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2007年9月30日 (日)

皆様ありがとう

 2007年9月29日、「会留府の30周年を祝う会」はたくさんの方たちの参加でとても楽しい会になりました。
 1時半から詩人の谷川俊太郎さんと作曲家の林光さんのトークと音楽ではじまりました。8月の時点ですでに席は満杯で260名の会場いっぱいでした。10周年、20周年とおふたりの集まりをもってきて、今回も早くからお願いしてあり、お元気なお話、演奏と詩の朗読など充分に聞かせていただき、時々のユーモアのあるお話に会場が沸きかえりました。秋の行事が重なったので、幼い子どもたちの姿は少なかったのですが、年齢はいろいろでした。サイン会もたくさんの方が並ばれて、谷川さんも林さんも大変お疲れのところを、がんばって求めにこたえていただき、私たちはニコニコでしたが申し訳なかったと反省です。 夜は谷川さんをかこんで、お祝いのつどいがありました。
 私たち(夫とわたし)は1973年千葉に引っ越して来て、1975年に自宅の一室から本屋をはじめました。やがて店を借りて、本格的に子どもの本の専門店として、営業をはじめたのですが、本屋をするということは2人の人生設計にはなかったこと、それをまあ、30年も続けてこられたのは、子どもたちに良い読書環境を与えることは、おとなのつとめと考えている人たちがたくさんいて、会留府を支えてくださったということだと思います。ある人は「会留府がつぶれたらそれは私たちの恥だ」とおっしゃられ、若くてのんびりしていた私たちは責任重大で、正直身がすくむ思いをしたことを憶えています。
 何人か遠方で参加できなかった若い人たちからお手紙も多くいただきました。はじめた当時子どもで来て、いまは親になっている人たちです。私たちも若かったので、良くその子たちとは話をしたり、遊んだりしたものです。店ができたと同じくらいに文庫活動をはじめた人たち、おはなしをしたり本を読んだり、それに、子どもの本は子どもだけのものではないと活動した人たちが第1世代とすれば、29日司会などをしてくださった30代の人たちが第2世代、夜の会で詩を読んだりした高校生から大学生が第3世代、そして、いま店に来てくれる幼い子ども達と、続いてきているのが、私はなによりもうれしく思っています。
 大きくなくて良い、千葉の片隅で、日本の片隅で、世界の片隅で本を読むことを楽しんでくれる子どもたちが少しでもいるように、そして、ゆっくりとその楽しさがひろがっていくようにと願っています。それができるのは、平和であるからです。
 皆様ほんとうにありがとうございました。これからもたくさん本の話をしましょう。よろしくお願いします。

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2007年9月27日 (木)

ワビシーネ農場のふしぎなガチョウ

9784751519073


「ワビシーネ農場のふしぎなガチョウ」
ディック・キング=スミス作
三原泉 訳
いとうひろし 絵
あすなろ書房 本体1200円




〜むかしむかし、貧乏だけれど働き者の正直な一家があったとさ〜と昔話ふうにはじまってもおかしくないようなお話です。貧乏なワビシーネ農場一家の唯一残ったガチョウが金色の卵をうみました。孵ったひなも金色のガチョウ、それだけでなく次々にお金の儲かることがおきます。心優しいスカンピンさん一家は、お金持ちになったからといって、変わることなく穏やかに暮らします。金色のガチョウは幸運をもたらすだけでなく、触った人をおだやかな気持ちにする不思議なものも持っていました。けれどその幸せはいつまでも続くものではなかったのです。金色はだんだん褪せて、普通のガチョウになってしまうことがわかりました。
 作者は動物がでてくる作品をたくさん書いています。特徴的なのはどの作品も人の善意があふれていて、しかも、それは決して嫌みでなく、読む人の心に素直にはいっていきます。この作品はオチがナンセンス風になっていて、最後には笑ってしまえます。
 それに、挿絵がぴったりあっています。読んでいてディック・キング=スミスの作品というより、まるでいとうひろしの作品のように、ほのぼのと楽しいお話になっています。ルビも充分にふってあるので、2年生位から自分でも読むことができるとおもいますが、秋の夜長、読んでもらって楽しさが共有できる本です。

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2007年9月26日 (水)

たのしいこびと村

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「たのしいこびと村」
エーリッヒ・ハイネマン文
フリッツ・バウムガルテン絵
石井素子 訳
徳間書店 本体1700円




読み物の本というより絵物語、それもカラーの挿絵がたくさんはいっていて、まるで絵本のような装丁になっています。この「こびと村」のお話は2冊目、今回は飢えたねずみの親子が、「こびと村」を訪ねていく話です。たどりいた「こびと村」は花が咲きみだれこびとたちがいそがしく働いていました。いろいろな仕事があります。親子は立ち寄ってペンキ塗りの手伝いしたり、ケーキを焼く手伝いをしてちょつとおしょうばんにあづかったり、楽しいひと時を過ごします。どうしてこんなに元気に働いているのでしょうか。実りのお祭りがあるからです。楽しい時を過ごしているうちに、ある日とても高いモミの木の下を通りかかり、登ってみます。はるかかなたにあるのは自分の村「なきむし村」です。親子は「こびと村」のみんなと別れて家に帰ります。
 なんとのんきな親子でしょう。「なきむし村」では奥さんねずみと子どもたちが待っているのに。でも、ゆるしてあげましょうか。それくらいこの本は楽しい場面、ユーモアのある場面(遊びすぎて、診療所でナオール先生の治療を受ける場面の絵などおもわず笑ってしまいました。)がたくさん描かれていて、読んでいる人たちも明るい、元気な心になります。

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2007年9月24日 (月)

