「テラビシアにかける橋」本と映画
「テラビシアにかける橋」
キャサリン・パターソン作
岡本浜江・訳
偕成社文庫 本体700円
この本はかなり昔に読んだ。作者が来日したおりに話を聞きに行ったこともある。その時の印象はきちんと言うべき事を持ったおとな、媚びる事なく、おもねる事もなく、それでいて今に生きている子どもたちをちゃんと受け止めていっしょに歩いていこうとするおとなの人だと思った。パターソンの作品はどれも家族のことを描いているように思う。ベトナム戦争以後、ちょうどいまの日本がそうなように、人間関係が再編成されるなか、一体、親子って家族(国家)ってなんだろうと問いかけている。。いままでの家族、血のつながりがあって、父親が一家を養い、母親は子どもの成育をにない、貧しくとも助け合い、国家に信頼をおいて・・・親は子どもの成長になにができるのだろう。
ジェスの家は農家兼、父親は食べていくためにそのほかにも雇われている。4人の姉妹のなかのたった一人の息子、親から見ればたよりにしたいが、あまりたよりにならない11才。父親に反抗はするものの、一方では家の貧しさも親の期待も充分わかっているやさしい子どもだ。ジェスは絵を描くことで学校や家庭からのがれようとする。一方、となりに引っ越してきたレスリーの家庭は対照的だ。一人っ子、両親共知識人で本を書いている。男女は平等で、進歩的な自分たちの思想がすべてだとおもっていて、自分たちのことにいそがしくレスリーの孤独を想う事がない。
ふたりは当然仲良くなり、2人だけの王国テレビシアを森の奥につくる。けれどもその王国は一人で行くには危険な橋を渡らなければ成らない。誰もが一度は渡ろうとする橋、ジェスはレスリーに助けられて渡たり、しスリー亡き後は妹メイベルに手をかそうとする。
担任の厳しい教師と若くて子どもたちに人気のある音楽教師、貧しくていっけん厳しくレスリーを叱ってばかりいる余裕のない親、子どもに理解があると思い込んでいる親、この二組の、善きおとななのだがレスリーの死に絶望しているジェスの気持ちに真に寄り添うのは。担任の教師とジェスの両親の描き方は作者が言いたかった事だと思う。
ジェスは作者の息子で映画の脚本を手がけたデヴィット・パターソンがモデルだとのこと、映画のジェスやレスリーは適役で思春期の子どもたちの悩みも憧れも良く描かれている。背景の自然も魅力的、それだけに最後のテレビシア王国の映像はいかにもアメリカ映画らしく、丘の上の宮殿、王国の巨人や妖精たちは底が浅く類型的でつまらない。良く出来た娯楽映画になってしまった。まあ、映画はそれでもいいのだけれども。心の想像の世界を映像にするのはなかなか難しい。
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