのではなく、雲になってゆっくりと空に漂うのは魅力的です。
 今は朝の4時も過ぎると鳥の声が聞こえてきます。すると夜明けで朝になります。あぁ、今日も始まると思います。もし、朝が来ても鳥の鳴き声がしなかったら、不安、考えるのも嫌です。鳥の鳴き声は希望のしるしですから、聞こえなかったら恐怖です。
 この本は物語の絵本でもないし、詩の絵本でもない、ちょっと不思議な絵本です。
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 同じくケビン・ヘンクス作・絵の「まんまるおつきさまをおいかけて」(福音館書店刊)も私は好きで、子ネコがミルクを飲もうとすると、空にもミルクの入ったお皿がある?月をかんちがいして追いかけるという話です。色は灰色と白のトーンですが、子ネコの表情がおもしろい絵本です。
 この絵本では最後のページで鳥が女の子と楽しそうに(笑っているように?)うたっているのが同じ作者らしい描きかたです。ローラ・ドロンゼックの絵はとてもきれいな鮮やかな色がつかわれています。夕日が沈む空、鳥が眠る月夜の空、冬に春に、鳥の鳴き声も風の音も聞こえてきそうです。

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エンザロ村のかまど

   ー人と人を繋ぐものー
 この本は月刊誌「たくさんのふしぎ」で2004年出版されたもののハードカバー判です。これがキッカケで新しい力が生まれました。
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「エンザロ村のかまど」
ーたくさんのふしぎ傑作集ー
さくまゆみこ 文
さわだとしき 絵
福音館書店 本体1300円

 エンザロ村はアフリカのケニアにあります。著者がエンザロ村を訪れて、エンザロ村を紹介している本です。絵本の形なのでイラストがたくさん入っていて絵を丹念に読んでいくと、はるか遠くのアフリカの人々の生活が、特に子どもたちの様子がよくわかります。目をひくのは、日本の子どもたちとちがって、どんな場にも子どもたちがいて働いていることです。私たちはアフリカというと動物王国のようなところ(これはテレビの影響が強い)とか、戦争、内乱、飢餓のイメージが強く、普通の生活がどんなか良く解らないことが多いのですが、この絵本には食事のことから、ちょっとびっくりするようなことが描かれていました。それは「かまど」です。日本でも昭和20年代までは「かまど」や「七輪」をつかって料理をするのが普通でした。いまはほとんど見られないし、使われていないので子どもたちも若い人たちも知らないと思います。この「かまど」がある日本人によって伝えられたもので、それだけでなく日本の「草履」=「パティパティ」も伝えられ役立っている、その様子が描かれています。岸田さんという日本人を介して、アフリカと遠野のおばあちゃんたちが繋がったのです。
 そして、この絵本の出版を機会にNGOアフリカ子どもの本プロジェクトが発足して、児童図書館をはじめとして、いろいろな交流活動がおこなわれています。
 以前、著者のさくまゆみこさんに来ていただいて、みんなでこのはなしを聞く機会がありました。また、その時千葉の学童保育所の先生の教え子がケニアの児童図書館のボランティアに行っていたことがわかり、こんなふうに人と人が繋がり、それが少しでもお互いの理解を助け深めていくことなのだと思いました。
 

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海からのおたより2009年6月

      ー 持ち込まれた貝ー

 梅雨の晴れ間、千葉ポートパークを歩いてきました。潮が満ちてきた波打ち際をなにかおもしろいものはないかと歩いていると見慣れない貝を見つけました。殻かな、と思っていたら生きているコタマガイでした。
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コタマガイはアサリに似ていますが平べったく、表面がアサリよりつるつるしています。本来は九十九里浜のような外海の砂浜にいる貝でポートパークのような内湾の干潟にはいない貝です。だれかが海に返してあげようとほかから持ちこんだに違いありません。ここにいてはいけない貝なので持ち帰ってきました。

