学校で学ぶことの意味ーひろや
「飛鳥川 淵は瀬になる世なりとも 毎週録ってるアニメ忘れず」
こんにちは!敬也です。
受験生にとって秋というのは、涼しさとともに強烈な「焦り」を
運ぶ季節です。
今月も、もしよろしければおつきあいください。
RE!学校で学ぶことの意味㈪
※これは決して「学校批判」ではありません。まだ未熟なぼく
にはできないことです。「愛あるツッコミ」とでも受け止めて頂
ければ幸いです。
ヒトはその人生の中でさまざまなことを考える。そもそも人間
なんてものが存在すること自体よく考えれば謎だらけだ。
そういった数々の「人生の問い」、人が“考えてしまう”問い。
それに一生翻弄され続けるのがヒトなのではないのか。
「一定のルールに従ってテキパキと情報処理をする」スキルを身
につける塾の教育は、社会で生きていく上では必要となることだ。
だが、塾に行こうが行くまいがそのスキルは身に付けられる筈だし
どちらにしてもヒトがヒトであるということは確認するまでもない
事実である。
そして「社会で生きていく」という現実的問題と同じくらい、もし
くはそれ以上に重要な「ヒトとしての問い」というものも、いつだ
ってそこに存在している。
教師が度々する発言のひとつに「無限の可能性」というのがある。
嘘だと思う。やはり各々のキャンパスに描ける生き方は限りがあ
る。だが「考える」ことができる限り、ヒトはヒトであり続けるこ
とができるとぼくは思うのだ。そしてそのきっかけを作ってくれる
のが本来あるべき学校の機能であったはずだ。
明確な答えなど誰も出せないし、それは教師の方々も同じだ。しか
し、教師という職業は敢えて、その「わからない」という単語、人
生に漂う朝霧に耐える責任を負っている。
暗記やテクニックでは賄えないそれらに。あなた方があきらめてし
まったらそれまでで、生徒はなにも解消できない。さらに辛い静か
な絶望が、学生の方に重く、のしかかる。
そして、学生。我々にも問題が無いわけではない。ぼくらに足りな
いのは「謙虚」な姿勢だ。別に学校という空間において教師が、
「本当に腐っている」なら、ぼくは反抗を止めない。
だがまだ学生、しかもとことん無知な中学生に、その判定を下すこ
とは可能なのか。答えはきっぱりNOだ。無知ゆえに感情に依存し
反抗へと結びつく。この構図ほど個人の愚かさを示すものはないだ
ろう。
もちろん今ぼくが書いていることだって、かなりのレベルで不完全
だ。きちんと意見を示したい時、ぼくの文体はついつい固くなって
しまうが、ぼくはこんな文体好きじゃない。
「汝自身を知れ」と、かの哲学者ソクラテスは言った。本当のこと
を何も「知らない」ということを「知れ」という大変含蓄に富んだ
言葉だ。そして今まで書てきた文脈に当てはめるなら「教師・学生
本来の意味を知れ」だ。(また懲りずにわざと複雑な当てはめ方を
してしまった。)完璧に正しい答えのもとに行動しろとは言わない
学生はこれからそのことについて考えていくのだし、教師はそのき
っかけを作っていくからだ。わざわざいうまでもないだろう。本来
の学校の存在意義が、学校で学ぶ「意味」、そのものだ。本来の学
校の姿について考えて、ときどき反論して、ときどき感心して、悩
んで若さに身を任せて生きていけば、少なくとも学校は,今現在の状
況よりは整然としたものになるだろう。
もしかしたらこんなことをいうことすら、もうとっくの昔に使い古
された、陳腐な祈りなのかもしれない。なんの意味も持たないもの
なのかもしれない。
だがぼくはまだ15歳だから、とりあえずまだ希望を胸に抱いている
ことにする。
(完)
ぼくは「特定非営利活動法人 国境なき子どもたち(KnK)」の
2002年子どもレポー ターとしてカンボジアに派遣されて以来、
活動に協力しています。是非「国境なき子どもたち」 のHPを
ご覧下さい。
「国境なき子どもたち」http://www.knk.or.jp/
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コメント
こんにちは。私たち学生は確かに「謙虚」な態度を忘れがちですよね。下手するとみんながいやがる先生を嫌ってみたりして。先生は大人だから(仕事だから?)結構受け止めてくれます。何か本人にもよくわかんないような反抗心とかも。それに心の深い所で感謝なんかしてみると関係も変わるのかなぁなんて思ったりしました。
投稿: ミドリ | 2005年10月26日 (水) 22時54分