読書ー楽・独のすすめ

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 昔の人は«あつさ さむさ も彼岸まで»といいましたが、ほんとにすっかり涼しくなりました。今日は曇り空なので、月はどうかわかりませんが、明日の中秋の名月はきれいな月がみることができるとの話です。
と、いうことになると「読書の秋」です。毎年夏休みには、いつもはなかなか読むゆとりのない本を読むことにしているのですが、今年の夏は暑い盛りに出かけなければならない用があり、水を持つとか準備万端整えて出かけたのに、体調をくずしてしまい、(これが熱中症か?!)ただ、ぐったりと、ぼんやりとしているうちに夏休みが終わってしまいました。
 夏休み、そして、続けて秋になると、「読書の秋」とばかりに本の特集などが組まれます。まわりの子どもたちも学校が2期制になり、春に運動会などがあり、秋には勉強をと考えている学校が多くなりました。しかも、国際競争の学力がどうも日本の子どもたちは足りないと思うおとなが多くて、ゆとりの教育は???と言われだしてきています。となると、「読書」はまた変につかわれそうです。たとえば朝の読書(朝読)を授業として位置づけようとか、
「感想文コンクール」と同じように本嫌いを生むひとつになりそうで、私はあまり賛成できません。
 子どもが本を読まなくなったというより、おとなが本を読まなくなった、(今も昔も、これからも、読む人がいなくなることはありません)本屋をなりわいとしているわたしは、本を読むことの楽しみを持っている人は、確かに少なくなったように思います。理由は思うこと、考えることに対する渇望感がなくなっているのだと思います。いわゆる忙しくながれるように毎日が過ぎていく。はっと気がついた時にはひとりでいることが不安になって、でも、心はかなりダメージをうけているので、その時には修復するエネルギーがなくなってしまっているように思われます。
なんやらどこかの首相みたい。いつもまわりから悪く言われないようにとばかり気をつかって、勝手なことばかりしている人たちの責任まで抱え込んでも首相でいたかった、きっと一人になって音楽を聴いたり、絵をみたり、読書したり、みえないものをみる、静かに自分をみつめたりすることができなかったと思います。そして、人そのものの存在も光と闇を持ち合わせているものだと思っていない。感じてはいるのでしょうが、自分はそうではない、正しい光だと思っている。
 本を読むのはなにも勉強のためだけでなく、やはりいろんな人がいて、いろんな生き方があることを考えることだと思います。本はもっと楽しく、楽に読みましょう。みんなと読んでも、独りで考えましょう。そして、それをまたみんなに伝えましょう。とくに、おとなは子どもたちに読むことを勧める前に自分で読みましょう。そして、感じたことを子どもたちに伝えましょう。当然たくさんではない、読書はほんとにささやかな喜びです。けれど、大きな生きていく力になります。
Nogiku9

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2007年9月23日 (日)

きらきら きらら おつきさま

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「きらきら きらら おつきさま」
デイヴィッド・コンウェイぶん
ドゥブラフカ・コラノヴィッチえ
おがわひとみ・やく
評論社 本体1300円




 ある冬の夜、おつきさまは空が暗いので、淋しくて街一番高いビルの屋上に降りてきました。みんなで空にもどそうとしますがダメです。アタはおつきさまのそばに座って、話し相手になりました。もう、二度と帰りたくない、このままここにいるといいます。アタはおつきさまを助けようと、暗くさびしく無いようにいろいろと考えてみますが、おつきさまは嫌だといいます。困ったアタは泣き出してしまいました。でも、良いことを思いつきました。
 淡い色、小さなアタと一緒に描かれている優しい表情の動物たち。お話はもちろんハッピーエンド、少しむかしばなしのような場面展開がされています。とても落ちついたきれいな本なのに、ただ、残念なのは表紙の月にキラキラと特殊加工されたものがついていること。決して気をてらったお話でもないし、本文のイラストではやさしいアタとおつきさまの交流が十分に描かれています。かえって子どもたちはこの「きらきら」にさわって、気になってひっかいたり、はがしたりしたくなるのでは。本のカバーだけでなく、表紙そのものがきらきらしているので、外すわけにもいかず残念です。
文はアイルランド人の詩人、絵はクロネチア生まれ、早くからアメリカで活躍中。
 

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2007年9月22日 (土)

風の子ふうた

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 「風の子ふうた」
文いしだとしこ
絵おだみほ
アスラン書房 本体1200円




 あいもかわらずとても暑い日が続きます。25日は中秋の名月、29日は「会留府の30周年を祝う会」ひたすら台風が来ないことを願うのみです。しかも、千葉では雨が降らなかったので植物はあまりのびません。わが家のイモリも暑さでぼんやりとしています。風が吹くと、汚いチリがとんでしまい、空は高く澄んできますが、いますこしです。
 むかしむかし西の山に風の家族が住んでいました。おとうさん、おかあさん、そして風の子ふうた。そろそろ秋の収穫の頃になりました。父親のまねをして、かぜの袋にいっぱい風をつめこんで、さあ!仕事です。ところがまちがった引き出しから取り出したのは冬の風、父親のように大地は秋になりません。ドングリもクルミも青くてしぶくて、動物たちはこまります。ふうたは母親に教えてもらって、小さな風を吹いてまわります。
 水彩画、墨もつかってとても動きのある絵は、子どもの目線でしっかり描かれているので、子どもたちはふうたといっしょになって秋の風を吹くことでしょう。こんなに暑いと、秋の風が恋しい、秋は短いのであっという間に冬になってしまいます。山々が色とりどりのカラーで染まる前に「フレデリック 」(レオ・レオニー作)のように日の光をたくさく集めましょうか。

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2007年9月20日 (木)

ヴォイスー西のはての年代記Ⅱ

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「ヴォイス」
西のはての年代記Ⅱ
ル=グウィン
谷垣暁美・訳
河出書房新社本体1600円