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 先日は館山の海岸で外来種のホンビノスガイの生きた貝を2度ほど同じ場所で見つけました。その貝も館山にはいない貝なので持ち帰ってきました。もしかしたらこちらは小さい貝だったので売り物にならない貝を海に捨てたのかもしれません。(近くの店をのぞいてみたらホンビノスガイが売られていました。)館山湾でももしかしたらホンビノスガイはすでにすみついているのかもしれません。実際東京湾の奥の三番瀬で繁殖したホンビノスガイは東京湾の外側に向かってどんどん生息域をひろげています。
 コタマガイもホンビノスガイも貝自身は悪くはありません。「かわいそうだから海に逃がす」、のはいきものにやさしいようですが間違った行為なのです。食べないのなら持ち帰らずにそのいきものがいた場所にすぐに返してやりましょう。人の手でその場所に本来いない生物を移動させることは生態系を乱すのです。ささいなことですが「おうちにかえしてあげる」のはたいせつなことです。

   どんぐりつうしん変集長 谷口優子

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この世界の片隅に

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「この世界の片隅に」上・中・下
 ACTION COMICS
こうの史代
双葉社 本体各648円

 北朝鮮をめぐってまた、核の問題が連日ニュースで伝えられています。けれど、ほんとにちょっとでしかとりあげられていません。そして、あっちこっちの戦いもおわりそうもありません。核実験をする、なんのために、だれが、どこで、いつ・・・一方私はわずかばかりに入ってくるニュースを聞き流している、もっと緊張して、そしてともかく否!といわなければなりません。言い訳なしです。特例なしです。ともかく言い続けなければいけません。
 「夕凪の街 桜の園」で世代を超えて原爆の悲劇を現代につなげて静かに描いた作者の、漫画アクションに連載していた作品が3巻にまとめられ出版されました。(4月に下巻がでました。)
 広島で育ったすずが呉に嫁ぎ、爆撃で片腕を無くしてしまう、穏やかで楽天的なすずと家族、まわりの人たちの戦争下の生活の物語です。物語は嫁ぐ前のすず、絵を描くのが好きで天真爛漫な少女が夫になる周作と出会うところからはじまります。そして、昭和18年12月周作が結婚の申し込みにくるところから昭和20年9月原爆の落ちた広島に家族を捜しに行ったものの、父は死んで母は6日にでかけたまま帰ってこない、妹は原爆症でねている、周作と浮浪児の女の子をつれて呉で暮らしはじめるところまで描かれています。表題どおり「世界の片隅に」営まれる家族の物語です。
 作者はあとがきにこんなことを書いています。「私は死んだことがないので、死が最悪の不幸かわからない。他者になったこともないので、すべての命の尊さや素晴らしさも厳密にはわからないままかもしれない」それで「この作品では、戦時の生活がだらだら続くように書きました」「そこにいつも転がっていたはずの誰かの生の悲しみやきらめきを知ろうとしました」最後にたくさんの資料が載っています。この物語の中には戦争と背中あわせの庶民の日常の生活がとても細かく描かれています。
 作者はこの物語を描き続けられたのは奇跡といいます。でも、いま、ここにこうしていられる私たちの生も奇跡なのではないかと時々思います。
 

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ピアノは夢をみる

 朝からとても蒸し暑い日でした。一日パソコンに向かって、学校図書館へ納品のための書誌データーを入力していました。時々外をみて伸びをしたり、ちょっとお茶を飲んだり、でもさすがに夕方になったら目も頭もボンヤリしてきました。そして、ボンヤリと夢をみるようにこの本を開きました。

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「ピアノは夢をみる」
工藤直子 詩
あべ弘士 絵
偕成社 本体1200円




 ラジオからもピアノの曲が流れています。この絵本を開いていると、ちょうどラジオからの曲がこの絵本の主人公のピアノからの言葉のように聞こえました。ラジオから流れているのは、今日は沖縄の慰霊の日でそこでのコンサートの曲です。
 ある日、いろいろのいきさつがあったということなのですが、燭台つきの古風な一台のアップライトピアノがドイツから詩人のところにきました。その「ノイマンじいさん」がうたった物語を詩人が詩にして、画家が絵にしたのがこの絵本です。
 森の中、「ノイマンじいさん」が語ります。それは少年、少女の話だったり、森や風、海の話だったり、クジラやフクロウ、ちょっとさびしかった時の自分のことだったり。その「ノイマンじいさん」の夢を画家が絵にしました。みんなが「ノイマンじいさん」の夢をきいています。
 

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山からきたふたご スマントリとスコスロノ

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「山からきたふたご スマントリとスコスロノ」
影絵芝居 ワヤンの物語より
乾千恵・再話
早川純子・絵
松本亮・監修
福音館書店 本体1700円

 インドネシアのジャワ島でおこなわれる影絵芝居・ワヤンからお話は採られています。ジャティサロノにはスマントリとスコスロノのふたごの兄弟がいました。兄のスマントリは美しい若者で、幼いうちから大切に育てられましたが、弟のスコスロノはとてもみにくかったので、生まれるとすぐに森に捨てられましたが、自力で生き延びふしぎな力を身につけました。二人は密かに時々会って仲の良い兄弟でした。いよいよ父親の意向で兄のスマントリは天界から降り立った神、いまは人間になり暮らしている王と王女のもとを訪ねて行くことになります。
 この物語は一種の嫁取り、婿取りのお話で、そのために難題に挑戦し悪しきものと戦う、この場合醜い弟のスコスロノが兄に手助けし、首尾よく戦いに勝ったのですが、王妃が醜いスコスロノをきらうため弟を殺すということがあり、最後にはスマントリにも死が訪れます。その時スマントリの魂を天界に導いたのは弟のスコスロノでした。
 以前ワヤンを一度みたことがあります。とても幻想的、歌や踊りにのって演じられる世界は不思議な雰囲気が満ちていました。夜演じられるからかもしれません。
 この絵本はどちらかというとダイナミックで、確かに登場する兄弟や魔物たちは異国風ですが、版画ということもあり日本的な絵本になっています。ある場面では風神、雷神の戦いのようにも思えました。そのため日本の古代の神々が活躍する絵巻物を見ているようです。少しお話が長いので10代の人たち向きとはいえ、人工的なゲームとちがった冒険の世界がしっかり描かれている絵本で、ドキドキとしながら楽しむことができます。

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風にのっていったダニーナ

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「風にのっていったダニーナ」
ジェイン・ヨーレン文
エド・ヤング絵
もりおかみち訳
冨山房インターナショナル
 本体1600円



 ダニーナの父親は娘から世の苦しみや悲しみを遠ざけようとします。父親は裕福な商人だったので、広い屋敷に壁を築きダニーナを外に出さないようにしました。なにも知らないダニーナはそれなりに幸せでしたが、ある日塀を越えて風の歌が聞こえてきました。風は世界のいろいろな歌を歌いました。心ひかれてダニーナは父親に風の歌の意味を聞きました。もちろん父親は驚き、ダニーナの心を惑わす者がいるにちがいないとダニーナに問いただしますが、風の歌との答えにすっかり不安になり、たった1時間の海べの散歩だけ許すことにします。ますますダニーナは風の歌に心ひかれ、自分でみたいと思います。ある日海辺を散歩していると、風の歌が聞こえてきます。必死にくい止めようとする父親の叫びも届かず、ダニーナは風に乗って海の沖遠くへ消えていってしまいます。
 ヨーレンの文は散文詩のようで、ヤングのペルシャ風の絵はダニーナの哀しみと、自由への憧れを表現しています。コラージュと水彩画で描かれていて、人物や庭の樹々、建物などが細密に描かれているのですが、風、空、浪などは色を変え流れるように描かれています。表紙の黒い浪から逃れるようにスカーフに乗って空に飛び立っていくダニーナ、空のいろはダニーナの心を表しているのでしょうか、朱に近い赤色です。風の歌と一緒に、読んでいる私の心までが自由を求めて空に飛び立っていこうとします。父親の愛も止めることはできません。自由が何かも知らないのですが、なにかが変わることを求めて、私があなたがいます。

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グリーンフィンガー

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「グリーンフィンガー」
 約束の庭
ポール・メイ作
シャーン・ベイリー絵
横山和江・訳
さ・え・ら書房 本体1700円