西のはての年代記第一巻から20年後、アンサル国の首都アンサルに住んでいる17歳の少女メマーが主人公です。オレックとグライが訪れた街アンサルは古くから交通の要所で、交易のさかんな美しい都市です。学問も芸術も盛んだった、というのは、今はオルド人の侵略にあい街は破壊され、オルド人の支配下にありました。人々は自分たちの文化を絶やすまいと、ガルヴァ館に本を密かに隠し、この部屋はこの館の当主である道の長とメマーしか知らない、他の人は入ることの出来ない部屋でした。メマーのギフトに気がついた道の長が自分の後継者にメマーを考え教育しているところでした。メマーの母親はこの地の名家ガルヴァ一族の者でしたが、オルド人の兵士に襲われメマーを生んだのでした。メマーは亡き母のこともあり、激しくオルド人を憎み復讐を誓っています。オレックが語る詩や物語とライオンをつれているグレイとの出会いはメマーの心を大きく揺さぶります。メマーもオレックのようにギフト(声=ヴォイス)を持っていました。そして、それはアンサルとオルド人との戦いと破壊から人々を救う力になりました。
 この物語にはオレックやグレイはもちろんのこと、とても魅力的な人々が描かれています。メマーは大変活発な(時には男の子になってオルド人のなかに入って使命をはたします。)聡明な、いきいきとした少女ですし、オルド人の王の奴隷であり、愛人になり、妻になったティリオの冷静さ、人々のために精一杯の腕をふるう料理人イスタなど、特に描かれている女たちの、立場はちがうけれど日々の営みを大切にし、ユーモアがあり、喜びを見いだす人たちの生きることへの讃歌は作者の考えそのものに思われます。
 自然の描写も読む者を引きつけます。特に、泉とか噴水とか水への描写は心を清々しくしてくれます。
また、この物語ははるか昔の物語になっていますが、とても現代的です。議会や選挙のこと、寛容と許容、戦いと平和、物語はおもわず現代のある国を想像してしまいますし、わたしたちが今なお乗り越えられない大きな課題でもあります。それらにも作者の思想が良く現れています。
 物語を読む喜びと書物の持つギフトをしっかりと手にすることのできる一冊です。

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ルガルバンダ王子の冒険

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「ルガルバンダ王子の冒険」
古代メソポタミアの物語
キャシー・ヘンダソン再話
ジェイン・レイ絵
百々佑利子・訳
岩波書店 本体2000円



 楔形文字のことに少しの知識ではもっていましたが、このようにしてひとつの物語としては理解していませんでした。5000年以上も前に、シュメールの都市国家ウルク、紀元前3000年頃には10万人もの人が住んでいて、都市建設がされていて、シュメール文明を築いていました。この文明の特徴は文字を持っていてそれは粘土板に書かれていて、たくさんの物語が書かれ集められていたことです。つまり図書館をもっていたことになります。
粘土板は単なるれんがの破片のようにみえることから、発掘、そして翻訳されにくく、いまでもどのくらいイラクに埋もれているかはわかっていないとのことです。
 さて、この物語はふたつの別べつの詩をつなげ整え、ひとつの物語にしたとのこと、そのへんは解説にくわしく書かれています。ウルク第一王朝の3番目の王の子どもの頃のお話です。そのルガルバンダのむすこがギルガメシュとのこと、やっとわたしにも主人公がみえてきました。
 ウルクの王エンメルカルは遥かの都アラッタの金銀鉱石を求めて戦いをいどむことにしました。7人の大きな息子を率いて出発します。末息子のルガルバンダもこっそりついていきますが、病気になってしまします。父王も兄王子たちもどうすることもできずに、神にいのってルガルバンダをおいて行くことにしました。ルガルバンダは幸いなことに元気になり、持ち前の勇気と知恵の力で怪鳥アンズー鳥に助けられ、ウルクの神殿にいた女神イナンナの力を借りに行き、謎をとき約束を果たし戦いは勝利します。(その約束とはアラッタを滅ぼさないこと、おもわず、現代的にイラクにおけるアメリカ政権のことを考えてしまいました。)
 大変美しい、造本にも配慮の行き届いた(たとえば、綴じの糸の色など)本です。大型絵本のつくりになっていますが、しっかりした冒険物語にたっぷりと絵がついている古代歴史物語ともとれます。活字も大きく組んであるので、小学生にも読むことができます。画家はこのイラストレーションを描くために大英博物館に通い多くを学んだとか、これからの秋、そしてクリスマスに向って「ギルガメッシュ王シリーズ(岩波書店刊、店では良く読まれています)」と一緒に薦められる本が出版されました。

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2007年9月18日 (火)

昔話絵本ーひよこのコンコンがとまらない

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「ひよこのコンコンがとまらない」
北欧のむかしばなし
ポール・ガルドン作
福本友美子・訳
ほるぷ出版 本体1200円



 昨日に続いてむかしばなしの絵本、7月に出版されていたものです。いわゆるぐるぐる話でひよこのタッペンの咳がとまらなくて、メンドリはタッペンに水を飲ませようと、大急ぎでいずみのところにいってたのみます。ところがコップを持って来たらといわれてしまい、カシの木にたのみますが・・・なんやらどこかの国のお役所仕事みたい!めんどりはつぎからつぎへと頼みにまわります。大丈夫無事タッペンに水を飲ませることができました。
 北欧のむかしばなしから再話されていますが、世界各地に良くある話です。こういう繰り返しの話はリズムにのって話されないとおもしろくありません。そのてん、絵本にしてあると絵の展開を追ってめくっていくとリズムがつくのでおもしろいのではないかと思います。しかも作者はアメリカ在住で、絵も明るく開放的です。絵と訳の力で楽しい昔話絵本になっています。