 物語は冬からはじまります。ケイトたち一家は新しく住もうとしている家に来ています。そこは荒れはてた庭のある古い家でした。荒れはてているのはその家だけでなく、ケイトや家族みんなの心、でもほんとうは荒れはてているのではなく、このままでいたら荒れはててしまう寸前といったら良いかもしれません。主人公のケイトはいわゆる学習障害児で、困難な問題をかかえているだけでなく、これまでの教師やまわりの人たちに理解を得られにくい子どもです。知能に問題はないのに文字を読むこと書くことがとても不得意、だからトラブルをうまく落ちつかせ対処することができません。そのために転校しなければならないような状況に見舞われます。母親は仕事をもっていてどちらかというと現実派、父親はこれを機会につとめをやめて自分なりに仕事をしていきたい、それで庭を欲しいと思っている妻のためにこの不便な荒れはてた家を買って、自分のおもいこみ?のアットホームをつくろうとします。離婚寸前という状態、しかもケイトが行くことになった学校の教師たちは、以前の学校の教師のようにケイトの状況をきちんと考えようともともせず、ケイトはだめな生徒と決めつけます。やるきがなく、気持ちもすさんできているケイトの前に現れたのは、この家に以前住んでいた老人ウォルターと、その孫娘でケイトの同級生のルイーズでした。ケイトは離婚しそうな両親、特に母親に戻って来て欲しいために、庭を再生させようと思います。
 ケイトはたしかに困難な問題を抱えてはいますが、ウォルターと同じようにグリーンフィンガー「みどりのゆび」を持っていました。母親がいなくなってしまったので、幼い妹に本を読んでやるため、そして、庭の再生、植物や樹々のことを知るために、コンピューターを使って文字を読むことが出来るように工夫するところ、ウォルターのように記録していたノートがその努力を証明させ、両親や教師やまわりのひとたちの偏見をかえていくところは、心理描写もふくめてとても丁寧に書かれています。
 優等生のルイーズがケイトとちがうかたちで自分らしくあろうとする姿、妻を亡くし老いを迎え無気力な老人になっていくウォルターが、ケイトやルイーズの力で老いを受け入れて死を迎える最後の場面、きばるけれど現実的に家の修理をする力がない父親を助ける素朴な隣人マーティー、両親と姉のケイトの間で、本を読むことで現実から逃れてはいるけれどとても繊細でやさしい弟マイク、仕事を捨てて家庭の主婦だけになりたくないと、自分の生き方に悩んでいる母親など脇役の描写も確かで、この物語に厚みをつけています。ケイトやルイーズ、ケイトの両親とルイーズの両親、ウォルターの老いの生き方、そして教育のあり方など、いろいろの年代と視点から読むことができる本です。
 そして、シャーン・ベイリーのイラストがとても美しい、きれいな本です。


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雷こわい

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朝、梅雨にしてはまあまあのお天気、前の夜の雷騒ぎはおさまっただろうかと思いながら、千葉高校の「ナツツバキ」をしばらく眺めながらでかけました。ここ近年「ナツツバキ」の花をあまり見ないなぁというのは違っていて、木が大きくなったために花が上の方についててただけだったと気がきました。春咲く椿はどこでも見かけますが、「ナツツバキ」は東京にでてきて、それも近年知りました。梅雨のなか、さまざまに咲く紫陽花もすてきですが、白一色の「ナツツバキ」も雨の中明るく咲いていて好き花木です。
 坂をずっと下ってきたらこんなものに出会いました。

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 何をつくるのかわかりませんが工事の柵です。ご愛嬌のカエルにおもわず笑ってしまいました。”おはよう!”と言って、はずかしくなってちょっとまわりもきょろきょろしましたが、誰もいなくよかったです。
 ところが取次ぎから帰って来て(出版社の人とお茶を飲んで来たので帰宅はおそくなり、)さあ!PCを立ち上げてと思ったら、雨がひどく降ってきてそれに雷です。二晩続きであばれにあばれた雷、カミナリガードはつけているものの恐ろしくなってしまいました。あわてて電源を落として、しばらくようすをみたのですが、PCを使うのははあきらめました。ふいに、ずっと並んでわらっていた工事のカエルはどうしたかな?!などと思いながら・・・今朝もカエルはありましたが、まとめられて道の隅に置かれていました。

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不思議な旅「きんぎょ」

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「きんぎょ」
ユ・テウン作
木坂涼 訳
セーラー出版 本体1500円




 真っ赤な表紙には窓が開いていて、開かれた本のそらにきんぎょが一ぴきとんでいます。
ジェジェはおじいさんが働いている森の奥の古い図書館へ連れて行ってもらいました。自転車のうしろにはきんぎょ鉢がつけてあります。図書館の古い本を見て回っているうちにねむくなってしまいました。目が覚めてきんぎょに本を読んでやろうと思ってきんぎょ鉢をみるときんぎょがいません。きんぎょは本棚の赤い本の中に、おいかけて本を開くとたくさんのきんぎょがとびだしてきます。ジェジェのきんぎょはまだ、本の中にいました。おいかけると不思議なことがおこります。
 前作「かさの女王さま」で少女の願いを描いた作者は、今度は象徴的な不思議な世界を描いています。文字のないページもあり、ひたすら読者はイメージの世界に遊ぶことになります。
あざやかな赤の本にあいた窓のなかから、きんぎょに導かれて本の世界に・・・古い図書館の本の世界に旅をしてみましょう。

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あめ じょあじょあ

 夕方以前に千葉にいて、地方に行ってしまった人が久しぶりで来店されて、店を閉めてから一緒に食事をすることにしました。その時の空模様はすでに霧雨が降っていたのですが、それから2時間ほどたって帰宅する頃にわかに雨脚が強くなりました。この絵本のように雨がじょわじょわと降ってきました。

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「あめ じょあじょあ」
イ・ミエ 文
田島征三 絵
おおたけきよみ 訳
光村教育図書 本体1500円

 この絵本のタイトルを見たとき雨が”じょあじょあ”と降る、それだけとるとあまり使われない言葉なので、絵を見ながら声に出して言ってみました。大きな傘をさして雨の中元気にあるいている子どもの絵がこの言葉にぴったりです。でも、この絵本の雨はぜんぶこんなふうに降っているわけではありません。”ぽつん、ぽつん、ぽたぽたぽた・・・”で雨は落ち地面にしみこんでいきます。そして、”あめはどうしてふるのでしょう”この絵本は科学の絵本なのです。しかも韓国の絵本で日本語に訳されています。画家の絵を見ているだけでは韓国からの翻訳絵本にはおもえませんでした。雨粒には顔が描かれていて手があって、その水粒が空に登ったり、雨になって地に降ってきたりします。
 ユーモアいっぱいのおおらかな絵と歯切れの良い訳文が国をこえて良い絵本になりました。

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フランスのナンセンス絵本

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「ペトロニーユと120ぴきのこどもたち」
クロード・ポンティさく
やまわきゆりこ やく
福音館書店 本体1500円


 また、ずいぶんと大きな絵本で棚に入らないとお客様にいわれのなぁ!と思いながらも、おもしろくて夢中になって読みました。大型絵本で正解です。なんといっても120ぴきもの子ネズミを描かなければいけないのですから。そして、わたしがタイトルをつけてよい、といわれたら「肝っ玉かあさんと120ぴきの子ネズミたち」というタイトルにしましょうか。ネズミのかあさんペトロニーユには120ぴきのこどもがいます。働き者のかあさんは日の出をみながらお茶を飲み、一日が始まります。子どもたちの世話をして、遠くにいる父さんに手紙をかかせて、郵便にだすためでかけます。帰りに買い物をする、そこまではいいのですがトンチンカンチン・めだまあぐりにつかまってしまいます。かあさんねずみのペトロニーユの冒険がはじまります。
ともかく絵が細かく描き込まれています。見返しには歌があって子ネズミたちが歌ったり踊ったり、片面に120ぴきの子ネズミが描かれています。ぜんぶがその調子、そして作者はルイス・キャロルを敬愛している画家らしく物語も絵もナンセンスで絵の中にアリスやハンプティ・ダンプティ、それに怪物や小鬼やトランプをする巨石など、ちょっと不思議なものたちが充分に遊び楽しむ様子が描かれています。日本ではあまり類のない絵本、私は隅まで眺め回して楽しみました。