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2007年9月17日 (月)

韓国の昔話ーいぬとねこ

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「いぬとねこ」
 韓国のむかしばなし
再話ソ・ジョンオ
絵シン・ミンジェ
訳おおたけきよみ
光村教育図書 本体1600円


むかしむかし、おばあさんがいぬとねことくらしていました。おばあさんは海辺でスッポンを助けます。お礼にスッポンはりゅうぐうじょうに案内してくれました。えっ、「うらしまたろう」のお話みたい・・・お話は続きます。スッポンはりゅうおうのむすこでした。おれいにほしいものがでてくる玉をもらいます。えっ、ちょっとちがう・・・お金持ちになったおばあさんをみて、欲張りばあさんが玉を盗んでしまい、おばあさんはもとの貧乏暮らしになります。いぬとねこがその玉を取り返しますが、バカないぬは玉をくわえているねこに返事をさせようとするものですから、おもわずねこはへんじを返し玉を落としてしまいます。ねこはあきらめずに玉を探しておばあさんに持って来たので、家の中でだいじにされ、いぬは外で飼われるようになったとのことです。えっ、なんだかたくさんのお話をひとつにまとめたような昔話、おおらかないぬとねこのお話です。
 絵は色えんぴつとコラージュをつかってちょっと現代的な絵ですが、ねこもいぬもねずみも、なかなか愉快な表情に描かれていて、楽しい絵本になっています。韓国ではいぬの方がねこより好まれていたとか、ねこはこれで名誉回復ですね。

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2007年9月16日 (日)

耳の聞こえない子がわたります

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「耳の聞こえない子がわたります」
マーリー・マトリン作
日当陽子・訳
フレーベル館 本体1400円




 しいて選んだわけではないのですが、ハンディキャップを持った子ども、または、そのまわりの子どもたちを主題とした本の紹介が続きました。この本もその一冊、耳が聞こえない少女とその友だちの物語です。
 ミーガンは赤ちゃんの時の病気がもとで耳が聞こえなくなってしまいました。全然ではないのですが、補聴器をつかったり、口の動きをみたり、大声でどなってもらったり、手話をつかいます。でも、ものすごく元気で好奇心が強く、なにごとにも積極的です。両親と兄さんがいます。近所には女の子がいないので、こんど引っ越してくる家族には女の子がいると聞き楽しみにしています。引っ越しして来た女の子はシンディという名前の内気な子どもでした。ミーガンはさっそく行って友だちになりたいと呼びかけます。シンディーはミーガンにおされて友だちになることにしましたが、どうしてよいかわかりません。ミーガンの耳が聞こえない、話ができない、誘われてミーガンの家に行ってはじめてどうしたら良いかを知り、2人は大の仲良しになっていきます。そして、シンディーは手話をおぼえていきます。キャンプにいくことになり、以外にもミーガンは行きたがらない、その理由でミーガンの強さだけではない弱さも読者は知るわけですが、同情や哀れみでは決して本当の友だちにはなれません。
 また、シンディーにしろミーガンにしろ、いろいろなつらいことなどを乗り越えて行くには、おとなの安定した手助けが必要なことが、2人の両親やキャンプでの教師をとおして描かれていて、特にミーガンの家族のユーモアのある開放的な家庭がとても良く描かれています。現実にはこんなわけにはいかないことばかりですが、私たちおとなは諦めてはならないと思います。

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2007年9月15日 (土)

ぼく、カギをのんじゃった!

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「ぼく、カギをのんじゃった!」
ジャック・ギャントス作
前沢明枝・訳
徳間書店 本体1400円




 主人公のジョ-イは小学校4年生、本のオビに「カゲキ」に元気な男の子と書かれていますが、ジョーイの行動は注意欠陥多動性障害(ADHD)の子どもにみられます。考えるより先に行動する、じっとしていられない、思ってもいないのに“それはあとにしてチョーダイ”などという言葉がわけもなくでて、相手を怒らせてしまいます。幼いときに父親が家を出て、母親もいなくなり、おばあちゃんにつらく育てられていましたが、母親が戻って来て新しい生活がはじまります。けれど教室で孤立していたために友だちを傷つける事故をおこしてしまい、特別支援センターに通うことになります。
 読みすすんでいくにしたがって、父親はむろんのこと、母親もアルコール依存症にちかく、祖母には虐待にちかい育てられかたをしていたことなどがわかってきます。
 ジョーイ自身さえ予測のつかない行動は、まわりの人たちにもなかなか理解し難いのですが、ジョーイの母親を思う気持ち、そして、母親も一生懸命働きながらジョーイと暮らしていく、切々と読む人の心を打ちます。
この書名になっているカギを飲んでは引っ張りだすシーンなど、読むことも堪え難い場面がありますが、そんな行動もジョーイにとっては意味のあるものなのです。特別支援センターでの教師たち、医者、それになによりも保健室のホリーフィールド先生のユーモア、特別支援センターにいるさまざまなこどもやその親の希望の星になっていることを知ったジョーイの驚きと喜び、ぼくは悪い子じゃないとつぶやく最後のページに作者の視点が感じられます。
 作者が描いた絵本「あくたれラルフ」の物語版ともいえる本です。

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2007年9月13日 (木)

幸せな日々「おはようスーちゃん」

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「おはようスーちゃん」
ジョーン・G・ロビンソン作/絵
中川李枝子・訳
アリス館 本体1200円




 真っ赤な表紙は子どもの希望をあらわしているのでしょうか。幼い女の子スーちゃんはパパとママとちいさな家に住んでいますから始まる9つのお話集、だれにもこんな昔がありました。馬が荷車をひいて野菜を売りにくるなどということは、今はあり得ないことですが、この9のお話に書かれているスーちゃんの日常にちかいものは十分残っています。それは好奇心いっぱいのスーちゃんが次々におこす事件?です。歯医者さんにいったり、駅でママと雑草を抜いたり、迷子イヌのせわをしたり、確かに描かれていることは現代からみると古風で、ゆっくりとしています。できれば科学がどんなに進もうとも子どもたちの世界、おとなたちにみまもられながら、毎日はこんなゆったりとした時間が流れても良いはずです。それは子どものもっている特権なのです。
 作者の以前に出版されていた「くまのテディ・ロビンソン」(福音館書店)を読んでいる人もいると思いますが、その主人公ディボラよりはスーちゃんはもう少し幼い子どもの設定になっています。これから夜寝る前に読むのに良い本です。

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2007年9月12日 (水)

リンドグレーンの生涯

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「遊んで 遊んで」
リンドグレーンの子ども時代
クリスティーナ・ビヨルク文
エヴァ・エリクソン絵
石井登志子・訳
岩波書店 本体2300円
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「サクランボたちの幸せの丘」
アストリッド・リンドグレーン作
石井登志子・訳
徳間書店 本体1400円



長くつ下のピッピ」などで早くから日本にも親しまれてきたリンドグレーン、今年はその生誕100年とのことです。
アストリッド・リンドグレーンは、スウェーデン南東部にある小さな町ヴィンメルビーでこども時代を過ごしました。そのネース農場、ゆかいでお話好きな父親、しっかりものでしつけに厳しいけれど、子どもの自立心を大切にした母親、父親のいとこで馬や農場の監督をしていたペッレや、誠実で愛情深いおとなのなかでのびのびと育ちました。兄のグンナル、次がアストリッド、4歳年下のスティーナ、末っ子のインゲエードが兄妹でした。
 「遊んで 遊んで」にはそのネース農場のなかで豊かにのびのびと育ったアストリッドの様子と、その様子がアストリッドのどの作品のなかに描かれているがたくさんの挿絵と写真が入って述べられています。そして、やはり作品のなかの、豊かな自然と動物たち、とくにたくさんの桜の木があり、桜の花が咲く頃のすばらしい5月の自然について、いまでも訪れれば残っているその場所についての魅力が描かれています。自然だけではありません。アストリッドの生涯の友になるマディケンとの出会い、おもしろくて、ちょっと怖い話をしてくれた祖父母、農場で働いている人たち、時々一夜の宿を求めてくる浮浪者や行商人などから聞いた知らない土地の話など、作品の中にあふれるほど描かれていることは、みんなアストリッドの子どもの頃に得たものなのです。
「サクランボたちの幸せの丘」は都会から田舎に移り、農場を始める一家の話です。16歳の双子バーブロとシャスティンはちようどサクランボのようなのでそう呼ばれます。おそらくこのサクランボはアストリッドとマディケンのこと思っても良いでしょう。家を改築して、草取りやミルク運びなどの農作業に取り組むようすや、近所の同時代のともだち(もちろん男の子も)と楽しむハイキングや釣りやパーティのようす、やがて2人にも好きな人ができて・・・。この小説のなかにも溢れるばかりに描かれているのが自然のすばらしさです。
 おとなになってたくさんの苦難の中にも楽しい作品を残してくれたアストリッドの魅力は、この自然につちかわれた想像力と自立心にあるのだと思います。


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2007年9月11日 (火)

海からのおたより2007年9月

 青いクラゲと青い貝

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ギンカクラゲ

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カツオノカンムリ

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カツオノエボシ


秋の初日、海水浴の人たちが去った海岸にはたくさんのギンカクラゲが打ち上がっていました。ギンカクラゲはかっぱのお皿のような形をした青いクラゲです。あたたかい海の海面に浮かんで暮らしています。このクラゲはいつでも見ることができるわけではなく、黒潮が陸地のそばを通り、しかも風が海から陸にふいたときにだけ打ち上がるようです。触手がくさってしまうとまるで“干からびた大根の輪切り”のようになってしまいます。わたしも初めて見たときは植物かと思ってしまいました。今回見つけたギンカクラゲは生きたものもいて裏返すと元に戻ろうとするのもいました。私自身たくさんのギンカクラゲを見たのははじめてのことです。円くて銀貨のようなのでギンカクラゲと名がついたのでしょう。大きさは500円玉くらいのものから直径1センチにもならないものまでいろいろでした。ほかにもカツオノエボシ、カツオノカンムリといった青いクラゲが海岸に打ちあがっていました。風船のようなカツオノエボシの触手には強い毒があってデンキクラゲとも呼ばれています。刺されると水ぶくれになってひどいときにはショックで命を落とすこともあるそうです。カツオノカンムリはからだの一部がヨットの帆のような形をしています。海面に浮かんでそこで風を受けます。これらのクラゲの下にはカツオの群れがいる、といわれています。青いクラゲを見つける、それは宝物さがしの一歩です。
バケツを持った数人の子どもたちがクラゲをつついてキャアキャアいっています。波打ち際のアカクラゲに手を伸ばそうとしているので「毒があるよ」とおしえてやりました。足元にたくさんいたギンカクラゲの話をしながら今採ったばかりのお宝を見せました。
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ルリガイ
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「青い貝のたまご」