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昔話の寓意〜『山の上の火』を現代に読む〜2


   (2)『アディ・ニハアスの英雄』を読む

 エチオピアの昔話は知恵の宝庫です。同じ本に『アディ・ニハアスの英雄』という話があります。アディ・ニハアス村から12人の男が、町へ粉をひいてもらいに行きます。1袋づつ粉をかついでの帰り道、なかのひとりが、みんなをよびとめて人数を確認します。ところが自分を数えなかったので、11人しかいません。そこで大騒ぎになって数え直しますが、みんな自分を数えなかったので、ひとり足りません。みんな嘆き悲しんで帰りながら、いなくなった男の噂をします。噂は道々大げさになり、村に着いた時には、ヒョウと戦って死んだ事になります。そこで村中大騒ぎになりますが、小さな女の子が「ここに粉の袋は12あるよ。だから12人いるはずよ」といいます。そこで英雄が帰って来たと、にぎやかなお祭りが、始まりました。
 最近、地球温暖化が騒がれています。炭酸ガス排出量の削減が必要だ、クリーン・エネルギーを使えと言われますが、賛否両論です。温暖化の原因が賛否両論、クリーン・エネルギーで排出量削減できるのかが、賛否両論です。「あしたのエコでは間に合わない」のですから、もう手遅れなのです。脅しにもなりません。科学・技術論争でなく、政治・外交論争になっています。論争に巻き込まれたら逃げ出せません。でもこれだけ焦って煽られると、賛否どっちでもよくて、目的は別にあるのではと、邪推したくなります。つまりアメリカの世界戦略です。
 アメリカの優位な技術は、IT技術、金融技術、エネルギー技術です。先のふたつは、もうバブルがはじけました。あとはニュークリーン・エネルギー政策で、バブルを作るしかありません。太陽光発電、風力発電、核燃料(ニュークリア・ヒューエル)発電の技術は、先進国が独占してます。つまり化石燃料は(じかに)使っちゃいけない。先進国の発電装置を買えという事です。装置を作る為の石油や石炭を輸出してでも、買えという事です。アフリカ諸国が反発するのは当然です。
 日本では、里山を大事にしようと言います。山林や風土を活用し、ムダなエネルギーを使わない様にしようと言います。それは、そこにあるものを使おう、という事です。でもアフリカ諸国が、自国にある石油や石炭を使うのは規制しよう、というのです。    
 私の見方が正しいのかどうかは分かりません。でも論争の渦中で分からなければ、論争の外から袋を数えたら、12あるかも知れません。                      
                 (高橋峰夫)

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昔話の寓意〜『山の上の火』を現代に読む〜

    (1)『グラの木こり』を読む

 エチオピアの昔話に『グラの木こり』というのがあります。クーランダー、レスローの『「山の上の火』に入っています(岩波書店刊)

 きこりが木に登って、自分のまたがっている枝のつけねを斧で切っています。そこへ坊さんが通りかかり「そんな切り方では、落ちて死ぬぞ」と教えますが、きこりは信用しません。案の定、落ちたきこりは、地面に倒れたまま「坊さんが言った通り落ちたんだから、俺は死んだに違いない」と思います。そして村人に担がれて村へ戻る途中で、死んだきこりが、あれこれと自分の葬式の指図をするという笑い話です。同じ話はトルコの、ホジャの笑い話にもあります。
 またがってる枝のつけねを切る所からして、おかしいのですが、寓話としては分かりやすく、小さい子供も喜んで聞いてくれます。大人も子供も、自分はきこりのような馬鹿ではないと思って聞くのでしょうが、この様な事は、現実にはザラにあります。
 たとえばテレビのデジタル放送です。NHKが率先している所をみると、デジタル・ハイビジョンにこだわりがあるのでしょう。問題はアナログ放送の打切りです。テレビが見れなくなれば、NHKの受信料も払わなくなると思うのですが、それでも打切ろうとしている。二重投資はムダだというのでしょうが、そもそもNHKは、なぜデジタル設備に投資できたのか。それはアナログ放送の受信料をデジタルに注ぎ込んだからです。つまりアナログ放送の視聴者は、見もしないデジタル放送に散々投資させられ、あげくのはては、デジタル設備が完成したので、いま見ているアナログ放送は見れなくなる。
 つまり、きこり(視聴者)は自分で斧(NHKデジタル)を用意し、枝のつけね(NHKアナログ)を切って、きこり(視聴者)・斧(NHK)もろとも、地面にたたき付けられようと、しています。
 私達がグラのきこりより賢いのなら、またがっている向きを変え(方向転換し)、またがれるだけの枝のつけね(デジタル放送)は、残さねばなりません。
 ーあすにつづくー       高橋峰夫