これはルリガイという貝です。貴重な貝ではありませんが運がよくないと拾えない貝でコレクターあこがれの貝です。泡でつくった“いかだ”にぶらさがりながらさかさまになって海を漂います。陸から遠く離れた広い外洋で群れになって青いクラゲを食べて生活します。大量に漂着することもあるようですがわたしはまだ見たことがありません。青いクラゲがいることはルリガイの群れもいっしょに流れ着いているかもしれないというサインです。その話をすると子どもたちはわたしの行こうとする方にみんな飛び出していきました。あの子たちが先にルリガイを見つけてしまうかも、と思いながらふと浜に目をやるとやしの実が落ちていました。館山に引っ越してきたばかりのころに拾って以来です。長い旅をしてきたのかいろいろなものがついています。意外に重いやしの実をかかえてみるとそれだけでしあわせになってくるような気がしました。
水面を漂う青いクラゲと青い貝は海に同化してよく目を凝らしても見えません。館山湾に群れが来ていてもわたしたちが目にすることができるのは打ちあがってからです。この浜ではたまごがついたルリガイの“いかだ”もみつけることができました。たまごも紫色をしているのでびっくりです。
遠く小笠原には台風がいます。とくべつ海は荒れているようには見えなかったのですが黒潮からのおたよりは海のロマンを運んできてくれました。

どんぐりつうしん変集長 谷口優子

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2007年9月10日 (月)

黄色いハートをつけたイヌ

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「黄色いハートをつけたイヌ」
ユッタ・リヒター 作
陣崎草子 訳
さ・え・ら書房 本体1500円




ロッタは森の中で小さな黒くてやせたイヌに出会いました。行く場所のない迷いイヌをかわいそうにおもって、どこのイヌかわかるまで家においてあげると約束します。連れていかれた家ではノーマンぼうやが留守番をしていて、旅行のおじいちゃんが帰ってくるまで納屋に置いてくれるといいます。このイヌはしゃべることができました。もちろんイヌ語ですが、自分がしゃべれるだけでなく人間語、ネコ語、ハト語、それにちょっぴりネズミ語もわかるといいます。
 一方イヌは名前を聞かれても思い出せません。昔、お城の庭園のブナの木の下にのびてしまっていた酔っぱらいの男ロブコヴィッツにはじめてであったことを思い出しました。ロブコヴィッツは男とふたりでいて、そのとき男が彼にロブコヴィッツという名前をつけてくれたのでした。イヌは食べ物のかわりに(チキンの皮が大好物)ノーマンぼうやたちにお話をする約束をしました。
 イヌの語ったお話とは世界の創世のこと、楽園と創造主と人間の誕生の物語です。グ・オッドとの出会い、友だちが欲しいとグ・オッドの絵を書き直し人間を造り、世界の均衡をやぶり、グ・オッドをうらぎったロブコヴィッツ、グ・オッドと暮らした楽園を追われたこと、イヌはグ・オッドをなぐさめ、ロブコヴィッツを探し出して連れて帰ることを約束して庭園をでてきたのでした。けれどやっと探し出して庭園に戻って来たのに入り口はなくなっていました。
 毎日ノイマンぼうやはイヌにチキンの皮をもってきてくれて、イヌはそのかわりにグ・オッドとロブコヴィッツの話をします。一時はネズミの脅迫に会いつらい思いをします。その窮地を救ってくれたのはネコでしたが安心していられる場所、生活はイヌにとって何もまして必要なことになります。冬がくるのです。ノイマンぼうやはある日黄色いハートをつけてくれました。イヌはやっと大切なものを手にいれたのです。帰って来たおじいちゃんにイヌはロブコヴィッツとグ・オッドの庭園の話を語ります。
 不思議な創世記の話です。キリスト教者でなくとも、イヌの語るこの物語が神とキリストと人間のことを述べていることがわかります。ノイマンぼうやとロッタは庭園の入り口を探し出すことができるでしょうか。それはイヌの語るこの話を信ずるかどうかで決まることだとおもいます。それに名前を持つことの意味も考えさせられることです。

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2007年9月 9日 (日)

川の光

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「川の光」
松浦寿輝
中央公論新社 本体1700円




読売新聞に連載されていた時から、単行本になる時はソフトカバーの児童書、またはY・A向きの書籍として出版されたら良いのにとは思っていたが、やはりそれはかなわなかった。川辺で暮らしていたネズミ一家が開発で住処をおわれ、次の家を得るまでの物語、充分に子どもにも読むことの出来る物語だ。むしろ小さな生き物の冒険物語として10代の子どもたちに読んで欲しいと思う作品だ。
 話は夏の終わり、きっと今のような季節に違いない。2才児?のタータと1才にならないチッチのネズミの兄弟、母ネズミは春チッチを生んですぐに死んでしまい、父親と3匹で川岸の巣穴に住んでいる。そこは暗渠工事がはじまり、かれらは新しい住処をもとめて旅にでる。かれらが始めにであったのはイタチ、なんとか逃げおおせたけれど、次には人間、そして、執拗にねらわれるのはドブネズミ軍団、そこを通っていかなければ工事のない川の上流までいくことができない。台風が来て水しぶきのなかで助けてくれた正体不明のネズミ、グレンは市立図書館で駆除をのがれて一匹で暮らしている。グレンに一緒に暮らすように誘われるが3匹は断って旅を続ける。グレンが歌う声は3匹を誘う川の光の歌、3匹は川辺で暮らすネズミなのだ。
 物語の中にはハラハラするような街のようす、ドキドキするような戦いも描かれていたり、スズメの一家の元気さなどユーモアもいっぱいあり、とても楽しい場面も多い。
 それに、同じネズミ(ドブネズミだが)と戦って、異種の鳥や犬、そして、人間の子どもなどがこの一家を襲う、窮地から助け出す役割をするのはちょっとおもしろい視点だと思う。つまりいろいろともっている能力がこのネズミ一家を救い出すことになるのだ。人間は自分のつごうだけを考えているが、自然との共生がないかぎり生き続けることはできない。まあ、こんな深読みをしなくとも、ネズミ一家の冒険物語だけでも十分楽しい。
 もうひとつ読んでいて思ったのは川は匂いをもっていること、それは海もそうだけれど、その匂いと輝きが私たちを生へと導いているのだと思う。