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平和へのかけはし

Mukougishi


「むこう岸には」
マルタ・カラスコ作
宇野和美 訳
ほるぷ出版 本体1300円


 私の住んでいるところにある川、私たちはここでなんでもするの。向こう岸にも住んでいる人がいるけれど、あの人たちはへんなものを食べて、髪の毛もとかさなくて、そうぞうしくて私たちとはちがうから、川を渡ってはいけない!と、とうさんもかあさんもいいます。でもね!ほんとかな?ある日、向こう岸で手を振っている男の子がいました。おいでよ!と言っています。そして、ある朝岸辺にいったら舟があって、あの男の子が手を振っていたの。私は舟に乗ってみたら、少しづつ近づいて、雨がふってきたけれど向こうについたの。向こうの人は私とちがって金髪だったけれど、とうさんと同じように働いていて、編み物もするし、同じように遊んでいたよ。私たちは仲良しになった、今はないしょだけれどおとなになったら橋をかけたいの!
 短いセンテンスの静かな言葉がついています。絵も明るい落ちついた色で、少年と少女の願いが描かれていて、白と黒色の肌、金髪と黒髪、白色と赤い色の洋服、そして、その間を流れる川にかかった橋をみんなで渡っています。未来を託した希望の絵本です。
 10日ほど前にペシャワール会から会報の別報が届きました。一面で灌漑用水が竣工して緑の作物が育っていました。
 

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ないしょのおともだち

Naisyono

「ないしょのおともだち」
ビバリー・ドノフリオ文
バーバラ・マクリントック絵
福本友美子 訳
ほるぷ出版 本体1600円


 マリーの住んでいる家にはネズミがいます。マリーとネズミは同じように暮らしていました。ある日マリーがフォークを落とし、同じ頃ネズミもスプーンを落としたことから、お互いに気がつきました。でもマリーにとってネズミは病気をもっている汚いもの、ネズミにとって人間は乱暴な危険なものといわれていたので、こっそりと手を振るお友だちになりました。やがて、マリーにはマリアという娘ができ、ネズミにもネズネズという娘ができて、やはり同じように暮らしていました。マリアとネズネズも本を落としたことからお互いに気がつきました。そして、マリアとネズネズはどうなったでしょうか?
 落ちついた色づかいですが、そのなかにはお互いの暮らしがとても細密に描かれていて、物語の愉しさもさることながら、その絵の中からいろいろなことが読みとれます。たとえば、ないしょの友だちになってから、部屋にはおたがいの肖像画が描かれています。時間まで絵で描き込まれています。そして、最後のページではおおきなひそひそごえで”おやすみなさい”!
 マリーとマリア、ネズミとネズネズ、親子どちらも本が好きですね。この絵本を読んでもらう子どもたちも本が大好きです。

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ソフィーとガッシー

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「ソフィー」
ちいさなレタスのはなし
イリヤ・グリーン作
ときありえ訳
講談社 本体1200円



こんどはソフィーの話です。もちろん子どもたち4人のうち一番大きいのはオルガ、だからオルガがなんでも決めます。オルガのポケットには4つぶのレタスのタネがあるので”やさいづくりをしよう!”一番小さいソフィーもいれてもらえました。穴を掘ってタネを植えて、水をやって、さぁ!芽がでました。でも、どうしたことでしょう。ソフィーのだけ芽がでません。そこで、ソフィーは考えました。こっそりと・・・、いかにも子どもが考えそうなことです。
 本文があって、吹き出しのように絵に子どもの言葉がちょっと描かれています。たとえば、オルガがある場面をしきって”あれ!なに、これ?”ソフィーはオルガのうしろからオルガの肩をつかんで”どいて!それ、あたしのだよ!”
 この作者の絵本はとても子どもの表情が豊です。最後は意外な展開になり、おもわず笑ってしまいました。

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しょくもつれんさのはなし

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「たべることは つながること」
しょくもつれんさのはなし
パトリシア ローバーさく
ホリー ケラーえ
ほそやあおい くらたたかし やく
福音館書店 本体1300円

 このシリーズは文も絵もわかりやすく、私は出版されるのを楽しみにしています。今回は食物連鎖のはなしです。小さいものが大きいもの、強いものに食べられて、つぎの生き物のもとになっていく、これは良く語られることです。ただ、この本では終わりがある、たとえばその最後は人だと描かれています。人は他のものに食べられることがないからです。でも、それを読んで少しばかりあれ?と思いました。このことは折り込みふろくで訳者が書いていて納得がいきました。人が頂点にたつというのはアメリカ式考え方で、日本は循環型なので人が頂点になるのではないという、たとえば人が食べて排泄する、そのなかから芽がでたりして、また生き物に食べられたりと循環するという東洋的考え方があるということが書かれています。この円のかたちの考え方は文化の違いではないかと解説されています。そうですね、人が亡くなると埋葬する、土に帰るという言い方をします。私もその考え方に同意します。そこで終わってしまうのでなく、また何かの、誰かの役にたつ、しかもそれはどんな人にも平等に訪れるものとして考えたいと思います。
 <わたしたちは食べることで、すべてとつながっている>とてもわかりやすく描かれています。

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クモのいと

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「クモのいと」
新開孝 写真・文
ポプラ社 本体1200円



 この写真絵本はクモの本ではありません。クモの糸の本です。とはいうものの、もちろんクモがでてきますがたんなるクモではなく、糸のさまざま、どうやってクモが糸を張るのかという本です。このシリーズはとても写真がきれいで、自然の不思議と楽しさをしっかり描いています。この絵本を見る前は、クモによって糸の張り方がちがうなどはあまり意識していませんでした。樹々や草むらにいくと、ネバネバした糸がうるさいとおもうくらいでした。クモは特別好きでもなけれど、なんといっても益虫なので家のなかなどでみると、ちょっと”しっ!しっ!という程度です。この本のように特別目をこらして、クモの糸をながめたことがなく、この写真をみて、あらためてずごいなぁとおもったり美しいと思いました。
 読物ではなんといってもみんなが良く知っているのは<芥川龍之介のくもの糸>、もうひとつは<シャーロットのおくりもの>です。


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「シャーロットのおくりもの」
E・B・ホワイト文
ガース・ウィリアムズ絵
さくまゆみこ訳
あすなろ書房


 この物語はシャーロットというクモが豚の命を救うというお話です。どうやって救うかというと、糸をつかって文字を描いて、人々にアピールします。農場の動物たちと少女の願いがクモの力でかなうという物語で、アメリカではもちろん必読図書の一冊ですし、日本でもかなり前から読み継がれてきた本です。
 あらためて、クモの神秘的な営みをみました。朝早く起きて観察してみようと思います。


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生き物たちはおおいそがし

 なんだかはっきりしたお天気になりません。時々蒸し暑く感じますが、長袖のシャツは手放すことができません。梅雨のようなお天気です。新学期の学校図書館の仕事がはいってきて、集中するのでしばらくバタバタした毎日になります。そのこともあってしばらくぶりで<やまぼうし>のところにいってきました。

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花はもう盛りが過ぎてしまいましたが、まだ散らないで待っていてくれました。雨が降ったり、体の調子が悪かったり、時間がなかったり、大原までなかなか足を運ぶことができませんでした。

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天徳寺はかわらずのんびりとしていました。紫陽花はまだ満開ではありません。たくさんの鳥の声があっちこっちから聞こえてきます。草にまぎれてカエルがいて、テントウムシやハチやちいさな生き物がたくさんみられます。みんないそがしそうに働いています。天徳寺のご住職さまも、いつお会いしても体を動かして樹木葬のところなどを整備されていて、うかがうとしばし立ち話をします。だいたいは木や生き物のはなし、それから<ヤマボウシ>のまわりの手入れをして、あちらこちらの樹木をながめて帰って来る、それだけですがわたしの気分転換です。明日は雨でしょうか!


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パウル・クレーのこと

 パウル・クレーはわたしの好きな画家のひとりです。はじめて画集を見たのは大学闘争がふきあれていたときでした。その頃、やはり好きな佐伯祐三の画集を見たいばかりに良く訪れた友人の古いアパートにありました。倹約してやっと譲ってもらった佐伯祐三の画集はいまでも時々開くことがあります。その友人の部屋には他にもいくつかの画集があったのですが、そのなかのクレーとシャガールはお金の工面がつかなくて、ずっと後になって働いてやっと手に入れました。
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「クレーの食卓」
林綾野・新藤信 編著
日本パウル・クレー協会
講談社 本体1800円

この本は題名のようにクレーの日記から書かれた、クレーの食卓の様子です。食卓=生活、画家としてのクレー、そして生活者としてのクレーが再現されています。最初のページには何枚かのクレーの絵がはいっています。

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「クレーの天使」「クレーの絵本」などでも、谷川俊太郎さんの詩と一緒に(どちらも講談社刊)今は見ることもできます。
 その他クレーの生い立ち、つまり市民としてのクレー、そしてクレーの食卓の話、これはレシピつきです。
 ちようど、千葉市立美術館ではクレー展が開催されています。東洋美術との接点、いままでの視点とちょっとちがった展覧会です。
 6月の梅雨空模様、すこしゆっくり本を読んだり、絵をみたりしたいと思います。

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