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2007年9月 6日 (木)

「もの」の運び方、利根川をめぐって

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「河岸」
ものと人間の文化史139
川名登・著
法政大学出版局




 「河岸」とは何か?
 「河岸」と書いて「かし」と読みます。「河岸を変える」や「魚河岸」の「かし」です。しかし河岸は魚河岸だけでありません。米河岸・塩河岸・材木河岸もありました。また日本橋魚河岸は、江戸市中の謂ですが、河岸は江戸時代は、全国にありました。川名登『河岸』によると、関東だけでも利根川を中心に80余、幕末には 300余の河岸があったそうです。添付の地図を見ると、それこそJRの駅の数ほどの河岸が載っています。この場合の河岸には地名が付き、行徳河岸・小見川河岸などと呼ばれました。伊能忠敬は佐原河岸の出身です。つまり河岸は川の港なのです。港の運輸機構や集落を含めて河岸と呼びます。
 アナウンサーでもまちがえる?
 夏休みに NHKのニュースで、高瀬船の利根川下りを報じていました。森鴎外の小説の小船ではありません。米千俵も積める復元船です。アナウンサーは「米を積んで利根川を下り、江戸まで運んだ昔を偲び子供たちは…」と言っていました。内陸部の米を積んで銚子まで下り、江戸へ運んだと思うのは、自然なことです。しかし事実は逆でした。東廻り海運で運ばれた東北諸藩の米は、銚子湊に入り、高瀬船に積み替えて利根川を逆上り、関宿から江戸川を下って、江戸に入ったのです。
 のちに、江戸湾の入り口に位置する伊豆大島に波浮湊が築かれます。地図を見た時、江戸湾に近い島の北側でなく、南側にあるのが不思議でした。東廻り船は一旦、波浮湊に入り、風が逆になったら、江戸湾に入ったのです。波浮湊を築いたのは、平六という小糸川の船頭だそうです。いまは絶版ですが、来栖良夫の童話『波浮の平六』に築港の様子が描かれていたのを思い出します。
 奇妙な利根川の地図                  
 私は小学校で利根川の地図を見て以来、ずっと不思議に思ってきました。日本最大の川が、銚子まで流れているのです。こんな川は、他にありません。普通の川は、もっと近い湾に流れ込みます。外海に流れ込むにしても、河口で氾濫して広がります。よりによって銚子の端っこまで流れる必要はないでしょう。 しかし今はわかります。銚子の河口は、もともと内海の開口部だったのです。霞ヶ浦はもっと大きく外海に開いていました。それが河川の土砂と砂州で、閉じ込められてきたのです。いっぽう利根川は江戸湾に流れていました。それを幕府が渡良瀬川につなぎ、常陸川につなぎして、銚子までつないだのです。余りにも大工事だったため、その目的を巡って、明治以来、論争になっていました。しかし川名氏の緻密な論文により、その目的が水運だった事が証明されています。諸藩が江戸へ米を送るには、全国の河川を下って、まず海へ運びます。もちろん戻り荷も重要な流通です。 関東諸藩も利根川を下って米を輸送しますが、利根川のもうひとつの役目は海運の米を、利根川を逆上って、江戸まで送る事だったのです。
 さて、近世史の魅力は、第一次資料が豊富だという事です。中世史以上にリアルな、当時の人の暮らしが見えてきます。『河岸』の魅力は、そこにあります。めんどくさい所は飛ばして、そこだけ読んでください。本に出てくる登場人物はすべて(庶民まで)固有名詞入りです。実際にある文書にのっている実在の庶民です。登場人物の説明のために、著者が経済的背景を述べ、必要なら推理も交えているのです。第一級のノンフィクションです。
    (高橋峰夫)

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2007年9月 5日 (水)

ラジオに出演

朝のNHKのラジオ番組「ラジオあさいちばん」に出演の話が突然あった。以前朝日新聞千葉版に30周年を迎えての記事を読んでの出演依頼だった。ラジオには昔、電話を通じて一言質問に答えるという形式ででたことがある。10周年の時はNHKテレビにでたこともあった。店に取材があり、カメラが入って大騒ぎだった。今回はキャスターの質問に答えるという対談形式、時間は8分とのことだった。
 昨日良いお天気のなか、東京のNHK放送センターへでかけ録音をしてきた。番組の流れの説明があってすぐにはじまる。キャスターは佐治さんという若い女の人で絵本大好きとのこと、小さい時良くいった街の本屋の話から、本に関しては幸せな子ども時代を送ったことが感じられた。そんなわけで気持ちよく話すことができた。終わって帰り、原宿の駅には若い人の群れ、この人たちのどれ位が本を読むのかな?どんな本を読むのか思わず聞いてみたくなる。
 朝ラジオから流れる自分の声、やっぱりなんだか気恥ずかしい。昨日の録音のときは15分位話したのだが、8分にうまくまとめてあった。もっと店の宣伝をしても良かったのにとは言われもしたが、聞いた人からたくさんの反応、電話があった。通勤の車の中で聞いていた人も多い。みんなにとても良い番組だったと言われた。今日は台風の余波の雨の中、日販へ行っていたので、留守の店にもたくさん電話がかかったとのこと、夕方店に帰ってきて聞き、新聞の時と同じくマスコミの力は大きいとスタッフと改めて話した。
 こうやってみなさんに背中を押され、会留府は30年続けてこられたのです。感謝!

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2007年9月 4日 (火)

この夏読んだ本の一冊

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「野生の樹木」
マーリオ・リゴーニ・ステルン
志村啓子・訳
みすず書房 本体2400円




 最近いつもは日常におわれてしまい、一般書やもう一度読み返してみたい本がつん読になり、少しまとまった休みが取れた時に一気に読むことが多くなった。ともかく朝から一切何もしないで読む。そうしないと積まれた本を横目にして、気持ちが落ち着かなくなってくるからだ。
 というわけで、この夏に読んだ本の一冊がこの本だ。以前「ニゴーニ・ステルンの動物記」(福音館書店2006年刊)が心に残っていて、ブログでもとりあげたことがあり、新聞書評に出た時から気になっていた本だ。「動物記」の方は「北イタリアの森から」と副題がついていて、動物と人の物語なのだが、この本はやはりタイトルのように木をめぐってのエッセイだ。木のエッセイではやはり以前読んだ小塩節著の「木々を渡る風」が、私には印象深かったがこの本もとても良かった。
 戦いの舞台になった北イタリア、土を掘り起こしただけで、数々の手榴弾や銃弾の残骸、人骨までが出てくる土地にヨーロッパアカマツ、カバノキ、ブナ、モミの苗木を植え、サクランボやリンゴが加わっていく。1989年にそれらの樹々のことを書いてみようと思ったと、まえがきに述べられている。この本に書かれている20種の木はオリーブ以外は比較的私も知っている、目にしたことのある樹々だ。例えば、最後のサクラは遅い雪で心配するサクランボのことからはじまっている。著者にとってのサクランボは、ロシアの強制収容所のなかで夢見たサクランボであり、少年時代に読んだチェーホフの「桜の園」であり、1940年6月兵舎暮らしのなかに農家の地下で見つけた乾燥サクランボである。そして、サクラの木、植物学としての話、サクラの材の話、100歳を越えてなお花を咲かせる老木も、いずれは切り倒されて避暑客のための住宅の駐車場になるであろう運命、サクラの木にまつわる物語が書かれている。
 本をゆっくりと時間やもろもろのことを忘れて読む。私にとってすばらしく幸せな時だ。

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2007年9月 2日 (日)

夏も終わり

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 さあ!今日で夏休みも終わりです。暑い夏でしたが、なにもなく暑い暑いと過ごせた人も、でも、いろいろのことがあった人もいると思います。9月に入ったらうそのように朝晩すっかり涼しくなりました。
 会留府はいつものように夏休みをとって、暑いのでひたすら出かけないで、こまごまとした雑用と、読書で過ごしました。8月が決算期なので、体力を温存しておかないとちょっと困るので用心しました。これはいいわけ、暑くて出かけるのが嫌になり、かといって読書もあまりすすまなかった、なんだかぼんやりいねむりばかりしていたように思います。写真の蝶や蝉は近くの千葉高校で撮ったもの、暑くてもわが家の鈴虫もイモリも生き物はしっかり自分の生理にしたがって生きています。なるべく自然にさからわないような生き方をしたいと思いますがこれが難しいと汗をかきながら思いました。
 千葉市の小中学校は2期制なので、明日から2学期とはいいませんが、夏休みは今日で終わりです。国では総合学習の見直しとかで、学力をつけるために教科の授業時間を増やすとか、どうもあまり好ましい話でありません。基礎学力をつけるのは賛成ですが、やはり国際社会の競争に打ち勝つ人材が求められているとか、日本語もあやふやなのに英語とか、時間数を増やすことなど、とても疑問に思います。学校へなぜ行くのか、なぜ勉強させなければならないのか、おとなは子どもに何を期待し、何をしなければならないのか、もう少し根本的に教育、学校、社会のことを検討する必要があるように思います。学校教育も生涯教育も時間が必要です。いま、子どもたちがほんとに必要としているのは(おとなも)真のゆとりの時間、教育ではないでしょうか。
 

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夕凪の街 桜の国

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「夕凪の街 桜の国」
こうの史代
双葉社 本体800円




 映画「夕凪の街 桜の国」をみた。原作は第9回の手塚治虫文化賞新生賞、そして、第8回の文化庁メダィア芸術賞を受けた漫画ということは知られてれている。賞をとったのもさることながら書き手が1968年広島生まれということ、「原爆」をあつかっていることに興味をひかれて読んだ。広島に生まれたけれど、被爆者でもなく、被爆二世でもない、戦争そのものも知らない若いひと、しかも、学生時代は何度か平和資料館や原爆の記録映像で倒れたという感受性の持ち主、そして、表現方法は漫画ということで、発表された時にすぐに手にしてみた。作者があとがきで書いているように、私自身も原爆は「遠い過去の悲劇」でもあり「昔話」であり「よその国の事情」というふうにおもっていた。知らない、知ろうとしない、怖いという理由で、でもなんとなく思う後ろめたさ、とくに、8月になりマスコミなどでとりあげられると、複雑な気持ちでいた。
 このはなしは一人の人だけでなく被爆して生き残ってしまった皆実をめぐっての一家、そして、現代につながっている皆実の姪にあたる七波をめぐっての人々の物語である。落とされたという原爆、自分が生き残ってしまった、妹やたくさんの人を誰一人として助けることもできなかった罪悪感にさいなまれて、白血病で死んで行く皆実。50回忌にあたるいま、その姉の知り合いに会いに広島に行くことを知らなくて、父親の後をつけ、広島をたずねまわる七波、この二つの時代のつながりと重みはやはり本のほうがわりにくいが、読者に考える余裕をあたえてくれる。映画のほうがこの一家をめぐってのたくさんの人たちの関係が判りやすい分、いくぶん平坦になってしまっているが、良く出来た作品と思う。
 漫画にしろ、映画にしろもっとこういう本があって読まれたり見たりしても良い。中学校などで積極的に子どもたちと読んで(それには漫画は最良)話し合っても良いのではないかとおもう。17点の参考資料と原爆が投下された時の地図と解説がついているのもとてもうれしい。

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